第1話:太閤の遺児と、天下の「貧乏」噂
第1話:太閤の遺児と、天下の「貧乏」噂
大坂城本丸、奥御殿。
「……はあ、マジかよ」
鏡の中に映っていたのは、面立ちこそ美しく気品に溢れているものの、まだどこか幼さの残る青年の姿だった。
豊臣秀頼。天下人・豊臣秀吉の次男にして、現在の豊臣家の当主。そして史実であれば、あと数年で関ヶ原の戦後処理の果てに徳川家康に追い詰められ、大坂の陣で炎の中に散るはずの悲劇の貴公子だ。
(よりによって、関ヶ原が終わった後の豊臣秀頼に転生するなんてな……)
現代で歴史好きの会社員だった男の記憶が、この秀頼の体に融合したのはつい数日前のことだった。
状況は絶望的と言ってよかった。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いを経て、徳川家康は実質的な天下の覇権を握り、豊臣家の領地は摂津・河内・和泉の摂河泉三国、わずか65万石にまで削減されている。表向きは「豊臣家恩顧の大名」が全国に散らばっているとはいえ、家康の政治的包囲網は着々と完成しつつあった。
そんなある日、家康から大坂城へ使者が遣わされてきた。
「大御所様(家康)よりのお達しにございます。亡き太閤殿下の追善供養のため、京の東寺や誓願寺、方広寺の大仏殿をはじめ、全国の寺社仏閣の修復・造営を豊臣家の豊富な資金にて執り行われたい、とのこと」
側近の片桐且元が、冷や汗をかきながら秀頼にその書状を報告する。母である淀殿は「太閤様の供養になるならば」と乗り気のようだったが、歴史を知る秀頼にはその企みが透けて見えていた。
(出たよ……豊臣家の財力を削ぎ落とすための『寺社修復作戦』だ)
家康の狙いは明白だ。秀吉が遺した莫大な金銀(蔵入地の蓄え)を、寺社の修復・改築という「名誉だが膨大な費用がかかる事業」に使わせることで、豊臣家の軍資金を枯渇させること。金がなくなれば、兵も雇えず、浪人たちを養うこともできなくなる。
「右大臣様(秀頼)、いかがいたしましょうか? 御受諾なさいますか?」
不安そうに顔を覗き込む且元に対し、秀頼はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「ふふ……受けるぞ、且元。全面的に、しかも派手に受けて立つ」
「は、はあ……? よろしいのですか!?」
「ただし、ただ金を出して修復するだけではない。京・大坂・江戸、いや全国に職人を集める際、こう噂を流せ」
秀頼は身を乗り出し、側に控える密偵や商人たちの元締めに向かって耳打ちした。
第一の矢:「大御所様は『貧乏』であらせられる」
数日後。京都の町人地や、建設工事が進む現場で、妙な噂が囁かれ始めた。
「なあ、知ってるか? 今度の東寺や大仏殿の修復、豊臣の若君が全額出してるんだとよ」
「へえ、太閤様のお供養だからかい?」
「いやいや、噂じゃあな……大御所様(家康)がな、内々で豊臣家に『うちは関ヶ原の戦費で火の車で、寺社を直す金が露ほどもない。どうか豊臣家で出してください』って泣きついたらしいぜ」
「えっ!? 内府様……いや大御所様って、天下を握ったのにそんなに金がないんか?」
「当たり前よ。徳川は三河の田舎大名だろ? もともと金山も持ってねえし、家臣に配る恩賞で金蔵は空っぽよ。だから吝嗇で有名な大御所様は、自分じゃ一文も出さずに豊臣家の威光と金に頼ってるのさ」
この噂は、またたく間に京・大坂だけでなく、東海道を伝って江戸にまで広まった。
時を同じくして、家康は全国の大名に「名古屋城」の天下普請(建設命令)を下していた。加藤清正や福島正則ら外様大名に莫大な費用を出させ、城を造らせる作戦だ。
しかし、ここでも秀頼の流した噂が追い打ちをかける。
「名古屋城の普請もな、結局は大御所様が自分の金を1銭も使いたくないから、外様大名にしわ寄せがいってるんだとよ」
「やっぱりな! 自分ちの城くらい自分で建てりゃいいのに、貧乏でドケチだから大名から巻き上げてるんだろ」
「豊臣の若君は太閤様の遺産でドーンと寺社を直してやるってのに、徳川様は心が貧しいねえ……」
天下普請に駆り出され、破産寸前まで追いつめられて不満を募らせていた外様大名たちは、この噂を聞いて「やっぱりそうか!」と納得してしまった。
実際問題、徳川家康がドケチ(吝嗇)であることは紛れもない事実であった。
足軽の履き古した草鞋を捨てずに回収させて再利用させたり、紙の裏まで使い切らせたりと、家康の徹底した節約家ぶりは有名だ。それ自体は名君の資質だが、「金がないからドケチなんだ」「金がないから人から巻き上げるんだ」という文脈で語られると、否定のしようがなかったのである。
【徳川家康側の反応:駿府城】
