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ナーロッパが西洋ファンタジーらしくない理由~韓国漫画だよね、その設定~  作者: Ash


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暗殺ギルドの規模

暗殺ギルド。情報ギルド以上に謎の存在です。

そんなものを権力者が野放しにしている理由も、暗殺ギルドメンバーが生活できるだけの収入が確保できるのかも、非常に妖しいです。

ここでAIさんに現代日本で暗殺ギルドがあったとしたら、を聞いてみました。


現実の日本の犯罪統計(警察庁発表の令和7年/2025年のデータなど)によると、殺人事件による年間の死亡者数(既遂)は毎年200人〜300人前後で推移しています。これは去年の全死亡者(約159万人)の約0.015%〜0.02%にすぎず、世界的に見ても極めて低い割合です。

もし「暗殺ギルド」が存在し、警察が「病死」や「不慮の事故」、「自殺」として処理せざるを得ないような、完璧な偽装殺人を行っていると仮定して、いくつかのケース(パーセンテージ)で計算してみましょう。


暗殺ギルドによる偽装殺人の仮定計算(全死亡者1,589,489人中)

* ケース1:全死亡者の「0.1%」が実は暗殺だった場合

* 約1,589人(1日に約4人〜5人が暗殺されている計算)

* 現実の殺人事件数の約5倍〜6倍にあたります。


* ケース2:全死亡者の「0.5%」が実は暗殺だった場合

* 約7,947人

* 日本の年間自殺者数(約2万人)の約4割に匹敵する規模になり、不自然な死として社会問題になるレベルです。


* ケース3:不慮の事故や死因不明(年間数万人)の「1割」が実は暗殺だった場合

* 約3,000人〜4,000人

* 警察の解剖をすり抜ける高度な毒薬やトリックが使われているという、ミステリー小説さながらの仮定です。

↑探偵小説の世界ですね。


現実の日本では、死因が少しでも疑わしい場合は警察による検視や司法解剖が行われるため、仮に暗殺ギルドがあったとしても、これ以上の規模の暗殺を隠蔽し続けるのは極めて困難と言えます。


各ケースにおける「専業暗殺者」の推定人数

ケース1:全死亡者の0.1%(年間 1,589件)が暗殺の場合

* 年間の暗殺件数:1,589件

* 推定される暗殺者数:約397人

* 組織の規模感:各都道府県に数人ずつ、東京などの大都市には数十人のプロが潜伏している計算です。これだけの人数が毎年4件ずつ完璧な偽装殺人を実行しているとなると、ギルドは日本全国に強固な情報網と、医師や警察への内通者(死因を病死と診断させるため)を抱える一大裏組織である必要があります。


ケース2:全死亡者の0.5%(年間 7,947件)が暗殺の場合

* 年間の暗殺件数:7,947件

* 推定される暗殺者数:約1,986人

* 組織の規模感:日本全国に約2,000人もの専業暗殺者がいることになります。これは現実の日本の公安警察の捜査官数(数千人規模)に迫る大勢力です。毎日日本中で20件以上の暗殺が実行されている計算になり、これほどの規模になると、暗殺者同士の縄張り争いや、ギルドの存在の完全秘匿はもはや不可能に近いレベルと言えます。


ケース3:不慮の事故・死因不明の1割(年間 約3,500件)が暗殺の場合

* 年間の暗殺件数:約3,500件

* 推定される暗殺者数:約875人

* 組織の規模感:約900人の暗殺者が、主に「心不全」を引き起こす特殊な毒薬や、「階段からの転落」に見せかける高度な工作技術を持っている計算になります。このケースでは、暗殺者そのものよりも、警察の法医学者(解剖医)を騙せるだけの技術を持つ「偽装の専門家」や「闇の科学者」がギルド内に相当数所属していると推測されます。


次は暗殺ギルドの犯行が一般人にバレにくい人口数です。

パターン1:人口5万〜10万人(地方の小都市)

監視カメラがない状況において、最も「警察の目を盗みやすい」規模です。

* 警察のリソースが圧倒的に少ないこの規模の街の警察署(所轄)は、重大事件を日常的に扱う体制になっていません。特に法医学の専門家(解剖医)が常駐していないことが多く、少しでも「病死」や「ただの事故(転倒など)」に見える死体であれば、事件性を疑わずにそのまま検視を終えてしまう可能性が高くなります。

