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現世に転生したけどDNAをいじれるだけなので、ひっそり暮らします  作者: まじゅちゅし


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9/20

静かな別荘が、包囲された

山奥の別荘での生活は、思いのほか快適だった。


「アルヴィン、朝ごはんできたわよ」


エリシアが作った朝食は妙に手が込んでいた。焼きたてのパン、野菜たっぷりのスープ、目玉焼き。


「すごいな、エリシア。料理上手いんだね」

「あら、ありがとう。アルヴィンのためなら、何でも——」


そこまで言いかけて、エリシアは口を噤んだ。眼鏡の奥の瞳が、少し潤んでいるように見える。


『……なんか、今の言い方、ちょっとドキッとしたな』

健太は内心で動揺しつつ、スープに口をつけた。


「ガルヴァンは?」

「山の麓で見張りよ。交代制で休んでもらってるわ」

そう言ってエリシアは窓の外を見た。深い森に囲まれた別荘。人里離れたこの場所なら、しばらくは安全なはずだった。


——そう、思っていた。


別荘に移ってから三日目の午後。

健太は縁側で本を読んでいた。エリシアは室内で何やら通信機器をいじっている。


『ひっそり暮らせるって、こういうことだよな……』

心地よい風が吹き抜ける。鳥のさえずりが聞こえる。

『このまま、ずっとこうやって——』


その時だった。

「アルヴィン!」

エリシアの鋭い声が響いた。


健太が振り返ると、エリシアが窓際に立ち、山の麓を睨んでいた。その表情は、これまで見たことがないほど険しい。

「どうしたの?」

「来た……!」

「え?」

エリシアが指差す方向を見る。


山道を、黒い車の列が登ってくるのが見えた。

一台、二台、三台——いや、もっとだ。十台以上はある。


『……嘘だろ』

「ガルヴァンから緊急信号が来てる。別荘の周囲、全方位から接近中……数十人規模」

エリシアの声が震えていた。怖れではない。怒りだ。


「新世界の使徒……!」

車が別荘の前に停まった。


次々とドアが開き、黒いスーツ姿の男たちが降りてくる。全員、サングラスをかけ、無表情だ。


『学校の時の黒覆面と同じ……いや、もっと組織的だ』

健太は後ずさりした。エリシアが前に出る。

「アルヴィン、私の後ろに」

「で、でも——」

「いいから!」


その時、黒いスーツの集団が左右に分かれた。

まるで道を作るように。

そして、一台の高級車から、一人の女性が降りてきた。


長い銀髪。完璧な化粧。スリットの入った深紅のドレス。歩くたびに裾が揺れ、白い脚線が覗く。

年齢は二十代後半だろうか。いや、もっと上かもしれない。妖艶で、知的で、圧倒的な存在感を放っている。


「……ようやく、会えましたわね」


女性は微笑んだ。

その笑顔は美しかったが、どこか危険な雰囲気を孕んでいた。


「生命再編師——いえ、アルヴィン様」


『……え?』

健太は硬直した。

女性はゆっくりと歩いてくる。エリシアが構えを取るが、女性は気にも留めない。


「お忘れですか? 私、セレスティアと申します」

セレスティア。

その名前に、健太は記憶を探った。

『……誰だっけ?』


「異世界で、あなたに命を救っていただきました」

セレスティアはそう言って、胸元に手を当てた。

「この心臓、あなたが動かしてくださったのですよ」

『……あ』

断片的に記憶が蘇る。


異世界。王国の魔法使い。不治の呪いに侵され、心臓が止まりかけていた女性。

『あの時の……?』

「覚えていてくださいましたか?」

セレスティアの瞳が潤む。


「嬉しい……本当に、嬉しいですわ」

『いや、正直ほとんど覚えてないんだけど……』

健太は口には出さなかった。出せなかった。

なぜなら、セレスティアがまっすぐこちらに歩いてきたからだ。


「待ちなさい!」

エリシアが制止しようとしたが、セレスティアはその手を軽く払いのけた。

魔法——いや、違う。異世界の力を現世でも使えるのか?


