10.突飛な提案
「ジェーン様!」
従者の自分が、用事もないのに主人の名前を叫ぶなんてどうかしてる。それでも、ジェーン様の胸の内を知らずにはいられなかった。
「何だ」
「その……リヴィア様に、興味を持たれたのですか?」
「……っ、興味だ?」
「何故、今まで関わられなかったリヴィア様の元に、領地の資料など持って行かれるのですか?」
「それは……」
「ジェーン様からご依頼頂いた通り、ルナさんに"マナー大全"をお届けしました。今も、仕事から戻られたら一番に温室に行かれるのに……何故、リヴィア様を訪ねるのです」
驚いた様子のジェーン様が、どの言葉に反応したのか一瞬で表情を変えた。
「お前に何が分かる!」
張り上げた声が、廊下に響く。
「……失礼致しました。ですが——」
「何だ」
「中途半端な行動からは、何も生まれません」
「…………」
それ以上何も言わず歩いて行ったジェーン様が、自ら部屋の扉を勢いよく閉めた。従者である私でも、開ける事を許さないと分かる閉め方。渡されたままの資料に視線を落とし、小さな溜め息が出た。
リヴィア様の手を取り、棘を抜いた時の近さが自分にとって危険なものだと判断したから、これ以上深入りしないよう最新の注意を払っていたんだ。それなのに……ここ最近のジェーン様は、まるでリヴィア様を知ろうとするように近付かれる。
「もし……ジェーン様の心が、ルナさんからリヴィア様に変わったら……」
侯爵夫妻は、さぞお喜びになるだろう。早々に日程を決めて、式を挙げるかもしれない。そうなれば侯爵家は安泰だ。一時は絶望的だった血筋が保たれるのだから。
——本当にそれで、良いんだろうか……。
***
「アン、部屋に戻りましょう」
「……お嬢様」
階段下から聞こえた、ジェーン様とフェルナンドのやり取りを聞いて、部屋へと引き返した。
『何故、今まで関わられなかったリヴィア様の元に、領地の資料など持って行かれるんですか?』
きっとジェーン様は、私に領地の資料を見せてどんな反応をするか試したかったんだ。実家で手伝った拙い知識しかないけれど……それでも意見を求められれば、隅まで見ただろう。
別に、私に興味を持ったとかそんな話ではない。久々に正面に立って思ったのは、相変わらず"冷たい"。ただそれだけ。お仕事から帰って温室に行かれるのも知ってる。
まさか、恋人さんが貴族のマナーに関する分厚い本まで読んでるとは知らなかったけど。
「お茶を淹れました。大丈夫ですか?」
「えぇ。いつも心配ばかりかけて、ごめんね」
「お嬢様が謝ることではありません。婚約者様は、失礼にも程があります」
「こら、アン。そんな事言うもんじゃないわ」
「ですがっ……フェルナンド様が声を荒げるのも頷けます。折角穏やかな日々を過ごしていらっしゃるのに」
カップに口を付けても、味わうより先に身体の中へ流れてしまう紅茶が何とも勿体ない。
「もしもあの時、お嬢様がリック様と——」
「アン。それ以上はダメよ」
「……リヴィア様」
「ここは、パラヴェンス侯爵家で、ジェーン様は私の婚約者よ。過去であっても口にして良い話ではないわ」
「……申し訳ございません」
落ち込んだ背中に「アン、私……」と、少しばかり声色を上げて声を掛けた。
「私ね、実家に——」
——コンコンコン。控えめに響く扉の音に、同時に振り向く。外から「フェルナンドです」と聞こえ、アンが急いで開くと、真剣な表情をしたフェルナンドが頭を下げた。
「リヴィア様にお話があって参りました」
その表情からして、決して良い話ではないと悟り「どうぞ」と細い声で招いた。手には、先程ジェーン様が持っていたのと同じ資料が握られている。ソファに座るよう促したが、「従者である自分は結構です」とテーブルの側で膝を折った。
「リヴィア様……」
「……ん?」
「折り入ってお願いがございます」
「どうしたの? そんなに改まって」
「実は本日、とある貴族から仮面舞踏会のお誘いがございました。ジェーン様は、温室の恋人様と向かわれる予定でしたが、恋人様の体調が優れず欠席されます」
「それが……何か?」
「代理で出席をお願い出来ませんでしょうか?」
まさか、ジェーン様の代わりに……しかも、仮面舞踏会? 仮面舞踏会と言えば、最近は無礼講の許される情報交換の場として盛んだと知識はあるけれど。
「正直……参加した経験もないし、ましてやジェーン様の代理なんて……」
「実はここだけの話し、仮面舞踏会で催し物が行われるんです。そこに景品として用意されるのが、"ストラルコレクションの織物"でして」
パッと勢いよく顔を上げた。
「今……何と?」
「ストラルコレクションの織物です」
「……それは……確かなの?」
「はい。間違いございません」
頭の中に描いた天秤に、仮面舞踏会とストラルコレクションを乗せた……圧倒的勝利で後者が勝ってしまえば、断るわけにはいかない。それでも、経験のない場に一人はやはり心細い。
「……行きたいけど……」
「私が一緒なら問題ございませんか?」
「えっ……?」
「仮面を付けるので、従者が紛れているとは誰も思わないでしょう。それに、あくまでサポートですので、リヴィア様の邪魔は決してしません」
「別に邪魔とかじゃ……」
「私では、ダメですか?」
膝を折ったフェルナンドの方が、ソファに座った私よりも低い。きっとそのせいだ、上目遣いでおねだりする可愛い生き物に見えてしまう。
「……一人じゃ心細いだけ。側にいてくれるなら助かるわ」
「お任せ下さい。早速ですが、ドレスを用意しております。あまり時間もありませんので、支度をお願いします」
「わ、分かったわ」
手際良く別室から運ばれてきた化粧箱には、頼んでもいない煌びやかなドレス、それに揃いの靴まで入っている。自分は代理で……本来なら着るはずのないドレスに、思わず目をぱちくりした。
「お嬢様、急ぎましょう!」
少し特別なヘアスタイルに、高めのヒール。何の覚悟もないまま、アンの手によって魔法が掛けられていく——




