第62話 離別と決意
「ふあ、ちょっと寝足りないですね……」
1日の休息はあっという間に終わってしまった。
翌日に備えて他の者よりも早く切り上げたアクイラ騎士団の面々は城に戻って睡眠をとる事にしていた。
エリカも同様にベッドに横にはなったのだが、シャドーの事ととティティの台詞が頭から離れず、結局わずかな睡眠しかとれなかった。
体調に変調をきたすほどではないが、やはりもう少し眠りたいという気持ちは否定できない。
だが、時間というものは無情にも朝を迎えてしまった。太陽は既に随分と高い位置まで昇っており、当然ながら優勝したアクイラ騎士団の最後の雄姿を見に来た大勢の観客が闘技場の座席を埋め尽くしている。
昨日、散々騒いでいたアクイラ騎士団ご一行も観客席の一角におり、始まるのを今か今かと待っているようだ。
「随分と気が抜けてるわね。そのまま引きずらないでよ?」
「あれだけ騒いでいた皆さんが何で平然としているのか不思議なんですが……」
心配して聞いてくれたのだろうが、エリカは恨めしげにバーバラを見つめ返した。
それもそのはず、最も騒いでいたジーンとジャックは疲れも吹っ飛んだようで爽やかな表情、随分とワインを飲んでいたバーバラもシルヴィアも、むしろさっぱりとしている。
何故、昨日の疲れが残っていないのかエリカは不思議でならなかった。
「そりゃあ、騒いだ後にしっかりと睡眠を取ったからだが……、エリカ、気のせいか目の下が黒ずんでるぞ?」
「……多分気のせいじゃないです」
顔を覗き込まれ、たじろぎながらもエリカはため息をついた。
結局、この中で絶好調になっていないのはエリカだけのようだ。
寝不足で判断力が低下すれば、命に関わるミスをしかねない。エリカはどうにかして迫りくる睡魔の誘惑に打ち勝とうと手の甲の皮をつねる。
「エリカちゃん、眠気はどうにもならないけど、疲れは多少取れると思うからそこに座って?」
そんなエリカの状況を見かねたのか、フィアがエリカにそう言うと椅子を引いてエリカを座らせた。
そしてフィアの首筋に手を添えると、おもむろに治癒魔法を唱え始めた。その瞬間、エリカの首筋から温かい感触が身体を包んでいき、気怠さに似た身体の疲れがスーッと引いていくのがはっきりとエリカにも分かった。
「筋肉疲労を幾分軽くしたから怠さはなくなったと思うけど、どうかしら?」
先ほどまで何か重りでも吊るしているかのような感覚のあった腕が羽のように軽くなった。エリカはそれを確認すると笑いながら背後のフィアに振り返った。
「ばっちりです。ただ眠気に勝てるかどうか……」
「そういう事なら、嬢ちゃん、朝の一杯だ」
「フゴッ!?」
突然ジャックの腕が伸びてきたかと思うと、エリカの口にマグカップに入ったどす黒い液体を流し込んできた。
「~~~~ッ!!!」
まずは熱気、次いで苦さがエリカの舌に襲い掛かってきた。
「がっはっはっはっ! 朝のブラックコーヒーで眠気も気怠さも一発解けっぐへっ!!」
まるで人助けをしたかのように満面の笑みを浮かべるジャックの鳩尾にとりあえず右ストレートを送り込み、左手で口元を抑えながらエリカは涙目でジャックを睨んだ。
「ひ、ひたがやへどするかとおもっはじゃないへふか!!」
「エ、エリカ、ほら水」
ジーンが差し出してきた水を口の中に流し込んで何とか焼くような熱さからは解放されるが、一度強襲してきた苦さの方はなかなか舌の上から撤退しようとしない。
「だ、だが眠気は冷めただろうっほげっ!?」
床を転がっていたジャックの鳩尾に今度は蹴りを入れる。今度は手で防御されたが、態勢が悪かったせいで結局防御した意味がないくらいの衝撃を受ける事になる。
「冷めないわけないでひょうが! ああ、まだ舌が少ひひりひりしまふ……」
何とも情けない声しか出ない。
「まったく、コントなんてやってないで準備しなさいよ……」
「バーバラさん。あたし被害者なんですけど?」
「そんな隙見せてたあなたも同罪よ」
「な、何故!?」
言っても聞いてくれるような表情ではなかったが、そう言わざるを得ない。
バーバラもこの状況を楽しんでいるらしく、先ほどからニヤニヤしっぱなしだ。シルヴィアは笑いを堪えようとして肩が震えているのが分かる。エリカに水を渡したジーンは悶絶しているジャックを抱き起そうとしているが、どうも御小言を言っているらしくブツブツ何かを言っているのが聞こえてくる。
「ほら、エリカちゃん、舌見せてみて」