「なに……? 儂が貧乏だから豊臣に寺社を直させているだと……!?」
駿府城の奥の間で、家康は報告を聞いて茶碗を握りつぶさんばかりに顔を真っ赤にしていた。
側近の本多正信が苦々しい顔で平伏している。
「は……京や江戸の町人のみならず、天下普請に参加している諸大名の間でも『大御所様はドケチで金がないゆえ、豊臣と我らに金を払わせている』との噂がしきりに囁かれております」
「戯けが! 豊臣の財力を削ぐためにやらしておるのだ! なぜ儂が貧乏扱いされねばならんのだ!」
「しかし大御所様……世間では『徳川家は質素節倹』という印象が強く、否定すればするほど『図星だから怒っている』と取られかねませぬ。何より、大御所様が普段から手ぬぐい一枚まで大事になさるお姿が、噂に拍車をかけておりまして……」
「ぐぬぬぬ……ッ!!」
家康はぐうの音も出なかった。
豊臣の金を減らすための見事な献策であったはずが、気づけば「豊臣にたかる貧乏な徳川」というレッテルを貼られてしまったのだ。
「豊臣秀頼……ただの温室育ちの子供かと思っていたが、一体誰が後ろで知恵を絞っておるのだ……!?」
朝鮮・南蛮を見据えた極秘計画
大坂城の秀頼は、徳川の狼狽ぶりを嘲笑いながら、次なる手を打っていた。
(寺社の改築で世間の評判を取りつつ、豊臣の金を有効に使わせてもらった。だが、本番はこれからだ)
秀頼は大坂城の密室に、信頼できる特定の外様大名——仙台の伊達政宗、薩摩の島津義弘、そして瀬戸内の海賊衆をルーツに持つ大名たちの使者を極秘に呼び寄せていた。
「皆のもの、よく聞け。家康はいずれ豊臣を滅ぼそうと牙を剥く。だが、陸で戦っては勝ち目はない。我らが目指すのは『海』だ」
秀頼が提示したのは、「東北・九州・瀬戸内の各領内で、密かに最新式の南蛮船(大型ガレオン船)を建造する」という途方もない計画だった。
「南蛮船だと……? しかし若君、あれほどの大船を造る技術も、操る水夫も我が国にはおりませぬ」
各大名の使者が戸惑う中、秀頼は不敵に笑った。
「案ずるな。すでに手は打ってある」
秀頼は莫大な豊臣の金を使って、マカオやフィリピン、バタヴィア(ジャカルタ)に密使を飛ばしていた。狙うは「ギャンブルで大負けし、首が回らなくなった南蛮人の熟練船乗り、操舵手、船大工」たちだ。
「借金をすべて豊臣家が肩代わりしてやる。その代わり、日本へ来て船を造り、操縦を教えろ」
カジノや賭博場で破滅した腕利きの南蛮人航海士たちは、渡に船とばかりに喜んで日本へ密航してきた。
「いいか、目標は100隻だ。100隻の巨大南蛮艦隊を編制し、東南アジア、さらには欧州(EU)との直接貿易ルートを開拓する。貿易の莫大な利益は、協力してくれた各大名に分配する!」
伊達や島津といった「外様だが野心溢れる大名」たちは、秀頼の桁外れのスケールと、提示された巨額の利益に目を輝かせた。徳川の締め付けに不満を抱いていた彼らは、秀頼の密約に一目散に飛びついたのである。
方言という最強の暗号
「駿府の大御所様より命を受け、奥州の伊達領に潜入したものの……」
徳川の誇る隠密(忍び)の一人が、仙台の港近くの村で身を潜めていた。
豊臣家が東北や九州で怪しい動きをしているという情報を掴んだ家康が、服部半蔵率いる伊忍道を解き放ったのだ。
忍びは、地元の木こりや船大工たちが酒場で話している現場に潜入した。
「おーい、あばすけ! けっぱり固めて、あっちのどやさへ連れていかねばねぞ!」
「なんだとや、じゃんごの分際でぬかすな。おめえ、んだばサッパリわがらねっちゃ!」
「あだたら、うだてぇこと言うな! まんず、仕事さ急ぐべ!」
忍びは言葉を失った。
(……な、なにを言っているのだ……!? これは南蛮の呪文か……!?)
現代でいう「ディープな東北弁(方言)」である。
当時、関東や中部を拠点とする徳川の忍びにとって、東北や九州の過酷なまでの「なまり・方言」は、解読不能な暗号以外の何物でもなかった。
「くそっ、暗号の解読表を作成せねば……あ!」
挙動不審にメモを取っていた忍びは、あっさりと地元の警備兵(伊達の兵)に取り囲まれた。
「見慣れねえツラだな。おめえ、どっから来た? 徳川のイヌか?」
「ひっ……!」
捕縛された忍びは伊達政宗の前に引きずり出され、即座に処刑、または投獄された。九州や瀬戸内でも同様の事態が相次ぎ、徳川の忍びはことごとく全滅した。
この事態を受け、伊達政宗や島津義弘ら外様大名たちは、ますます徳川への警戒と不信感を強めた。
「家康のじじい、わしらの領内まで忍びを放って探りを入れてくるとは……! 豊臣の若君の言う通り、あのドケチな狸親父は油断ならん!」
こうして、徳川家康の包囲網は、秀頼の「情報戦」と「密航船計画」によって、じわじわと内部から崩壊し始めていたのだった。




