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最初の道具、その先へ

 三浦の予感どおり、選挙のあと、彼の立っているステージは変わった。

 28,335票。

 当選には届かなかった。

 しかし、ほとんど組織を持たない無所属の新人が、短い準備期間で取った票としては、無視できる数字でもなかった。

 選挙直後の取材が一巡すると、今度は別の種類の仕事が入るようになった。

 元芸人。

 選挙経験者。

 政治制度について、それなりに専門的な話もできる。

 しかも、難しいことを一般の視聴者向けに言い換えられる。

 テレビ局にとって、三浦は便利な存在になっていた。

「政治に詳しい芸人というより、政治家になりそこなった芸人ですね」

 最初の頃、三浦は自分でそう言って笑いを取った。

 芸人時代の所属事務所との関係も、改めて動き始めた。

 もともと完全に契約を切っていたわけではない。

 コンビ解散後、芸能活動を事実上休止していたため、三浦自身が「元芸人」と名乗っていただけだった。

 事務所と今後のマネジメントについて話し合い、再び芸人・タレント部門で仕事を受けることになった。

「元芸人じゃなくて、また芸人になったということですか?」

 取材で聞かれ、

「そうらしいです。俺にもよく分かりません」

 と答えた。

 少し固めの雑誌から、民主主義についてのインタビューを受けた。

 大学や市民団体から、講演にも呼ばれた。

 テーマは、

 ――政治に参加しなかった男が、なぜ選挙へ出たのか。

 ――観客から主権者へ。

 ――電子署名は政治を変えるか。

 そんなものだった。


 *


 既存政党からも連絡が来た。

「一度、選挙についてお話を聞かせていただきたい」

 表向きは、そんな依頼だった。

 実際には分析したいのだろうと、久保は言った。

「2万8千票のうち、どこまでが政策で、どこまでがお前個人の票なのか。それが知りたいんだ」

「分かるんですかね」

「分からんから聞きに来る」

 電子署名基盤という政策に票が集まったのか。

 三浦という元芸人のキャラクターに票が入ったのか。

 あるいは、《馬鹿にすんなよ》のネット上の流行や、毎晩の駅前対話が効いたのか。

 おそらく全部だろう。

 問題は、その比重だった。

 いくつかの小規模政党からは、もっと直接的な誘いもあった。

「次は、うちから出ませんか」

 三浦はすべて断った。

 ただし、

「絶対にありません」

 とは言わなかった。

「今のところは、無所属で活動するつもりです」

「政策ごとに協力できることがあれば、ぜひ」

 以前の三浦なら、

「嫌です」

 の一言で終わらせていたかもしれない。

 今は、相手との関係を切らない言葉を選ぶようになっていた。

 久保は、その変化を特に褒めも、批判もしなかった。


 *


 4月。

 三浦は関東圏のローカル局で、昼の情報番組のレギュラーコメンテーターになった。

 週1回。

 政治だけを扱う番組ではない。

 物価。

 子育て。

 芸能。

 事件。

 スポーツ。

 最後には新商品の紹介まである。

 三浦は、その中の1人として座った。

「三浦さん、政治の世界ではどうなんですか?」

 と聞かれれば政治を話し、

「元芸人として、これはどうです?」

 と言われれば芸人の側へ戻った。

 どちらなのか、本人にもよく分からなかった。

 生活の拠点も、倉沢から東京へ移した。

 選挙中に使っていたグリフの母・涼子のマンションに、いつまでも住み続けるわけにはいかない。

 事務所が探してくれた賃貸マンションへ移った。

 以前、高円寺で売れない芸人として暮らしていた部屋とは違った。

 広く、駅にも近かった。

 家賃を見た上村は、

「売れたな」

 と言った。

「まだ国会議員にはなってないぞ」

「国会議員より家賃高いんじゃないか」

「そんなわけないだろ」


 *


 久保も、いつまでも三浦専属の相談役ではいられなかった。

 本来、久保は村田知事の周辺で動く人間である。

