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前編

ほんの少しだけ短編を。

 「そうですね、僕が今まで経験したことのなかで一番不思議だった事と言えば……」

 男はそう言うとソファーから腰を上げ、窓際へと歩いていく。彼はカーテンを開け放ち、空を見上げて漆黒の闇を睨みつける。

 「―――月が崩れた原因と、その瞬間に立ち会っている、という事ですかね。なかなか興味深い話でしょう?」

 ニコリと微笑んでこちらを見やる彼の顔は非常に穏やかなものだった。私は椅子に腰掛けたまま彼にその話をするように促す。

 「まぁまぁ、そんな慌てずに。夜は長いのですから。そもそも貴方はどうして月が崩れ、無くなってしまったかご存知ですか?」

 私が世間一般でまことしやかに囁かれている、”宇宙人の陰謀論”と”隕石衝突説”を口にしたら彼は本当におかしそうに笑い始めた。

 「ハッハッハ、いや失礼。そうですね、そう世の中では言われているのですね。別に貴方を馬鹿にした訳では無いのですよ? ただ本当のことを知っている私からしたら本当に可笑しなもので……」

 愉快そうな彼は、笑みを浮かべたまま窓から離れ、テーブルへ向かう。そしてバスケットの林檎を手に取り、そのまま齧った。

 「――ところで、あの都市伝説をご存知ですか? 宇宙飛行士がシャトルの外で作業を行なっているときに、宇宙空間でスーツも何も着ていない髪の長い女学生に微笑みかけられるという話を。……そうですか、知っていますか。いえ、特に意味はありませんよ。聞いただけです」

 食べかけの林檎を弄び、何度も宙へと放り投げている彼に、私が不愉快げに咳払いをする。そうすると慌てたように林檎をバスケットに戻し、話を再開した。

 「これはもう、そう。私が学生の頃だから……40年も前の話です。もう少し経つと半世紀になる訳で――失敬。話を続けましょうか。どうも私はこの事になると無駄話が多くなるきらいがありまして。それほどまでにあの光景は私にとって衝撃的なものだったのです。そう――こんな場所にまで足を運ぶまでに私の人生に影響を与えるものでした」

 こんな場所……確かにそうだ。こんな場所に集まる者など世の中で”夢想家”、”イカレ”などと爪弾きにされるような者ばかりだ。しかし私は思う。”夢を見る”というのにも”才能”が必要なのだと。そう考えればここに集まる連中は”才能”に溢れた者たちばかりであり、目の前で仰々しく腕を広げて話を続ける彼も充分に”才能”に恵まれた者なのだ。

 「では取り合えず、私が彼女に出会った処から話をさせていただきます。あれは今の季節と同じ、美しい紅葉に覆われた秋の校庭から始まります……」

 やっと本題に入った彼の話に、私はソファーに体を埋めて耳を傾けた。



 放課後、補習に呼び出されてしまった僕は、もう日も暮れてしまった校庭に一人で立っていた。

 帰宅部の僕がこんな時間にまで学校に居るのは珍しい。いつもと違う、人気の無い学校は昼間の顔とは全く違う、何処か恐怖を感じさせるモノだった。

 そんな薄気味悪い校舎からおさらばしようと急いで校庭に出たのだが、もう既に日は落ちてしまい、校門までの行く先は真っ暗だ。この前まで夏の暑さに文句を言っていたのに、もうすっかり季節は秋。日の出ている時間も一日一日短くなっている。

 「……早く帰ろう。寒いし」

 視覚からの影響か、寒さを感じた僕は体を震わせて校庭を歩いていく。

 空にはぽっかりと穴が開いたように、円い金色の月が浮いている。その月の明るさのためか、夜空は黒というよりも群青に近く、寒くさえなければ何時までも見ていたいと思わせる美しさだった。僕がそうして、空を眺めながら歩いていると、

 「――そこっ! 歩くな!!」

 突然大声で注意され、僕は驚いて立ち止まってしまった。周囲を急いで見渡すと、暗がりの中に女の子が居るのに気付いた。

 彼女はこんな暗い校庭で、ライン引きを使って何かを地面に描いているらしい。僕が自分の足元に視線を移すと、想像通りそこには白い石灰で線が引かれていた。彼女は、僕が線を踏み荒らすのを嫌って声を掛けたようだ。こちらを睨んでいる彼女に僕は肩を竦めて謝った。

