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すみれ荘には普通の人間がいない 〜元・天才フィクサーの平穏な日常は、深夜のキッチンで崩壊する〜  作者: リリリリス
【第二章:共犯者たちの学園狂騒曲】

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第三十六話:声調解析(ボイス・アナリティクス)の重低音(クラブサウンド)と肉汁大噴出の極厚スタミナにんにく煮込みハンバーグ

夜の帳が降りるのがすっかり早くなった放課後。生徒会室の重厚な空気は、まるで冷徹な密室尋問室のそれへと変貌していた。

俺——相沢湊は、デスクを挟んで生徒会長・西園寺玲王と向かい合っていた。奴の手元には、高感度の指向性コンデンサーマイクが接続された、見慣れない波形表示ソフトが起動している。


「相沢くん。人間の『声』には、指紋と同じように個別の絶対的なパターンが存在する。それが『声紋』、そしてその瞬間の深層心理を暴く『声調ボイス・ストレス解析』だ」


西園寺は冷たい指先でデスクを叩き、画面に表示された複雑な周波数グラフを示した。


「どれだけ平凡なモブの口調を演じようとも、特定の『キーワード』を聞いた際の声帯の微細な震え、倍音の歪みは人工知能の耳を欺けない。……さあ、相沢くん。このマイクに向かって『私は数年前、裏社会のパワーバランスを書き換えたフィクサー・Mではない』と、はっきりと発声してくれないか?」


西園寺の眼鏡の奥の瞳が、獲物を追い詰めた肉食獣のように鋭く光る。もし俺がそのセリフを口にし、コンマ数ヘルツでも声の周波数に「嘘をつく際の緊張成分」が混ざれば、AIが即座にそれを『偽証』と判定し、俺の平穏は終わる。


(どこまでも執念深い男だ。声の成分まで数値化して毟り取ろうとするとはな。……だが、俺の声を解析したければ、お前のその高尚な耳ごと、爆音でブチ抜いてやるよ)


俺はブレザーのポケットの中で、小型の発信機を手のひらで二回、強く握りしめた。すみれ荘のバックアップ部隊への、迎撃開始ジャミングの合図だ。


その瞬間、学園の全館放送スピーカーから——「ハローーーエブリバディ!!! 白蘭学園のみんな、凍える放課後に最高のビートを届けるぜ、DJ・リンリンの電波ジャックラジオの時間よーーー!!!」という、九条さんの地声を限界まで張り上げた凄まじい爆音のハイテンションボイスが鳴り響いた。

あろうことか九条さんは、拓海の物理ハッキングによって解錠された放送室へと乱入し、超特大ボリュームで謎の「電波系クラブミュージック」を校内全域に流し始めたのだ。


「何だと……!? 放送室がジャックされた……!? 九条のやつ、またしても規律を乱す暴挙を……!」


西園寺が驚愕のあまり、即座に放送を止めるべく手元の内線電話へ手を伸ばした。

そのわずか一秒に満たない死角。インカムから、栞のキーボードを激しく連打する音が滑り込んでくる。


『——私の描く重低音ベースラインへようこそ、傲慢な生徒会長。最先端の音声解析プログラムを、今から最高に「ブチ上がる」バグに書き換えてあげるわ』


次の瞬間、西園寺の手元の解析モニターの中で、俺の音声波形データが致命的な暴走を始めた。

最新のAIが、俺の発した微弱な呼吸音を『世界最高峰のEDMフェスの重低音』と誤認。画面内の俺の声紋グラフが突如としてサイケデリックなネオンカラーに変形し、画面全体に『DJ MINATO』『PUT YOUR HANDS UP!!』という巨大な電飾文字が乱舞し、スピーカーから「ドッドッドッドッ……!」という鼓膜を揺らす猛烈なユーロビートが爆音で鳴り響いたのだ。

さらに、音声ストレスステータスは『ストレス:ゼロ(脳汁全開・アゲアゲ状態)』と判定され、画面の中でちいさなドット絵のキャラクターたちが狂ったようにヘッドバンギングを始めた。