 東京へ行けば昔の政治人脈を使って三浦を助けてくれたが、それを何年も続けるつもりはなかった。

「お前も、もう自分の人脈を作れ」

 久保は言った。

 三浦が所属事務所へ相談すると、政治面で助言できる人物を紹介してくれた。

 元官僚や政党スタッフとも付き合いがあり、中央政治にも人脈を持っている人物だった。

 三浦はその人物とも、定期的に会うようになった。

 そこまで来ると、グリフには分からない世界が増えた。

 政策なら調べられる。

 法律も制度も、公開資料を読めばある程度は追える。

 だが、

 ――この議員は、表向きは反対しているが党内では賛成している。

 ――この派閥と、この議員は今は距離がある。

 ――この政策を通すなら、先にこちらの議員へ話を通したほうがいい。

 そんな中央政治の細かな人間関係は、ネットを検索しても出てこない。

 久保でさえ言った。

「もう、俺の知らんところへ入ってるかもしれんな」

 グリフは、それを聞いて少し安心し、少し寂しくも感じた。


 *


 三浦が倉沢へ戻ったのは、引っ越しの荷物を整理したときくらいだった。

 上村やグリフと、電話で話すことはあった。

「上村、まだ旅行行ってないの?」

『行ったよ』

「どこ?」

『沖縄』

「俺の供託金で?」

『俺の金だよ! 返してもらっただけだ!』

 そんな話をした。

 グリフとは、海翔が幼稚園で何をしたとか、倉沢の店に新しい料理人が入ったとか、三浦がテレビで昔の芸人仲間と再会したとか。

 たわいのない話が多くなった。

 逆に、政治の話をすると、三浦が言葉を濁すことが増えた。

『今、どこの党と話してるんだ?』

「それは……ごめん。ちょっと言えない」

『電子署名の話、何か進んでる?』

「それもまだ言えないな」

『そうか』

「決まったら話すよ」

『分かった』

 以前なら、三浦が分からないことを聞き、グリフが調べ、2人で考えた。

 今は三浦のほうに、グリフへ話せない情報がある。

 2人の関係が悪くなったわけではない。

 ただ、話せないことが増えた。


 *


 夏頃には、三浦は地上波のゴールデンタイム番組にも出演するようになった。

 ある日の夕方。

 上村は《ワルン・クラサワ》の駅前店へ来ていた。

 グリフもちょうど、その日は駅前店に入っている。

 2人は休憩時間に、スマートフォンで三浦が出演した番組を見ていた。

 見逃し配信だった。

「あいつも売れたなあ」

 上村が言った。

「最初にこの店へ来たの、2年前の冬くらいだったよな」

「そうだな」

 画面の中では、司会者が三浦へ言う。

『これ分かります?』

『分かりますよ』

『本当に?』

 三浦が右手を頭へ載せた。

『馬鹿にすんなよ』

 スタジオが笑う。

 最近では、三浦が出る番組の司会者も、そのギャグを言わせるようになっていた。

 昔の「俺だって馬鹿じゃない」とは、少し意味が変わっていた。

「あいつの立ち位置、よく分からんな」

 上村が言う。

「芸人なのか、政治コメンテーターなのか」

「今まで、あんまりいない立ち位置だから使いやすいのかもな」

「政治家ではない」

「落選してるからな」

「でも政治番組にも出る」

「元候補者だから」

 上村は画面の中の三浦を見た。

「連絡あった?」

「いや。最近はない」

「俺も」

「忙しそうだから、こっちからもしてない」

「そうだな」

 それだけだった。

 番組では、三浦が次の話題についてコメントしていた。

 2人は最後まで見ずに、仕事へ戻った。


 *


 それから、1年以上がたった。

 2028年2月。

 三浦にとって、次の転機が訪れた。

 東京選出の自由共和党衆議院議員が、政治資金と女性関係をめぐるスキャンダルの責任を取り、議員辞職した。

 4月に補欠選挙が行われることになった。

 各党は急いで候補者を探した。

 しかし、突然空いた選挙区である。

 簡単には決まらなかった。

 自由共和党にとっては、さらに難しかった。

 スキャンダルで辞職した議員の秘書や親族を、そのまま後継候補として出せば、

 ――何も変わっていない。

 と批判される。

 党の支持率も、この時期は低迷していた。

