第1話 妃が石にされた日
古城の外は、まだ辺りが暗い時間だった。
「父上、もう少し明るくなってから入城する方がよくありませんか?」
暗闇に恐れをなした者が怖そうに前を行く竜王に言う。
「この時間が一番封印魔法が掛けやすいのだ。リオク、そなたは現王太子であろう?
何を恐れているのだ」
父王は呆れたため息を吐いて不祥の息子に言った。
「ですが、松明ももうすぐ切れますし……
なんだか雰囲気が恐ろしいのです」
リオクと呼ばれた者が返す。
王太子という事は、ここにいるのは竜王とその息子ということになる。
竜人族の国では、数年に一度、古代魔竜の封印の確認をする為に竜王とその子供、更に封印師が古城に入る事になっている。
古代魔竜とは、かつて人類の祖先だった古代エルフと数千年前に大戦争をした竜の事だ。
当時どちらが地上を支配するかを巡り、激しい戦争が行われた。
最後にエルフ側が、最強の魔竜が術を放とうとした瞬間に封印に成功した。
魔竜の身体に、時を止める巨大な楔を何本も打ち込んだのだ。
しかし不死の肉体を持つその竜は結局殺害することは叶わなかった。
仕方なくエルフ達はそのまま古城に幽閉する事を決めたのだ。
長を失った竜達は敗北し、古代エルフ側には穏便な暮らしが戻って来た。
その後、残った竜達の中で、やや人族に近く、人間的な考え方を持つ個体とエルフが数組恋に落ちた。
そうして誕生したのが今の竜人族の祖先と言われている。
「しかし父上、いくら我らが竜人族とはいえ、その様な邪竜を我が国だけで封印し続けるのは些か無理がありませんか?」
リオクが問う。
竜人族達は様々な種類の竜を扱う事には長けているが、魔力が他国程強い訳ではない。
中でも最強の魔導師達が揃う魔族の国、『ナザガラン王国』には頭が上がらず、竜人族の国『ドナウザーン』は公国となっている。
「いや、竜を祖先とする我らは魔竜の封印には相性がいい。
それにこの役目を担っているからこそ、我らはナザガランからも同盟国として認められているのだ。
お前の粗相にも寛大だったであろう?」
父はかつての息子の失態を蒸し返す。
リオクは以前、ナザガランの国王の婚約者を知らずに奪おうとした事があったのだった。
「……その話を持ち出されては困ります……
ところで、その魔竜とやらはもしも封印が解けたらどうなるのですか?」
「そのような事はあってはならぬのだがな。
しかし、何分古い言い伝えしか残っておらぬ上に、実際に厄災が降った訳ではないから、実の所何が起こるのかは誰も知らないのだ」
「そうなのですか」
「とにかく、我らが封印をし続ける事が、先祖代々の数千年に渡る責務なのだよ」
竜王は息子を諭す。
その時、前を行く二人の封印師が声を掛けてきた。
「陛下、おかしいです。
前回にはなかった封印の緩みがあります」
「何?」
彼らは廊下に並ぶ封印紋章が彫られた小さな石塔を指差した。
「我らの風特性の封印紋章も緩んでおりますが、なんでしょう、この、草花模様の石塔に亀裂が入っているのです」
「草花模様? ただの飾りではないのか」
「いえ、これも恐らくは封印の為の代物かと」
見ると確かにそれぞれの石塔に亀裂が入っている。
先日の自然地震でずれたのだろうか……
「直せるか?」
「私どもの風特性魔法の部分は直せますが、この草花紋様に関しては少々調べねばなりません。
お時間が掛かりますゆえ、劣化の進行を止める術を掛けておきます」
「頼む。今それが壊れては取り返しが付かん」
「かしこまりました」
二人の封印師は自分達の魔法陣を発現させ、詠唱に入った。
綻びが出ていた石塔の封印紋章が淡く緑に輝き出す。
しかし、詠唱が進むにつれ、亀裂がペキリと更に深く入ってしまった。
「亀裂が! 何をしておる!」
あっと思った瞬間には、それはガーン! という激しい音と共に石塔ごと砕け散ってしまった。
「うわっ!」
「なんと!」
封印師が飛んで来た欠片を避けるように顔を覆う。
「まさか! しくじったのか?!」
恐ろしげに見ていたリオクが悲鳴に似た声を上げた。
同時に、古代魔竜が幽閉されているという古城のホールの中から、バキバキという音が聞こえて来た。
「封印が! 古代魔竜が復活するぞ!」
竜王が叫ぶ。
けれども時は既に遅く、前方の封印の間の扉が弾け飛び、その場にいた誰もがビョオウ! と猛烈に吹き付ける風に身を晒してしまう。
風は衝撃波となり、古城を抜け、外へと広がって行った。
それは巨大なうねりを作り、勢いを落とす事なく星全体を覆おうとしていく。
古代魔竜が幾多の楔を弾け飛ばし、外へと出てしまったのだ。
竜人族の長達が何かをする術も無いまま、厄災の竜は放たれてしまった。
[食らったか! 我が最終奥義!!]
