第3話:貧乏将軍の遺言と、日光山の嘲笑
第3話:貧乏将軍の遺言と、日光山の嘲笑
慶長20年(1615年)。
史実であれば大坂夏の陣によって豊臣家が滅亡し、大坂城が赤々と炎に包まれていたはずの年。
しかし、大坂の街は滅びるどころか、世界中から集まる交易船と商人たちで溢れかえり、「天下の台所」ならぬ「世界の交易都市」として未曾有の繁栄を極めていた。
一方、江戸幕府の立場は壊滅的であった。
朝廷の絶大な後ろ楯と、皇族の側室を迎えた秀頼の威光、そして100隻に達しようとする巨大南蛮艦隊と外様大名たちの強固な連合体。もはや徳川家には、豊臣討伐の挙兵をするための正当性も、勝算も露ほども残されていなかったのである。
「手が出せぬ……豊臣に手が出せぬまま、儂の命数が尽きるというか……!」
元和2年(1616年)4月。
駿府城の病床で、徳川家康は苦悶の表情を浮かべていた。
秀頼の張り巡らせた「情報戦」と「経済戦」に完敗し、世間からは「麦飯しか食べられないドケチな貧乏大御所」と最後まで笑われ続けたストレスもあってか、家康の病状は急速に悪化していたのである。
死期を悟った家康は、枕元に2代将軍・徳川秀忠と側近の本多正信らを呼び寄せた。
「秀忠……よく聞け。儂が死んだら……遺体は久能山に納め、一周忌が過ぎたのち……日光山に『小小さき堂』を建てて勧請せよ。儂は関東の平和を守る神となる……」
家康は史実通りの遺言を遺した。
自らを過剰に神格化せず、質素で慎み深い「小さなお堂」に祀ることで、徳川家の安寧を祈ろうとしたのだ。
「は……ははっ! 大御所様、しかとお言いつけを守り届けて見せまする……!」
秀忠は涙を流しながら頷いた。
そしてその数日後、天下の怪物・徳川家康は75年の生涯に静かに幕を下ろしたのだった。
第二の矢:「遺言通り」が招いた大悲劇
家康の死後、2代将軍となった徳川秀忠は、父の遺言を愚直なまでに守ろうとした。
一年忌が明けた元和3年、日光山に家康を祀る神社を建設したのである。
家康の遺言通り、建ち上がったのは「質素でこじんまりとした小さな社殿(お堂)」であった。
秀忠としては「亡き父上の遺志を忠実に守った」という誇らしい気持ちであったが、これが裏目に出る。
秀頼の放った大坂の情報工作員たちが、待っていましたとばかりに江戸や京の町で噂を撒き散らしたのだ。
「なあ見たか? 日光に建てられた大御所様のお堂」
「見た見た! めっちゃ小っちゃいな! 村の鎮守の神社かと思ったぜ!」
「やっぱりな……天下を取ったとはいえ、徳川家には本当に金がなかったんだよ」
「哀れだねえ。豊臣の若君は京の東寺や大仏殿をドカンと金ピカに直してくれたってのに、徳川は自分ちの親父の墓ですら、あんな小っさなお堂しか建てられねえんだから……」
「貧乏ってのは罪だねえ……」
噂は爆発的な勢いで広まった。
「遺言通りに質素にした」という真相は誰も信じず、「徳川家は極貧ゆえに、あんな惨めな小さなお堂しか建てられなかった」という解釈が完全に定着してしまったのだ。
【苦悩する2代将軍・秀忠】
「ぐぬぬぬ……ッ! 父上の遺言を守っただけなのに、なぜ我が徳川家が『親の墓すら満足に建てられない極貧家』と笑われねばならんのだ!!」
江戸城の奥の間で、秀忠は頭を抱えて激怒し、そして苦悩していた。
側近の本多正純がオドオドしながら報告する。
「上様……諸大名の間でも『徳川様の財政は相当に逼迫しているようだ』『豊臣様に頭を下げて助けてもらわねばならぬのではないか』などと、不敬な噂が流れております……」
