第64話 ドクター
城の裏側、長距離転移魔法陣が眩く光り出す。
そして周辺の空気が渦を巻くと魔法陣の中に4つの人影が現れる。
魔法陣の外側でそれを待っていたセラは、魔法陣の輝きが消えるのを待ってその人影に近寄り、一度頭を下げた。
「わざわざご足労頂き、申し訳ありません、ヴァルト騎士団長」
4つの人影は、フィア、シルヴィア、ヴァルト、ヒナだった。当然ながらヴァルトとヒナは戦える恰好をしている。
「問題ない。これは一国で解決できるような問題ではないからな。貴殿にも話さねばならないだろうが、今はエリカの捜索状況を教えてもらいたい」
ヴァルトは穏やかな口調で、なおかつ一切の予断を許さないといった面持ちでセラに尋ねる。
セラは現在までに起こった事をかいつまんで説明し、城で詳しい話をするためにヴァルトたちを案内する。
「それと、1つ気になる事があります」
「気になる事?」
セラの言葉に聞き返したのはヒナだ。まだ真新しい騎士団の鎧に身を包んだ彼女はエリカの持つ刀よりも若干長い刀を持っている。
「先ほども申したように、大会出場の騎士にはメイドをつけております。しかし、エリカ殿のメイド、ユーリが先刻より姿を見せていないのです。少なくとも自分が担当している騎士にこのような事があったのですから、どこかで顔を見せていてもおかしくないのですが……」
「……確か、エリカを連れ去った男たちはこの国の衛兵の鎧を着ていたんだったな?」
ヴァルトは首を捻ってフィアたちに顔を向ける。フィアとシルヴィアはヴァルトの言葉に小さく頷く。
「あれは間違いなく衛兵の鎧でした。コロシアムや、城で何度も見ていますから確実かと」
「ふむ……、鎧を外部で手に入れる事は?」
ヴァルトは考え込みながらセラに尋ねると、セラは首を振った。
「無理です。あれは城の専属技師が作り上げている物で、外部の人間はその設計図すら見る事は出来ません」
「となると、鎧を入手するには城内に協力者が必要、という事だな?」
「まさか、ユーリさんが……?」
シルヴィアが信じられない、という表情をしているが、それはセラも同じだったようだ。ヴァルトは第3者として客観的に事実を述べているだけだが、フィアにしても、シルヴィアにしてもユーリとは何度か顔を合わせて話もしている。そのような事をする人間には思えなかった。
「まだ可能性の段階だがな。姿を消す理由は、何かしらこの件に関係していると見るのが妥当だろう」
「ユーリの捜索も並行して行っていますが、あまり芳しくありません。エリカ殿の捜索は先ほど大通りで火災があり、それが関係しているとの見方があります、既にアクイラ騎士団のジーン殿やジャック殿が大通りでの捜索を行っております。フィア殿とシルヴィア殿はそちらに合流されては?」
捜索しているのはアクイラ騎士団の人間だけではない。シータス騎士団、タロン騎士団も捜索に協力しているため、随時情報は城に集まってくる。
「いいえ、いざって言う時すぐ動けるように城で待機します」
「では、我々と共に来てください」
「……やっぱり、どこかに誘導されているようで嫌な感じがしますね」
先ほどの一戦以来、姿を現さなくなったシャドー。
だが、追ってきているのは確かで、つかず離れずの距離を維持してプレッシャーをかけてきている。まるでどこかにエリカを閉じ込めようとでもしているかのような動きに、エリカは警戒心を高めざるを得なかった。
(あたしを捕まえるつもりであれば、力ずくにでも、という雰囲気でしたけど、やり方を変えた……?)
