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達安から刺客の噂を告げられた次郎兵衛が選んだのは、身を隠すことでも、逃げることでもありませんでした。自ら刃の間合いへ踏み込むという、これまでで最も大胆な一手です。ここで彼が携えるのは、剣でも策略でもなく、一枚の絵図——水路整備で培った土木の知識です。「刃を避けるのではなく、刃の理由そのものを断つ」という、次郎兵衛らしい戦い方が、ここで初めて完成した形を見せます。史実で流された血を、この世界では流させない。第三章全体の答え合わせとなる場面を、どうぞご覧ください。

「戸川殿。ご忠告、痛み入ります。ですが――それがしには、一つ、考えがございます」


 次郎兵衛は、その夜のうちに動いた。刀を取り、隠れるのではなく、自ら岡越前守の屋敷へと向かったのだ。達安が、無言のまま、その傍らに付き従った。


「夜分に、ご無礼を承知でまかり越しました。岡殿に、直にお話ししたきことがございます」


 突然の訪問に、越前守は警戒も露わに、次郎兵衛を迎えた。郎党たちの、剣呑な視線が四方から突き刺さる。


「次郎兵衛殿……これはまた、大胆な真似をなさる」


「岡殿。単刀直入に申し上げます。此度の検地、譜代の皆様の知行地には、一切手をつけませぬ」


「金銀を好むとの評判、否とは申しませぬ。金の流れを読むは、それがしの役目にございますゆえ。なれど、その金銀は、殿の御為にこそ用いるもの。己の懐を肥やすためではございませぬ」


 その言葉に、越前守の目が、僅かに揺れた。


「……どういうことだ」


「蔵入地の拡大は、既にある土地を削り取ることでのみ、成し遂げられるものではございませぬ。備前の水路を整え、未開の低湿地を新田として起こせば、誰の知行も損なうことなく、殿の御蔵入は増やせましょう。それがしの見立てでは、二年のうちに、目標の石高には届きまする」


 次郎兵衛は、懐から取り出した絵図を広げた。水路整備の現場で培った知識と、現代人としての土木の理屈を、この時代の言葉に落とし込んだものだった。


 越前守は、しばし絵図に目を落とし、やがて低く唸った。


「……新田開発、か。それで、真に石高は増えるのか」


「増えまする。それがし、この命に代えても」


 次郎兵衛は、まっすぐに越前守を見据えた。逃げも隠れもせず、自ら刃の間合いに踏み込んだその姿に、越前守の郎党たちの殺気が、微かに緩んだ。


「……次郎兵衛殿。そなた、我らが此度、そなたの命を狙わんとしていたことを、存じておったのか」


「存じておりました。それでも、ここへ参ったのです。岡殿たちを敵に回して得るものなど、それがしには何もございませぬゆえ」


 越前守は、長い沈黙の後、深く息を吐いた。


「……見事な胆力よ。分かった。この一件、預けよう。だが――もし違えれば、その時は容赦せぬ」


「重々、承知しております」


 屋敷を辞す道すがら、達安が小さく笑った。


「次郎兵衛殿らしいやり方だ。刃を避けるのではなく、刃の理由そのものを断つとはな」


「戸川殿のご忠告がなければ、こうも動けませんでした」


 次郎兵衛は、夜空を見上げた。史実で流された血が、この世界では流れずに済んだ。宇喜多騒動という巨大な火薬庫の、最も太い導火線が、今、確かに断ち切られた。


 だが、火種は、まだ完全には消えていない。次郎兵衛は、その事実を、決して忘れてはいなかった。


この場面で一番書きたかったのは、次郎兵衛が「知っていた」ことを隠さなかった点です。「存じておりました。それでも、ここへ参ったのです」——暗殺計画を承知の上で、なお相手のふところに飛び込む。この胆力こそが、知識だけでは埋められない、次郎兵衛自身の人間としての強さだと思います。

もう一つ意識したのは、越前守を単純な悪役にしなかったことです。彼の怒りは、譜代衆として代々守ってきた土地への正当な不安から来ています。次郎兵衛はその不安の理由そのもの——蔵入地拡大という構造——を断つことで、越前守を「論破」するのではなく「納得」させました。相手を打ち負かすのではなく、対立の土台そのものを崩す。これが第二章から一貫している、次郎兵衛の流儀です。

史実の宇喜多騒動における最大の火種の一つが、ここで確かに断ち切られました。ですが、達安の「まだ完全には消えていない」という次郎兵衛の自戒が示す通り、宇喜多家中の対立は、これで終わったわけではありません。次の第四章「崩れる均衡」では、いよいよ前田利家の死という、次郎兵衛にもどうにもならない史実の奔流が押し寄せてきます。

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