「エリシア様、お久しぶりですわ。聖騎士団副団長、お元気そうで何よりです」

「……セレスティア」

エリシアが苦々しげに呟く。

『知り合いなのか?』

「でも、今日は邪魔しないでくださいませ。私、ずっとアルヴィン様に会いたかったのですから」


セレスティアは健太の目の前まで来た。

至近距離。

高いヒールのおかげで、健太と目線がほぼ同じ高さだ。


『近い、近い!』

「アルヴィン様……」

セレスティアが手を伸ばす。


その手が、健太の頬に触れた。

『ちょ——』

「お変わりありませんね。優しい瞳……温かい手……」

セレスティアのもう片方の手が、健太の手を取る。


そして——

自分の胸元に当てた。

『えええええ!?』

「ここです。この心臓。あなたが呪いを解き、遺伝子を修復し、動かしてくださった」

セレスティアの胸の柔らかさが、健太の手のひらに伝わる。


ドクン、ドクンという鼓動。

『いや、だから、近い! しかも柔らか……って何考えてるんだ僕は!』

「今も、こうして動いています。あなたのおかげで」

セレスティアは健太の手を握ったまま、見つめてくる。


その瞳は、真剣で、切なくて——

『やばい、すごい美人だ……』

「アルヴィン様、私と一緒に来てくださいませんか?」

「……え?」

「新しい世界を、一緒に創りましょう」

セレスティアの声が、甘く囁く。


「あなたの力があれば、人類を進化させることができます。病気も、老いも、死も——すべてを克服できる」

『……新しい世界?』

「そうです。転生者が導く、完璧な世界。あなたが神となり、私たちがそれを支える」

健太は混乱していた。


セレスティアの言葉の意味が、まだ完全には理解できない。

ただ一つ、わかることがあった。

『この人、本気だ』

「アルヴィン、騙されないで!」

エリシアが叫んだ。


「その女は新世界の使徒の幹部よ! 転生者を使って世界を支配しようとしている過激派!」

セレスティアは振り返らずに微笑んだ。

「支配だなんて、聞こえが悪いですわ。私たちはただ、より良い世界を作りたいだけ」

「嘘を言うな!」

「嘘ではありませんわ。ねえ、アルヴィン様」

セレスティアは健太の手を強く握る。


「あなたは異世界で、どれだけの命を救いましたか? どれだけの人に感謝されましたか?」

「……それは」

「でも、『役立たず』と言われ続けた。戦場では誰も認めてくれなかった」

『……なんで、それを』

「私は知っています。あなたがどれほど苦しんでいたか。どれほど孤独だったか」

セレスティアの瞳が、潤む。


「だから、今度は違う。今度は、あなたが讃えられる世界を作りましょう」

「……僕は」

健太は言葉に詰まった。

確かに、異世界では辛かった。

「役立たず」と言われ続け、引きこもり、最後はフェンリルに殺された。

『でも……』


「アルヴィン様。お願いです」

セレスティアが、健太に額を寄せる。

『近い、近すぎる!』

「私と一緒に——」

「その手を離せ!」

突如、轟音が響いた。


別荘の裏手から、ガルヴァンが現れた。

手には——拳銃?