首都の近くに生い茂る森の中、木に寄りかかりながらエリカは今後の行動を考えながらシャドーの出方を見る事にした。ここなら死角も多く、シャドーからしてみれば接近する方法はいくらでもある。
事実、エリカが森に入ってから森と町の境界辺りにシャドーの気配が増えてきている。目視こそ出来ないが、何らかの方法でエリカの場所を知り、追いかける事が出来るようで、エリカは少しも気が休まらない。場所が知られている以上、1カ所に長居することも出来ないため、断続的に移動はしているが、やはり精神的にもかなり負担が溜まりつつある。
まだ数時間しか経っていないだろうが、エリカには随分と時間が長く感じられる。
(逃げ回るだけというのも性に合いませんが、さすがに打って出るのも……)
「っ!」
エリカは素早く顔を上げ、辺りの気配に神経を張り巡らせる。
かすかではあったが、エリカの耳は枯れ枝か何かが踏まれる音を見逃さなかった。
獣ではない。獣ならばもう少し気配があってもいい。唸り声が聞こえるなり、そういうものがあってしかるべきだ。
だが、それがない。意図的に気配を殺している人間であることは間違いない。
エリカは鞘走りの音すら出さず姫黒を抜いて素早く木の陰に隠れる。音がしたのは丁度エリカが寄りかかっていた木の背後、馬鹿でもエリカを狙っているのは分かる。
腰を低くして、先ほど音を出した主の居場所を何とかして把握しようとするが、相手も同じ轍は踏まないようで、気配は完全に消えてしまっている。
そこに「いる」のは分かっている。
先ほどの音は不可抗力というよりはむしろエリカに自分の存在を知らせるためにやったものだろう。これほどまでに綺麗に気配を殺している者が、枯れ枝をうっかり踏むなどという事があるとは思えない。
エリカが自分の存在に気が付いたとしても、居場所を突き止められない自信があったのだろう。
(舐めているのか、それとも……)
戦いになってエリカに勝つ自信があるか、という事になる。
「そんなに怖い顔をしていると、男に逃げられますよ?」
「なっ!!」
背後からかけられた声に驚きつつも、素早く背後に向けて姫黒を振りかぶる。そして間髪入れずに声がしたやや下の部分、首を両断しようとした瞬間、エリカの全ての動きが止まる。
「やあ、エリカ」
「クライム、さん……?」
そこに立っていたのはシャドーではなくクライムだった。相変わらず取ってつけたような笑みを顔に貼り付けている男がエリカが首の寸前で止めた姫黒の刀身を指でどかすとエリカに手を差し伸べた。エリカはその手を握って立ち上がると、クライムに短く礼を言った。
「どうしてここに……?」
「あなたに渡したあのお守りが教えてくれたんですよ」
「お守り?」
エリカはそこで思い出したように自分が身に着けているネックレスを服の隙間から取り出す。赤い石が取り付けられたネックレスを見ると、クライムがホッとしたような表情を一瞬見せた。
「持ってなかったらどうしようかと思いましたよ。バーバラからあなたが連れ去られたと聞いて、町の宿から慌てて飛んできたんです」
「……それって、これには居場所を知らせる機能があったという事ですか?」
「ええ」
さらっととんでもないことを言うのはもはやお約束なのだろうか。それはつまりエリカがどこで何をしているのかほとんど筒抜けであったという事を意味する。プライバシーもへったくれもない。
「ですが、おかげでシャドーより先にたどり着けたようですね」
「すでに何人か殺してますけど……」
そう言うと、「おや、そうでしたか」と意外そうな顔をクライムはしてみせる。町の宿屋にいたのなら合流するのは容易かったはずなのだから、大方ある程度状況が把握できるまで傍観していたに違いない。
「ふふ、何か誤解をしているようですね。いくら私でも慣れない町であなたを追うのは一苦労したんですよ? ですから助けを求めたんです」
「誰にですか?」
エリカが訊ねると、クライムの陰から女性が現れた。
「ご無事で何よりです」
メイド服に身を包んだユーリがそこに立っていた。まったく想定していなかった組み合わせにエリカは目を丸くしてしまう。
「ユーリさん? どうしてクライムさんとユーリさんが?」
まさしくその質問を待っていたのだろう。クライムがさらに笑みを深める。
「ユーリとはちょっとした仲でね、彼女が研究所にいた頃、情報を得るために私が使っていた協力者でもあるんだ」
「そういえば、クライムさんって元暗殺機関の人間でしたっけ……」
そういう繋がりだったのか、と表向きには納得するが、胸の片隅に何か小さな針が引っかかったような違和感が残る。
何か、今クライムが言っていた事と繋がるものがあるような気がする。
だが、それが何を意味するのか分からなかったエリカはそれを表に出すことなく胸の内に仕舞う事にした。
