第二十五話 「エヴァの理由と、カイの書状」
カイが来たのは、翌朝だった。
約束した時刻より少し早い。
「エヴァ・シュレーダー嬢のことを、先に話しますか」
席に着く前に、言った。
「はい」
「では座ってから」
カイが椅子に座った。
私も向かいに座った。
リゼットがお茶を置いて、いつもより少し遠くに立った。
——今日は、自分から距離を取っている。
聞いていていい話と、そうでない話の区別を、リゼットはちゃんとつける。
「エヴァ・シュレーダー嬢は——」
カイが、静かに始めた。
「オーステン侯爵の手駒として動いている、と私は最初に思っていました」
「最初に、とおっしゃいますか」
「はい。シュレーダー家がオーステンの遠縁であることは、以前からわかっていた。
だから彼女が王宮の候補者に選ばれた時点で、オーステンの意図が含まれていると判断しました」
「でも、違った」
「はい」
カイが、少し間を置いた。
「エヴァ嬢は——オーステン侯爵から逃げています」
応接室が、静かになった。
「逃げている、とはどういう意味ですか」
「シュレーダー家は、オーステンから候補者への推薦を『頼まれた』のではなく、『させられた』のです。
断れない理由があった」
「どんな理由ですか」
「シュレーダー侯爵の借財を、オーステンが持っています。
表に出れば家が傾く額の」
私は少し考えた。
「……それは、前王太子がクロード・ミラにやったことと同じですね」
「同じ構造です。オーステン侯爵は、それを複数の家に対してやっている」
「エヴァ嬢は、それを知っている」
「知っています。だから——」
カイが、こちらを見た。
「王宮に入ったのは、逃げ場を作るためだと思います。
候補者として王宮にいれば、オーステンから直接手が届きにくくなる」
「でも、それは一時的なものですね」
「はい。王太子が決まれば、候補から外れる者は出る。
その後をどうするか——エヴァ嬢は、まだ見えていないのだと思います」
私は、王宮での場面を思い出した。
エヴァ嬢の所作が、後から訓練された跡がある、と気づいた日。
「いつ頃から、最近も、とお考えですか」と聞いた時の、あの長い沈黙。
「あの沈黙は——答えを探していたのではなく、どこまで話すか考えていたのですね」
「そうだと思います」
「アリシア様は舞踏会の夜の方ですね、と言ったのは」
「確認、でしょう」
「どういう確認ですか」
「ローゼンベルク家が、オーステンに対して動ける立場かどうか」
私は、少しだけ息を吐いた。
「……そういうことでしたか」
「はい。エヴァ嬢は、接触先を探していた。
だから、あなたが王宮に来た初日に——確認しに来た」
完璧すぎる人間は、何かを隠している——と、私は思った。
隠していたのは、弱さだった。
オーステンに握られた家の弱さを、知られないようにしながら。
それでも、出口を探していた。
「カイ」
「はい」
「エヴァ嬢を、こちら側に引き込めますか」
「可能だと思います。ただ——」
カイが、少し間を置いた。
「慎重にやらないと、オーステンに気づかれます」
「わかりました」
私は、カップを持った。
「もう一つ、聞いてよいですか」
「はい」
「三家での設計について、考えがあるとおっしゃっていましたが」
「はい。ただ——その前に」
カイが、懐から封筒を取り出した。
紋章が入っている。
ヴァルナー辺境伯家の紋章だ。
「昨日届きました」
「辺境からですか」
「はい」
カイが、封筒をテーブルに置いた。
「辺境での問題が大きくなっています。
副官から、戻ってほしいという連絡です」
私は、封筒を見た。
「どのくらい、大きな問題ですか」
「私でなければ対処できない、という性質のものです」
「……いつまでに戻る必要がありますか」
「早ければ、来週」
応接室が、静かになった。
来週。
オーステンが動くのは、来月だ。
三家での設計が整うのも、来月の予定だった。
「カイ」
「はい」
「戻らなければならないのですか」
声が、自分で思ったより——平坦だった。
何も乗っていない声だ。
感情を、どこかに置いてきたみたいな声だ。
カイが、私を見た。
「まだ、決めていません」
「なぜ決めていないのですか。辺境の問題が大きいなら——」
「アリシアの顔を見てから、決めようと思っていたので」
私は、少し黙った。
「……私の顔を見て、何がわかるのですか」
「わかります」
「何が、ですか」
「言ってほしいかどうか」
応接室が、また静かになった。
窓の外で、白い薔薇が揺れた。
私は、カイを見た。
カイは、真っ直ぐにこちらを見ていた。
言ってほしいかどうか——。
言ってほしいかどうかを、顔で伝えるのか。
「……私は」
「はい」
声が出なかった。
正確には、出せなかった。
扇がないから。
扇があれば、少しの間、考えられた。
口元を隠して、表情を整えて——それから答えられた。
今は、何もない。
「アリシア」
カイが、静かに言った。
「無理に言わなくていいです」
「でも」
「顔を見ました」
「……何が見えましたか」
「十分です」
カイが、封筒をゆっくりと懐に戻した。
「副官には、もう少し待つよう返事を書きます」
「……どのくらい、待てますか」
「来月の件が片付くまで」
私は、少し間を置いた。
「来月、片付かなかったら」
「片付けます」
カイが、静かに言った。
「アリシアの設計だから」
窓の外で、薔薇がまた揺れた。
私は、下を向いた。
扇がなくて、よかった。
扇があったら、隠していた。
隠していたら、カイに見えなかった。
そう思った。
「……ありがとうございます」
「いいえ」
カイが、また口元を動かした。
「では、三家の設計の話を、始めましょうか」
「はい」
私は、顔を上げた。
下を向いていたのは、たぶん三秒だった。
でも、何かが——少し変わった気がした。
お読みいただきありがとうございました。
エヴァ嬢は——敵ではありませんでした。
オーステンから逃げていた人でした。
そしてカイに、辺境から呼び戻しの書状が届いていました。
「アリシアの顔を見てから、決めようと思っていた」
カイはそう言いました。
アリシアは、声が出ませんでした。
扇が、なかったので。
「顔を見ました。十分です」
カイは、もう少し待ちます。
来月の件が片付くまで。
次話で、準備が本格的に動きます。
三人と、エヴァ嬢も加わるかもしれません。
続きをお楽しみに。
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