「な、何なんだこの狂ったイコライザーは……!? 音声データが……フロアを沸かせているだと……!?」


西園寺が耳を抑え、あまりの重低音の衝撃とシュールすぎる画面に激しい眩暈を起こしたようにデスクに手をついた。過剰な音声エフェクト処理を強制されたオーディオサーバーは、そのままスピーカーから「プチョヘンザ!」という合成音声を残して、完全にショートして沈黙した。


「あの、西園寺会長……。僕の声、そんなにベースが効いてましたか?」


俺がわざとらしく耳の後ろに手を当てて尋ねると、西園寺は完全に三半規管を破壊された様子で、蒼白な顔で椅子に崩れ落ちた。


「……いや、マイクの初期不良によるハウリングとシステムエラーだ。相沢くん、もういい……。頭の中でまだビートが鳴り響いている。今日の面談は終了だ。早く退出してくれ……」


完璧な科学の檻が、限界突破したクラブバグによって粉砕された屈辱。西園寺が深い絶望の中でこめかみを押さえるのを見届け、俺はペコリと頭を下げて生徒会室を後にした。


---


夜十一時。

極限の音声制御と、放送室での命がけのギグを終え、すみれ荘のドアを開けると、そこには案の定、完全に燃え尽きた三人の姿があった。


「おかえり、相沢くん……。もう、放送室の防音扉の向こうで、西園寺の警備隊が来るまで喉がちぎれるくらい声を張り上げ続けたから、喉がカラカラで完全に声が出ないよ……」


九条さんがソファの上でぐったりと横たわり、ガラガラのハスキーボイスでかすかに囁いた。いつもの透き通るようなアイドルの美声は影を潜め、本当に限界を迎えた痛々しい姿だった。


「俺も……放送室のミキサーと学園の主回線を手動でバイパスするために、天井裏の狭い配管の中でずっと這いつくばってたから、全身の関節がバキバキだぜ……。星の巡りも『今夜は肉汁の海に溺れよ』って震えてる……」


拓海が床の上で芋虫のように丸まりながら、うわ言のように呟く。


「……脳内のオーディオバッファが完全に溢れたわ」


栞もまた、ノートPCの横でぐったりと突っ伏していた。


「音声のリアルタイム周波数をクラブミュージックのスクリプトに変換するなんて、私の論理回路が消滅するわ。相沢くん、今夜は私たちのこの渇ききった喉と身体に、圧倒的な肉の旨味を注ぎ込んでちょうだい」


限界の一歩先で戦い抜いた共犯者たち。

俺はネクタイを外し、黒いエプロンを締め直した。

そして厨房に向かう足を一度止め、ソファで喉を押さえて眉をひそめている九条さんの前に静かに歩み寄った。


「……九条さん」

「ふぇ? ひゃい……(ガラガラ)」


俺は無言のまま、小さなマグカップを彼女の目の前のテーブルに置いた。中に入っているのは、自家製の生姜シロップとたっぷりの天然蜂蜜、そして有機レモンをじっくりと煮詰めた、特製の「ホットハニーレモンジンジャー」だ。


「それを飲んでろ。下ごしらえの段階で、喉の粘膜を保護する成分を極限まで抽出してある。明日も仕事なんだろ、トップアイドル」


「あ……」


九条さんは驚いたように目を丸くし、それから温かいマグカップを両手で包み込むように持ち上げた。そっと口をつけ、一口飲むと、その優しい温かさと蜂蜜の甘みが喉に染み渡ったのか、彼女の張り詰めていた表情が、ふにゃりと柔らかく緩んだ。


「……あったかい。すっごく美味しいよ、相沢くん」


毛布から覗く彼女の白い頬が、湯気のせいだけではなく、ほんのりと林檎のように赤く染まっていく。彼女はマグカップ越しに、じっと俺の顔を見上げてきた。その瞳には、いつもの眩しいアイドルの光ではなく、一人の少女としての、ひどく純粋で無防備な熱が宿っていた。