いや、違う。異世界の武器を現世で再現したものか。


「アルヴィン様から離れろ、セレスティア!」

ガルヴァンの声は、怒りに満ちていた。

セレスティアはゆっくりと健太から離れた。


「ガルヴァン様も、お久しぶりですわね」

「……貴様、よくもアルヴィン様に」

「何もしておりませんわ。ただ、お話をしていただけ」

セレスティアは優雅に微笑む。

そして、背後の黒スーツたちに目配せした。


黒スーツたちが一斉に動く。

別荘を、完全に包囲した。

「アルヴィン様。今ここで決断していただく必要はありません」

セレスティアが言う。

「でも、いずれ理解していただけると信じています」

「……何が言いたい?」

「私たちは、あなたを傷つけるつもりはありません。ただ、協力していただきたいだけ」

セレスティアはそう言って、手を広げた。


「さあ、どうぞ。逃げても構いませんわ。でも——」

セレスティアの表情が、一瞬だけ冷たくなった。

「次に会う時は、もっと……積極的に、お誘いさせていただきます」

その言葉と同時に、別荘の周囲から人影が現れた。

数十人——いや、百人近くいるかもしれない。

全員、黒スーツ。全員、無表情。


『……囲まれてる』

「エリシア、ガルヴァン」

健太は二人を見た。

「……逃げよう」

「でも、アルヴィン——」

「大丈夫。僕、まだ諦めてないから」

健太は自分でも驚くほど、冷静だった。


『ひっそり暮らしたい。その気持ちは変わらない』

「だから、逃げる。今は」

エリシアとガルヴァンが頷いた。

「わかったわ。裏口から——」

その時だった。


別荘の裏手から、また新しい人影が現れた。

だが、この人物は黒スーツではなかった。

黒いレザージャケット、引き締まった体。短く刈り上げた金髪。

女性——いや、女戦士と呼ぶべきか。


その女性は、圧倒的な戦闘の気配を纏っていた。

「セレスティア様、逃がすなとのご命令ですが——」

女性が、別荘の方を見た。

その瞬間、健太と目が合った。

女性の表情が、変わった。

驚愕——いや、歓喜。


「……アルヴィン様?」

『……え?』


女性が駆け寄ってくる。

すさまじい速度で。

エリシアが迎撃しようとしたが、女性はそれを軽々と躱した。


そして——

健太の目の前で、ぴたりと止まった。

「本当に……アルヴィン様……」

女性の瞳が、潤んでいる。

「ヴァルキリア……お前も来たのか」

セレスティアの声が、遠くから聞こえる。


ヴァルキリア。


またしても、聞き覚えのない名前だ。

『誰……?』

「アルヴィン様、覚えておいででしょうか。私、ヴァルキリアと申します」

ヴァルキリアが、深々と頭を下げた。


「異世界で、あなたに不治の病を治していただきました」

『……不治の病?』

記憶を探る。


異世界。傭兵団。死の病に侵された女戦士。

『……ああ、確か、筋肉が壊死していく病気で——』

「遺伝子異常による筋ジストロフィー様症状だったね。ジストロフィンをコードする遺伝子DMDの欠失変異。エクソン45から52の欠失パターンで、フレームシフトを引き起こし——」