 「悪かったね。月が綺麗で気付かなかったんだ」

 その言葉に彼女は、気味の悪いモノでも見たように僕から顔を逸らした。

 「あんなモノが綺麗だなんてお前はどうかしている。ほら、さっさと帰るんだ」

 犬でも追い払うように、シッシッと手を振る。この時になって、僕は彼女の容姿が人一倍優れていることに気が付いた。

 濡れた鴉の羽のように美しい黒髪、切れ長の目尻、柳の葉のような眉毛、そして病的なまでに白い肌。まるで闇の中に咲く白百合のように、彼女は美しかった。

 「……何だ? 早く帰れ。今日は部活動も休みのはずだ。お前が此処にいる理由もないだろう?」

 酷く無愛想な言い方もその姿に良く合ったものに思え、魅力的ですらあった。しかし彼女の言うとおり、僕には此処に居る理由は無い。後ろ髪引かれる思いで、僕は家路に着いた。



 「――ということがあったんだ。蓮田、彼女のことを知ってる?」

 僕の話を聞いていた身体の大きな男子学生――蓮田はあんぐりと口を開いたあと、頭を抱える。

 「あのな、板賀。その人は凄い有名人だぞ。アノコ先輩だろ?」

 「え?」と思わず僕は聞き返してしまった。別に”有名人”という部分に反応したのではなく、名前が聞き取れなかったというそれだけだ。蓮田もそのことを分かってくれたらしく、

 「亜細亜の”亜”に、乃木坂の”乃”、あと普通の”子”で亜乃子だ。本当に今まで知らなかったのか? もう二年だろ。どんだけ世界に無関心で生きているんだよお前は……」

 呆れたように牛乳にストローを差し込む彼に、僕は幾つかの疑問をぶつけることにした。

 「彼女……亜乃子先輩ってそんなに有名なの?」

 「そりゃそうだ。あんな美人なら有名にならァな。頭もいいし、運動神経も良いしな。それに少し変わっているところも人気の要因だよなー」

 ジュルジュルと牛乳を飲む蓮田に、目線だけで話を促す。

 「なんかあの人、月が怖いらしいんだわ。それで俺も良く分からんけれど、たまに校庭に変な……魔方陣って言うのか? 気持ち悪い模様描いて何かしようとしてる」

 蓮田の話を聞いても一体何が何だか分からない。あらゆる点が不透明で謎だらけだ。

 「えーっと、良く分からないんだけど」

 「俺も分からん……。まぁそういう所も魅力なんじゃないか? 俺には全く分からないが。それでもよく告白されてるし、好きな人は好きなんだろうなぁ」

 どこか悟ったような事を言う彼は一気に牛乳を吸い込んで、空き箱をゴミ箱へ投げ込んだ。

 「もしかして……板賀、お前亜乃子先輩に惚れたのか? やめとけやめとけ、人間嫌いのお前が誰かと上手くいく訳ないって」

 「じゃあ、そんな人間と今こうして話している君は一体何なんだい?」

 僕の言葉に蓮田はさも当然のように嘯いた。

 「そりゃお前―――変わり者さ」



 放課後になると、昨日とは違って校庭には部活動に勤しむ生徒たちで溢れかえった。取り合えず見渡してみるが、当然、亜乃子先輩の姿は見えない。

 「帰ろうか、な」

 蓮田は部活動、何も無い僕は家に帰るしかない。今までと何も変わることがない日常。僕はいつものように鞄を片手に下げて校門へと歩いていく。

 校庭の半ばまで来たとき、ふと何気なく振り返った。

 「ん? あれは……」

 校舎の屋上に人影が見えた。この距離でもその黒髪の美しさで分かる――亜乃子先輩だ。彼女と思しき影はふらりと動き、姿を消した。

 “姿を消した”ということに何故か僕は焦ってしまった。その焦りを自覚すると、僕は自分でもよく分からない衝動に突き動かされ、屋上まで走った。


 息を切らし、屋上に着いた僕は自分の目を疑った。彼女は黒いペンキと大きな刷毛で、屋上のコンクリートに一心不乱に意味の分からない模様を描いている。その模様は何処か文字のようにも見えるが、僕の知っている言語ではない。アラビア文字に似たその模様は円を描くように紡がれており、成るほど魔方陣に見えないこともない。

