鷹と烏
アランのいない日々は今日で4日目となった。
最近は夏季休暇となる前の夏独特の蒸し暑い日々が続き、誰もが外に出るのを嫌がるほどには暑いぐらいである。
朝の練習を終えたルドウィグが寮へ戻る頃には朝日も登り切っていた。
朝と言ってもジリジリと照りつける太陽は全ての気力をを削いでいく。
今日は珍しく教師の会議らしく、1日の臨時休暇となっていた。
いつも通りに汗を冷水で洗い落とし、髪を拭きながら寮の自室へと戻り、扉を開けたルドウィグは目を見開いた。
ぱさ、と持っていた白い布が落ちる。
「……………おはよう」
ふ、と吐息混じりに発せられた言葉にルドウィグの目の前にいる人物は振り返り、その漆黒の瞳に彼を映した。
「おはよう、ルド」
そう言って彼は美しく微笑んだ。
さらりと流れる黒髪が朝焼けの光に反射して光り、世にも忌むべき色はこの世で一番美しく見えた。
ルドウィグは、歓喜もせず、いつも通りに微笑む。
金の瞳には安堵が浮かんでいたが、それを言葉にはしなかった。
彼らはそういう性格ではなかったし、悪友のような感覚でいたのかもしれない。
「君が休んでいた間の課題はそこに置いてあるから。」
「ありがとう」
アランが側にあるシャツを投げ、それをルドウィグが受け取り、アランは机の上の課題を目に通し、その場で立って解き始めた。
その間にルドウィグは着替えを済ませ、外に出かける準備を始める。
数分後、アランが羽ペンをおくと、ルドウィグはアランの鞄を渡し、2人で自室を出た。
これまでの動きは滑らかであり、2人の信頼関係がよくわかる動きであった。
***
まあ、お久しぶりにお見かけしたわ、とエリザベスは庭園から黒い頭を見つめた。
ここ数日、どこか物足りなさげにしていたルドウィグは遠目でも分かるほどには楽そうにしていた。
ルドウィグは恐ろしい人物であるとエリザベスは熟知していた。
他人に自分の核に触れさせない。
アランディーノがいない間令嬢や子息に話しかけられているのをよく目にしたが、その対応は典型的で、人当たりのいい、好まれるであろう笑みを貼り付けて会話をしていた。
自分の本音を巧みに隠し、決して悟らせない。
まるで鷹だと、エリザベスは感じていた。
しかし、そんなルドウィグとアランの2人が仲睦まじげに歩く姿を見れば世の令嬢が騒ぎ立てるのも納得であり、彼らがそれを知らないのもまた、納得のいくものであった。
おそらくあちらの方向だとこれから朝食を食べにでもいくのだろう。あちらは街に出る方角だと日々の情報収集の中で聞いたことがある。
「ここにいたの、リジー」
エリザベスの相性を呼ぶことを許したのは家族以外でたった1人。
その人物こそ、彼の妹でありエリザベスの友人だった。
「ロアナ、兄君がいらっしゃるわよ」
柔らかく微笑んでこちらに向かってきていた彼女は、エリザベスの視界の先を見つめ、眩しそうに目を細めた。
「あら、兄様ったら、楽しそうね。」
黒い瞳は透き通っていて、どこが醜いのかわからないほどに美しい。
実の兄を見つめるそれは優しげで、エリザベスに向けられるものとはまた違っていた。
おそらくあの眼差しが自分に向けられることはないのだろう、と薄々感じながらも美しいと、エリザベスは思った。
滑らかな白い肌も、すらりとした体型も、漆黒の艶やかな髪も、エリザベスにはないものだった。
彼女といえば貴族らしい金髪とグリーンの瞳、堀の深いはっきりとした目鼻立ちに、女性らしいふくよかな体つき。
社交界で「貴族の鏡」と呼ばれるエリザベスは、友人のその姿をとても好ましく感じていた。
彼女がゆっくりとこちらへきて目の前に座る一連の動作をエリザベスは見つめていた。
それに気づいたのか、ロアナは不思議そうに首を傾げる。
その拍子に黒髪がさらりと流れる。
「リジー?私の顔に何かついている?」
その動作が健気で可愛らしくて。
「いいえ、あなたが綺麗だと思っただけよ。」
エリザベスは思わず微笑んで、紅茶を飲んだ。
エリザベスのその言葉を聞いてロアナは可笑しそうに笑い、同じように紅茶を飲む。
その可憐な笑みでさえも美しく見えるものだから、エリザベスは重症だわ、と思う。
けれどそんな自分が嫌いではなくて、むしろ好ましく感じていた。
「わたくし、貴女と出会えて幸せだわ。」
そうエリザベスが口にすると、ロアナは驚いたように目を丸くし、嬉しそうに笑った。
「私も同じ気持ちよ。」
その言葉で2人は微笑み合う。
それは広い草原で寄り添い合う小さな花のようであった。
***
ぶらぶらと行く宛てもなく、2人で並んで街を歩く。
広い広い青空と行き交う人々。
活気あふれる街は人他人の生活の営みを支える場所であり、憩いの場である。
アランはそれを肌で感じながら朝食が食べられる場所を探していた。
「待って、あの方…」
「久しぶりにお見かけしたわ、隣はガシュタルト様かしら」
臨時休暇とは生徒たちにとっては絶好の外出日和で、外に出て友人と過ごす生徒はアランたちだけではなかった。
流石貴族会と言うべきか、アランとルドウィグの情報が伝わる速度は凄まじく、数分後には見物をしに集まってくる令嬢が多くみられた。
「…これは、外に出てきたのは間違いだったかな?」
ルドウィグが苦笑してアランに話しかけた。
アランは興味なさげにしているが、眉間に皺が寄っている。
「…仕方ないか」
ルド、こっち、とアランがルドウィグを誘導する。
ざ、と人だかりが波のように分かれ、人が2人のために道を開ける。
買い物に来ていた主婦も、それについてきた子供も、花屋の少女も、駆け回っていた少年たちも、彼らのために道を開ける。
1人の少年がつぶやいた。
「黒だ」
周りの人間たちがハッとする。
あまりのオーラに圧倒されていたが、1人の青年は黒髪である。
不吉の象徴、災厄を呼ぶ色。
その青年がゆっくりと歩みを進める。
まるで皆に見せるように。
その動作は人々の目に焼き付いた。
例えば、青い空。
白鳥は美しく映えるだろう。
では、烏であれば?
白鳥は言う、なぜ黒いお前がここにいるのだと。
けれど烏はその声に囚われることなく空を飛んだとしたら?
白鳥は呆然とそれを見送ることしかできない。
烏がゆっくりと進んでいく。
青年たちの行く先に、楕円が現れた。
2人はそこへ消えていく。
人々が気づいた時には青年たちは姿を消し、最初からそこにいなかったかのように静けさが戻っていた。
「…なんだったんだ、今のは」
中年の商人が呟く。
しばらくの間、街の大街道には人で作られた道ができていたそうだ。
長らくお待たせいたしました




