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『祈現の碧』Prevalent Providence Paradigm  作者: 宇喜杉ともこ
第6章 祈りを抱く者に試練は与えられる
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エピローグ

 

エピローグ/

 

 今年の夏休みは、いつもより充実していたと感じた。

 僕が文化研究部に入って初めての長期休暇、活動もそこそこあったけど、その分バーベキューとか色々楽しむことが出来た。

 だからこうしていざ学校生活が再開となると、少し気が重くなってしまう。

 

「今日は転校生を紹介するぞ。——さぁ、入って」

 

 夏休み明けとはいえ、ここまで珍しい先生の入室時のセリフは聞いたことがなかったので、僕は咄嗟に伏せていた視線を黒板の方へ向けていた。

 

 がらがらがら、とだいぶ年季の入った音を立てて開く教室の扉。

 入室したのは、白き髪に赤い目を持った女だった。教室中の目を奪う麗人は、時が止まったかのような空間の中を一人歩き、教壇の前に立つ。

 

瀬尾(せお)律姫(りつき)です」

 

 見知った感覚があった。しかしその正体を突き止めるには至らずにいた。

 ずっとそばにいたような感覚が目の前にある。これは、なんだろう?

 

 ——そうこう考えていると、瀬尾律姫は僕の隣に座っていた。ああ、確かにここ空いてたな。なんて気付いたのはその時になってやっとである。

 

「久しぶり、幸斗」

 

 紅き瞳が脳髄を突くようだ。それでも僕は彼女の記憶を思い出せない……。

 

「えと、どちら様で……」

 

「あー、そう()()()()な。この姿の()と話すのは初めて()()()()()

 

 まさかの一人称と語尾。そんな友達、僕にはいません。

 

「コホン……()だよ。ほら、この指輪を見ればわかってくれるかい?」

 

 トパーズの指輪……‼︎ まさか————。

 

「この夏休みの間、色々と事情があってね。それでしばらく会えていなかったんだけど、そこら辺の説明は、また後でするよ」

 

 

 今日は始業式なので昼前には放課後となっていた。

 瀬尾律姫の後をついていき、文化研究部の部室へと向かった。

 

「まずはどこから説明すべきじゃろうか……。そうじゃな、妾が何者か——というのはわかっておるな?」

 

 彼女の指輪は二つで一組であり、その片方を僕は持っていた。そう、二ヶ月ほど前にシャルディーンによる儀式を行い、肉体を得た龍神の分霊——トリープである。

 しかしそのトリープと、目の前にいる瀬尾律姫とでは似ても似つかない。

 

「それで、汝が聞きたいのは——なぜ妾がこのような姿になって、このような口調になっているのかじゃろう? 正直、妾にも詳しいことはわからぬ。ただこの話し方がなんとなくじゃが、しっくりくるようになってきての。——さて、詳しいところは妾よりも先生の方から聞いた方が良いじゃろう。続きはここに入ってからじゃ」

 

 ドアノブを捻る音。きぃー、と音を立てて開かれる扉の先に、我らが八敷先生が待ち受けていた。

 

「結論から言えば、これは『封印』の形だ。龍神の力を人形に封じ込めたとき、初めは幸斗の身体をベースに造形(テクスチャー)が構成されていた。しかしそれでは魔術的照応という観点からも、器の強度という点でも問題があったのだ。

 幸斗と存在がリンクすればするほど君に大きく影響する危険性が高まる。それ故に強大な力が意図せぬ危害を及ぼす可能性があった。

 それらを解決するために、私はこの夏休みの期間を費やして彼女を『瀬尾律姫(せおりつき)』として再定義した。————つまり君が見ている彼女の姿は、それらの問題を解決した、最も安定する形となったトリープの姿だ。……君は瀬織津姫(セオリツヒメ)という神を知っているか?」

 

 当然、僕は「知らない」と答える。

 

「そうだろう、私もそのつもりで解説を考えていたから安心してくれ。

 ——其は天照大神の荒御魂の一つとして定義され、あるいは鈴鹿権現とも同一視される存在。しかし私が瀬織津姫をトリープの『封印』に利用したのは今言った特性とは違う、瀬織津姫ならではの要素があるからだ。

 元来、その神格は淡水から海水に流れていく川の性質を持つ水神だ——そして解釈の一つに『封印された龍神』の姿というものがある。これほどこの状況に最適なものはない。要するにトリープは、『封印された龍神——瀬織津姫』の受肉体として再定義され、それによって彼女の人格、姿が変容したというわけだ」

 

 その説明を理解はした。しかしどうしてもどこかモヤモヤするものがあった。まとまらない考えを粘土を捏ねるかのように言葉を紡いだ。

 

