嫌疑
階段を降りてきたコハクたちを見て、宿の主人がぎくりと体を揺らした。
「お客さん、こんなに朝早くどうしました?」
不自然な愛想笑いを浮かべた主人へコハクは静かに問い返した。
「こんなに朝早く大勢の客が宿を囲むのかしら?」
主人の顔がさっと青ざめてから、すっと元へ戻った。
「最初から妙だと思ってたんだ。あんたたちは兄弟にしちゃあ顔立ちが似てないし、恋人の雰囲気でもない。訳ありだろうとは思っていたが……」
後ろ手に持っていた新聞を、主人がばさりと目の前にかざす。
「まさか、よりによって教皇様をっ! 教皇様を喰い殺した妖魔だとは!」
憎しみに歪んだ主人の後ろでドアが開き、鎧を纏った数人の騎士を従えた男が二人と女が一人、入ってきた。
白の法衣は金の刺繍で品よく縁取られ、足元まで伸びている。腰からは大きく両脇にスリットが入っていて、法衣の下にはやはり白の上下だ。三人とも右手に同じ書物を抱えていた。
「教皇ですって?」
コハクは思わず聞き返した。この国の頂点の存在である教皇が、妖魔に喰い殺されるなどあり得ない。
宿の主人が持った新聞へとコハクは目を走らせた。新聞の一面に大きく踊る文字と写真。
全体的に青白い色彩の写真に倒れた教皇らしき人物と、その影から伸びる黒い鎌、その鎌を右手に握った若い男。金髪に青い垂れ目のポルクスであった。
「そんな馬鹿な!」
コハクの後ろでポルクスがすっとんきょうな叫び声を上げる。その場にいる全員の視線が青年に向き、ポルクスが慌てたように両手を口に当てて黙った。
「お前が教皇様を殺した妖魔だな」
白い法衣の男がポルクスを指さして野太い声を出した。どっしりとした風格を持つ中年の男で、法衣の上からでも太い首と広い胸板が男のがたいの良さを誇示していた。
「違います! 何かの間違いです!」
ポルクスがばたばたと両手と首を横へ激しく振る。殺気だった人々から守るようにコハクはポルクスの前に立ち、黄褐色の瞳を細めた。くるくると、瞳の中の破片が舞い始める。
「余計に怪しいから少し黙っていなさい。私はミズホ国の珠玉が一人、コハク。彼が妖魔でも宿主でもないことは、この私が保証する」
コンゴウと教皇の間でコハクがこの国に来ていることは伝わっている筈だ。立場を明かして潔白を証明したほうが早いだろうとさっさと名乗る。
「ミズホ国の珠玉だと? 悪魔の使いが何故この国の土を踏んでいる」
ところが、男の反応はコハクの期待したものではなかった。嫌悪にまみれた口調で、コハクがここにいることを訝しんだ。
「話は通しているわ。断罪使ならば聞いているでしょう」
「知らん。虚言を吐くか、魔女めが」
不機嫌に眉間にしわを寄せる男に、嘘を吐いている様子は見えない。見せていないだけなのか、本当に知らないのか。
「そこの男を引き渡して立ち去れ、魔女。そのまま悪魔の棲み処へ帰るならば許してやろう」
「黙れ。先程から何度も魔女、魔女と」
ちりっと部屋の温度が上がる。焔にあぶられたかのような熱気がコハクたち以外を襲ったのだろう。断罪使の三人を残して、包囲している人々がじりっと後方へ下がった。
「貴様らなど骨も残さぬ塵としてもいい。コハクがそれを止めるから大人しくしてやっていれば、図に乗って何度も何度も」
ゆらりとホムラの赤い長髪が揺れる。
「ホムラ!」
『止めないでよね、コハク。俺もいい加減ムカついてる』
子犬のハルも歯を剥きだして唸った。少しずつ体が大きくなり、丸みがなくなって中型犬になる。
「本性を現したな、悪魔ども」
書物を片手に中年の男が一歩前に出た。ホムラの殺気を前に出てくるとは。
「止めても無駄でしょうから、一つだけ守って。命は取らないこと」
小さく息を吐いてコハクは仕方がないと諦めた。こうなると下手に止めるよりも制約を一つ付けた方が早い。
「ちっ。コハクがそう言うのなら仕方がない」
『オーケイ』
ホムラもハルも、コハクが言うが早いかで飛び出していた。
コハクたちが会話をしている間に断罪使たちが書物を掲げると、開いた書物から武器が出てくる。それぞれに武器を掴み、書物から引き抜いた。
中年の男は幅広の大剣、もう一人の男は杖、女は短槍であった。
ホムラが何もない左腰の辺りへ右手をやると焔が燃え上がる。焔を掴み斜め右へ払うと描いた軌跡から刀が現れた。中年の男が振り下ろした大剣と、ホムラの刀が噛み合いに行く。どう見ても大剣の半分もない刀が、重量のある男の剣とぶつかり合った。
「なに!?」
「ちっ」
大剣を受けても折れない刀への男が上げた驚愕の声と、剣を焼き斬れなかったホムラの舌打ちが同時だった。
大剣は炎のような光を纏い揺らめいていて、ホムラの刀は外見こそ変化のないものの、並みの金属なら溶かす程の高熱を帯びている。
「神の加護とやらか」
「ぬう、やはり高位の悪魔か」
呻くように互いの力を確認して、一度離れた。
一方、ハルはもう一人の男の腕を狙って跳躍する。一跳びで男に到達する距離だが、女が割り込んだ。短槍をハルの喉へと突き出す。ハルは首を横に振ることで体全体を空中で捻り、かわし様に横合いから槍を噛み砕こうとしたが、ガキンと槍の柄を噛んだだけにとどまった。
「ガアアアッ」
ならばと槍をもぎ取ってやろうと、女の体を思い切り蹴った。
『!?』
しかし女は槍を握ったままびくともしない。ハルは女の体に四肢を着けたまま、一瞬動きを止めることとなった。そこへもう一人の男がハルへ杖を向けて叫ぶ。
「不浄なる悪魔へ神の裁きを!」
「ギャウッ」
頭が真っ白になる電撃を受け、堪らずハルは槍の柄から牙を離して地面に転がった。女の短槍が転がるハルを追って突き出される。
『こなくそっ』
質量を縮めてハルが子犬の姿に戻り、槍は宿屋の床を突き刺した。今度は青年の姿になり、刀を構えて男と睨み合っているホムラの隣に立つ。
「成る程。高位妖魔と渡り合うだけのことはあるな」
「はんっ。腹立つことにねっ」
ホムラの黒い瞳にゆらりと赤い色合いが混ざり、ハルが犬歯を剥き出して拳を握った。