古代魔竜は得意げにそう叫びながら飛び出した。
その身は幽閉されていたホールの柱を翼で薙ぎ倒す程の巨大さだ。
古城の尖塔に飛び上がり、ゴオオ!! と雄叫びを上げる。
[どうだ! エルフ共!!]
彼は勝ち誇ったようにもう一度叫んだが、シンとした空気に我に帰った。
[……]
下を見てみる。
――今まで確か、エルフの子孫達がそこを彷徨いていたような……
そう思ってバサバサと翼を動かし地面に降りてみた。
しかし自分が出て来る時に壊した柱や扉の近くにいた筈の人間の姿はそこにはいない。
けれども身代わりの様に、人の掌に収まる程の石がいくつか落ちているのが確認出来た。
魔竜は用心深く近付くと、大きな指を使ってその石を突いてみた。
石は抵抗なくコロンと転がり、辺りはまた静寂に包まれてしまう。
周りを見渡しても、人間の姿は一人も見えず、飛竜や鳥が空を飛び交っているだけだった。
古城から少し離れた場所には、竜人達が乗って来たのであろう飛竜達が、鞍を付けられたまま呆気に取られてこちらを見ている。
[フ……フフフフ……]
古代魔竜はほくそ笑んだ。
[これだ。これでこそ我が国! 我が星!]
彼は高らかに叫ぶと、バサリと一気に空へと飛び上がった。
[喜べ、竜共。エルフの子らは石になって全滅した。我が奥義から逃れる術はない!
これでこの星は竜の星になったのだ!
我の魔術に祝福を!]
そうして、北を目指して翼を羽ばたかせると、一息にその方角へと飛んで行く。
——誰もいなくなった古城に、山の間から朝の恒星の光が差し込み出した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
暖かな日差しが照り込む中、魔族の国ナザガランの国王は目を覚ました。
窓の外では小鳥が心地良い声で囀りながら餌を啄んでいる。
彼はそっと身体を起こした。
側ですやすやと寝息を立てている妃を起こさない為だ。
まだあどけなさの残る彼女は、シルクのスリープドレスに包まれ、デュベットを抱えて幸せそうに眠っている。
昨晩は自室に泊まりに来た妃と遅くまで、チェスに興じていた。
サイドテーブルには、クリスタルで出来たチェスセットが片付けられずに置いてある。
チェックメイトで横倒しにされたキングの傍らには、勝利したクィーンが誇らしげに立っていた。
王はそっと彼女の顔に掛かる髪を指先で整え、頬を撫でた。
それでもまだ、夢の中から戻って来る様子はない。
「……アリアが一緒にいるなんて……幸せだな」
彼はほのかに頬を染め、幸せを噛み締めるように呟いた。
二人は妃が成人を迎えた先月に、式を挙げたばかりである。
王はそのまま静かにベッドから降りると、洗面所に向かい、顔を洗って髪を整えた。
前室で待機していた執事が、今日の執務服を手に一礼する。
彼は執事におはようと言うと、指先をパチンと鳴らした。
途端に身に纏っていたスリープウェアが、魔術装によりその執務服に変わる。
執事の手には今まで着ていた服が畳まれて収まっていた。
「アリアの侍女を呼んでくれ。一緒に食事がしたい。
朝食は王族小食堂に運ぶように」
「かしこまりました」
王は自室を出て小食堂に向かう。
ちょうど同じ場所に向かっていた側近でもある従兄弟が並んだ。
「おはようございます、陛下」
「おはよう、リューク」
挨拶と共に堪らず手を口に当て小さく欠伸をする。
