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第四十六章 次代への布石

家康の死から九年。

秀忠の慎重な治世のもとで天下は静けさを保っていたが、

その静けさは、次の大きな節目へ向けて

ゆっくりと形を変え始めていた。

元和九年――

上杉景勝の死と、秀忠から家光への将軍職の継承。

二つの報せは、

豊臣家と大老の盟にとって、

長らく待ち続けた「時」がついに訪れたことを告げていた。

鐘銘の一件、千姫の一件――

積み重ねてきた二つの楔を、

いよいよ抜く時が来たのである。


 それから九年ほどの月日が流れた。元和九年、佐和山に、二つの報せが相次いで届いた。


「上杉景勝様、身罷られたとのことにございます」


「そして、将軍・秀忠様が、御子・家光様に将軍職を譲られる由にございます」


 次郎兵衛は、静かに目を見開いた。長らく待ち続けた、あの節目が、ついに訪れようとしていた。


 次郎兵衛は、文箱の奥から、二つの記録――鐘銘の一件の拓本の写しと、千姫を巡る一件の書付――を取り出した。長年、蓄え続けてきた楔だった。


「達安殿。此度は、関白様御自身に、動いていただく番にございます」



 次郎兵衛は、大坂城に参上し、関白・秀頼に、二つの記録を差し出した。


「関白様。此度の将軍宣下――家光様への代替わりに際し、これらの一件を、今一度、お取り上げいただきたく存じます。かつて大御所様の御側近が、根拠なき言いがかりで左大臣家(当時)を貶めんとしたこと、そして根も葉もない噂で、豊臣家と大老諸家との仲を裂かんとしたこと。これらは、いずれも、力ある者が、慣例や道理を軽んじた結果にございます」


 秀頼は、既に立派な威厳を備えた壮年へと成長していた。記録に目を通し、静かに頷いた。


「次郎兵衛――そなたの申すこと、しかと分かった。この一件、某自ら、朝議にて示そう」


「関白様。それがしからの願いは、今一つございます。今後、将軍宣下にあたっては、大老の盟による合議を経ることを、慣例とすべし――そう、帝の御意志として、お示しいただきたく存じます」


 秀頼は、しばし黙考した後、静かに頷いた。


「良かろう。父・太閤殿下が遺された五大老の理念を、真に受け継ぐならば、これぐらいの慣例、当然のことよ」



 将軍宣下の儀に際し、関白・秀頼の名において朝廷から示された一言は、簡潔でありながら、確かな重みを持っていた。「――武家の棟梁たる地位の継承にあたりては、朝廷の定めたる序列、及び大老諸家との調和を、いささかも損なうことなきよう」。


 これは法度でも、命令でもない。だが、鐘銘の一件、千姫の一件という、二つの生々しい前例を背負ったこの一言は、以後の将軍代替わりのたびに、大老の盟――形を変えながらも存続してきたその枠組み――との調和を、幕府に求め続ける、目に見えぬ慣例として根を下ろすことになった。


 佐和山に戻った次郎兵衛は、達安と共に、静かにこの首尾を見届けた。


「次郎兵衛殿……とうとう、やり遂げたな」


「はい。ですが、これで終わりではございませぬ」


 次郎兵衛は、文箱を静かに閉じた。


「慣例は、守り続けねば、いずれ形骸化しまする。家光様の御代、そしてその先の代――大老の盟が、これからも意味を持ち続けられるかどうか、それがしたちの戦いは、まだ続きまする」


 達安は、次郎兵衛の横顔を見つめ、静かに笑った。


「そなたは、本当に、気の長い男よ」


「戸川殿にそう言われるのも、これで何度目にございましょうか」


 佐和山の空に、元和九年の穏やかな秋の日差しが、静かに降り注いでいた。悠人としてこの時代に来てから、幾星霜が過ぎたことか。史実で失われたはずの多くの命、多くの家々――それらを守り抜いた末に、次郎兵衛はここに、一つの、しかし確かな到達点を築き上げていた。関白・左大臣として立つ秀頼の姿こそが、この長い物語の、何よりの答えだった。


---


*(完)*


家光への将軍宣下の儀に際し、

関白・秀頼の名で朝廷から示された一言は、

簡潔でありながら、

確かな重みを持って天下に響いた。

「武家の棟梁たる地位の継承にあたりては、

朝廷の序列と大老諸家との調和を損なうことなきよう」

これは法度ではない。

命令でもない。

だが、鐘銘の一件と千姫の一件という

二つの生々しい前例を背負ったこの言葉は、

幕府にとって無視できぬ“慣例”として根を下ろした。

以後の将軍代替わりのたびに、

大老の盟――形を変えながらも存続するその枠組み――との調和が

求められることになる。

佐和山に戻った次郎兵衛は、

静かに文箱を閉じた。

戦いは終わらない。

慣例は守り続けねば形骸化する。

家光の代、その先の代――

大老の盟が意味を持ち続けるかどうかは、

これからの働きにかかっていた。

元和九年の穏やかな秋の日差しの中で、

次郎兵衛は一つの到達点に立っていた。

関白・左大臣として立つ秀頼の姿こそが、

この長い物語の、何よりの答えだった。

第六部はここで幕を閉じる。

次の時代へ向けた布石は、確かに打たれた。

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