 ペンキが撥ね返り、亜乃子先輩の赤いスカーフと顔を所々黒く斑の模様を作っている。しかし彼女はそんなことを気にも留めず、ただひたすらに刷毛を動かし続ける。

 模様が一周すると、次は円の中に収めるように一回り小さな円を。それが完成したらさらに小さな円……と、延々と単調な作業を続ける。そんな彼女に声をかけるのは躊躇われ、僕は全ての作業が終わるまで屋上の端で突っ立っていた。

 作業が一段落したところを見計らって声を掛ける。

 「―――何をしているんですか?」

 先輩であるという事を知ってしまったので、昨日とは違って敬語で話しかけることにした。彼女は興味が無さそうにこちらを見て、すぐに視線を足元の模様に戻してしまった。

 先ほどまでの亜乃子先輩は、僕に気付いていなかったはずなので、驚くなり質問してくるなり何かしらの反応を返してくると思っていた。しかし現実の彼女は腕を組んでブツブツと何かを呟くだけで僕の存在など蚊帳の外だ。その徹底した無関心に僕は肩透かしを食った。

 「…………」

 一度無視されてしまうと、再度声を掛けるのは何倍もの勇気が必要だ。僕はぐっと言葉に詰まってしまい、手持ち無沙汰に空を見上げた。

 空は茜色に染まり、少しずつ夜の闇に蝕まれている。まだ空には白い月が不安げに浮いており、その淡さは今にも消えてしまいそうな程だった。

 『あんなモノが綺麗だなんてお前はどうかしている』

 月を見ていたらそんな先輩の言葉を思い出した。何を思ってそんな言葉を発したのか。そう言えば蓮田が言っていた……彼女は月を怖がっていると。

 僕はあの寂しげな月を綺麗だと思うし、金色に輝く満月も大好きだ。きっと、人類の大多数が月を好ましいものだと考えているはずだ。だのに、彼女は恐ろしいと言っている。これは一体どういうことだろう。

 胸に沸いた疑問を抑えることが出来なくなってしまった僕は、思わず訊ねてしまった。

 「どうして先輩は月が怖いのですか? 良かったら教えて頂きたいのですが……」

 次の質問には興味を持ってくれたらしく、ペンキと刷毛を円の外に置いて質問に応えてくれた。

 「――じゃあ、逆に聞くが。何故お前は手放しに月を尊ぶ? 親に「あれは安全なモノだから怖がる必要は無いのよ?」とでも教わったのか?」

 逆に問われ、僕は「それは……」と口ごもってしまった。

 何故……と問われると、”理屈抜きに美しいから”だと思う。赤ん坊が可愛く感じるのと同じでそうDNAに刻まれている、人間の本能のようなものであると。しかし、先輩はその見解を鼻で笑って一蹴する。

 「”月は美しい”と殆どの人間が思っているという共通意識が、もし誰かに操作されているものだとしたら? そう思い込まされているだけ、と考えられないか? まだ便利なもの――そう、携帯電話が良い例だ。アレは人間の生活にもはや癒着してしまって剥がすことが出来ないものだ。当然、そうなるにはそれなりの利便性を持っているからであり、それだけの性能を誇っても携帯電話を嫌う者はいる。しかし、だ。月など何の役にも立たないではないか。どうにか古代人が暦を読むのに使っていたらしいが、そんなものは星でも太陽でも使ってやればいい。ただ”空に浮いている”だけだというのに、存在が許容される。全く不可解だ」

 「誰も疑問を抱かない、ということが恐ろしいのですか?」

 僕のこの質問に、亜乃子先輩はやっと小さく笑い、

 「そんな事じゃ無いさ。単純に私が嫌いなだけだ。アレはいつも空にお高く留まって何処まで逃げても追ってくる。そしてどのように隠れても無駄。良く鼻の効く猟犬のように延々と探し回り、ついには見つけ出してしまう。まるで地球という牢獄を監視する看守のようなモノだ、アレは」