呆れたような顔をしたフィアに言われて舌を出すと、フィアがしばらくそれを観察するように見ていたが、しばらくして「良いわよ」と言われてエリカは舌を引っ込めた。
「火傷までは言ってないから大丈夫みたいね。まあ、眠気が覚めたみたいだから結果オーライで終わりましょう?」
「むぅ、非常に納得がいきませんが、致し方ありませんね……。ジャックさん、帰ったら一度ゆっくりお話しする必要があるみたいですね」
「うおっ!? 俺の死亡フラグか!?」
「今そのフラグ、回収しましょうか?」
椅子に立てかけていた刀に手を伸ばす仕草をしてみせる。
「す、すいませんでした!!」
即座の土下座。
鎧を着ているから腰はそこまで曲がらないのだが、その分は膝を立てて補っている。結果、腰が突き出してどこか間抜けな男の図が出来上がる。
その瞬間、爆笑が起こる。
さすがのエリカもそのあまりに間抜けすぎる光景に吹き出してしまい、先ほどまでの怒りもどこかへ吹き飛んでしまう。何とか耐えていたシルヴィアも我慢の限界を迎えたようで腹を抱えて笑っている。楽しいのか苦しいのか、彼女の目尻には涙が浮かんでいる。
「お、おい、笑うんじゃねえ!」
「ジャック、そいつは無理な相談だ」
ジーンにそう言われてジャックはガクッと項垂れてしまった。
しかしそこはジャック、立ち直りの速さも神兵並み、即座に気分を切り替えて迫りくる最後の舞台に臨む準備に取り掛かる。
「さて、それじゃ私たちも準備しましょうか……あら?」
シルヴィアがそう言った時、控室の扉が2回ほどノックされた。
「このタイミングで……誰かしら」
フィアがコーヒーを飲みながら扉に顔を向けていると、一番扉の近くに立っていたシルヴィアが扉を開けた。
すると、そこにはエオリアブルグの衛兵が立っていた。兜を装着していて顔は見えないが、皆屈強な男で、腰に剣を吊るしている。
「このような時間に申し訳ない。騎士エリカはいるか」
言葉の上では礼儀をわきまえているように思えるが、その言い方は非常に高圧的だ。とてもじゃないが一国の衛兵とは思えないほど粗雑な口調だ。
衛兵は扉の隙間から室内を覗き込み、椅子に座るエリカを確認するとシルヴィアを押しのけるようにして部屋に入ってきてエリカの前に仁王立ちした。
「……あたしに何か用ですか?」
扉から衛兵が顔を覗かせた時点で、エリカは彼らが決して幸福を運んできたわけでない事は分かっていた。
だからエリカはあえて声のトーンを落として睨み付けるような目で衛兵を見てやった。
部屋に入ってきた衛兵は全部で5人、廊下にまだ人の気配がある事から、少なくとも10人前後はいるだろう。中に入ってきた衛兵のうち、隊長格と思われる衛兵が1枚の紙を取り出すと、それをエリカの前に突き出した。
「貴殿に殺人容疑がかかっている。タロン騎士団所属の3名の騎士が殺害され、死体が今朝軟禁されていたはずの部屋で見つかった」
「なっ!!」
部屋にいたジーンたちが驚きの声を上げた。
「な、なにを根拠にエリカを犯人しているんだ!」
ジーンが声を荒げて衛兵に詰め寄るが、途中で他の衛兵に遮られてしまう。
「3人とも刀による致命傷を受けていた。しかもそのうちの1人は脳を焼かれており、非常に強い怨恨が原因と思われている。刀の使い手であり、なおかつ彼らに恨みを抱いている人物となると、貴殿しかおらんと思うが?」
衛兵の話はつじつまが合っていた。
エリカにはあの馬鹿トリオを殺す動機もあるし、殺害方法は使い手の少ない刀によるもの、それが揃っているのだから、エリカに疑いが向けられてもおかしくない。
「昨日の夜、何度か部屋を出たそうだが?」
「……ええ、眠れなかったので」
眠れなかったエリカはユーリに声をかけて部屋を数回出ている。もちろん、殺しに行ったわけではなくただ城の中をボンヤリ歩いていただけだ。とはいえ、殺す機会すらあったことになるのは確かだ。
「3人が最後に目撃されたのは部屋に軟禁される時、それ以降彼らを見た者はいない。つまり、いつ殺されたかもはっきりしないのだ。昨日の段階で殺されていたのか、それとも一昨日にはすでに、あるいは――――――」
「やめなさい!」
衛兵が1人で話を進めようとしていた所に、バーバラの鋭い声が飛んできた。
「……何か?」
衛兵は至極冷静な声でバーバラの方に顔を向ける。バーバラは今にも爆発しそうな怒りを抑えるかのように荒く息を吐きながら衛兵を睨み付けている。
