生活その2 宿泊?
銀さんの後に続き、看板を通り過ぎてから、三時間程経過しただろうか、やっとのことで、目的地である広場に着いた。
「見ろ、綺麗じゃないか!」
銀さんは息を乱すことも無く、空を見上げていた。
その広場には、丁度夜空を覆うような木が無く、空が、まるでプラネタリウムのように見えた。
しかしそんな小さな幸せでは、俺の足に駆け巡る地獄の痙攣を癒してはくれなかった。
「ぎ……銀さんは……どうして……そんなに……疲れて……ないん……ですか?」
「某か? 某は大工だから、毎日体鍛えているからな。それに、前に言ったと思うが、某を一時期育ててくれたイタリア人のポールっていってな。それでな、そいつと生活していた頃は、月に二回はパトカーに追われることがあったし、スーツ姿の人間から逃げることもあった。そんな中、何十キロもの距離を全速力で走ることも少なくなかったからな~。当時は気にしてなかったけど、今思うと、あいつ相当危険なことやってたんだな~」
その時気付けよ! もし自分が元気だったらそうつっこみを入れていただろう。
しかしそんな気力はない。
「よし! テントだ!」
そう言って銀さんは、バックからテントの部品を取り出し始めた。
「ちょっと……手伝えなさそうです」
「大丈夫さ! 某は大工だぞ。こんなの朝飯前さ!」
俺は、ありがたい気持ちと、尊敬の気持ちでいっぱいだった。
彼をこれほどまでに頼りになると思ったことは、今までに一度も無かった。
一分後、俺の思いは彼を奇妙だという気持ちに変化していた。
銀さんが用意してくれたテントは、大人五人が伸び伸びと寝られる位の広さがあるドーム型の物であった。
最近売られているテントは、意外と高性能で、組み方さえわかっていれば、短時間で完成させることが可能だ。
しかし、短時間といっても、大型のテントだ。
たった一分間で出来るはずがない。
しかし彼はそれを成したのだ。
「どうした? 早く入りなさい」
一瞬のことで何が何だかわからなかった。
そんな唖然の俺に銀さんが言った。
俺はその瞬間を見ていたわけではないので、銀さんが組み立てしている姿を確認することが出来なかった。
一体どうやって組み立てたのだろうか?
「疲れているなら、中でちゃんと休んだほうがいいぞ。さぁ」
俺は、その謎を解き明かすことなく、銀さんに言われるがままテントに入った。
「静かだな~」
テントの中で寝転がった銀さんが呟いた。
「そうですね~。虫の音、風の音、木々の囁き……」
「ジー、ジーとか、サァーとか、いろいろだな」
「あと、リンリンとかカサカサとも聞こえますね」
銀さんに続き、俺も真似て言ってみた。
「おぁ~、乗って来たね~。ガサガサとかドスンドスンとか」
「あとパサパサとかヒューと……」
ん?
「ドスンドスンってなんですか?」
「え? 聞こえなかった? 某には聞こえたがな……」
俺は耳を澄ませた。確かに銀さんの言うような音が遠くから近づいて来る。
「あ! 確かに聞こえます……何て言うか……熊の……」
俺と銀さんは目を合わせて顔を青くした。近づいて来るその音はまさに熊の足音だった。
「ぎ、ぎ、ぎ、銀さん……。あれって……」
「熊だな」
「そんな冷静に言ってないで下さいよ! だ、だんだん近づいてくるし……」
「大丈夫! 某の前では、奴は無力だ!」
俺は、ハッと銀さんの言葉を思い出した。
『もし熊が出てきたとしても、某を恐れて、熊が逃げ出したことがあるし、大丈夫だ』
銀さんは看板を見てそう言った。そう。銀さんは強い。きっと銀さんなら何のとかしてくれるはずだ!