「……当然のことをしただけだ。お前の声が潰れたら、次の作戦でノイズが使えなくなるからな」


俺はわざと冷淡に言い放ち、逃げるようにキッチンへと背を向けた。

背後で、九条さんがそんな俺の態度を見透かしたように、「もう、相沢くんってば本当に素直じゃないんだから……」と、ガラガラ声のまま嬉しそうにクスクスと笑う気配がした。俺の胸の奥の心臓が、またしても西園寺のカメラでは決して捉えられない、不自然な「不整脈」をトクンと刻んだ。


---


「よし、お前ら。今夜は、その冷え切った身体と傷ついた喉を、一瞬で極限の幸福感で満たす、すみれ荘至高のスタミナ飯だ。『特製・肉汁大噴出の極厚スタミナにんにく煮込みハンバーグ 〜とろける濃厚チェダーチーズの火山〜』を作る」


そのメニュー名が響いた瞬間、リビングの空気が一変し、三人の目が飢えた肉食獣のようにギラリと輝いた。

煮込みハンバーグ。それは、ただのハンバーグではない。濃厚なデミグラスにんにくソースの中でじっくりと煮込まれることで、肉の内部まで旨味が完全に浸透し、ナイフを入れた瞬間に肉汁の洪水を引き起こす、最高峰の背徳スタミナ料理だ。


俺が用意したのは、牛肉7、豚肉3の黄金比率で挽いた、特製の合挽き肉。総重量は一人あたり驚異の三百五十グラム。

ここに、じっくりと飴色になるまで炒めて甘みを限界まで引き出した玉ねぎと、生のすりおろしにんにく、ナツメグ、そして隠し味に冷たい牛乳に浸したパン粉を投入。手の熱が肉の脂を溶かさないよう、氷水を当てながら超高速で、かつ粘り気が出るまで力強く練り上げていく。


成形する際は、厚さ約四センチの圧倒的な「極厚ラグビーボール型」に仕上げる。中央を少し凹ませ、中にフライドガーリックを数粒忍ばせるのが俺のこだわりだ。


煙が立つほど熱したフライパンにサラダ油をひき、極厚のハンバーグを滑り込ませる。


```

——ジャァァァァァァァァッッッ!!!


```


凄まじい爆音と共に、肉が焼ける官能的な香りと、にんにくの焦げる香ばしい匂いが一気にリビングへと解き放たれた。表面に完璧な、濃い褐色の焼き目をつけたら、ひっくり返して旨味の障壁バリアを完成させる。


ここからが本番だ。

フライパンの余分な脂を捨て、自家製の濃厚デミグラスソースをベースに、赤ワイン、ウスターソース、そしてこれでもかとすりおろした「大量の生にんにく」を混ぜ合わせた特製スタミナソースを、肉の上から一気に流し込む。


```

——ジュワァァァァァァァッッッ!!!


```


激しい湯気と共に、デミグラスのコク深い甘みと、赤ワインの芳醇な香り、そしてにんにくの強烈なパンチが完全に一体となり、ドロリとした漆黒に近い濃厚ソースへと変化していく。蓋をして弱火でじっくりと煮込むこと十分。ハンバーグがソースの旨味を吸い、自身の肉汁で丸々とパンパンに膨れ上がっていく。


仕上げに、肉の頂点に向けて、これでもかと大量の濃厚チェダーチーズをどっさりと投下。再び蓋をして数十秒、チーズがドロリと溶け流れ、まるで黄金のマグマのようにハンバーグ全体を覆い尽くした。


---


「さあ、冷めないうちに、鉄皿のマグマごと豪快に喰らえ」


一人前の鉄皿に盛られた煮込みハンバーグは、まさにスタミナの火山そのものだった。グツグツと沸き立つ漆黒のにんにくデミグラスソースの海に、黄金のチーズを纏った巨大な肉の塊が鎮座している。


三人は、限界を迎えた胃袋に突き動かされるように、一斉にナイフと箸を突き立てた。

九条さんがナイフを肉の中央に入れた、その瞬間だった。


——プシャァァァァァァッッッ!!!