「トリープの変化は、先生が助けてくれるために必要だったってのはわかるんですけど、少し複雑です……なんだか、以前のトリープがいなくなってしまったかのようで」

 

 僕はトリープに自由に生きてほしかった。けれど僕が無理矢理に現世に留めた結果、今の彼女が不本意な思いをしているのなら、僕は彼女に申し訳が立たない。

 

「何を言い出すかと思えば、そんなことを気にしておったのか。無論、記憶は保持されておるし、以前の妾と別人になったというわけでもない。もともとあの姿は幸斗のガワを借りたもの、その時点の妾にだって幸斗の影響を受けた人格があるだけで、本来の妾に人格や性格というものがあるとは思えぬ。

 以前の妾とか、本来の妾とか、大した差ではないじゃろう。口調が変われど、姿が変われど、今ここにいる妾こそが幸斗との出会いを得て生まれた唯一の存在なのじゃから」

 

 その言葉は少しだけ救いがあった。僕にとって願うということは、すなわち悪なのかもしれないという危惧があった。

 だけど事実として僕の願いが受け入れられたこと——ほんの一握りかもしれないけど僕の中に善良なる願いがあったのだ。

 

 道は三つ。

 

 ——願いに準じ、修羅となる道。

 

 ——願いを捨て、機構として世界を廻す道。

 

 ——願いを選び、人の輪の内で生きる道。

 

 最後が一番難しい。願いを抑え込むだけでは人として生きられず、願いのままに進むだけでは人の道を外れてしまう。

 まだ大した信念を持つことはできてないし、これからもどうかはわからない。だけど——だからこそ、そんな小さな願いを掴み取った自分が誇らしく在れる言葉に安堵を抱いたのだ。

 

  ◇

  

 なんでもない日常が、幸斗の中で流れていった。実際のところ、彼の過ごす日常には非日常の世界が混ざっているのだが、それすらも慣れてしまえば日常と感じ取ってしまうことが人間の適応力の恐ろしさである。

 しかしそれでも、それが予想できたことだとしても、素直に順応するには難しいものがある。

 

「というわけで新しいメンバーとして加入することになった瀬尾律姫なのじゃ! よろしく頼むぞ〜」

 

「メンバーが増えますと、手分けして活動ができるので楽ですねぇ」

 

 幸斗が文化研究部に加入したとき、メンバーは彼を含めて三人だった。その後薫と浄の二人が加入(梁山浄は休部からの復帰)し、瀬尾律姫となったトリープが増えて六人となっている。

 

「そうは言っても、オレはもう三年だしな。いつまでもここに居座れるってわけでもねェ。来年には新しいヤツが入ってくるといいが」

 

 その活動の特性上、人手不足に陥りやすい文化研究部。しかし今年の六人という数字は例年としては多い方だった。

 

「そんな君たちに朗報だ。今日から、新しく外部顧問が追加された」

 

 どこからともなく現れる影。即座に只者ではないと感じさせるこのオーラは——、

 

「この度貴殿らの外部顧問として配属されることとなったシャルディーン・アヌ・フィロアステリだ。よろしく頼む」

 

 目の前のシャルディーンに一同は驚きの反応を示した。

 

「どういうことですか、先生?」

 

 美佳は既に臨戦態勢であった。

 

「どういうことって言われても、こっちも人手が欲しいんだ。捕虜の扱い的にはすごい妥当だと思うが?」

 

「捕虜って言い方……。そうじゃなくて、あの時の協力は一時的なものじゃなかったんですか? ウチとしてはこちらの命を狙ってきて、実際アイツは人を殺したじゃないですか」

 

「……まあ、そういうこともあったな。——美佳、お前の考えは正しいよ。ただ、魔術師の世界においてはそれだけでは済まない。そういうところでは、まだお前は若いな。

 ——ヤツの罪は、魔術師として私が受け持つ。それが私の責任の取り方だ。どうか赦してやってくれ」

 

「ウチも言い過ぎました。そうですよね、非難ばかりで許す気がないって言うのは理不尽な考えでした。彼にもそういう機会を与えてあげないと」

 

 

 

 ——シャルディーンが生徒たちを連れて活動に向かったあと、八敷意は一人残された。

 コーヒーの匂いで満たされた、いつもの作業部屋。

 

「いざ突きつけられると、本当にこれで良かったか不安になるな」

 

 一人になると、雪崩のような不安が襲いかかってきた。幸斗たちの動向も今のところは問題がないが、いつその安寧が崩れるかはわからない。

 さりとて、まだやるべき書類が残っていると、彼女は立ち上がりコーヒーを淹れようとした。

 その時だった。

 