リュークはクスリと笑って小声で言った。
「寝不足か、ヴェイル。昨晩はアリアと?」
「うん。ちょっとチェスに夢中になってしまって……」
「チェス?」
彼が思わず足を止めた。
「……新婚1ヶ月だよな?」
「そうだけど?」
「熟年夫婦か」
「いいじゃないか。最後は眠くなって負けた」
若き国王ヴェイル=ヴォルクリアは事もなげに返す。
しかしリュークはコホンと最もらしく咳払いをして続けた。
「陛下。皆、お世継ぎを期待しているのですよ?」
「ああ、そうか」
「『ああ、そうか』って……」
従兄弟の困惑気味の言葉に、今度はヴェイルが腕を組んで反論した。
「そんなに子を急ぐのなら、お前こそミレーヌ義姉上とさっさと結婚したらどうなんだ。
お前だって今、王位継承権第1位だろ?」
リュークは現在、自分の妃のアリアの姉、ミレーヌと恋愛中なのだ。
「その件は……追追と……」
今度は彼の方が詰まってしまう。
そこへ、侍女を連れた少女がやって来た。歳のころは5歳ほどである。
「ヴェイル兄様! おはよう!」
ヴェイルを見つけ、勢い良く抱き付いて来る。
「ユティナディア。おはよう」
彼も和かに少女を抱き止めた。
彼女はヴェイルの父母の養女、精霊竜のユティナディアである。
彼にとっては妹となる。
今は人型をしているが、虹色の小さな飛竜が本来の姿だ。
「兄様も今からご飯?」
「ああ、そうだよ。ユティは早起きだな」
二人はそんな会話をした。
――瞬間、『何か』が起こった。
「あっ」
「うわっ」
「きゃっ?」
その場にいた全員には、強烈な風が吹いたかのようにしか思えなかった。
ここは王宮内である。
しかし、まるで広い平原に立っているかのように風は吹き付けてきた。
皆は思わず目を瞑る。
嵐のような猛烈な風が皆の間を吹き抜けた時、そこにはいくつものコトリ、カランという乾いた音しかしなかった。
庇うように妹を抱きしめていたヴェイルはやがて目を開けた。
しかし、そこに自分以外の人間は見当たらない。
代わりのように、人の掌に乗るぐらいの大きな結晶の石が、廊下にもどこにも落ちている。
「リューク? グラバラド?」
ヴェイルが従兄弟と付いて来ていた執事の名を呼ぶ。
しかし返事はない。
不思議に思っていると、少し離れた場所から弱々しい声が聞こえてきた。
「あ……ああ……」
見ると、呆然と立ち尽くしている少年がいる。
「ルロイ……」
彼はユティナディアと同じ精霊竜であり、リュークの弟として、王族に養子に入っている子だ。
同じく朝食を摂りに来たのだろう。
その5歳ほどの少年はヴェイルの顔を見上げて言った。
「ヴェイル兄上……僕、見たの。
人が……人が石になって行っちゃった」
彼は駆けて来て足元にあったルビーを拾った。
「これが、リューク兄様なの! 他にもそこの石英は兄上の執事だった人!
ユティナの侍女も、誰も彼も……
今一瞬でみんな石になっちゃった」
その大きな翡翠色の瞳からポロポロと涙が溢れる。
「なんだって?!」
ヴェイルは驚愕した。
しかしハッと気が付き、ユティナディアをそっと降ろすと、すぐさま自室の寝室に駆け込んだ。
「アリア……」
愛しい妃の名を呼ぶ。
けれども返事はない。
ベッドの上にいる筈の彼女の姿は消えてしまっていた。
代わりに、恒星が落とした光を閉じ込めたような美しさの大粒のトパーズが一つ、静かに収まっているばかりだった……