* 程よい匿名性人口が5万人を超えると、住民全員が顔見知りということはなくなります。駅や繁華街、アパートの出入りで「見慣れない顔」があっても、カメラの記録が残らない以上、人々の記憶(目撃証言)だけで犯人を割り出すのは極めて困難です。


パターン2:人口50万人以上(カメラなき大都会)

もし大都会にカメラが一切なければ、そこは暗殺ギルドにとって「完全な聖域」になります。

* 圧倒的な群衆と流動性毎日何万、何十万人という人間が移動するため、犯行現場の近くにいた人間を「目撃証言」だけで特定することは不可能です。

* 「行き倒れ」や「孤独死」のノイズ大都市では、身元の確認に時間がかかる遺体、福祉の網から漏れた人の孤独死、路上での突発的な体調不良(心不全など)が日常的に発生します。カメラがなければ、ターゲットをそうした「都会の闇に紛れる死」に偽装するだけで、警察は事件として認知することすらできなくなります。



これまでは支配者層に暗殺ギルドがバレない場合を書いて来ましたが、ここからはバレてしまった場合の話です。

毒殺で有名だったボルジア家を暗殺ギルドに見立てて聞いてみます。


支配者層が暗殺ギルドを認知しても潰されない「絶対条件」

どの文明でも共通するのは、暗殺者ギルドが「支配者階級全体の共通の利益(または共通の恐怖)」になっている点です。ギルドは特定の誰かの一味になるのではなく、常に「中立の道具」であり続けることで、支配者層から必要悪として認められます。

* 結論から言うと、毒殺で有名なボルジア家が活躍したルネッサンス期のイタリアは、決して「毒殺しても大丈夫(許される)」な時代ではありませんでした。毒殺は当時も大罪であり、バレれば一族もろとも破滅するリスクを伴いました。

それにもかかわらず、ボルジア家をはじめとするルネサンス期のイタリアで毒殺(暗殺)が横行したのには、当時の特異な政治背景と、警察・科学捜査の限界という2つの理由がありました。


1. なぜ毒殺が横行したのか?

① 警察や科学捜査が存在しなかった(バレにくかった)

当時は「遺体を解剖して毒を検出する」という科学捜査の技術がありませんでした。

ヒ素などの毒を盛られても、症状が「急性胃腸炎」や「コレラ」「マラリア」などの感染症と区別がつかなかったため、綿密に計画された毒殺は、多くの場合「ただの病死」として片付けられてしまったのです。


② 「戦国時代」特有のリアル・ポリティクス

当時のイタリアは、統一国家ではなく小さな都市国家が乱立し、フランスやスペインなどの大国も巻き込んで、いつ誰が裏切るか分からない戦国状態でした。

正面から戦争をすると莫大な資金と兵士を失うため、「ライバルのトップを毒で暗殺する」ことは、最も低コストで効率的な政治手段(必要悪)と考えられていました。


2. 「大丈夫」ではなかった証拠:ボルジア家のその後

ボルジア家も「大丈夫」だから毒殺していたわけではありません。彼らがこれを行ったのは、父親が「ローマ教皇」という絶対的な権力(法や裁判を無視できる特権)を持っていたからです。

しかし、その教皇が亡くなり後ろ盾を失った途端、彼らの悪行は激しく糾弾されました。

* 息子のチェーザレ・ボルジアは全財産と領地を没収されて逮捕されました。

* 一族はローマを追われ、歴史的な「大悪党」として名前を刻まれることになりました。

つまり、「権力がある間は隠蔽できたが、権力を失えばすべてを失う」という非常に危険な橋を渡っていたのです。


3. 他の国や時代での「毒殺への厳しい罰」

イタリア以外のヨーロッパ諸国では、毒殺は「騎士道精神に反する最も卑劣な犯罪」として、通常の殺人よりもはるかに重い刑罰が科されていました。

* イギリス(16世紀・ヘンリー8世の時代):毒殺犯は「生きたまま大釜で煮沸される刑(釜茹での刑)」という最も残酷な方法で処刑されました。

* フランス:王族を狙った毒殺未遂などは、馬4頭に手足を縛り付けて引き裂く「車裂きの刑」などが適用されました。


結論

ルネサンス期のイタリアは、「法や倫理が通用しないほど政治が混乱していた」かつ「医学が未熟だった」ために一時的に毒殺が成功しやすい環境だったにすぎず、決して社会的に許されていたわけではありませんでした。

↑上記のようなルネサンス期のイタリアではどれくらい暗殺が起きていたか、具体的な数字を見てみましょう。


Q:毒殺が横行していたルネサンス期のイタリアで何人くらい殺されていたの?