 薄く浮かんだ笑みも言葉尻に向かうにしたがって憎憎しげな苛立った顔へ変わってしまった。

 きっと、先輩は”月恐怖症”なだけだろう。僕が勝手に命名した恐怖症だが、大方的を得た表現だと思う。

 「成程、分かりました。じゃあこの……紋様ですか? これは何なのですか?」

 「それをお前が知る必要は無い」

 ばっさりと切られてしまった。彼女は僕への興味が失せたようで、顔を逸らして校庭に面したほうのフェンスへと行ってしまった。

 先輩は前方へ腕をピンと伸ばし親指を上げて何かを見ている。僕は最初、誰かに合図を送っているものかと思ったが、右目左目と交互に瞬きしている姿を見て、思い出した。アレは――そう、僕もボーイスカウトで習った。自分の親指を使って、対象物への距離を調べる計測方法だ。

 何を計っているのか、それが気になって僕も校庭側のフェンスへ向かった。先輩から少し離れた場所から校庭を見下ろす。そこには部活動に勤しむ生徒たちが溢れ返っており、昨日描かれていた模様は踏み荒らされて見る影も無くなっていた。

 彼女の目線の先には案の定、その汚された紋様へ向けられていた。つまり、先輩は屋上から校庭への距離を測っていたのだろうか。問い質そうと思った時には先輩は先ほどまで書いていた紋様にブルーシートを被せて屋上から出て行こうとしていた。

 バタン、と大きな音を立てて閉まった扉を見て、僕は追いかける気が失せてしまった。そのまま扉をぼんやりと眺め、次に空へと視線を移す。空はついに闇に飲み込まれ、茜色に染まるのは遠くに見える山際だけとなってしまった。月は夜の黒の中で益々白く輝き始めた。

 校庭を先輩が足早に横切り、そのまま校門を抜けて帰って行った。それをフェンスに寄り掛かって見ていた僕は、ふとある事に気付いた。

 月が嫌いという事と、この先輩の行動は一体どんな関係があるのだろうか。もしかしたら何の関係も無いのかもしれない。かも、しれないが……。

 「調べてみる価値はあるかな」

 何を僕はこんなに夢中になっているのだろうか。ブルーシートをひっぺ剥がしながらそんなことを考える。こんなに好奇心が沸くのは久しぶりだ。とにかく、今は胸に引っ掛かった疑問を解き明かしたい。

 ブルーシートの下から現れた紋様と、僕は睨めっこを始めた。何でも良いからヒントが欲しい。

 模様は幾重もの輪から作られた紋様であり、ぱっと見て何か直感的に理解できるものは無かった。せめて絵か知っている言語があれば良かったのだが、こんな蚯蚓がのたくったような文字を僕は知らない。

 取り合えず、後で調べるために特徴的な部分だけ手帳に写そうとした時だった。


 ―――ドクン。


 心臓が破裂するように痛む。そしてそれを疑問に思う前に――吐いた。

 立っていられなくなり、そのままコンクリートに横たわる。頭が痛む……というよりは、脳みそが押しつぶされるような、今まで味わったことの無い痛みが僕を襲う。

 この痛みは……おかしい。頭痛の激しさはドンドン増していく。痛すぎて、屋上から飛び降りて死んでしまったほうがマシだと考えてしまうほどだ。

 視界がどんどん白くなり、ついには脳が視覚を処理出来なくなってしまった。視覚だけではない、聴覚も鈍っていき、いま自分が何処でどんな姿勢でいるかも分からなくなってしまった。

 ただ激痛だけが僕の感覚を占めた世界で、真綿の繭の中をひたすら転げ回る。そして、痛みがある境を越えた瞬間、僕はそれを”痛み”として認知することが出来なくなってしまった。

 何も感じることが許されない世界で、”それ”は突然やってきた。


 ―――バリバリ。


 まるで脳を咀嚼されるように。僕が”僕”であることを確立している記憶や人格が収められている部位が噛み砕かれていく。

 噛み付き、千切り、砕き、そして――吐き出す。僕の大切な”僕”が”それ”の唾液にまみれた肉塊へと姿を変えられる。

 むず痒いような、今すぐ自分の脳を掻き毟りたいと感じさせる痛痒感が眼窩の奥で広がっていく。それはきっと、”それ”の唾液によって生じる不快感だろう。

 しかし、その奇妙な感覚は現れた時と同じように、突然に消えてしまった。勿論、頭痛も治まっている。

 「…………?」

 気付きと、僕は自分の吐瀉物に突っ伏して冷たいコンクリートにうつ伏せになっていた。一体、先ほどまでの不調は何だったのだろう。

 ハンカチで顔を拭いながら立ち上がる。太陽はもう既に落ち、空は真っ暗になっていた。そしてそこには相変わらずの月が。

 何気なく眺めた月の様子がいつもと違うことに、僕は驚きを隠せなかった。

 「つ、きが……」

 顔を拭く手が止まる。今なら分かる……何で亜乃子先輩が月を恐れていた理由が。

 


