第66話 エリカとイフォネイアと
あ~、終わりは見えているのに筆が進まない。
難しいなぁ。
ではでは本編どうぞ。
「手紙はいったい誰からだったのですか?」
あの場にはいなかったが、後から話を聞いたヒナが馬車の中でヴァルトに訊ねてきた。
今、馬車に乗っているのはヴァルト、フィア、シルヴィア、ヒナ、セラの5人で、馬車の大きさはあと5人は乗れるだけのものを使っている。これは当然ジーンたちを拾うためだ。
ヴァルトは俯いていたが、ゆっくりと顔を上げるとポケットから先ほどクシャクシャにした手紙を取り出した。
「……クライムからだ」
「クライムさん? なぜあの人がエオリアブルグに?」
当然の疑問だ。
少なくともこの場にいる者はクライムがエオリアブルグにいた理由を知らない。知っているのはヴァルトだけだ。
「エリカの件でバーバラに協力するために単身エオリアブルグに入国させていたんだ。だが、問題はそこではない。問題はクライムがエリカを狙うシャドーたちと協力関係にあったという事だ」
「「「なっ!!!!」」」
驚きを隠せないのは当然だろう。
セラだけがクライムと直接の面識がないため、「身内が裏切った」という辺りまでの理解しか出来ていないだろうが、残りの3人は顔見知りだ。ヒナにしても、まだ片手で足りるほどしか顔を合わしていないが、面識はある。
「エリカの動向を逐一シャドーに流していたとここにはある。そして、その目的はジーンの父親、ウィル・ホーリネスの敵討ちだ」
「確か、ジーンのお父さんはドラゴンと戦って……まさか!?」
フィアが声を上げ、ヴァルトはそれに小さく頷いた。
「ウィルを殺したのはエリカの父親、ドラゴンの王イクシオンだ。クライムは敵討ちとしてエリカを殺そうとしている」
「そんな、どうして!?」
「それこそ本人に聞いてくれ。今私たちに出来るのは一刻も速くクライムの凶行を止める事だ。ご親切に場所まで書いてあるんだ、これで間に合わなければ悔やんでも悔やみきれん事態になる」
ヴァルトが馬車の壁を叩き、御者にさらに速度を上げるよう指示をする。
フィアとシルヴィアは馬車から外を見て、視界にジーンたちがいないか必至に探す。とはいえ広い城下町、そう簡単に見つかるものではなく、むしろあちら側から見つけてもらう方がよっぽど楽に思える。
「一応、連絡を入れてはいるんだけれど、届いているかは疑問なの……止めて!!」
セラもそれに協力しつつ、そう言おうとした時、突如大声を上げた。
即座にヴァルトが馬車を止まらせると、セラは馬車から身を乗り出して手を振りだした。その視線の先には巨大な白い大剣が目立つジーンと、大きな図体が目印のジャック、太陽の下、苦悶の表情をしつつも必死にエリカの手がかりを探しているバーバラの3人がいた。
「ジーン!」
フィアが声を張り上げるとこちらに気が付いた3人が駆け足で近づいてくる。理由は後回しにして3人に馬車に乗るよう指示して飛び乗らせると、ヴァルトが慌ただしく馬車を再び走らせるよう指示を飛ばす。
そして、今度こそ目的地に向かうよう指示をする。
「何か進展があったのか?」
息を切らしつつもジーンが訊ねるのに対して、ヴァルトたちが難しい表情をしつつも首を縦に振る。
「最悪な形で進展してしまったがね」
「起動」の言葉と同時に輝きだした魔法陣。複雑な文様が浮かび上がると円を描く様に広がっていき、丁度ヴィゴラスたちを頂点とするような図形を作り出す。
無数の光が交錯し、何が起こっているのか理解できずにエリカは周囲を見渡す。
「拘束」
「っ!!」
光の紋様が鎖となってエリカに巻きつく。
後ろ手に拘束され、足も再び拘束されたエリカはうつ伏せに倒れ込んでしまう。その上からさらに幾重にも鎖がエリカを雁字搦めにしていき、完全に動きを封じてしまう。地面から生えるようにしてエリカに巻き付いている鎖は一切の妥協なくエリカを拘束しているため、動かせる部位といえば、精々指先くらいのものだ。
「こ、このっ……!!」
何とか拘束から逃れようとするが、鎖はエリカが渾身の力を入れてもビクともしない。
鎖自身が強固であるのもあるが、エリカの精神的な面も大きい。目の前で改心してくれたクライムを剣で刺され、冷静さを喪失していたのかもしれない。
「解析」
エリカが悪戦苦闘している中、ヴィゴラスの口から次々と言葉が紡がれていく。
「ぐっ!?」
身体の中に手を突っ込まれて、あれこれ弄られているかのような感覚に襲われる。
しかも苦痛を伴った。痛みが頭に移動すると、脳が割れんばかりの悲鳴を上げているのが分かった。あまりの痛みに口からは息しかもれず、痛みが去ると同時に全ての力が身体から抜けていってしまう。
意識すら朦朧となる。
今さらながら、人になる時に何故同じ事が起きなかったのか不思議に思ってしまうが、そんな事に意識を向けている余裕すらエリカにはなかった。
「やはり、行きと帰りの道のりは違うようだな。行きが下り道なら、今は辛い上り坂と言ったところか」
(そんな、生半可なモノじゃ……)
だが、そういう事なのだろう。
「苦しいか? 我らの同胞はそれ以上の苦痛を味わい死んでいった。貴様の命によってその罪を償ってもらう」
「安心しな、こいつらもすぐにあんたの後を追わせてやる。ついでにあの忌々しい騎士団の連中もな」
「っ!!」
その言葉にエリカは目を見開く。
これでは、何のために1人で逃げてきたのか分からなくなってしまうではないか。
ジーンたちに迷惑をかけないため?
