#1
城南大学霊性情報研究所。まわりは田んぼと林に囲まれているはずだが闇に埋もれてなにも見えなかった。ただ蛙と虫の声がうるさい。建物につけられた時計は午前二時を指している。建物内も非常灯しか点いておらず人の気配はない。
闇の中、一台の2tトラックが研究所へと向かってくる。運転する今泉はヘッドライトの光だけを頼りに畦道から車輪を落とさないように慎重にハンドルを操作していた。トラックは裏門から研究所の敷地内に入り、ある棟の前に停車した。エンジンを切りヘッドライトは点けたまま今泉は運転席から降りた。まわりの闇の中に目を凝らし誰かを探していた。
「今泉」
今泉の名を呼ぶ男の声は建物に跳ね返り不気味に響いた。今泉は思わず「ひいっ」と短い悲鳴をあげてしまった。
闇から這い出てくるように一人の男が姿をあらわした。その顔は、瞼はくぼみ頬はこけて、まるで死の宣告を受けた末期患者のようだった。
「真田先輩」
今泉がほっとした様子で言った。しかしすぐにあらたまって「無事おつれしました」と神妙に言った。
トラックの荷台のドアを開けると中には冷蔵庫を横倒ししたような物体がベルトでしっかりと固定されていた。それは冷凍睡眠装置だった。真田は荷台に上がり冷凍睡眠装置の上部にある小さなガラス窓から内部を覗いた。少年が眠っている。傷ひとつないつるんとした皮膚のせいで人形ぽく見えるが、少年は正真正銘の生きた人間だった。冷凍睡眠装置の端にある液晶画面に少年のバイタルサインが表示されていて少年の「生」を確認できた。真田はガラス窓に手を置き、少年の頬のラインをなぞるようにガラス窓の上で指をすべらせた。
「……健吾」
真田の息子・健吾が死んだのは六歳の春だった。不慮の事故だった。
通常よりも小さな棺桶が火葬炉に入ろうとしていた。真田の妻・香織が狂ったように棺桶にしがみつきながら泣き叫んでいる。親戚たちに棺桶から引き剥がされる香織。真田はテレビ画面を見ているような感覚でそれを見ていた。涙は出なかった。
三人から二人になった食卓は寒かった。子供用の食卓椅子はそのまま置かれていた。テーブルの上にある離婚届の記入欄に不備はない。香織は立ち上がり大きめのボストンバッグを肩にかけた。椅子にもたれかかっている真田を一瞥しなにか言おうとしたが諦めたように口を閉ざした。香織は真田に背を向け玄関へと歩き出す。
「かならず生き返らせる」
香織は振り向く。真田はさっきと同じ格好をしたままだった。目だけが香織のほうへ向いた。
「健吾は俺がかならず生き返らせる」
真田の宣言だった。しかし香織は哀しそうに真田を見ただけで、なにも言わず家を出ていった。
「『三次元は二次元のホログラムであり、および実行結果である』というホログラフィック宇宙論と宇宙コンピュテーション理論の融合したものが現代の宇宙物理学の定説となっています。宇宙の地平面上に記述された二次元の情報構造体を演算処理したものが三次元の実体であり、宇宙自体が演算処理装置つまりコンピュータであるという考え方です」
真田が壇上に立ち講義を行っている。講義といっても相手は学生ではなく企業の社員らだった。各分野の企業に真田の研究の実用性を訴え研究費を寄付してもらうためのプレゼンテーションだった。が、真田の言っていることを理解している者はこの会場に一割もいなかっただろう。真田には自分の研究を売り込もうなどという考えがまったくなかった。理解してもらおうとも考えていない。真田は手にした端末に表示されている文章を読み上げているだけだった。真田は確かにこの研究については誰よりも最先端の研究員だったがこういう仕事には向いていなかった。一番うしろの席で聴いていた今泉はハラハラしていた。このままでは失敗する、と。
「現在の宇宙論の延長上にあってよりミニマムな事象について研究する分野が我々の霊性情報物理学と呼ばれるものです。ミニマムな事象と申しますのは脳科学の成熟や人工知能の技術革新の結果その存在が証明されてしまったもののことを指します。電気信号や化学反応では説明できない心的活動、いわゆる霊や魂と呼ばれるものです。霊性情報物理学はその問題に対する物理学的な回答であるといえます」
会場の誰もが置いてけぼりにあっていた。このままでは研究の存続も危ぶまれる。焦った今泉は真田の端末にメッセージを送った。「説明は充分です。デッドマンを壇上に」と。
急に真田が黙った。今泉のメッセージを読んでいるのだろう。そして唐突に「我々の研究の成果をお見せします」と言った。
壇上の上手から一人の男が出てきた。顔色が悪く歩行が不安定で酔っ払いのようにふらふらとしている。真田が男を指さして言った。
「彼は死者です。彼の心臓は動いていません。霊性情報の書き込みにより再び活動していますが医学的には死んでいます。我々は便宜上、彼のことを『デッドマン』と呼んでいます」
会場がざわめく。そのざわめきは鎮まることなくしばらく続いた。そのあと真田がデッドマンについて難解な説明をしていたが誰も聞いていなかった。