「あなたたちがエリカをどう考えているか知らないけれど、こちとら随分と長い付き合いなのよ。だからエリカが後先考えずにそんな馬鹿な事をするほど愚かじゃない事ぐらい分かってる。あなたたちには悪いけれど、その推測は全て大外れよ」
ジーンを押さえつけていた衛兵を軽々押しのけると、逮捕状と思しき紙を持った衛兵を真正面から睨み付ける。
「ほ、なかなか良い仲間に恵まれているようですな、騎士エリカ? しかし、騎士バーバラ、彼女に対する容疑はこれだけじゃないのですよ」
まるでバーバラが反論してくるのを待っていたかのように衛兵はもう1枚の紙を取り出してバーバラに突きつけた。
「彼女にはこちら、タロン騎士団の関係者10名を殺害した容疑もかかっている。こちらからも、おびただしい数の刀傷が発見されており、死体の中には、獣に噛みつかれた牙の跡すらあった、そう、そこの狼のもののようなね」
そう言われた瞬間、バーバラがハッとした表情をする。
「……確かあなたが飼い主でしたな? 心当たりがあるようで何より」
何が「何より」なのかさっぱり分からないが、旗色が悪いのは確かだ。
少なくともその10人はエリカがアクイラ騎士団とシータス騎士団の試合中に襲ってきたブラゴシュワイクの暗殺部隊である可能性が非常に高い。
そうなると、そちらに関しては言い逃れすら出来ない。殺したのは事実なのだから。
おそらく身分を偽ってまったく関係のない人物として死体を処理し、容疑を作り出したのだろう。そうでなければ、その1件でエリカを拘束することは出来ない。なにせ彼らの方から襲ってきたのだから、多少過剰ではあったとはいえエリカには正当防衛が成立するはずだ。
だが、彼らが「そのつもり」で来ているのなら、今それを主張するのは厄介だ。一度認めれば、後はなし崩しに悪い方へ転がり落ちてしまう。
「さて、騎士エリカ、ご同行してもらえますか?」
勝ち誇ったような声で言う衛兵。エリカは無表情でその男を見るが、兜に隠された男の表情は読み取れない。
「シルヴィア、姫様の所に行ってどういう事か聞いてきて」
「わ、分かったわ……っ!!」
扉の傍で茫然とエリカとバーバラ、衛兵のやり取りを聞いていたシルヴィアはバーバラに言われて扉から出ようとした。
だが、出ようとしたところで先ほどからエリカも察知していた残りの衛兵が姿を現し、扉の前を塞いでしまう。
「アクイラ騎士団の皆さんにも一応お話を伺いたいのでね。外には出ないでもらいましょうか」
「十分な説明もなく、誰の命令なのかも分からず、『はい、分かりました』って言うと思ってるのか? おめえら、少し俺たちを舐めてるんじゃねえか?」
ジャックがおもむろに立ち上がると自らの相棒である大剣を持って切っ先を衛兵に向ける。
「おや、抵抗するという事は何かやましい事がおありかな?」
「おめえじゃ話にならねえ。セラを出せ」
「セラ殿は任務でお忙しい。だから我々が来たのだが? そうか、それほどまでに血に染まった仲間を守りたい、そういう事ですな? いやはや、騎士エリカ、あなたの人望には感服ですな」
殺意すら湧くほどの台詞だ。
だがエリカは黙っている。まったく狼狽えもしなければ、反論しようともしない。
それに気を良くしたのか、衛兵はエリカの横に立ってせせら笑いを上げる。
「ほら、当の騎士エリカがだんまり。これこそここでは言えないような事をしてきた証拠ではないのですか? あなた方は黙ってここにいてくれればいいのです。後は我々と騎士エリカで話をしなければなりませんので」
腐ってる。
欲望にまみれ、人を貶める事に快楽を感じるような愚者が醸し出す匂いがこの男からする。
(シャドー、ついに動き出したという事ですか)
確実に、彼らが正規の兵士でない事は明らかだ。ジーンたちはそれでも彼らを衛兵だと思っているようでどうすべきか悩んでいるようだが、少なくともバーバラはエリカと同じ考えに達しているようだ。
だが、それを言えば無用な争いを招きかねない。正規の兵士でない事を知ったらまず確実にジャックが剣を振るうだろう。
(殺すつもりなら、あたしがこの程度の戦力では殺せないことぐらい分かってるはず、もしあたしをこの身体にしたのがシャドーなら、あたしの正体だって知ってるはず)
「……これ以上、皆さんに迷惑はかけられませんね……」
もはや、隠し通せる範疇から事態は超えた。相手側からその範疇を超えてきたのだから、エリカにはどうしようもない。
だとすると、今エリカがすべきなのはただ1つ。