結果として彼らを含んだそれ以上の人々に多大な影響を与えるのは目に見えている。そのために目の前の男たちは力を欲しているのだから。
「ふざけた事を、言わないで、くださいっ!!」
歯ぎしりしながら顔を上げると、鎖諸共に身体を起こそうとする。あれほどエリカに自由を与えまいと巻き付いていた鎖が軋む音を上げる。
鎖の付け根部分がミシミシという音を上げ、床にヒビが入る。一番上に巻かれていた鎖が耐えられなくなって弾き飛び、エリカと床の間にわずかな隙間が生まれる。
だが――――――。
「調子づくなよ、化け物?」
クランクが小さく舌打ちをすると、エリカに向けて何かを投げた。そしてそれは寸分の狂いもなくエリカの右手の甲に突き刺さる。
「がっ!!」
投げられたのはナイフだった。黒鱗を発現出来ないエリカの手の甲を貫通して床に刺さり、エリカを再び床に縛り付ける。
「あ……、ぐっ……」
「良い声を上げて苦しんでくれ。そろそろ飽きてきているんだ」
ヴィゴラスが感情のこもっていない声でそう言うが、エリカには聞こえていないも同然だった。
地面に縛り付けられ、手を刺され、解析という名の苦痛を味わわされているのだ。意識と共に仲間の事すらどこか遠くに飛んでいきそうになる。
「やはりヒトとは比較にならん力の持ち主だな。その鎖は魔力で作られているから常人では身体を浮かす事も不可能のはずなんだがな」
感心されているのだろうが、この状況でそんな事を言われてもちっとも嬉しくない。むしろ嫌味にしか聞こえない。
「あんたをヒトの身体にしているのは以前拘束魔法と変化魔法を組み合わせた複雑な封印のようなものが体内にあるからだ。それを全て解除すればドラゴンの姿に戻れるわけだが……」
つまり、先ほどから「解析」などという言っているのは、その魔法を解析しているという事を意味しているのだろう。当然身体の中で脳が最も影響を受けている訳だから、苦痛も腕や足の比ではない。
「限定解除することも出来る。半身だけとかな」
エリカに話しているわけではないのかもしれない。
ヴィゴラスは自分が行うべき作業を口に出して確認しているだけかもしれない。飽きている、とはそういう意味も含まれているのだろう。
「再構成」
解析された情報を元にヴィゴラスが魔法陣の紋様を徐々に変化させていく。それが何を意味するのか分からないうちにエリカの身体に異変が起こる。
「うあっ!?」
足が動かない。
鎖に拘束されているから、という意味ではなく、まるで自分の制御下を離れてしまったかのように力が入らなくなる。
そして直後、エリカの痛覚が悲鳴を上げた。
「う、あああああああああああっ!!!!!!!!!」
痛い。
ただ一言、痛い。
痛みと時を同じくして足の方からメキョッという嫌な音がしたところを考えると、何かしらの変化が足に起こっていると考えられるが、エリカはそんな思考すら吹き飛ばす痛みに悶え苦しんでいた。
肉が骨によって穿たれ、皮膚を貫いて何かが体外に出たのが分かる。
「――――――限定解除」
魔法陣が一際強く輝き、輝きがエリカに向かって流れていく。
中心に達した時、エリカの身体の痛覚はもはや麻痺しており、自分の身体に何が起こっているのか理解するのがやっと、痛みに悲鳴を上げることすらできなかった。
足が左右非対称になったのが分かる。
右足には5本の指の感覚があるのに、左足には懐かしい3本の指とその先の鋭い爪の感覚がある。本来の大きさからははるかに小さいが、それは確かに龍の足へと変化しつつあった。
魔法のせいか、それとも身体が龍に戻りたがっているのか分からないが、足に黒燐が発現している。本来黒鱗は出し入れするようなものではなく常時エリカを守っている鉄壁の盾であるのだが、自分の意志とは関係なく黒鱗が出ているとどこか違和感を覚える。
身体の急激な変化で服の裾は簡単に破けてしまう。
そして変化はエリカの視界でも起き始めた。
腕が急激に膨れ上がったかと思ったら、肉が弾けて一瞬ではあるが白い骨がエリカの視界にも入る。左腕はすぐに再構成されてこれまた懐かしい腕に戻っていく。