 正式な党候補を立てて敗れれば、単なる1議席の敗北では済まない。

 政権への不信任だと報じられる。

 党執行部の責任問題にもなる。

 そこで名前が出たのが、三浦だった。

 前回、無所属で2万8千票。

 その後、テレビ出演で知名度は全国的に上がっている。

 しかも保守・リベラルのどちらかへ強く寄った政治家ではない。

 自由共和党側から三浦へ、非公式の打診があった。

 党の公認候補にならなくてもいい。

 無所属のままで出る。

 党本部として全面的に看板を掲げることもしない。

 ただし、地元の自由共和党議員や支援者の一部が応援に入る。

 実質的な支援だった。


 *


 三浦は、所属事務所が紹介してくれた政治顧問と何度も協議した。

「条件は電子署名基盤です」

 三浦は言った。

「それを完全に捨てれば、前回あなたへ入れた人が離れます」

 顧問も同じ考えだった。

 芸能事務所としても、そこは譲れなかった。

 三浦の商品価値そのものが、

 ――政治参加を訴える元芸人。

 という部分にある。

 自由共和党に近づいた途端に、それを捨てれば、

 ――結局、国会議員になりたかっただけか。

 と批判される。

 それは政治的損失であると同時に、芸能人としての価値も傷つける。

「国会議員になれば、芸能活動はどうするんです?」

 三浦が事務所側へ聞いた。

「少なくとも在職中は、大幅に絞ることになるでしょうね」

「テレビは?」

「政治家として出るなら別ですが、普通のバラエティのレギュラーは難しくなるでしょう」

「もったいないな」

 三浦は笑った。

「でも」

 事務所の担当者は言った。

「数年後、元国会議員として戻ってくる道もありますから」

 三浦は少し黙った。

 政治家になることと、芸能界へ戻ること。

 その2つが、最初から同じ計画の中で語られている。

 以前の三浦なら違和感を覚えたかもしれない。

 今は、

「それもあるな」

 と思った。


 *


 自由共和党内でも、電子署名基盤をめぐって意見は割れていた。

「行政の効率化につながる」

「地方自治体の住民参加に使う程度なら問題ない」

 という議員もいた。

 一方で、

「将来、国会への拒否権へ発展しかねない」

「国民投票の入口になる」

 と警戒する者もいる。

 党として公式に賛成も反対もしていない。

 だからこそ、妥協の余地があった。

 何度かの調整の末、一つの案が出た。

 国政で、成立した法律へ国民が再検討を求める仕組み。

 そこまではやらない。

 まず、地方自治体が使える共通の電子署名基盤を国が整備する。

 住民からの要望。

 意見募集。

 自治体独自の住民参加制度。

 将来的には条例制定請求などとの接続も検討する。

 全国共通の認証基盤を作り、希望する自治体が利用できるようにする。

 三浦が最初に掲げた構想から見れば、明らかな後退だった。

 国会は何も縛られない。

 国民が国政へ「待った」をかけることもできない。

 自由共和党側から見れば、その程度なら受け入れられる。

 国政に直接影響しない。

 行政デジタル化、地方自治体支援という説明もできる。

 三浦側から見れば、

 ――道具を先に作る。

 という最初の考えそのものではあった。

 国民向けではなく、まず住民向け。

 国ではなく、地方から。

 順番が変わっただけだと見ることもできた。

「一歩です」

 三浦は顧問へ言った。

「ゼロよりは」

「そうです」

「1回、全国共通のものを作ってしまえば、あとから使い方は増やせる」

「その可能性はあります」

 三浦はその言葉を聞きながら、昔グリフとビールを飲んだ夜を思い出していた。

 ――道具を先に作る。

 ――制度は、使いながら育てる。

 それならば、これは妥協ではなく第一歩なのかもしれない。

 三浦はそう考えた。


 *


 話がまとまった夜。

 三浦は、グリフへ電話をかけた。

『もしもし』

「久しぶり。元気だった?」

『おお。久しぶりだな。お前こそ忙しそうじゃないか』

「ああ、おかげさまで」

『テレビで見るよ』