ルネサンス期のイタリアにおいて、プロの暗殺者や暗殺の実行犯によって「何人殺されたか」という正確な数字は、当時の行政記録には残っていません。

しかし、歴史学者による近代の統計分析(ケンブリッジ大学のマニュエル・アイスナー教授らの研究など)から、当時の「殺人全体の数」は分かっており、そこから暗殺者(雇われの刺客など)が関与した規模をある程度推測することができます。

現代とは桁違いだった当時の治安と、暗殺が占めていた割合のリアルを解説します。


1. ルネサンス期イタリアの「異次元の殺人率」

まず前提として、この時代は暗殺ギルドが動くまでもなく、一般の殺人事件が現代の100倍以上発生する超暴力社会でした。

* 現代のイタリア:人口10万人あたりの年間殺人件数は約0.5件。

* ルネサンス期のイタリア(14〜16世紀):都市によりますが、人口10万人あたり年間30件〜70件もの殺人が発生していました。

* 人口10万人ほどの都市であれば、毎年30人〜70人が誰かに殺されていた計算になります。

ただし、この膨大な殺人の9割以上は、暗殺ではなく「酒場でのケンカ」「名誉をかけた決闘」「家族・一族間の復讐(フェーデ・私闘)」といった、突発的または感情的な身内の殺し合いでした。


2. そのうち「暗殺者(雇われの刺客)」による被害はどれくらい?

当時のボローニャなどの裁判記録(刑事裁判書)を研究した歴史本『Murder in Renaissance Italy』などの分析によると、誰かにお金を払ってライバルを殺させる「雇われの刺客(アサシン)」による殺人は、全体の数パーセント程度だったとされています。

仮に、当時のイタリアの主要都市(人口10万人規模)でシミュレーションをしてみると、以下のような規模感になります。

* 都市全体の死亡者:年間約2,000人〜3,000人

* 殺人事件による死者:年間約50人(現代の感覚だと大惨事ですが、当時は日常)

* そのうち「暗殺者」による死者:年間およそ1人〜3人程度

これをイタリア全土(当時の中北部の総人口数百万人規模)に広げて強引に累算しても、暗殺者によって命を落としたのは年間で数十人から、多くても100人〜200人程度だったと推測されます。


3. 「プロの暗殺」の成功率は意外と低かった

物語の中では「一撃必殺」の暗殺者ですが、現実のルネサンス期の記録を見ると、彼らの仕事はかなり失敗続きでした。

* 下手な実行犯たち:当時は現代のような銃器がないため、接近して短剣(ダガー)で刺すか、前述のヒ素を盛るしかありませんでした。しかし、「標的に逃げられた」「傷を負わせただけで生き延びられた」「暗殺者が実行前に計画を周囲に喋ってバレた」というマヌケな失敗記録が裁判所に大量に残っています。

↑プロの暗殺者とは一体・・・。


* ターゲット側の重武装:ボルジア家のような支配者層や富裕層は、暗殺を極度に恐れて常に武装した護衛(ボディーガード)を連れ歩き、服の下に鎖帷子(くさりかたびら)を仕込んでいました。そのため、プロを雇っても暗殺を成功させるのは至難の業だったのです。


結論として

当時のイタリアでは、毒殺や暗殺の「噂」は毎日新聞のゴシップのように街中に飛び交っていましたが、実際に暗殺者の手で死んだ人は、全死亡者から見ればごくわずかな一握り(特権階級の政治劇の犠牲者たち)でした。大半の人間は、暗殺ではなく、劣悪な衛生環境による疫病(マラリアやペスト)や、日常の突発的な暴力によって命を落としていたのが歴史のリアルです。



歴史上、ルネサンス期のイタリアと同等、あるいはそれ以上に「政治的暗殺」が社会のスタンダードな手段として横行した時代はいくつか存在します。

特に暗殺の発生頻度が高く、国家の運命を左右した3つの狂気の時代を紹介します。


1. ローマ帝国・「軍人皇帝時代」(3世紀・古代ローマ)

ルネサンス期のイタリアが「戦国時代」なら、この時代は「国家トップの暗殺がシステム化した時代」です。

* 暗殺の規模:西暦235年から284年までのわずか約50年間に、約70人もの皇帝(僭称者含む)が誕生しましたが、その9割以上が暗殺・処刑で命を落としました。天寿をまっとうできた皇帝は片手で数えるほどしかいません。