強固に焼き固められた肉の表面を割った瞬間、内部に閉じ込められていた透明な肉汁が、まるで間欠泉のように勢いよく噴出し、濃厚なソースの海へと流れ出した。

九条さんは、チーズとソースをこれでもかと絡めた特大の一切れを、ハフハフと息を吹きながら口へと放り込んだ。

次の瞬間、彼女の瞳が衝撃で大きく見開かれた。


「————っっっ!!! んんん〜〜〜〜〜っっっ!!! 溢れる! お肉の旨味が、お口の中で大爆発しちゃったよ、相沢くん!」


九条さんが、両頬を抑えて、幸せのあまり身悶えしながら叫んだ。ハニーレモンで潤った喉から、いつもの鈴を転がすような美声が完全に復活していた。


「お肉が信じられないくらいふっくらしてて柔らかくて、噛むたびにジュワジュワって極上の肉汁がとめどなく溢れてくるの! そしてこのにんにくデミグラスソース……! 濃厚なコクとチーズのまろやかさの奥から、ガツンとしたにんにくのキレが追いかけてきて、もう脳みそがとろけちゃいそう! このソースを絡めたお肉だけで、ご飯が無限に進んじゃうわ!」


「うおーっ、美味すぎる!! 湊、この肉汁の量はマジで犯罪的だろ!」


拓海が、額の汗を拭うのも忘れて、肉汁とソースが混ざり合った汁をご飯に豪快にぶっかけ、ハンバーグごと口に掻き込んでいる。


「にんにくの強烈な熱量が、配管で冷え切った身体の芯まで一気に駆け巡るぜ! 溶けたチェダーチーズの塩気とコクが肉の旨味を何倍にも引き立てて、箸が止められねえ!」


「……完璧な演出カタルシスね」


栞もまた、恍惚とした表情で肉を口に運び、眼鏡を曇らせていた。


「肉汁を閉じ込める『徹底的な伏線』と、にんにくデミグラスという『圧倒的な味の支配』。西園寺くんがどれだけ冷徹にこちらの声を解析しようとも、このハンバーグがもたらす圧倒的な生命力の熱量の前には、彼のAIなどただの静かな波形に過ぎないわね。この共犯関係の美味しさは、誰にも暴けないわ」


深夜のすみれ荘に、ただひたすらに肉を喰らい、極上のソースを絡めた白米を掻き込む幸福な咀嚼音だけが響き渡る。

俺自身も、自分の分のハンバーグを口に運び、その突き抜けるような美味さに小さく笑みをこぼした。

濃厚なにんにくデミグラスの風味と、チェダーチーズのコク、そして口の中でジュワリと弾ける肉汁の圧倒的な旨味。それが一日中モブを演じ、裏工作を仕掛け続けた俺の身体を、最高に心地よく満たしていく。


西園寺玲王。お前は科学の力と声帯の震えを突いて、俺たちを孤独なシステムの中に追い詰めようとしている。だが、お前がどれだけ網を絞ろうとも、俺たちにはこの食卓がある。同じ飯の美味さに感動し、互いの窮地を笑いながら救い合う、この歪で、けれど絶対に壊れない絆がある。

お前がチェス盤を睨みつけている間に、俺たちはこのキッチンの熱気と共に、お前の想像もしない「外側」から、いつでもその完璧な世界をハックしてやるさ。


「おい、九条さん、喉が治ったからってソースをそんなに勢いよく飛ばすな。おかわりはまだフライパンにあるからな」


「はーい! でも美味しすぎて、私の満腹中枢のセキュリティが完全に突破されちゃったのよ! あと半分ちょうだい!」


「あはは、俺もおかわり! 湊、明日の西園寺の『クラブバグ報告書』の顔、今から楽しみだな?」


「……私の小説の第十一章は、西園寺くんの『重低音トラウマ』で決定ね」


夜が更けていくすみれ荘。

窓の外では冬の寒風が冷たく吹き荒れているが、このダイニングテーブルを包むハンバーグの熱気と、共犯者たちの暖かな笑い声、そして、ほんの少しだけ特別な色を帯び始めた二人の視線は、どんな策謀の影をも寄せ付けないほどに、どこまでも熱く、力強く燃え上がっていた。

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