そう思った刹那、月光によってテント内部に巨大な熊の影が映し出された。
「危ない!」
銀さんの張り詰めた声が聞こえたと同時に、熊の影は、テントに向かって鋭い爪を振りかざした。
「ビリビリッ!!」
テントは引き裂かれ、骨の役目をしていたパイプが、複雑な形に折れ曲がり、俺と銀さんの目の前にそれが現れた。
狂気に満ちた目、月の光に照らされた、鋭い牙と爪。
そして闇に溶け込むほどの真っ黒な毛並み。それと比例した白い体毛。
何故かパンダが目の前にいた。
一瞬意味がわからなかったが、それよりも、自分の中の恐怖か肥大していった。
俺は怖くて怖くて、銀さんに助けを求めることにした。
「銀さん! 出番で……す……?」
俺は目を疑った。銀さんは地面でうつ伏せになって倒れていた。
「銀さ……」
「シー!」
銀さんの呟きが聞こえたと同時に、彼の思考が読めた。
死んだフリ。
数分間、パンダは俺達の近くをうろうろとしたが、俺のバックから食料を剥奪すると、何も言わず森の奥へ入っていった。
「ちょっと銀さん! 熊勝てるって言ってたじゃないですか!?」
俺はキレた。彼の言葉を信じていたのに、こんな形で裏切られたと思うと、反論せざるをえなかった。
「へぇ? 某がそんな事をいついったのだ?」
銀さんは惚けていた。
「誤魔化さないで下さい! 銀さんは熊が逃げ出したことがあるって……」
「うん、逃げたじゃん」
……。
「お、おい。何してるんだ。ちょっと待ちなさい」
「もう帰る!」
俺は銀さんの考えが理解できなくなっていた。正直もう銀さんと一緒にいたくなかった。
俺は荷物をまとめ、来た道を戻り始めた。
銀さんは何故俺が呆れているのかがわからないらしく、俺の後を付いて来ていた。
「待てよ! 危険だぞ!」
「銀さんといたほうが危険です!」
「落ち着いて某の話を聞いてくれ!」
「聞きません!」
もう銀さんの訳のわからない言動に構う事も嫌だった。
「あのなぁ! その先は……」
その時だった。今まで足の裏で感じていた地面の感触が、突然途絶えた。
「うわぁ!」
俺は暗い穴の奥へと落ちていった。
ドスンという鈍い音が聞こえたと同時に、尻の辺りに激痛が走った。
「お~い。大丈夫か!?」
エコーしながら、銀さんの声が頭上から聞こえてきた。
「し、尻を強打しました!」
「だから某の話を聞けと言っただろ?」
「穴に気付いていたんですか!? でも行きはこんな穴無かったじゃないですか!」
「森なんて似たような道がいくらでもある。君は行きとは逆の方向へ向かっていったのだよ」
上から銀さんの笑い声が聞こえた。ムカつく。
マジで今、上にいるそいつを殴りたい。だが、今は頼るしかない。
「とにかく、助けてください」
俺の忌々しいプライドも今は必要ない。必用なのは『強い物には撒かれる』という精神だ。
「ちゃんと某の言う通りに行動するか?」
本当はそんな事嫌だったが、今はこのまま一人でいるほうが遥かに危険だと感じた。
「……行動します」
屈辱だった。
しかししょうがない。
今俺を助けられるのは上にいる銀さんだけだ。
あんな奴利用出来るだけ利用したらすぐにポイだ。と、俺の中の悪魔が囁いていた。
「よし! 今からロープを垂らすぞ!」
少し経ってから、上からロープが降りてきた。
俺は芥川龍之介著『蜘蛛の糸』の主人公の気持ちが痛いほどわかった。
「銀さん! ロープの先を何かに括り付けてくれましたか?」
上から『大丈夫!』という声がした。
念のため少し強めに引っ張ってみた。どうやら大丈夫のようだ。
「じゃあ上がります!」
俺はそう言って、ロープに飛び掛るような形でぶら下がった。
が、ロープと一緒に俺は地面にまた尻餅を付いてしまった。
何が起こったのか理解する時間も無く、上からはどんどんロープが落ちてくる。
あれだ、映画『ホームアローン』でこんなシーン見たことがある……。
「うわぁぁぁあああっ!」
え!?
上から何故か銀さんが落ちてきた。
俺は慌てて身を交わした。
しかし銀さんは無事着陸した。
……ちぇっ。
「大丈夫ですか!?」
「おぅ! 何とか!」
何とかじゃねぇよ!
「何で銀さんが落ちてくるんですか! それにロープも!」
「いいか。人生は常に波乱万丈なんだ」
「何言っているんですか? ロープちゃんと固定してくれたんですよね? 木とか、頑丈な場所に!」
そうだよ! 森の中なんだからそこら中に木が生えてるじゃん。
「馬鹿にしないでもらいたい! ちゃんと括り付けたさ! ほら!」
そう言って、銀さんはある部分を指差した。
本当だ。俺には出来ないほどに、頑丈にロープが結ばれている。
確かにこれなら取れる事はない!
ただ問題はそこじゃない!
「何でロープを自分の足に巻きつけてるんですか!!」
「某の足は岩をも砕く!」
「そんな武勇伝いらねぇよ! どんなに攻撃力強くても、俺がぶら下っても大丈夫なくらい耐久力が無きゃ意味がねぇっつうの!」
「何を言う! この通り、君がぶら下っても折れては……」
「そこじゃねぇっつうの! 問題はそこじゃねぇっつうの! 銀さんが落ちてきたら意味がねえの!」
「はっ! なるほど!」
「なるほどじゃねえっつうの!」
はぁはぁはぁ。
しまった。
無駄なツッコミで体力を消耗してしまった。
これから先どうすればいいかわからない今、体力を温存しなくては。
「で、これからどうします?」
「どうするって?」
「こんな穴に落ちちゃって」
「はっ! ここは深い!」
ツッコミませんよ。断じて。
「こりゃやばいね」
「なんでそんなに冷静なんですか? 焦るところですよ」
「そうだな。あ、こっち行けそうだぞ」
銀さんはある一角を指差した。
月明かりで何とか自分のいる辺りは見えるのだが、銀さんの示す方向は、暗すぎて何も見えなかった。
「何も見えないんですけど……」
「あぁ、そっか。君には見えないか。待ってろ」
そう言って、銀さんはもそもそと動いた。
そして、銀さんの手元から、銀さんが指差した場所へ光が射した。どうやら懐中電灯のようだ。
「準備がいいですね」
「まぁな」
そう言って、銀さんは奥のほうを照らした。
横穴が広がり、何とか人が一人通れそうな穴が開いていた。
その穴の奥はここから見る限りもっと広い空間が広がっているように見えた。
「とりあえず進んでみよう」
銀さんと俺は、横穴へと入っていった。




