飴玉の甘さ
ポルクスの家族との幸せな食卓に、チェルシーの空腹が押し寄せる。祭りの日にワクワクしながら巡った屋台で、ポルクスが買って貰った飴細工を食べようとすると手にはなく、指をくわえたチェルシーが口の中を涎で一杯にして見つめるだけの惨めさに泣いた。
弟とポルクスの盛大な喧嘩の後、仲直りして笑い合っていると今度は薄暗い部屋の中でチェルシーと少女が二人で寂しさを分けあっていた。
自分の経験や過去に割り込んで他人の人生が入り込み心をひっ掻き回される。辛く、楽しく、喜びと悲しみ、愛情と憎悪、相反する感情を一気に味わわされる。流れ込んでくる他人の記憶に、ポルクスはもみくちゃにされた。
同時に全てを知る。チェルシーの想いとその罪を。
チェルシーの記憶に振り回されたのは、ポルクスが思った程長くはなかったようだ。目を開けばチェルシーはまだ倒れたままで、その姿がぶれて見えた。妖魔との分離が始まっているのだ。
『思い出しなさい。貴女は本当はどうしたかったの? 貴女の本当の罪は何?』
コハクの声が頭に響いて、ポルクスは驚く。短い時間のチェルシーとの同調でコハクの存在も感じていたし、ホムラは宿主の中に潜っていると言っていた。つまり、チェルシーの中にコハクがいる。一度同調したせいか、チェルシーの中のコハクの言葉がポルクスにも聞こえるようだ。
「私は兄さんを食べたい。私の罪はレイチェルを殺して食べたことよ」
『違うでしょう?貴女の本当の望みは別にある。貴女の罪も』
「うるさい! 別の望みなんてない! 私は兄さんを!」
ヘーゼルの瞳をギラギラと光らせ、チェルシーは床に左肘をついて体を起こし右の指をアルフレッドへ向けようとする。その手を不意に握られた。
「は? 何のつもり?」
チェルシーの手を握ったのは金髪の新米隊員だった。彼は青い垂れ目に涙を溜めてチェルシーを見た。
「本当はお兄さんを食べたくなんてありませんよね。貴女たちが欲しいのはそんなものじゃない」
「違う! 私は兄さんを殺して食べて強くなるの。レイチェルを殺して食べて強くなったように!」
びくりと震えてチェルシーとチェルシーに瓜二つの少女が重なり少しずつ解れていく。
「それが間違いなんですよ」
ゆるゆると首を横に振るポルクスの台詞をコハクが引き継ぐ。
『それは偽りの記憶。思い出しなさい。真実の過去と想い、罪を』
コハクから立ち上る光を標として、二人の言葉がチェルシーの意識をあの時へ誘導する。
男に言われるまま、何も映していない虚ろな瞳の妹へチェルシーは指を伸ばした。何処を切ろうかと指先を這わせても何の反応もしない。自分とよく似た顔立ち、同じ長い銀髪は二人して伸ばしあいっこしたのだ。
「さあ、味わうといい。甘美な肉親殺しの味を」
男の瞳が青い鬼火を宿す。薄暗い部屋の中を揺らめく青い光がちろちろと照らした。水底へ誘われたような感覚に浸される。生温い水温、引き伸ばされたような音、ゆっくりと進む自分の青白い指先、たゆたう銀髪、魂を喰われた空の器、兄や自分と同じヘーゼルの瞳。父も母も同じ目だったなとぼんやり思う。
父と母を芒洋に思ったかわきりに呼び起こされた記憶、殴られて泣いて帰ったあの日「内緒よ」と母が買ってくれた飴玉。そういえばあの時の飴玉は美味しかった …… 。
吸い込まれるように糸がレイチェルの顔へ伸び眼球を切り取った。糸で手繰り寄せ口に含む。ころころと転がる丸い玉、甘い甘い、あの時の飴玉。
青の水底を裂いて絶叫が上がった。空っぽでも生物としての生理的な反射は健在だったらしい。左目を両手で押さえ床を転げ回る妹は、側にあったテーブルを蹴飛ばし、椅子を倒す。床に擦り付けられた血が殴り書きのような痕跡を残し、テーブルから落ちた花瓶が粉々に砕けた。
「可哀想なレイチェル。今楽にしてあげる。心配しないで。全部食べてあげるから」
青い光がチェルシーの周囲で明滅する。痛みへの激しい拒否反応を示す妹の側にしゃがみこんで、暴れる体を糸で拘束て首を切り落とし …… 。
『違う。貴女たちはレイチェルを殺していない』
青い光に黄褐色の光が割り込む。
「出来る訳ないじゃないですか! 大切で、大切で、愛しくて、飢えてたんだから! 本当に欲しかったのは皆で囲む食卓で、そこに並ぶものは何でも良かったんじゃないですか?」
真っ直ぐ射してくる青の視線が痛い。握られた手が煩わしい。
「殺したわ! この手で! 空っぽになってしまったあの子を! だってもう戻らないのよ。いつだって明るく元気なあの子は。だったらせめて私が食べて強くなって……」
チェルシーも重なりあうチェルシーにそっくりな妖魔も同じ台詞を同時に喋る。その言葉に被せるようにポルクスは否定した。
「違う。貴女たちはレイチェルさんを殺していません。出来なかったんです」
コハクから立ち上る黄褐色の光が、部屋を満たす青の光を押し退ける。青が退いた後、チェルシーはレイチェルの側にしゃがんでいた。
暴れる体を糸で拘束したのは同じ。しかし指は妹の喉へ向かわず、眼球を失った左の傷口へと動かした。くるくると糸が包帯のように傷口を縛り止血する。チェルシーは立ち上がり、暴れるのを止めてぐったりと横たわるレイチェルの側から離れた。
「ちっ。情が勝ったか。情がなければ罪は深くならない。なかなか上手くいかないものだ」
男は青の鬼火を消して舌打ちをする。
「まあいいだろう。高位妖魔としてはまあまあの出来だ。肉親はまだもう一人いる。そいつを殺させればいい。その時もう一度迎えに来よう」
青の光が消え男の認識を拒む顔が、一瞬だけ明瞭になりまた薄闇に沈んだ。
「そう、だわ。思い出した。私が美味しいと感じたもの」
何かが違うと思ったご飯、食べても飲んでも満たされないお腹、足りなかったのは『ご飯』の内容じゃない。
人間の臓物を美味しいと思った。妹の眼球は甘い飴玉だった。
それもすり替えられたモノ。
「皆で食べるから美味しかったのね。父さんと母さんと、兄さんと、レイチェルと! 幸せだったからあんなに甘かったんだわ」
あの日買ってくれた飴玉が蕩けるほど甘かったのは、母さんが腫れた頬を優しく拭いてくれて涙が乾くまで抱き締めてくれたから。
何かが薄く物足りなかったご飯は、兄さんが無理して笑ってたから。チェルシーとレイチェルがどんなに何かしてあげたくても、何も出来ないことがご飯の味を分からなくした。
弾かれるようにチェルシーから瓜二つの妖魔が分かれる。
流れる銀髪、愛らしい顔立ち、違うのは血のような色合いの両目だけだった。