 月が、僕を見張っていた。



 何も、月に目玉が生えたとかそんなモノじゃない。月は見ている。その月光を全ての者に染み渡らせるように、僕らを無慈悲に見つめている。

 アレは何かの感覚器官なんだ。それが目なのか鼻なのか分からない。そもそもそんな人間のちゃちな感覚に属しているモノなのかも分からない。でも見ている、見ているんだ。

 思わず、僕は月から目を逸らしてしまった。これ以上アレを直視するのは精神に悪い。早く建物の中に隠れてしまいたい。そう考え、月に背を向けて屋上から出ようとした時だった。

 夜風に剥がれかかっていたブルーシートが煽られて、完全に剥がれてしまい、その下に隠されていた紋様が僕の前に全てさらけ出された。そして、それを見た僕の脳に、覚えのない風景がフラッシュバックした。

 「――え? な、何が…………!?」

 驚く僕を余所に、理解できなかった模様たちが意思を持っているかのように、直接僕の脳にイメージを送り込んでくる。

 文字は音となり、色となり、匂いとなり、感触となり。全ての模様が混ざり合って、ある風景を僕の脳裏に映し出した。

 チカチカと暗転する視界の向こうに広がった世界は、何てことない草原と丘だった。そしてその丘の上には朽ちかけたボロボロの木が一本生えている。空模様はこちらと同じく夜だが、空を瞬く星の数が圧倒的に違う。僕が今見せられている夜は、まさしく宝石箱をひっくり返したように輝かしい星が散りばめられている。

 その夜空に言葉を失っていた僕はある事に気付いた。朽木の梢の上に、一際強く燃える星があることに。その星はまるで獰猛な猫の瞳のように、光を反射する若魚の鱗のように、青白く燃え滾っていた。

 その星だけがやけに僕の目を引く。もっと目を凝らして見てみよう、そう思ったとき―――

 「――痛ッ!?」

 何かがそれを拒むように僕の視界を奔る激痛で遮った。僕の体を流れた電流のような痛みは一瞬で消え去ったが、それと同時に先ほどまで見えていた風景を失われてしまった。

 「……何なんだ、これは」

 もはや紋様はただの黒いペンキへと姿を変え、鳴りを潜めてしまった。しょうがないので僕は再びブルーシートを被せて屋上を後にした。

 

 

 家へ帰る間、僕はずっと月に監視されていたが、その不快感も屋内へ入ってしまえば幾分楽になった。

 吐瀉物に汚れた制服を洗い、食事を採る。いつもと変わらない日常。屋上での出来事は衝撃的ではあったが、こうして普通の生活を送っている限りではまるで嘘のようだ。

 しかし、僕は知らなかった。何であれ程先輩が月を憎んでいるか。その理由を僕は身をもって学ぶことになった。

 明日の学校の用意を済ませて布団に潜り、電気を消す。真っ暗な部屋で、瞼を閉じて更なる闇へ自分を投じる。

 ウトウトとしてきた僕の瞼の裏側に写ったのは、金色の満月だった。その月は濡れそぼったように滑らかで、僕の知っているクレーターや影などが一切付いていなかった。

 ぼんやりとした意識で僕は気付いた。


 ――あぁ。これは月じゃなくて目なんだ、と。


 自覚してしまった瞬間、僕は布団から飛び起きた。息を切らし、珠のような汗を額から流す。憎憎しげに窓を見やると、閉めたはずのカーテンが開き、窓の向こうで月が僕をあざ笑うように照らしていた。

 急いで立ち上がり、カーテンを閉める。僅かな月明かりも入ってこないよう、念入りに確認した後、また布団に潜る。しかし、また眠りの入り口で月が瞼の裏側に現れ、起きてしまう。そして何故か、閉めたカーテンが開いている。無論、窓は閉まっており、風などが入ってくるわけがない。

 その後、何度も何度も寝ようとしたが同じことが繰り返され、月が白くなる明け方まで眠ることが許されなかった。


次でおしまいです。

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