「将軍家の威厳が丸潰れではないか! 今すぐ日光の社殿を絢爛豪華に建て直すのだ!」
「しかし上様! それでは『大御所様の遺言』を破ることになりますぞ! 亡き父上の遺言を破れば、孝行の道に反すると、これまた世間から非難を浴びかねませぬ!」
「だーっ!! 遺言を守れば『貧乏』と笑われ、建て直せば『不孝者』と叩かれる! どうすればいいのだ秀忠はーーーッ!?」
秀忠は「偉大な父の遺言」と「世間の冷酷な噂」の狭間に挟まれ、胃に激痛を覚えながら数年間を過ごすこととなった。
3代将軍・家光の「見栄」と、歴史に刻まれた名
時代は流れ、3代将軍・徳川家光の時代。
血気盛んで自尊心の強い家光は、幼少期から「徳川家は貧乏だ」「小さなお堂しか建てられない」と笑われ続けてきたことに、耐えがたい屈辱を感じていた。
「もう耐えられん! 父上(秀忠)は遺言を気にして躊躇していたが、余はやるぞ! 日光の社殿を、金箔と彫刻で埋め尽くした『極彩色の巨大宮殿』に改築するのだ!」
家光は幕府の総力を挙げ、史実でいう「寛永の大造営」を敢行。
全国から名工を集め、莫大な資金を投入して、現在の日光東照宮に見られるような豪華絢爛な社殿を一気に完成させた。
「見よ! これが徳川の力だ! これで誰一人として『徳川は貧乏だ』などとは言えまい!」
家光は胸を張って、完成したド派手な日光社殿を披露した。
しかし、大坂の秀頼と庶民たちの反応は、家光の思惑とは全く違う方向へ転がった。
「なあ……見たか? 日光の東照宮」
「見た見た! 金ピカでド派手だけど……なんか、無理して見栄張ってる感が凄いよな」
「なあ? 今まで『貧乏貧乏』って笑われてたから、無理して借金してまで金ピカにしたんじゃねえの?」
「痛々しいねえ……祖父(家康)の『質素にしろ』って遺言まで破ってさあ。貧乏人が急に金持ちのフリしようとして失敗した典型だな」
「プッ……『見栄張り貧乏将軍』かい!」
大爆笑。
無理に豪華にしたことが、かえって「貧乏と言われたコンプレックスで暴走した」と受け取られ、世間の嘲笑はピークに達したのである。
幕開け:大航海時代の「豊臣帝国」
大坂城・極楽橋。
絢爛豪華な衣装に身を包んだ豊臣秀頼は、心地よい海風を受けながら、大坂港を見下ろしていた。
港には、豊臣の「瓢箪」の紋章と、朝廷から賜った「菊花紋」を掲げた100隻を超える超大型ガレオン船団が、堂々と錨を下ろしている。
側近の片桐且元が、感極まった面持ちで秀頼の隣に控えていた。
「上様(秀頼)……ついに、ついに我が豊臣家は、徳川を一度も戦で討つことなく、完全に屈服させましたな……」
「戦など、愚者のすることだ且元。金と、情報と、朝廷の権威。そして世界を見据える目があれば、戦わずして勝つことができる」
秀頼はフッと微笑んだ。
徳川幕府は「貧乏将軍」というレッテルを貼られたまま政治的求心力を失い、豊臣家を中心とする「大名連合・朝廷統治体制」の前に、ただの地方行政機関へと事実上格下げされていた。大坂の陣など、もはや歴史のどこにも存在しない。
「さあ、次の時代へ行くぞ。我が豊臣の船団よ、次は新大陸とヨーロッパ全域へ、日本の技術と品を売り届けるのだ!」
秀頼の掲げた手とともに、100隻の巨大艦隊がいっせいに汽笛(大砲の祝砲)を轟かせ、青々とした大海原へと向かって出航していく。
転生者・豊臣秀頼。
彼は戦国最後の悲劇の貴公子という運命を鮮やかに塗り替え、日本を世界最強の貿易大国へと導いた伝説の指導者として、永遠に歴史にその名を刻むのであった。