* なぜ横行したのか:軍隊(近衛兵や地方の軍団)が強力な権力を持っていたため、「今の皇帝を暗殺して、自分たちに都合の良い将軍を次の皇帝に就ける」というクーデターが日常茶飯事でした。皇帝を守るはずの親衛隊(プレトリアニ)が、最も高額のボーナスを提示した者に皇帝の首を売る「皇帝のオークション」まで行われる始末でした。


2. 幕末の日本(19世紀半ば・江戸時代末期)

日本の歴史上で最も「暗殺(天誅)」の密度が高く、それが政治を動かした時代です。

* 暗殺の規模:1860年の「桜田門外の変」で大老・井伊直弼が暗殺されたのを皮切りに、坂本龍馬、近藤勇など、時代の中心人物たちが次々と暗殺されました。京都の街では、毎晩のように「天誅」と称するテロ行為が横行し、生首が通りに晒されるのが日常風景となっていました。

↑AIさん。近藤勇は転戦している間に自首したか捕まって殺されたわけで、暗殺じゃあないんですけど・・・。


* なぜ横行したのか:思想(尊王攘夷 vs 佐幕)の対立が激しく、法による統治(幕府の権威)が完全に失墜したためです。新選組や人斬り四人衆(河上彦斎など)といった「思想を持った暗殺者」が、国家の未来を変えるために刀を振るいました。


3. 20世紀初頭のヨーロッパ(第一次世界大戦前夜)

近代において、暗殺が「世界大戦」という最悪の結末を引き起こした時代です。

* 暗殺の規模:1900年〜1914年のわずか14年間の間に、世界中で国の中枢にいるリーダーたちが数十人も暗殺されました。

* アメリカ大統領 (マッキンリー)

* イタリア国王 (ウンベルト1世)

* ロシア首相 (ストルイピン)

* 日本の初代首相 (伊藤博文)

* そして大戦の引き金となったオーストリア皇太子 (フランツ・フェルディナント)

* なぜ横行したのか:アナーキスト(無政府主義者)や、民族独立を狙う秘密結社(セルビアの「黒手組」など)が台頭したためです。彼らは近代的な「爆弾」や「小型拳銃」という強力な武器を手に入れたことで、厳重な警備を突破して一国のトップを確実に仕留められるようになりました。


ルネサンス期との違い

ルネサンス期のイタリアの暗殺は「個人の富や縄張りを奪うための実利的な暗殺」が主流でしたが、後世の時代(幕末や20世紀初頭)になると、「政治思想や民族の独立をかけたイデオロギーの暗殺」へと変化し、より大規模で過激なものになっていきました。



次に韓国漫画でよく使われている名前がドイツ名なので(ナーロッパも)、ドイツを見てみましょう。


イタリアのように毎日誰かが毒殺されるような状態にならなかったのには、ドイツ特有のルールがありました。

1. 選帝侯時代:「ルール(法)」が強かったドイツ(神聖ローマ帝国)は、「金印勅書(1356年)」という帝国憲法のような法律で、選帝侯たちの特権や長子相続のルールをガチガチに固めていました。暗殺でライバルを消しても、「法律で次の跡継ぎが自動的に決まる」ため、暗殺する政治的メリットが少なかったのです。

2. ドイツ帝国時代:「警察国家」だったプロイセンを中心とした軍事・警察組織が非常に優秀で、国内の反乱分子や秘密結社を完全に監視下に置いていたため、暗殺者が行動を起こす前に逮捕されるケースがほとんどでした。

国家がシステムとして安定している時期は暗殺が減り、逆にシステムが壊れた時(大戦後のワイマール期など)に暗殺が爆発するというのがドイツの歴史の傾向です。


そして、韓国漫画の母国。

近世以前(主に高麗時代や李氏朝鮮時代)の韓国(朝鮮半島)において、政治的な暗殺や毒殺は、ルネサンス期のイタリアや日本の幕末と比べても決して少なくありませんでした。むしろ、激しい権力闘争の中で「定番の手段」として頻発していました。

ただ、ヨーロッパなどの「暗殺」とは少し異なる「朝鮮半島特有の権力闘争のスタイル」があったため、表向きの印象が違って見えるだけです。

当時の実態と、なぜ「少なかった」ように錯覚しやすいのかを解説します。


1. なぜ「少なかった」ように思えるのか?(処刑と粛清の文化)

