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大田村は一つの大きな有機細胞のように動き始めた。労働力、資金を集中させた。当時の人は戦前、戦中を通じて自分で考えるより、人の考えで動いていくことが身に沁みついている。特に敗戦による未曽有の国家的混乱の行く末に対して、明確な未来を予測し集団を統括して、事変に対応する才能を持つものが現れることなど、歴史的な英雄譚以外ありえない話といえる。そのあり得ない話が自分の周りに起こり、波紋のように次から次へと物事が大きく展開していく。そんな流れが大田村を飲み込んだ状態であった。
今日は朝早くから、戦争孤児と若き子持ち寡婦103名が宿舎前で、米軍記者であるリックから写真と取材を受けている。それぞれお手伝いの域を出ないような魚干しや火の番の補助や荒地への蕎麦の種まきや畑作業の手伝いなどをこなしながら、定時制のような勉強方法で先生であった寡婦たちに色々な教科を教えてもらっている。
将来的にはアメリカの教会からシスターを派遣してもらって英語を教えてもらう予定だったが以外に早く在日シスターが英語への手紙翻訳の手助けとして招かれることになる。
リックはジョンソン神父とシミズの要請で大田村に出向いて大変驚いていた。この村には行列がなかったからだ。どの町でも普通に人々が並ぶ行列があったがこの村では全く見かけなかった。村人はきびきびと生き生きした表情でそれぞれのやるべき仕事を楽しそうにこなしている。言葉は通じないがリックに対しても「ハロー」と軽快に挨拶してくれる。まるで日本ではないどこかだ。
更にリックを驚かせたのは、3日前に出会った泥と埃にまみれて臭かった戦災孤児が皆こざっぱりした服を着てシミズと共に出迎えてくれたことだ。リックはシミズに挨拶を交わして、その背後にいた少女を見て動きが止まった。ぼんやりとしたイメージは持っていた想像上の大和撫子がそこにいた。全体的な雰囲気は柔和なのだが、キリリとした鋭い眼差しが簡単に人を寄せ付けないものであった。まだ少女といっていい年齢にかかわらず美しいという表現しか出てこない。リックがシミズに視線を動かして問いかけると、シミズは
「(戦災孤児たちの生活費の支援と個人の学業等支援を教会経由で募集する為の魅力的な資料写真を撮ることをリックにお願いします。団体と選抜した個人という形にしたい。)」
「(生活の一部を紹介しながら人物の魅力を切り取るような形式でいいか?)」とリック。
「(大物が食いついてくる予感がするようなやつを頼む)」
「(鳥肌の立つような素材があれば誰だってそこそこの物は撮れる。だが心が震えるような写真はなかなかの撮れねぇ。少し撮らせてくれねぇか?)」とリック。
「(彼女は船の航海を守る女神だ。俺も一緒の時以外はだめだがそれでいいならOKだ。)」
「(嬢ちゃんがいつもの雰囲気でいてくれるならその方が都合がいい。通訳も必要だしな。)」とリック。
と言う会話の間中、俺は皆から睨まれているような妙な迫力を感じたが、それだけ皆も必死なのだろう。
宿舎を背景とした集合写真から始まり、それぞれの扱っている簡単な作業風景、食事の用意と食事風景、休憩している風景や年下の子供面倒を見ている風景など自然な写真をリックは撮っていった。
そして、育英資金獲得のための10人ほど選抜した個人写真を撮って終わった。予想に反して篠原美鈴の写真があまりなかったような気がしたが、別れ際、リックは最高の写真が撮れたと言った。
俺には写真のセンスがないという事だけは分かった。




