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婚約破棄してくれて、ありがとう。準備は三ヶ月前から整っていました  作者: 銀月ソフィ


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第十話 「舞踏会の翌朝、花と書状」

 目が覚めたとき、部屋が明るかった。


 カーテンの隙間から、朝の光が差し込んでいる。

 昨夜と同じ世界だ。

 でも昨夜とは、何かが違う。


 私はしばらく、天井を見ていた。


 終わった、と思った。


 今まで何度か、そう思おうとした。

 でも今朝は、それがすんなりと——本当に、すんなりと——胸の中に収まった。


 終わった。


 三ヶ月かけて準備して、一夜かけて実行して。

 それが、終わった。


 不思議なくらい、静かな朝だった。



「お嬢様、起きていらっしゃいますか」


 扉の外から、声がした。


 侍女頭のリゼットだ。

 四十がらみの、ふくよかな体格の女性で、ローゼンベルク家に二十年仕えている。

 物事をはっきり言う人だ。


「起きていますわ」

「では入ります」


 宣言通り、扉が開いた。


 リゼットが盆を持って入ってきた。

 朝食と、それから——手紙が二通。


「国王陛下からの書状と、ヴァルナー辺境伯からのお手紙です」


「……両方、今朝ですか」


「はい。陛下の書状は夜明けに届きました。

 辺境伯のお手紙は、それより少し後に。

 使いの者が花も持ってきておりましたが、どうなさいますか」


「花?」


「白い薔薇が十二本。玄関に飾っておきましたが」


 私は少し、間を置いた。


「……そのまま飾っておいてください」


「かしこまりました」


 リゼットが、盆を置いた。

 それからちらりと、こちらを見た。


「お嬢様」


「なんですか」


「昨夜は、よくおやりになりました」


 私は、少し驚いた。

 リゼットは普段、仕事の話しかしない。


「……ありがとう」


「旦那様も、そうおっしゃっておられました。

 朝食はご一緒になさいますか」


「後で、部屋でいただきます。先に手紙を読みたいので」


「では置いていきます」


 リゼットが、扉に向かった。

 手をかけたところで、止まった。


「お嬢様、一つよろしいですか」


「なんですか」


「昨夜から、令嬢方からのご連絡が止まらず——」


「後にしてください」


「はい、かしこまりました」


 扉が、閉まった。


 令嬢方からの連絡。

 昨夜の後で、それが何を意味するかは、考えればわかる。

 でも今は、まだいい。


 今は、手紙を読む。



 国王からの書状を、先に開いた。


 王家の紋章が押された、厚みのある封筒。

 中の紙を広げると、流れるような筆跡で短く書いてあった。


 読んだ。


 もう一度、読んだ。


「……」


 私は、紙を膝の上に置いた。


 書いてあったことを、頭の中で整理する。


 ライナルト王太子は、王位継承順位を第一位から第三位へ降格。

 一年間の謹慎処分。

 エルメラ・コルトは、偽聖女として貴族籍を剥奪し、王都から追放。


 それから——最後に一行だけ、こう書いてあった。


「アリシア嬢の毅然たる対応に、王家として謝意を示す」


 謝意。


 私はその言葉を、もう一度読んだ。


 昨夜の国王の「君の言い分を聞こう」という言葉は、やはりあちら側だったのだ。

 事前に父と話があったのか、あるいは国王自身が疑っていたのか——どちらかはわからない。


 でも、終わった。


 本当に、終わった。


 私は書状を丁寧に折って、枕元に置いた。


 目を閉じて——一秒だけ、何も考えなかった。


 一秒だけ。


 それで十分だ。



 カイからの手紙を、次に開いた。


 国王の書状と違って、封筒はごく普通のものだ。

 紋章も押していない。

 ただ「アリシア嬢へ」とだけ、書いてある。


 筆跡は、思ったより柔らかかった。


 中を開くと、短い文章が入っていた。


 昨夜は見事でした。お疲れが出ませんように。

 それから——あの花は、ずっと前から用意していたものです。

 渡す機会を失い続けていたので。

 近日中に伺いたいのですが、ご都合はいかがでしょうか。

 返事は、使いに持たせていただければ。

          カイ・ヴァルナー


 私は手紙を、もう一度読んだ。


 ずっと前から用意していた。


 それは——いつから、という意味だろう。

 四ヶ月前から、王都にいたと言っていた。

 だとすれば、四ヶ月前から?


 あるいは。


 ——考えすぎですわね。


 私は手紙を折った。


 でも、枕元には置かなかった。

 手元に持ったまま、少しだけ、窓の外を見た。


 玄関に飾られた白い薔薇のことを、考えた。

 十二本。

 多すぎず、少なすぎない数だ。


 カイらしい、と思った。


 ——会ったことが少なすぎて、「らしい」かどうかもわからないのに。



「お嬢様」


 またリゼットの声がした。


「今度は何ですか」


「申し訳ありません、一点だけ」


 扉越しに、リゼットが続けた。


「先ほどの令嬢方からのご連絡の件ですが——現在、十七名からお手紙が届いております」


 十七名。


「昨夜からですか」


「はい。今朝だけで十二名追加されました」


 私は、少し考えた。


「内容は」


「大半は『昨夜は大変でございましたね』という見舞いの体裁ですが——」


 リゼットが、少し間を置いた。


「率直に申し上げますと、お嬢様のお茶会にご招待いただけないかという意図が——どのお手紙にも透けて見えます」


 透けて見える。


 私は、扇がないことに気づいた。

 昨夜の扇は、どこかに置いてきたままだ。


「断る理由もありませんわね」


「ではお返事を——」


「全員に返事を書きます。ただし今日ではありません」


「いつ頃に」


「ヴァルナー辺境伯のご訪問が終わってから」


 一拍の沈黙。


「……かしこまりました」


 リゼットの声に、何かが混じった。


 笑いを堪えているのか、呆れているのか、よくわからない。


「お嬢様」


「なんですか」


「辺境伯のお手紙、まだお手元にございますか」


「……ありますわ」


「返事のご用意は」


「今、考えているところですわ」


「さようでございますか」


 また沈黙。


 明らかに何か言いたそうな気配がある。


「リゼット」


「はい」


「何か言いたいことがあるなら、言いなさい」


「いいえ、特には」


「本当に?」


「……お嬢様が白い薔薇がお嫌いでなければ、それで十分でございます」


 私は、答えなかった。


 答えなかったことが、答えになっているとわかっていても。


「引き続き、朝食の用意をしてください」


「かしこまりました」


 足音が、廊下を遠ざかっていった。


 私は窓の外を見た。


 朝の光の中で、庭の木々が揺れている。


 手元のカイの手紙を、もう一度だけ開いた。

 最後の一行を、もう一度だけ読んだ。


 返事は、使いに持たせていただければ。


 ——どう返事をするか、は。


 まだ、考えている。


 少しだけ、考えている。


 白い薔薇が、嫌いではないことは——まだ、言わなくていい。

 ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


 殿下の処罰が、確定しました。

 王位継承順位が第三位へ。謹慎一年。

 エルメラ様は王都から追放。


 終わりました。本当に。


 そしてカイから、白い薔薇が届きました。

 「ずっと前から用意していた」と手紙に書いてありました。


 アリシアはまだ、返事を書いていません。


 次話では、カイが訪問してきます。

 「近日中に」と書いてあったので——おそらく、すぐに。


 お気に召していただけましたら、ブックマークと評価をいただけますと、次話を書く力になります。

 第二章もよろしくお願いいたします。またお会いしましょう。

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