「とりあえず、私が取った宿に向かいましょう。おそらく、シャドーは騎士団の動向もチェックしているはず、今合流することはあなたも望んでいないのでしょう?」
クライムはエリカの心を読み取ったようにそう言う。
エリカは少し表情を暗くしつつもはっきりと頷き、歩き出したクライムの隣に並ぶ。
「そういえば、シャドーについて調べていたんですよね、だったら何か成果はあったんですか?」
元より、クライムがこの町に来たのはそういう理由だったはずだ。ここまで表だって動いているのだから何かしらの情報をクライムならつかんでいるだろうと思ったエリカはそう訊ねた。
「そうですね……目的は概要だけなら把握できました」
いきなり彼らの行動原理の核となる目的が分かった、と言われてエリカは本当に驚いてしまった。そんなに簡単に彼らの最も重要な事が漏れるほど、情報管理が甘かったのかと、ついシャドーに呆れてしまう。
「彼らの目的はドラゴンになる事です」
「……はあ?」
「聞こえませんでしたか? 自らをドラゴンにすることです」
「聞こえていなかったわけじゃありません。何のために?」
「そればかりは彼らに聞かないとどうにもなりませんね。ですが、ドラゴンになろうと言うのですから、それ相応の邪な計画でもあるのでしょう。あの本に書かれていたような事を本気でやろうとしていたとしてもおかしくありません」
あの本、以前バーバラがエリカに見せた分厚い公文書の事だろう。ヒトをより高位の存在へと変化させる事を目的として研究されていた魔法でヒトをより効率的に支配するといういわば恐怖政治に近い世界を確立させようとする計画だ。
二度目だからなのか、今度は別段癇癪を起すこともなかったが、酷く冷めた、青白い靄が心に広がったのは確かだ。
「……そうだとして、あたしとどんな関係が?」
問題はそこだ。
ドラゴンになりたければ、勝手になりぞこなって死ねばいい。
そこにエリカが巻き込まれる筋合いはないはずだ。
当然、クライムのその結論には達していたのだろう。小さくため息をつくとエリカに視線を向ける。
「彼らとしても、何の保証もなくドラゴンになる魔法など使いたくないんでしょう。だったら、まずはその魔法を逆用してドラゴンをヒトに変え、それを元に戻せるか実験したかったのでは?」
「そんな事のために、あたしを?」
チラリと後ろを歩くユーリに視線を向ける。一瞬、ビクッとユーリが肩を震わせたようだったが、黙って頷いた。
この様子では、エリカの正体を知らされているようだ。
「命知らずも良いところですね。まさかドラゴンの王の娘に手を出したのですから」
「つまり、シャドーは最初からあたしをまたドラゴンに戻す気でいたと?」
「そう考えるのが妥当でしょうね。ですが、ここで問題が起きた」
ヒトにして、また龍に戻すのならすぐにでも出来るはずだ。一度エリカをヒトにしているという事は苦労して龍の巣窟にまでやって来たという事、その場で龍に戻せば済む話なはずだ。
「あまりにも身体に負荷がかかりすぎたのでしょうね、その場で気を失っていたであろうあなたを元に戻せば、その過程で死んでしまう可能性すらあった。だから、体力の回復を待って出直すつもりだった……」
「ところが、あたしは人里に下りていた……」
普通の龍であれば、何が何だか分からずシャドーの思い通りになっていたかもしれない。
しかし、エリカはヒトの言葉を理解し、ヒトの世界の知識もあった。彼らにとっては、龍の王女をターゲットにした事が裏目に出て、出直した時にはエリカの姿はなかったというわけだ。
彼らはさぞたまげただろう。ヒトの世界に自分たちが姿を変えたはずの龍がいたのだから。
「そして、彼らはあなたの……、言い方が悪いですが捕獲に動いたのです」
「まったく、迷惑千万ですね」
人の都合で勝手にヒトにされ、人の都合で龍に戻されるなどまっぴらご免だ。彼らと共に行けば確かに龍に戻る事は出来るだろう。だが、それによってヒトの世界にもたらされるであろう「災厄」が大きすぎる。
「……と、そうだ、逃げ回っていて喉が渇いたのではないですか?」
ユーリが思い出したように手を鳴らすと、持ってきていた大きな袋から筒状の物を取り出した。その筒の蓋を開き、同じく袋の中から取り出したコップに中に水を注ぐ。
「ありがと、ユーリさん」
思えば、この数時間何も飲んでいなかったし、何も食べていなかった。すでに昼は随分と前に過ぎているから、喉が渇いているのは事実だった。
エリカは渡されたコップを礼を言って受け取り、喉の奥に流し込んで渇きを潤す。よく冷えていて体の中に水分が吸収されていくのがよく分かるほどだ。コップの中の水を飲みほしたところで、エリカは思い出したようにコップをユーリに返してクライムに顔を向ける。