健太は思わず呟いた。


ヴァルキリアの瞳が、さらに輝いた。

「そうです! まさにその通りです! あなたは私の遺伝子を読み取り、CRISPR-Cas9様の技術で修復し——」

「いや、あの時は相同組換えを利用して、正常なDMD遺伝子配列を——」

『って、何この会話!?』

健太は我に返った。


ヴァルキリアは感動したように、健太の手を握った。

「ああ、やはりアルヴィン様……! 間違いありません!」

そして——

ヴァルキリアは健太を抱きしめた。

『えええ!?』

「お会いしたかった……ずっと、ずっと……!」

ヴァルキリアの体は、鍛え抜かれた筋肉に覆われているはずなのに、不思議と柔らかかった。

そして、温かい。


『ちょ、近い! っていうか抱きつかれてる!?』

「アルヴィン様、私、あなたのためなら何でもします。戦います。守ります。何でも」

ヴァルキリアが健太の耳元で囁く。

『何でもって何!?』

「だから——お願いです。私と一緒に来てください」

「……ヴァルキリア」

健太は、できるだけ優しく言った。


「ごめん。僕、ひっそり暮らしたいんだ」

ヴァルキリアの動きが止まった。

「……ひっそり?」

「うん。目立ちたくないし、誰かを支配したいとも思わない。ただ、静かに暮らしたい」

ヴァルキリアは健太を離し、信じられないという表情で見つめた。


「でも、アルヴィン様……あなたは、世界を救える力を持っているのですよ?」

「それは、科学者の方が——」

「いいえ!」

ヴァルキリアが遮った。


「科学者には時間がかかります。でも、あなたは一瞬で遺伝子を読み、修復できる。それは奇跡なのです!」

『……奇跡、か』

健太は苦笑した。

「でも、僕には無理だよ。そんな大それたこと」

「なぜですか!?」

「だって、僕は——」


役立たず、だから。


その言葉を言いかけて、健太は口を噤んだ。

エリシアが、悲しそうな目で見ている。

ガルヴァンも、無言で俯いている。


『……やっぱり、僕は』

「アルヴィン様」

セレスティアの声が響いた。

「今日のところは、これで失礼します」

セレスティアが手を上げると、黒スーツたちが一斉に引き上げ始めた。

ヴァルキリアも、名残惜しそうに健太から離れた。


「でも、忘れないでくださいね」

セレスティアが微笑む。

「あなたは、多くの人に愛されている。多くの人に、必要とされている」

「……」

「そして、私たちは——あなたを、諦めませんわ」

セレスティアはそう言って、車に乗り込んだ。


ヴァルキリアも、最後にもう一度健太を見てから、車に乗った。

黒い車の列が、山を降りていく。

静寂が戻った。

エリシアが、健太の肩に手を置いた。

「大丈夫?」

「……うん」

健太は、自分の手を見た。


さっきまでセレスティアの胸に触れていた手。

ヴァルキリアに握られていた手。

『……なんで、みんなあんなに』

「アルヴィン」

ガルヴァンが言った。

「ここは、もう安全ではありません。移動しましょう」

「……そうだね」

健太は頷いた。


『ひっそり暮らしたいのに……』

別荘を後にしながら、健太はぼんやりと考えていた。

『なんで、こんなことに』

エリシアが、隣を歩きながら言った。


「アルヴィン。あなたは、本当に自分がどれだけすごいか、わかっていないのね」

「……え?」

「セレスティアも、ヴァルキリアも——みんな、あなたに命を救われた人たちよ」

「でも、それは、ちょっと遺伝子をいじっただけで——」

「『ちょっと』じゃないの!」

エリシアが声を荒げた。


「あなたは、不治の病を治した。呪いを解いた。死にかけた心臓を動かした」

「……」

「それがどれだけすごいことか、あなたはわかっていない」

エリシアの声が、震えていた。


「だから、みんな——あなたを慕うの」

健太は、何も言えなかった。

ただ、歩き続けた。


山道を降りながら、健太は思った。

『僕は、ただひっそり暮らしたいだけなのに』

でも——

セレスティアの瞳。

ヴァルキリアの涙。

エリシアの声。

『……みんな、本気なんだ』

健太は、深く息を吐いた。

『どうすればいいんだろう』

その答えは、まだ見つからなかった。


別荘から数キロ離れた場所。

黒い車の中で、セレスティアはワイングラスを傾けていた。

「どうでした? セレスティア様」

ヴァルキリアが尋ねる。

「完璧ですわ」

セレスティアが微笑む。


「間違いなく、本物のアルヴィン様」

「はい……私も、確信しました」

ヴァルキリアの頬が、ほんのり赤くなる。

「ああ、やはり……あの優しい瞳、温かい手……」

「ヴァルキリア、落ち着きなさい」

セレスティアが呆れたように言った。


「今日は接触が目的。拉致ではありませんわ」

「わかっております。でも——」

ヴァルキリアが窓の外を見た。

「あの方は、本当に『ひっそり暮らしたい』などと……」

「ええ。謙遜が過ぎますわね」

セレスティアがワイングラスを置く。


「だからこそ、私たちが導かなければ」

「はい」

「カイザー様にも報告しておきなさい。生命再編師は確保可能、と」

「了解しました」


車は、街へと向かっていく。

その中で、セレスティアは呟いた。

「アルヴィン様……もう少しお待ちくださいませ」


「必ず、あなたと共に——新しい世界を」

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