「おや、罪を認めるのかな?」
衛兵が意外そうな声で言う。まるで、抵抗されることを想定していたかのような感じだ。エリカ自身も、抵抗して皆殺しにするという手も考えたが、それでは今度こそ言い逃れができなくなるのは目に見えていた。
だから、エリカは顔を上げて立ち上がった。
「どこへなりとも連れていくがいいです。そこであたしの無実を証明できるなら」
「どこまでその強気が続くかは別として、大人しく同行してくれることには感謝しましょう」
「エリカ!?」
驚くのも無理はないだろう。
皆がエリカを連れていかせまいとしているにも関わらず、当のエリカが自らついて行くと言ったのだから。
「バーバラさん、後の事は頼みますね」
エリカは一度振り返り、ニコリと笑みを浮かべると衛兵に連れられて部屋を後にしていった。
「そんな、エリカがそんな事をするはずがない!」
エリカが去った控室、扉の外には衛兵が立っており、鍵をかけられ実質監禁状態にされてしまった。外の状況も分からず、この事をティティやセラが関知しているのかも分からない。
「そんな事は言われなくても分かってるわよ、ジーン。問題は、エリカが一緒に行っちゃった事にあるわね」
「どういう意味だ、バーバラ」
エリカを連れていかれた直後、ジャックは構えていた大剣を力任せに振ってテーブルを真っ二つにした。
そして勢いそのままに床に大剣を突き刺すとそのまま椅子を蹴り飛ばして壁に寄りかかっていた。
「言ったわよね? そのうちエリカが私たちの前から姿を消すかも、って」
「っ! まさか……」
「多分、あの子自分でカタをつけるつもりね。それに私たちが巻き込まれないように、自ら私たちから距離を取ったのよ。確かにここにいれば、私たちに危害は加わらないでしょうね、なにせあいつらの目的はエリカなんだから」
「そろそろ、嬢ちゃんの正体を教えてもらえるか、バーバラ」
全員の視線がバーバラに集中する。
バーバラはしばらくだんまりを貫いたが、しばらくして小さくため息をつくと顔を上げた。
「今さら隠したってしょうがないわね……」
「まさかああも大人しく従ってもらえるとは意外だったな」
扉を出ると、衛兵、いや正確には衛兵の鎧を着たシャドーの構成員の男は早々に兜を脱ぎ捨てた。
するとそれに倣って前と後ろを固めていた男たちも兜を脱いでいく。
「随分と長い間、お前を監視していたんだ、気づいていただろう?」
「……気づかないわけないでしょうが。あなたですね、アールドールンにいた頃からあたしを監視していたのは」
睨み付けると男はニヤリと笑みを浮かべる。
「いかにも。貴様のおかげで我々はより高尚な存在となれる。その意味では貴様に感謝しなければな」
「感謝など貰いたくもありません。貰うも何も、今すぐあなた方には死んでもらいますからね!」
刹那、エリカは刀を抜く。
帯刀を許していた男たちにエリカは感謝しつつ、素早く真横にいた男の首を斬り飛ばそうとする。
「おっと!」
だが、その刀は寸前のところで防がれる。エリカは即座にその男から前を歩いていた男たちに照準を移して逃げ道を確保しようとする。
鎧を着ているとはいえ、そんなものエリカにとってはないも同然、その防備されている無防備な背中を易々と斬り払うとエリカは振り返らずに廊下を走り出す。
背後から怒号が聞こえてくるが、そんなものには意も介さず、コロシアムを脱出するために出口を目指す。
「皆さん、もしまた会えたら、謝ります……!」
「……ふう、おい、大丈夫か?」
背中を斬られた男を担ぎ上げながら、男が聞くと、斬られた方の男が力なく頷く。
「斬られると分かっていても、斬られるのはいい気分じゃないな……」
真っ二つにされた鎧を外すと、中に着込んでいた輝く鎖帷子をポンポンと叩く。
「さすがは鉱石の中で最も硬いとされるダイヤモンドだな。半ばまでしか斬られてない」
「それでも半分削れたんだ、黒龍の鱗で鍛えられた刀、油断できねえ」
「まあ、2度と相手にすることはないだろう。後はドクターがやってくれる。そうしたら我々の悲願まであと一歩だ。そら、移動するぞ。本当の衛兵が来てしまう前にな」
そろそろ後書きで何か書きたいという意欲すらなくなってしまったハモニカです。
理由?
本編で燃え尽きてるんですよw
シリアスぶっ続きの終盤はそちらで体力を使い果たしてしまうのです。
まあ、こんな感じでこれからも行きます。
ではでは、ご感想などお待ちしております。