だが、エリカの制御を離れてしまったかのようにのたうち回り、腕の付け根の関節がねじ切れそうになる。
さらに、背中にも違和感が起きる。そう、丁度黒鱗を翼のように発現させた時と同じような感覚だが、それよりもはるかに事態は深刻だ。
もはやエリカの体内ではヒトの骨格から龍の骨格へと移行しようとしている。内臓を引っ掻き回され、強引に翼を動かす骨と肉が用意され、肩甲骨の下あたりからそれが突き出す。
皮膚を貫いた瞬間、鮮血が飛び散るが、すぐにそれすらも霞むほどの巨大な影が姿を現す。
「ちっ、ヴィゴラス、制御が甘いぞ」
クランクが舌打ちをする。
彼らの面前には巨大な影がある。エリカの身体から、その身体に不釣り合いなほど巨大な翼が生えていたのだ。それこそ、エリカが本来の姿の時その巨体を浮かび上がらせるために使うものだ。その先端は既に魔法陣の外へ出ている。
さらに、黒い蛇のようなものがその陰から姿を現す。思い切り振れば巨木すらなぎ倒す事の出来る長大な尾が魔法陣の上でのたうち回っている。
「この化け物め、魔力を逆流させてやがる!」
「おめえら、気張れよ! ここでこいつを自由にしたら全てが水の泡だ!!」
男たちが動揺していることに気が付いたクランクが大声を上げて叱咤激励する。
だが、ヴィゴラスとクランクとは丁度反対側、エリカの背後にいた男がのたうち回って暴れる尾の直撃を喰らって壁まで吹き飛ばされる。さらに翼の先端によってその隣にいた男が上半身と下半身とに分断され、血飛沫が飛ぶ。
エリカの身体は丁度右半身が龍に戻ったような姿になっている。背中からは角のようなものが鋭く突き出し、顔面の右半分はもはや黒鱗に覆い包まれている。左半身が一挙一動するたびに黒鱗が擦れてまるで鉄の鎧を装着しているかのような音を響かせる。
その左目はもはやヒトのそれではない。
苦痛からくるものなのか、エリカの瞳から一筋の涙が流れるが、それ以上の何かがエリカを支配しつつある。
「くそっ、これは想定外だ!!」
散々自慢していた鎖はあって無きが如く宙を舞っている。黒鱗の翼が鎖を引き裂き、現在エリカをその場に押しとどめているのは足と腕に巻き付いた鎖だけだ。それ以外の鎖はことごとく霧散してしまった。
魔法陣自体が持つ結界のようなものも、簡単に突き破られる。ヴィゴラスとクランクの前で次々とシャドーの男たちが宙を舞い、吹き飛ばされ、蹂躙され、いとも簡単に命を散らしていく。
だがヴィゴラスたちにはそれすらも見ている暇はなかった。目の前で自分たちの思惑に反して全ての制御から解き放たれようとする化け物を押し込めようとするだけで精一杯なのだ。
(馬鹿なヒト)
そして、それを他人事のような目で見るエリカがそこにはいた。
他人事のように、というのはその言葉通りだったのかもしれない。
エリカの意識は存在していたが、エリカの身体を動かしているのはそれとは別の存在というのが正しいかもしれない。
――――――安心して、エリカ。貴女を苦しめる全てをあたしが壊してあげる。
「余計なお世話です。さっさとあたしの身体を返しなさい、イフォネイア」
自分が多重人格だと思った事はない。
だが、自分の身体の中で怒りや悲しみが芽生えた時にそれにつけ込むかのようにやって来る影の存在には気が付いていた。
随分と長い事その存在を忘れていたかのように思われるが、それは彼女の素の姿、龍としての自分であった。衝動のままに、本能の赴くままに、殺し、喰らっていく事を良しとし、エリカ自身が自分の心の奥底に押し込めていた存在。
心の問題なのかもしれない。
ただの馬鹿な考えなのかもしれない。
だが、エリカにとって「彼女」はもう1人の自分だ。今までも幾度もエリカに語りかけていた。頭の半分が龍に戻ってようやくそのことが理解できたのかもしれない。
――――――なぜ? 彼らヒトは害悪、あたしたちにとって脅威でしかないのはあなたの今の現状を見ればわかるでしょう?