朝鮮半島の歴史、特に李氏朝鮮時代(1392〜1910年)は、朱子学(儒教)を極めて厳格に重んじる国でした。そのため、ライバルを消す際は、闇に紛れてアサシンを放つよりも、「相手に『謀反の罪』をなすりつけ、王の命令(法)によって合法的に一族もろとも処刑する」という方法が好まれました。

これを「粛清(士禍:しか)」と呼びます。

* 罪を着せられたライバルは、王から「死薬(サヤク:附子などの猛毒)」を賜って飲むか、「凌遅刑(りょうちけい:生きたまま体をバラバラにする刑)」に処されました。

* さらに「連座制(三族を滅ぼす)」というルールがあったため、一人の政敵を陥れるだけで、その親兄弟から孫にいたるまで、合法的に何百人ものライバル候補を一一掃することができました。

つまり、「わざわざ暗殺者を雇わなくても、政治的な罠を仕掛ければ国が代わりに(しかも一族ごと)合法的に抹殺してくれた」ため、ゲリラ的な暗殺の記録よりも、大がかりな「国家による粛清」の記録のほうが目立つのです。


2. 実際には「毒殺」や「暗殺」の噂だらけだった

合法的な粛清ができない、または現職の「国王」そのものが邪魔になった場合は、やはり徹底的な毒殺や暗殺が行われました。朝鮮王朝の歴代27人の王のうち、3分の1近く(約8人)に毒殺の疑いがかけられています。

* 第12代・仁宗(インジョン)の餅毒殺説:継母である文定王后から贈られた「餅」を食べた直後に急死したとされています。

* 第20代・景宗(キョンジョン)の蟹と柿毒殺説:ライバル(後の英祖)の陣営から差し出された、食べ合わせの悪い「蟹と柿」を食べた後に謎の急死を遂げました。

* 世子(皇太子)たちの不審死:清から帰国してすぐに七孔(目や耳など)から血を流して死んだ昭顕世子(ソヒョンセジャ)など、最高権力者のすぐ近くで「絶対に表に出せない暗殺(毒殺)」が何度も囁かれました。

また、19世紀末の近代直前(近世末期)になると、国を牛耳っていた親露派の王妃「閔妃(ミンピ)」が王宮内で暗殺される(乙未事変)など、凄惨な直接暗殺が白昼堂々行われるようになります。

↑ ローマ帝国・「軍人皇帝時代」(3世紀・古代ローマ)は皇帝約70人の9割が殺されていますが、国王27人中3分の1近く殺されているのもすごい確率です。

鎌倉幕府も最初の将軍3人のうち、暗殺で2人くらい死んでいましたね。他国のこと、言えない。


3. 高麗時代以前:武力による剥き出しの暗殺

李氏朝鮮より前の高麗時代(918〜1392年)になると、儒教の縛りがまだ緩かったため、イタリア顔負けの「武力による暗殺やクーデター」が日常茶飯事でした。

* 武臣政権時代(12〜13世紀):日本の鎌倉時代のように武士が権力を握った時代ですが、日本の幕府よりもはるかに流血が多く、「前の権力者をアサシン(私兵)が襲撃して首をはね、自分が次のトップに座る」という暗殺劇が数年おきに繰り返されていました。

↑あれ? 鎌倉幕府並みに暗殺が横行?


近世以前の韓国(朝鮮半島)の権力闘争は、ルネサンス期のイタリアと同じか、一族が根絶やしにされる分、それ以上に過酷なものでした。暗殺者が闇で動くこと以上に、「言葉の刃で相手を死罪に追い込む」政治的暗殺が極めて発達した文明だったと言えます。

↑この時代の韓国には政治的暗殺があったので、暗殺ギルドは不要ってことですね。


結論

暗殺者ギルドが存在するには権力者の保護がないと難しい。

そもそも暗殺が横行するのは国家が治安を守れない状態。

暗殺者の仕事量も10万人の人口に対して年に1~3人なので暗殺のレベルも口の堅さもない。暗殺レベルを高めて育てた手駒のほうがリスクが少ない。

相続人が自動的に決まる法律がある場合はお家騒動も無くなくて出番なし。

政治的暗殺できるなら、やっぱいらない。

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― 新着の感想 ―
面白いけど、本話・前話より町の大きさと距離の講義が先の方が理解しやすいと思う。 馬車の速度から日帰り通勤範囲、馬車駅までの距離と隣町まで馬車駅何個分か、各爵位毎の妥当な範囲とか基準無いと情報や暗殺実行…
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