「なーにぃ、ココちゃん? 弱音吐いちゃってさぁー」

 

 久しぶりにその声を聞いた八敷意は、しかしすぐさまその声の主の正体に辿り着く。

 

「姉、さん……?」

 

 それは単なる気まぐれであった。

 八敷意、否——荒谷意の姉——荒谷末那(まな)。彼女はあらゆる世界のどんな場所にだって現れることができる。

 そんな時空を駆ける旅の最中で、たまたま佇む妹を見かけたというだけのことだった。

 

「にしても何ー? このコーヒーの匂い。あんた苦いの苦手じゃなかったっけ」

 

「私だって、少しは大人の舌に慣れたんだよ」

 

 八敷意はコーヒーの味があまり好きではなかった。それが現在になって習慣的に飲むようになったのは、それが仕事中でも飲める嗜好飲料として普遍的な地位を築いているからだろう。

 

「そうね、そんな顔してる。苦いのを必死に隠してる顔。——今回も完璧な成果を出せなかった?」

 

 ズバリその通りだよ、と苦笑いにもならない曖昧な表情で返答した。小さな頃から魔術の腕で競い合っていた彼女たち。どれだけ完璧に近い技術を学んでも、姉である末那には生まれ持った才能の差で勝てなかった。

 

「そんなものは存在しないって、わかってるんだ。けれど私には彼らを守る責任がある。美那萌の死だってそうだ。他に最善の方法があったはずで……私は、未熟だ」

 

「でも、あたしはそんな人間の未熟さが好きだよ? 次に進む意思があって、まだその期間を与えられてる。それってとっても素敵なことだと思わない?」

 

「だからこそ……私はそれを彼女に与えてやりたかった……。姉さん、わからないよ。どうしてあなたは私たちのもとを離れたんだ? 姉さんなら、もっと良い結果を掴み取れたはずだ……。なにがあなたをその旅へ突き動かしたの?」

 

「あーそうよね。あのときは何も言わずに出てっちゃったもんね。そのことについては本当にごめんね? いろいろ大変な役割を押し付けちゃったかもだけど…………そうね、あたしが今探してるのは未来を変えるとか大層なものじゃないの。でもいつか必要とされる役割を担ってるんだ。あたしが旅に出た理由はそんなとこ。——悪いと思ってるけど、あたしの力は誰かを助けるためには使えない」

 

「そうだったんだ……姉さんも、そのような理由で魔術を使うのですね。もう、あの頃のように純粋に技を競い合い、魔術を愛することは……」

 

 少なくとも、(こころ)にはできない。人を救うため、未来を拓くため——そのような動機がなければやっていけなかった。

 

「それはそうね……もう大人になっちゃったもんね。そういう点では、あの星見の魔術師さんはまだ子どもね」

 

 シャルディーン・アヌ・フィロアステリ。彼は魔術を愛し、神秘の誕生を祝福する求道者(ぐどうしゃ)だった。

 

「たまにはそうやってハメを外してみるのもいいんじゃない? 生き方なんて、いつだって、いくらでも変えられるんだから——生きている限り」

 

「今度会えたとき、もっとマシな顔が見せられるよう頑張るよ」

 

「そうね、あんたが心の底から笑ってる顔が見てみたいわ」

 

 さようならの代わりに、今度会った時の約束を契ろう。

 末那の背後には、既に別れの境界線(ポータル)が現れていた。別の空間へと繋がる門を潜る姉の背を見ながら、意は確かめるように呟いた。

 

「姉さん——また、会えるよね」

 

 その声が届いたのか、返答があったのかはわからない。だけど、約束なんだから——きっと会えるはず。

 

 

 気まぐれで起きた非日常は、再び日常の香りに塗りつぶされていく。

 思い出したコーヒーを淹れるという作業。たまには別のものを淹れてみようか。ちょうど貰い物の茶葉が棚上に置いてあった。

 染みついたものはそう簡単に消えることはない。ちょっとくらい、違うものが混ざっても染まりはしないさ。

 

 失くしたものはある、手に入ったものもある。過去なくして今は生まれず、今の積み重ねが未来を生み出す。

 今コーヒーの代わりに淹れた紅茶の匂いも、そうした積み重ねの一つに埋もれていくものかもしれない。だけどもそこにはちゃんと変化があったのだ。

 まだ知らない匂いに気が付いて、その心地良さに少しだけ口元を緩める。

 

 ああ——今度はこれ以上の笑顔を見せてやる。

 

 これは希望ではなく、確信だった。

 

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