「全員が全員、そうじゃない事は随分と昔に言った気がしますが?」
自分と口論するとは、随分と器用で滑稽な真似をしているなと、自分でも苦笑が漏れてしまう。
――――――あのヒトたちがあなたをそこまで人間びいきにしたのかしら?
「……否定はしませんが、もとよりあたしたちとヒトは歩み寄れる存在なんですよ」
――――――その結果がこれなんじゃないのかしら、エリカ?
まったく、自分を相手にするというのは嫌気が指す。言っている事も、考える事も、エリカ自身が考えた事、誰よりも理解が出来てしまうのだ。
逆に言えば、「彼女」もエリカが言っている事は理解できているのだろうが、不思議な事に「彼女」はエリカよりも口が達者だ。
「……そうかもしれません。ですが、だからといって好き勝手ヒトを殺すことを肯定することにはなりませんよ」
そう言うと、「彼女」は黙り込む。
エリカにとって、これは自分がこの世界にいられるかという瀬戸際、万が一にも「彼女」の赴くままに暴走でもしてしまえば、それは全ての破滅を意味する。
もしそんな事になれば、被害はここ、エオリアブルグだけでは留まらないだろう。
――――――なら、あたしはどうすればいいの? あたしはあなたの怒りや悲しみ、憎しみの姿。あたしを本当に消したいと願っているとしたらあたしはここにはいないはずよ。それが出来ないという事は、あなた自身もそれを望んでいるのではなくて?
その言葉に、エリカは急に意識が遠のいていくのを感じた。
もはや自分の身体が何をしようとしているのかも分からなくなってくる。
――――――安心して? 全てを終わらせたら、あたしたちは1つに戻る。そしたらまたたくさん楽しい事をしましょう?
「奪う必要のない命を奪って、前を向けると思ってるんですか?」
――――――あたしは平気。たとえあなたが耐えられなくても、その分はあたしが引き受ける。そのためにあたしはいる。
その瞬間、「エリカ」という意識はブラックアウトした。
「ここだ!」
馬車から見えてきた巨大な建造物。
町はずれにある廃屋の前に馬車がたどり着くと間髪入れずに馬車に乗っていた全員が飛び降りる。
そしてアレックスがジーンたちの足元をすり抜けるといち早く廃屋へと走っていく。
「ここは、昔の訓練場です! 地下にも巨大な訓練場がありますし、大勢が隠れるのにはもってこい……、どうして思い出せなかった!」
セラが自分を責めるように唇を噛む。
「自責の念なんかに浸ってる余裕はないですよ! 地下から強大な魔力が立ち上って来ています。おそらく何らかの大規模魔法が展開されています!」
セラの背中を叩くと、素早く刀を抜く。それを合図にしたかのように次々と皆が自らの武器を構えて古びた訓練場の中へと駆けていく。
訓練場の建物内は一部屋根が落ちていて、やや傾いた日の光が上から差し込んでいる。ほとんど内部には何もなく、その代わりに巨大な何かを引きずったために出来る埃のない部分や、妙にきれいにされている場所などがある。
元が汚い分、そういう場所は否が応にも目立つ。明らかに何者かが飲み食いするために場所を作った形跡だ。
そして内部を捜索しているとアレックスを追っていたジーンが地下へと通じる階段を見つける。
「ここか!」
石造りの階段を三段飛ばしくらいで駆け下りていく。背後から階段を叩く反響音がするため、後続が階段に気が付いて追ってきている事をジーンは一瞬確認してアレックスを追う。
階段は螺旋を描いており、途中からもはや日光は届かなくなったが、日の光が届かなくなる辺りから階段の壁に火の灯った松明が姿を現す。
無人のはずの廃屋、また1つ可能性が確信に変わる。
もはや素人でも分かるほどの、濃密な魔力が階段の先から流れてきている。もし魔力の流れを可視化することが出来たなら、おそらくジーンの視界は埋め尽くされているだろう。
階段をどれだけ下ったかも分からない。
しばらくすると突然階段は姿を消し、両開きの古い木製扉が姿を現す。その前でアレックスが立ち止まっており、アレックスを飛び越えると同時にジーンは扉を蹴破り、内部へと突入する。
「エリカ! いるか!?」
声が響く。
それだけでも、この地下訓練場がどれほどの広さを持っているか容易に想像がついた。
そして、返事を待つまでもなく、ジーンはエリカを発見できた。
巨大な魔法陣の中心で、左半身を真っ黒な鎧のような姿にして、背中から巨大な翼を、そして背後から長大な尾を伸ばした、何度も何度も言葉を交わしてきたエリカの変わり果てた姿を、見つけてしまった。
はい、何やらエリカがどこぞの遊〇王の顔芸とか王様みたいな2重人格を発動しました。
さあ、ここから一人称が面倒な事になる……
ではでは。
ご感想などお待ちしております。