十
布団の周りに五人が正座をしている。まるで通夜か葬式のような光景だった。祖母の額に冷たいタオルをのせて、神谷は息を吐く。
「材木置き場の近くで見つかったよ。もう少しで山へ入るところだった。危ないね」
彼はそう言ってこちらを見る。視線を受けて、修嗣は反射的に頷く。妹はずっと下を向いており、手伝いの人間も黙っていた。叔母は、不機嫌そうな顔をしている。
「ありがとうございます」
修嗣は頭を下げた。今の自分は、母親によく似ていると思った。
「眞由美さんたちは、まだかな」
「きっと、神社の方へ行かれたのよ。ほら、前に、その人が神社の床に蹲っていたことがあったでしょう」
神谷の視線を受けて、叔母が答えた。顎で母親を示す。
「ああ、そんなこともあったね。じゃあ、もう少し待とうか。神社の方へ行ったなら、一時間はかかるだろう」
「迎えに行ったらどう?」
「じゃあ、中西さんにお願いしようかな」神谷は、手伝いの人間を外へ出した。
八畳の座敷に、静けさが停滞する。唐紙がいくつも破れて穴が空いていた。祖母が暴れた跡だ。何度張り替えても仕方がないので、いずれ襖は取り外されるだろう。
「それにしても……」神谷は、祖母の顔を見る。「一体、どこにあんな力を隠しているのかな。背負うのも骨が折れる。髪を何本か抜かれてしまった」
「力が有り余っているのよ。いつも寝ているんだから」叔母が吐き捨てる。
「申し訳ありません。何度もご迷惑をお掛けして……」修嗣はまた深く頭を下げた。
「いや」と神谷は大袈裟に手を振る。「僕はなにもしてないよ」
「兄さん、やっぱりお婆ちゃんを病院へ入れた方がいいわ」
顔を上げた沙也加の表情には膿んだような疲れがあった。
「分かってる。既に、眞由美さんから父へ話は通じているはずだ。ただ、父が腰を上げないだけで」
「ねえ、本当に分かっているの」叔母が修嗣を睨む。「そのうち、他人の家にも入るわよ。よそへ忍び込んで暴れるだなんて、たまったもんじゃないわ。いい恥さらしよ。修嗣さん、あなた遊び回ってないでもっと真剣に考えたらどうなの?」
「僕が考えても、どうにもなりません。叔母さんこそ、自分の母親をまるでゴミ扱いですね」
「なんですって?」
叔母はまるで山姥のような顔で机を叩く。
「まあまあ」
父と母が帰ってきたのは、十時を過ぎだった。
広い座敷へ移動し、父、母、叔母、神谷、修嗣、沙也加の順で並ぶ。手伝いの中西も一緒だった。
「このたびは……」母は、それぞれへ視線を向けると、頭を下げた。「私の不注意でお祖母様を危険な目に遭わせ、申し訳ありません」
「よしなさいよ」
「曹嗣さんと相談しまして、やはり、お祖母様には入院して頂こうと考えております」
「知り合いに頼んでおいた」上座の父が、腕を組んで答える。「隣町の総合病院だ。まあ、大きな病院だから大丈夫だろう」
「知り合いというのは?」修嗣は尋ねる。
「大学時代の同級だよ。こんな田舎で、わざわざ心療内科を選んだような奇特な人間だが、信頼はできる」
隣町という言葉を聞いてから、修嗣はあの少年の顔が浮かんでいた。彼は、山の麓に住んでいると言っていた。
「そうですか。費用も考えていらっしゃるんですよね」
「子供が生意気なことを言うんじゃない!」父が太い眉をしかめて、息子を睨み付ける。
修嗣は肩をすくめた。
「生意気ですか」
「修嗣さん……、今日は、帰りが遅いから心配しましたよ」息子と夫に挟まれた格好で、母が言った。
「心配してしていただかなくても結構です」修嗣は、母の方を見向きもせずに即答した。
「修嗣」父は拳を振り上げる。
修嗣は黙って父を見据えていた。
「家の……」言いよどむ。「お荷物を処分できて良かったじゃないですか」
パンと、鋭い音が鳴り、席に沈黙が落ちる。まるで、安劇団のようだと修嗣は思った。辛気くさい顔を並べて、息子を非難する大人たち。無垢材の卓は木目が美しく、頭上の灯りを跳ね返す。母が用意した煎茶から湯気が立ちのぼっていた。
「いつから、入院なさるんです」
口を開いたのは神谷だった。彼は、膝を崩して片方の肘を付いている。
「手続が済んでからだ。怪我とは違う」父は座り直し、また腕を組む。
「できるだけ早い方がいいわ」叔母が大袈裟に言った。
「早くても年明けだろうな……」
「年明け? まあ、随分のんびり考えているのね。また逃げ出したらどうする気なの。私、もう探すのはいやよ」
「仕方ないだろう……、お前は何もしなくていい。世話をするのは眞由美だ」
広間の鴨居に、先祖の遺影が並んでおり、その中に祖父がいた。修嗣の母もいる。どちらも場の雰囲気に合わないやんわりした微笑みを浮かべていた。
「鍵をかければいい」
殴られた頬を抑えながら、修嗣は言った。
「和室でも、鍵くらい付けられるでしょう」
広間にいる全員がこちらを見る。
「それもいいかもしれないね。典子さんの自由を制限することになるけど、その方がみなさんも安心できるでしょう」神谷が同意した。
「閉じこめればいいんですよ。おかしなものは」
修嗣は、その場にいる全員の顔を見回した。
「言葉が悪いよ」
「兄さんと同じでしょう」
あの場所のことを考える。
緑に囲まれた灰色の建造物。
明日も行こう。明後日も。
修嗣は決意する。
「もういい」
父は何も言わずに室を出た。
母は、困惑した顔でその後を追った。
神谷は眉を僅かにあげて、ため息を漏らす。
沙也加はずっと泣いていた。
彼女の横にぽっかりと空いた席。
その向こうに、暗い庭が見える。




