崩壊(ディスインテグレーション)
その日、吉宗に一本の電話があった。スマホに表示された番号に見覚えはなく、もちろん登録もされていなかった。誰だろう。
「もしもし」
「あ、よっしー? ひさしぶりだな、オレだよタジマールだ。いま電話だいじょうぶ?」
ぞぞぞっ、と吉宗の背中に悪寒が走った。いやな予感しかしない。
「……田島さんですか」
「おう」
いろんなことが、いろんな意味でおかしかった。よっしーって何だ、そんなふうに呼ばれたことないし。タジマールって何だよ……悪ふざけか。
「おひさしぶりです。……田島さん、フェイスブックのほう、どうしちゃったんですか」
「おう、ちょっと面倒になって、やめちゃったんだ。それでいま連絡している」
「なるほど……」
通話しながら吉宗は必死に記憶をたどっていた。なんでこいつ、オレの番号をしっているんだ? 尾白川で電話番号の交換なんてしただろうか……。そういうプライベートなところまで立ち入らなくていいように、フェイスブックというSNSを連絡ツールに選んだはずなんだが。
「よっしー?」
「……ああ、すいません。お元気ですか」
「おう元気よ。でさあ、ついに漕ぎつけたぜ、アンタのそっくりさん」
吉宗はまるで心臓を鷲づかみにされたようだった。
「本当ですか」
「おう、例の尾白川でだ。あちらさんもアンタに興味を持っていたよ。どうだ、会ってみないか?」
心臓がバクバクいっている。めっちゃ怖い。
「……はは、いざとなると緊張しますね」
「だよな、ドッペルゲンガーに会うと死ぬっていうもんな。……どうする?」
どうするって、あんたいま死ぬとか言ったじゃないか不謹慎な。
「ぜひ……お会いしてみたいですね」
あれ、なんか口が勝手にへんなことを喋っている。ワケワカンネ。
「そうか、それじゃ来週の土曜なんてどうだ?」
「わかりました、空けておきます」
「尾白川で落ち合おう。ツネヨシにも、そう伝えておく」
ツネヨシ……? ムネヨシちゃうんかい。そう突っ込むまえに電話を切られてしまった。もう、いろいろとワケワカンネ。
†
吉宗が独りで酒を飲むなんて、めずらしいことだった。
飲みたい気分だった。リストラ作戦に駆りだされていろいろとプレッシャーがあったときですら、こうはならなかったというのに……。
世界が壊れはじめていた。
思うに、自分はこれまで無難に生きてき過ぎたのではないか。吉宗は自問した。暴れん坊なのは名前ばかりではなかったか。
きっと、そんなんじゃいかん、と神様がおっしゃっているのだ。それでタジマールという天使を吉宗のもとへ遣わした。ものすごくポジティヴにとらえると、そういうことになる。
ふつうに考えたら、あんなおっさんと関わっては絶対にいけないのだ。ムネヨシだかツネヨシだかしらないが、そんなものが実在するという確証はどこにもない。全部あのおっさんが勝手に言っていることだ。
けれど同時に、吉宗は自分のことも信じ切ることができずにいた。
たとえば田島が吉宗の電話番号を知っていた件だ。吉宗自身は田島と番号のやりとりを行なった記憶はない。だが田島がなんらかの手段をもってそれを入手したとは、ちょっと考えにくい。
吉宗は田島と番号の交換をした。それを吉宗が忘れてしまっている、と考えたほうがずっと自然だ。
もし自分の記憶に齟齬や欠落があったとしたら……。
もし田島の言っていることのほうが正しかったら……。
それを考えるとめっちゃ怖い。世界の有様自体が、あやふやなものになってしまう。




