しもべの祈り
ご迷惑をおかけいたしまして申し訳ありませんでした。
三章の改稿が一通り終わりました。詳しくは各話の前書きと、3月15日の活動報告に載せています。
走れど走れど影が追いかけてくる。光が存在する限り物体には影が出来る。この当たり前の法則から、一体誰が逃げられるであろう。
全方位からの光の照射か。はたまた全てを闇に飲まれてしまうか。さすれば影は存在出来ない。どちらも現実的ではなかったが。
おお、神よ。
全知全能たる我が主よ。
私はあなたの敬虔なるしもべです。
私の全てをあなたに捧げております。
私の肉体は私のものに非ず。
私の魂は私のものに非ず。
私の祈りはあなたのために。
私の行いは全てあなたのために。
私は我欲を捨てる。
私は博愛の名の元に善行を積む。
私は決して邪なるものに屈しない。
屈しないのだ。
ですから神よ、我が主よ。
どうかあなたのしもべをお助けください。
私はあなたの教えの下に生きてまいりました。
私がこの身を捧げるのはあなたのみでございます。
決して悪魔などにではないのです。
地獄に堕ちる謂れなどないのです。
何故私は今、悪魔の爪にかかろうとしているのですか。
何故私は、悪魔にこの身を喰われようとしているのですか。
おお、神よ!
救いを!
どうか憐れなあなたのしもべに愛を。
私の魂を天国へとお導き下さい。
どうか……神よ……。
かっ……。
天井の高い建物の中、色とりどりの硝子が一枚の絵画のように壁面を飾り、月明かりを染めている。冴え冴えとした月光は、その青白さに様々な色彩を混ぜて建物の床と、床にある塊を淡く照らし出していた。
太陽とは違う淡き光ゆえ、よくよく観察しなければすべての輪郭が朧だ。
注意深く見るなら塊は床に踞った人間で、硝子の色に着色された光によって影を落としている。その影から黒い鎌が伸びていた。塊へ突き刺さり、どくどくと波打っている。
やがて鎌は波打つことをやめ、影へと戻っていった。
夜の静謐に取り残されたのは無惨な死体と、死体が握る書物であった。
※※※※※※※
大陸の東端、山々に囲まれひっそりと存在する国。国土の殆どが田畑で埋まるミズホ国の中央に位置する屋敷にて、堂々と座す男と、頭を垂れて控える少女がいる。男の傍らにははんなりと微笑む女性と、まだあどけなさが残る少年が座っていた。
「マギリウヌ国の元首には、大臣を経験した古株が就いた。当面は前元首ボロスの政策を継ぐだろうよ」
白地に黒の刺繍が施された着流しに黒の帯、どっしりと胡座を掻いた男が口を開いた。ミズホ国国長コンゴウである。
「ボロス国家元首という強力な指導者を失ったマギリウヌ国はこれから大なり小なり荒れるでしょう。私はマギリウヌ国の動向を監視するのと、新しい指導者の補佐にしばらくかかりきりになるわ」
コンゴウの傍らに座る女性、トラメが溜め息を吐いた。ボロスが死ぬ間際に残した混乱であの国は揺れている。当面はナナガ国とも協力して新しい元首を補佐するつもりであった。
「我がミズホ国とマギリウヌ国の同盟は結んだままだ。が、アウリム科学技術長官はどうも油断ができん。思いつきで何をするか分からんからな。本人に悪気がないのがまた質が悪い」
科学国家マギリウヌ国。他国に比べて一歩も二歩も先んじた科学技術を誇る、彼の国が開発した機器は数知れず。恩恵も数知れずなれど、その殆どがたった一人の天才科学者に依存している。
この天才科学者アウリム科学技術長官は損得で動かない。倫理や情で動くこともない。彼が動くのは好奇心のみであり、それは開発する機器にも反映される。
男は節くれだった武骨な指で眼前に置いた携帯機器をつついた。
「まさか盗聴とはな。全くはた迷惑な事だ」
マギリウヌ国製の携帯通信機器は、離れていてもタイムラグなしに連絡が取り合えるという便利さから、ミズホ国でも導入していた。ところがこれに盗聴器が仕掛けられていたのだ。
この通信機器を作ったのも、盗聴器を作ったのもアウリムだ。本人は出来るであろうものを作っただけ。利用したのはボロス前国家元首だ。
そのボロス前国家元首の死に様から、生んだ妖魔に喰い殺されたものと踏んでいる。生まれた妖魔はおそらく高位。シキの仲間になったとみている。
「『デンキ』たちとの連絡方法を従来に戻す。とはいえシキ相手に何処まで情報が秘匿できるやら分からんがな」
各国から逃れた高位妖魔が、シキという高位妖魔の下へ集まりつつある。シキの能力は『何かをすり替える』ということしか分かっていない。
「シキには最大限に注意しろと『デンキ』たちには伝えておいた。そいつは今のところ、置いておくとしよう。ここからが本題だ、コハク」
コンゴウの光りを反射する目が、伏せる少女へと向けられる。コンゴウの瞳は比喩ではなく恐ろしく光を乱反射していた。
コハクと呼ばれた少女が白い面を上げた。黒髪に縁取られた相貌に大きめの瞳と赤い唇が映えている。黄褐色の瞳には、茶色の破片がゆっくりと舞っていた。
「ナナガ国に出た三年前の高位妖魔、ポルクス・キングスの父親が聖ルアノラ帝国にいる。今回の依頼は、この高位妖魔を狩ることと、ポルクスとかいう坊やを護ることだ」
コハクの瞳が僅かに細くなり、茶色の破片が動く速度を増す。
「どういう訳かは知らんがな、あの坊やを中心に事が起こる。三年前の高位妖魔の名はアキカゲ。こいつには間違いなくシキが関わってくる」
コンゴウの厚めの唇が引き結ばれ、光を反射する瞳がコハクを見据えた。傍らの少年がコンゴウの発する気配に飲まれたのか、ごくりと喉を鳴らす。
「坊やを護りアキカゲを狩ってシキを炙り出せ」
「承りましょう」
長たる威厳が乗ったコンゴウの命にコハクは頷き、一礼して立ち上がった。