「……って、森の周囲にはシャドーがいたはず、彼らをどうやって撒くんですか」
今さらながら、堂々と町に戻ろうとしている自分に気が付き、慌てて足を止める。仲間が来た事で完全に気が緩んでいた。まだここは敵の包囲網の中である事を一瞬ではあるが失念していた。
「大丈夫ですよ、彼らは手を出しはしません」
「……? 意味が良く理解できないのですが」
クライムが一瞬笑みを深める。それが意味することを理解できず、首をかしげる。
すると、3人の前に数人の男が姿を現す。同じ男でなくとも分かる、シャドーだ。
「お待ちしておりました、ドクター」
「ドクター……? ってクライムさん、これはどういう事ですか?!」
見れば3人を取り囲むようにシャドーの男たちが立っていた。誰も剣を抜いてはいないが、明らかな敵意だけは健在だ。
エリカはわけが分からずクライムに詰め寄るが、その瞬間、視界が急に歪む。同時に身体の平衡感覚がおかしくなって立っていられなくなる。
「っ!?」
何とか刀を杖代わりに倒れる事だけは阻止するが、もはや立つこともままならず、急激に意識が遠のこうとしている。
「な、なにをっ……!?」
「君が身に着けているネックレスには、発信機以外の役目もあってね」
すぐに分かった。
クライムはシャドーの一味なのだと。
怒りが沸々と湧きあがり、遠のこうとする意識を強引に身体に押し込めて立ち上がるとクライムに向けて刀を抜く。
「う、ああああああっ!!!」
もはや言葉すら出すことが出来ないほどに身体の自由を奪われている。
だが、全身を奮い立たせ、叫びながらクライムの首を、今度こそ両断しようとする。
(馬鹿だあたしは! こんな、こんな人だとも知らずに……!)
仲間だと思っていた人に裏切られたエリカの心は酷く混濁していた。いつも冗談ばかり言ってエリカをからかい、いつも取ってつけたような笑みを張り付けていたとしても、クライムはエリカにとって大切な仲間の1人だった。
あと数センチでクライムの喉元に届こうかという所まで刀の切っ先が迫った。クライムは避けようともせずそれを見ているだけだ。
殺れる――――――。
そう思えたのは一瞬だった。
そのすぐ後には、首の後ろに強烈な衝撃を受け、今度が強引に意識を飛ばされる。すぐにそれがユーリによるものだと分かった。
刀が手から零れ落ち、膝が地面につく。
最後の気力を振り絞ってクライムを怨嗟の目で睨むが、クライムは無表情のままだった。
ただ、どこか悲しそうな表情を浮かべていたようにも見えたが、エリカが関知できるほどのものではなかった。
地面に倒れ込んだエリカを、ユーリが担ぎ上げる。
「ご苦労様です、ドクター」
男が1人歩み寄ってくる。先ほどまではいなかった、エリカを監視していた男だ。
背後には相方の男もいる。
「これで我らが悲願はついに現実となりますな」
「ドクターには感謝してもしきれません」
ドクターと呼ばれたクライムは、無表情のまま小さく鼻で笑った。いつもの皮肉っぽい笑みはまるでどこか遠くに落としてきたかのように消え失せている。
エリカを担ぎ上げたユーリの表情は暗く、出来ればこのような事はしたくない、という表情をしている。
それに気が付いたクライムは、男たちが勝利に沸きあがり先に進むのを見て男たちに気づかれぬようユーリの肩を叩いた。
「辛いのであれば、やらなくてもいいんですよ?」
「……短い間でしたけど、エリカ様の人柄は理解できているつもりです。このような形で裏切る事になるとは……」
「ならどうして……?」
「あなたに頼まれたからですよ? 当時ただの死体処理係だった私に世界を教えてくれた。だから、あなたの頼みに応えようと思ったのです」
「あの時、拒否することも出来たはず、このような事に手を貸すほど、あなたは馬鹿ではないと思ってましたが?」
「あなただって、好き好んでこんな事をしているわけじゃないでしょう? そのくらいは分かります。だから、何かしら考えているのでしょう? 以前彼らが言っていました、『ドクターとは目的地が違う』と。あなたの目的は何なのですか?」
ユーリが真っ直ぐクライムの目を見つめる。
クライムは黙ってその視線を受け止めるが、何も言わない。
「……あなたの技術、知識があればエリカ様を元の姿に戻すことも容易いはず、そもそも彼らに協力する意図は? 今までアールドールンで積み上げた全てを代償にしてまで得なければならないほどの?」
ユーリの問いに、クライムは口を噤み続けた。
なんという急展開!!
すみません、表現力に乏しいハモニカにはこれ以上展開を遅くすることが出来ませんでした。
さてさて、この後どうなってしまうのでしょうか?
それは「神のみぞ知る」のです。
はい、ハモニカじゃなくて神様は知ってると思いますwww
ではでは、また次回。
ご感想などお待ちしております。