「ありがとう」

 少し間が空く。

 グリフのほうから聞いた。

『補欠選挙あるな』

「うん」

『出るのか?』

 三浦は返事をしなかった。

『出るならテレビの仕事も調整しないといけないだろ。どうするのかなと思ってた』

「そうなんだよ」

『今くらい売れてるなら、このまま芸能の仕事を続ける道もあるよな』

「うん」

『最初の目的の一つだった、有名になるってのは達成したし』

 三浦は少し笑った。

「そうだな」

『俺は、どっちでもいいと思うよ』

「……グリフ」

『何?』

「ごめん」

『何が?』

「本当は、もう決まってる」

 電話の向こうが静かになる。

「出るよ」

『え』

「明日、発表する」

『もう決まってたのか』

「ああ」

『そうか』

「だから、明日までは内緒にしておいてほしい。ローサにも」

『分かった』

「上村にも言わないで」

『上村は知らないのか?』

「電話しようと思ってる。でも、もしかしたら明日の発表後になるかもしれない」

『そうか』

 再び、少し間があった。

「お前には、先に言わないといけないと思って」

『ありがとう』

「今も打ち合わせの休憩中なんだ」

『忙しいところ、悪かったな』

「いや、俺が電話したんだよ」

『そうだった』

 2人とも笑った。

「じゃあ」

『頑張れよ』

「ありがとう」

『またな』

「ああ。また」

 通話が切れた。

 三浦は、スマートフォンをベッドの横へ置いた。

 部屋は静かだった。

 打ち合わせの休憩中ではなかった。

 もう、とっくに自宅へ帰っていた。

 なぜ、そんな嘘をついたのか。

 三浦自身にも、はっきりとは分からなかった。

 長く話せない理由が欲しかったのかもしれない。

 グリフから詳しく聞かれるのを避けたかったのかもしれない。

 自由共和党の支援を受けること。

 電子署名基盤を地方限定で受け入れること。

 その話を、今夜はしたくなかった。

 三浦はベランダへ出た。

 14階から東京の夜景が見えた。

 2年前。

 牛丼店で働きながら、倉沢の小さなアパートに住んでいた。

 今は、東京の夜景を上から見ている。

 三浦はポケットから煙草を取り出した。

 一度はやめていた。

 しばらく箱を眺めたあと、1本くわえた。

 火をつける。

 煙を吐く。

「一歩、だよな」

 誰に言うでもなく、つぶやいた。

 東京の街から、答えは返ってこなかった。


 *


 翌日の夜。

 グリフは自宅でニュースを見ていた。

 画面に三浦が映った。

 記者会見場。

 以前のような手書きのスケッチブックはない。

 背景には、きちんと作られた《話せる国》のロゴが並んでいる。

『私、三浦は、4月に行われる衆議院補欠選挙へ、無所属で立候補することを決めました』

 フラッシュが光る。

 三浦は落ち着いていた。

 政治記者の解説へ切り替わった。

『無所属での出馬となりますが、関係者によりますと、自由共和党の一部議員や地元組織が三浦氏を支援する方向で調整が進んでいるということです』

 グリフの表情が止まった。

「……あいつ」

 思わず独り言が出た。

「そんなこと、言ってなかったな」

 ローサが隣から画面を見る。

「電話したんでしょう?」

「ああ」

「聞かなかったの?」

「そこまでは」

 グリフはテレビを見る。

 三浦は記者から、

『自由共和党からの支援を受けるのですか』

 と聞かれていた。

『政策に賛同していただける方の応援は、党派を問わずお願いしたいと思っています』

 答え方も、以前より政治家らしくなっていた。

 グリフは何も言わなかった。


 *


 4月。

 補欠選挙が行われた。

 今度の三浦には、選挙カーがあった。

 しかも1台ではない。

 ポスターは公示日のうちに、ほぼ全域へ貼られた。

 選挙事務所には、常に何人ものスタッフがいた。

 電話担当。

 SNS担当。

 日程担当。

 運転手。

 元国会議員や地方議員が応援演説へ来た。

 芸能界からも、何人か顔を出した。

 前回のように、三浦本人がワゴン車を運転して、

 ――本人が運転しております!

