夜を駆る者
夜の静寂にエンジン音を響かせて、と言いたいところだが、ナナガ国の夜はそれなりに賑やかだ。昼は暗い歓楽街に色とりどりの光が灯り、夜に生きる者たちと夜を楽しむ者たちが、ナナガ国の空気をざわつかせている。
懐かしくも忌々しい夜のナナガ国を、リリアーヌは鉄の乗り物を駆って走っていた。
「今回の妖魔事件の被害者は、所構わず噛みきられたようなものの方はリルの惚れた男へ復縁を迫った女が二人と中年男が一人、内臓だけを喰われたものの方は、お貴族の坊っちゃんが四人でリルへしつこく求婚してた奴よ!」
オートバイと並走するホムラとコハクへ届くよう、リリアーヌは声を張り上げた。
交通整備が追い付いておらず、人通りの多いナナガ国では自動車よりもオートバイの方が動きやすい。リリアーヌは試験を兼ねてこの鉄の塊である乗り物を愛用している。
夜間であることもあり、普段は出せない速度を出しているにも関わらず、走って同じ速度を出すのだからやはり化け物だ。味方とはいえ、やはり内心は苛立たしい。
「内蔵を食われた方が四人? 二件と聞いていたけれど?」
「あんたたちが結界だかの中にいる間に、犠牲者が増えたとダグスから連絡があったのよ」
一気に増えた犠牲者と聞いて、あまりいい情報ではないとコハクは思う。
「お嬢様の中にいた妖魔、ミソラはお嬢様そのものの罪で今回の事件には関係ない。噛み切られた方は同居していたユズリハという妖魔の仕業よ。私はてっきりユズリハがお嬢様の罪だと思っていた」
静かなコハクの声は、何故かオートバイの立てる騒音と風切り音を縫ってリリアーヌへ届く。
風を孕んでコハクの黒髪と衣服が闇夜へ翻る。髪と服が闇に溶ける色合いなせいで、白い顔とホムラへ掴まる細い手、翻る衣服から覗く足が映えた。
「内蔵を喰った方の宿主がリルの惚れた男?」
リリアーヌの腰を掴むリルの手に力が篭るが、あえて無視しする。
「ユズリハの例がある。一概には言えないわ。お嬢様の交際相手の男について詳しく聞かせて」
母の言葉を一言も聞き逃すまいと、うるさく風を切るオートバイの後ろでリルは耳をそばだてた。
「男の名はアルフレッド。父は日雇い労働者で職場の事故で死亡、母は栄養失調による衰弱死、妹二人と地べたを這いずって生きていたみたいね」
身に覚えが有りすぎる話にリリアーヌは眉をしかめる。娼館にいても最初は飢えからは解放されなかった。客を選べるほどの売れっ子になって初めて満足に食べられるのだ。リリアーヌのように容姿が武器にならなかった女は、出される粗末な食事では飢えを満たせず、客の食べ残しで凌いでいた。彼女が美の追求へ躍起になった理由の一つでもある。
「手っ取り早く金を稼ぐなら、色を売るか危ない橋を渡るかよ。アルフレッドは前者を取って金持ち女を転がし、表通りの住人になった」
妹を売ればもっと早かったのにね、と小さく付け加えた。ブレーキレバーを穏やかに引き込んで速度を落として上体を倒す。際どい衣服をはためかせ、リリアーヌは狭いコーナーを鮮やかに曲がってみせた。
「結婚詐欺師としては才能があったみたいね。その金で妹二人を学校へ行かせてる。リルと出会ってから女共と手を切ってまともな仕事に就いてたわ」
「そこまでしたのに、お嬢様に振られたと」
「ふっ、振ってはいませんわ!もう会えないと言っただけで……」
「同じ事よ」
慌てて言い繕うリルへ、コハクは淡々と事実を言った。
そこへ起きた妖魔事件の被害者は、アルフレッドへ復縁を迫った女と、リルへしつこく求婚した男という訳だ。
コハクに図星を突かれてリルは押し黙る。角を曲がろうと速度を調節し始めた母へ、一層の力を込めてしがみついた。
※※※※
肩が焼けるように熱い。同じように熱と痛みを訴える左のふくらはぎは、滴る血でぐっしょりとズボンを濡らして感覚をなくしつつあった。
冷たい銃口を突き付けられながら、アルフレッドは目の前の男を睨み付けた。銀髪の下から覗く、緑がかった茶のヘーゼル色の瞳を意思の力で燃やす。
「これだけ痛めつけても正体を出さないか、宿主」
くすんだ金髪に灰色がかかった水色の瞳が、男の酷薄な印象を更に強める。治安維持警備隊、第一部隊隊長ライズ・マルガヤは硝煙を漂わせる対妖魔銃をアルフレッドへ向けていた。
「能ある鷹は爪を隠すものだろ?」
荒い息の下から憎まれ口を絞り出す。撃たれたばかりの右肩を左手で押さえて壁に寄りかかった。
こんなところでは死ねない。リルから一方的な別れを告げられてから、アルフレッドはアングレイ商会の門戸を叩き、なりふり構わず地面へ額を擦り付けて頼み込み、雇ってもらった。
下っ端の下っ端の雑用を必死にこなし、少しずつ認めて貰いつつある。地道に働いて、いつか必ず正面からリルへ会いに行く。汚い自分の過去は変えられないが、今度こそ自分を偽らずに彼女へ向き合うのだ。
それまでは絶対に死ねない。死にたくなければ、目の前の男へ一言真実を告げればよかった。自分は宿主などではないのだと。
だがそれをすることは出来なかった。アルフレッドは色んな事を間違えすぎた。
少し我慢するだけで、見たことのない金を貰えた。彼が少し笑顔を向けて甘い言葉を囁くだけで、女たちは彼に騙された。
腹一杯食べられる喜び、清潔な寝る場所がある喜び、新しい衣服を着られる喜びに酔いしれた。妹たちを着飾らせ、学校へ入れてやった。
罪悪感などこれっぽっちも沸かなかったし、後悔などしていなかった。間違いだとも思わなかった。彼女に会うまでは。
ただの世間知らずのお嬢様だと思っていたのに、ものの見事に振り回されたものだ。
「何を笑っている!」
苛立った声に意識が現実へ舞い戻った。リルの事を考えていたら、知らずに笑っていたらしい。全く、我ながら重症だと呆れる。
「ははっ、お前みたいな奴にこの俺がやられる事が可笑しいんだよ」
わざと挑発的な言葉を吐く。少しでも長くライズ隊長を引き付けておきたかった。
時間稼ぎの間に逃げただろうか。
近頃世間を賑わせている妖魔事件の被害者を見た時、アルフレッドの血は凍った。
自分がどれだけ間違っていたかを思い知らされた。
死にたくないと思う。何としてでもリルにもう一度会いたかった。それと同じぐらい、アルフレッドには何としてでも守らないとならないものがあった。