 と叫ぶ必要はなかった。

 グリフは東京へ行かなかった。

 上村も行かなかった。

 三浦から、

 ――来てくれ。

 という連絡もなかった。

 投票日の夜。

 グリフは自宅でローサと海翔と一緒にテレビを見た。

 開票開始から、それほど時間はかからなかった。

 画面に、

 ――三浦 当選確実。

 の文字が出た。

「パパのお友達、勝ったの?」

 海翔が聞いた。

「ああ」

 グリフは答えた。

「勝ったよ」

 テレビには、華やかな選挙事務所が映る。

 支持者が拍手している。

 大きなだるま。

 三浦が筆を持ち、残った片方の目を入れた。

 その横には、自由共和党の国会議員が何人も立っている。

 三浦が万歳をする。

 3回。

 大きな歓声。

 グリフは、それを黙って見ていた。

 2年前のホワイトボードを思い出した。

 支持者が描いた、片目だけ点線で囲まれた、妙なだるま。

 あのときは7人しかいなかった。

 グリフは少し笑った。

「何?」

 ローサが聞く。

「いや」

 首を振った。

「よかったなと思って」


 *


 三浦が国会議員になってから、グリフが直接連絡を取ることは、さらに減った。

 ニュースで名前を見ることも、それほどなかった。

 新人議員である。

 質問に立っても、全国ニュースになることはない。

 委員会へ出席し、党派を超えた勉強会へ参加し、議員会館を歩き回っているらしい。

 何をしているのか、グリフは詳しく知らなかった。

 テレビ出演も、以前のようにはなくなった。

 たまに政治番組へ議員として出演する。

 そのときの三浦は、言葉を慎重に選んでいた。

 以前の駅前で、

 ――分からないものは分からない。

 と言っていた頃とは、少し違うようにも見えた。


 *


 そして、1年半後。

 2029年秋。

 政府が、新しい行政サービスを発表した。

 地方自治体向けの公的電子署名基盤。

 住民が自治体へ意見や要望を提出する際、マイナンバーカードなどの公的個人認証を利用し、本人確認を行える。

 まずは希望する複数の自治体で、試験的に運用を始める。

 将来は、自治体の住民参加制度や各種請求手続きへの利用拡大も検討する。

 発表会見をしたのは、担当大臣だった。

 三浦ではなかった。

 ニュース映像にも、三浦の姿はなかった。

 制度の説明資料にも、《話せる国》という文字はない。

 当然と言えば当然だった。

 政府の制度なのだから。


 *


 グリフは、《ワルン・クラサワ》のスタッフルームに置かれたテレビで、そのニュースを見ていた。

 休憩中だった。

 隣には、昔から店で働いているジョコがいる。

『今回の実証事業では、住民がスマートフォンなどを利用し――』

 大臣が説明している。

 グリフは、黙って画面を見ていた。

「これ」

 ジョコが言った。

「三浦さんが言ってたやつですか?」

「似てるな」

「同じじゃないんですか?」

「三浦が最初に言ってたのは、国の法律に対して国民が再検討を求めるところまでだ」

「じゃあ、小さくなったんですね」

「かなりな」

 テレビには、実証実験へ参加する自治体の担当者が映った。

 高齢者でも利用しやすい仕組みにする。

 窓口手続きも残す。

 個人情報を署名活動の発起人へ渡さない。

 そんな説明が続いている。

 グリフは腕を組んだ。

「三浦、取り込まれちゃったのかもな」

 ジョコが笑う。

「政治家って、すごいですね」

「何が?」

「三浦さんまで政治家みたいになりました」

「最初から政治家になりたかったんだよ」

「でも、昔は違ったでしょう?」

 グリフは少し考えた。

「まあな」

「選挙のときは面白かったです」

「あれは俺も、いい思い出だよ」

 ジョコが、急に思い出したように言った。

「でも、あのときグリフさん、全然店にいなかったですよね」

「そうだった?」

「そうですよ。シフト変更ばっかりで、みんな困ってました」

「そんなに?」

「ローサさんも怒ってました」

「それは覚えてる」

 2人は笑った。

 テレビでは、大臣が、

『今後、利用者の意見を踏まえながら、制度の改善や利用範囲の拡大を検討してまいります』

 と話している。

 グリフは、その言葉を聞いて少し黙った。

 利用者の意見を踏まえながら。

 利用範囲を広げる。

 どこかで聞いた話だった。

「三浦は政治家に取り込まれたかもしれないけど」

「はい」


*


 グリフはテレビを指した。

「こいつは、あれだな」

「こいつ?」

「この電子署名基盤」

「はい」

「政治家にとっては、怪物になるかもしれないよ」

 ジョコが笑った。

「怪物ですか?」

「今は、自治体へ意見を送るだけだろ」

「はい」

「でも、1回、全国の人が本人確認をして政治へ意見を送れる道具を持ったら」

 グリフは少し考えた。

「そのうち、もっとやらせろって言う人が出る」

「国の法律にも?」

「かもしれない」

「投票も?」

「かもしれない」

「国民会議も?」

「そこまでいくかな」

 グリフは笑った。

「分からないよ」

「グリフさんが作ったんでしょう?」

「俺が作ったわけじゃない」

「三浦さん?」

「三浦でもない」

 グリフはテレビを見る。

 画面には、スマートフォンへマイナンバーカードをかざす利用イメージが映っている。

「道具だけだよ」

「道具?」

「うん」

 昔、三浦と2人でビールを飲みながら話した夜を思い出した。

 制度を先に完成させるのではない。

 まず道具を渡す。

 使いながら、不満が出る。

 要望が出る。

 必要なものが増える。

 その先を、今ここで決める必要はない。

「まあ」

 グリフは苦笑した。

「なんとなく、そう思っただけだ」

 休憩終了を知らせる声が、厨房から聞こえた。

「戻りますか」

「ああ」

 2人は立ち上がった。

 ジョコが先にドアを開ける。

 グリフも、その後ろへ続いた。

 テレビでは、まだ電子署名基盤のニュースが流れていた。

 誰も見ていないスタッフルームで、画面だけが光っている。

 グリフは振り返らなかった。

 2人は、そのまま厨房へ戻った。


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