そして旅に出る【完】
アンジェは丸眼鏡の奥の瞳を、うっとりと細める。
【弱点看破】や【素材看破】のように、部分的に鑑定を行えるスキルの持ち主は時折現れるが、それら全てを統合するスキルである【鑑定】は、商人の間では伝説のスキルと呼ばれており、200年生きるアンジェでも未だ持ち主に出会ったことがない幻のスキルでもある。
「もし、【鑑定】スキルが手に入ったら、どんだけ商売を広げることができるか……想像しただけで、うっとりやわぁ。グラディオンでは、アホのヴァルトハイムと違って、スキル封印や譲渡は違法やけど、お猿一匹囲うのなんて、そないに難しくないしなぁ。……欲しいなぁ。奪ったろうかなぁ。でも【黒剣】は敵に回したくないしなぁ」
「……アンジェ様。失礼ながら、口もとから涎が」
「おおっと」
麗しい方は、涎を垂らす姿も、すすり上げる姿も麗しいものなのだなと、部下が遠い目で黄昏ていると、アンジェがにぃっと口端を釣り上げた。
「まあ、ええわ。お猿のスキルが単なる【弱点看破】の可能性もあるし、今は放っておきまひょ。無理に情報収集せんでも、【黒剣】レベルの大物の動向くらいなら、各地にばらまいている部下から聞けるやろうし。取り合えず、様子見や」
「……もし、猿が【鑑定】能力持ちだと確信できたら、どうなさるんですか」
部下の言葉に、麗しのハーフエルフは、花が咲き誇ったように美しい笑みを浮かべた。
「そん時は、僕自ら、お猿に会いに行くわ」
「……そうか。キークスは失敗したか」
「は。結局キークスがスキルで発生させた変異種によるスタンピードは、一級冒険者である【炎騎士】と【黒剣】の主導によって、収束。その際に、【黒剣】のペットである水リスザルが、変異種の魔物の弱点を、他の冒険者に指示している姿が、私のスキルである【千里眼】にて確認できました」
「そうか。ご苦労」
「もったいなきお言葉です」
エルシャド=ナヘル・ザガの自称側近の一人である、人狼ジェジェリオンは尻尾をぶんぶんと振りながら、額を赤絨毯にこすり付けた。
(ああ……魔王様。今日も今日とて、何て強大な闇の気配だ……)
身長は180センチほどで、魔族にしては小柄。痩躯で肌は雪のように白く、唇と目は血のように赤い。
闇を溶かしたような艶やかな黒髪も、中性的な美しい顔立ちも、彼が一般の魔族であれば舐められる要因にしかならなかっただろう。
しかしどんなに巨大な魔族も、凶悪な姿のものも、エルシャドを前にしたら畏怖し、平伏せずにはいられない。
何もしなくても、対峙すれば気配だけでわかるのだ。その気になれば、エルシャドは指一本、ほんの一呼吸の間に、自分の命を刈り取れるということが。
生まれながらの絶対的強者にして、魔族の頂点に立つ王。それが魔帝国アムル=ナハシュの皇帝エルシャド=ナヘル・ザガだ。その絶対的な力から目を背け、無謀な戦いを挑んできた魔族は、皆殺された。だからこそ、エルシャドの周りは皆、エルシャドの盲目的な信者しか残っていない。
「それで……その猿についてですが」
「……放っておけ。我が求めるのは【予言の乙女】のみ。それ以外の有象無象なぞ、どうでもいい」
「で、ですよね! 人間の予言など、魔王様が気に掛けるはずありませんものね!」
「……用件は以上か? なら、下がれ」
「は!」
崇拝するエルシャドと言葉を交わせたことで、有頂天になりながらその場を辞したジェジェリオンは気づかなかった。
猿の話題が出た時に、エルシャドが形の良い眉を、ほんの少しだけ歪めたことを。
「……我の【予言の乙女】よ。お前は今、どこで何をしているんだ」
ジェジェリオンが去った後。エルシャドは懐に入れていた、一枚の紙を取り出して眺めた。
「お前と相まみえることができる日が、待ち遠しいぞ」
エルシャドの持つ紙の上には、リヒト王子が手配書の為に用意したものとは比べ物にならないほど精密な、ロクセラーナの絵姿が描かれていた。
人間の予言者がいるように、魔族にも予言者がいる。
魔族の王エルシャドが信頼する、魔族の予言者が口にした内容は、人間の予言者のもととは若干異なっていた。
選ばれし【識る者】は、滅びの王を討つ剣を生み出さん。
それは世界を統べる力を持つ魔の王をも屠る光なり。
その者を見つけ、運命を奪え。
さもなくば、我らが栄華は儚くならん。
「ああ、ロクセラーナ……我が運命。我が死よ」
エルシャドは、まるで恋に陶酔するかのように。一人恍惚の表情で、ロクセラーナの絵姿を見つめ続けた。
「……そうか。今日出立するのか」
スタンピードの後始末や、収束報酬の算定の為に暫くフェスティにとどまっていたゼドとロクセラーナだったが、ようやく目途がついたので、再び町を発つことにした。
前回同様に主要関係者には挨拶をし終えたが、今回はそれに加えてナディとルシアンにも挨拶へと出向くことをゼドが提案し、ロクセラーナも断らなかった。
「……今度は一緒に連れて行けとは言わないのか」
「今回のスタンピードで、ゼドとの力量差を嫌でも実感させられたからな。足手まといになるとわかりきっているのに、パーティを組んでくれだなんてさすがに言えないさ」
ナディは苦笑いと共に深々とゼドと、ゼドの肩の上にいるロクセラーナに向かって頭を下げた。
「……貧民街の救助に、駆けつけてくれてありがとう。私とルシアンだけでは、もっと被害が大きくなっていただろう。犠牲者が23名だけで済んだのは、ゼドとロシィのおかげだ」
「……それでも、お前とルシアンがいたからこそ、救われた命もあった」
「そう信じたいけどな。それでも23名の死者が出たのは、私が未熟だったせいだ。私がもっと強ければ、全ての人を救うことができたのに」
普段ならばうるさいくらい口を挟んでくるルシアンも、今回は何も言わない。というか、ナディの後ろに立っているだけで何故かこちらに視線を向けようともしない。どういう心境の変化だろうが。
「お別れの前に、ロシィにお詫びだけ渡したいんだが、良いだろうか」
「うき?(私に?)」
「……ロシィが良いのならば」
そう言ってナディが差し出したのは、幼児向けの絵本だった。簡単な言葉とそれに呼応するイラストが、一枚一枚描かれている。
「赤ん坊に言葉を覚えさせる時に、使う本らしい。ロシィは頭がいいから、これがあれば会話ができるようになるんじゃないか」
「うき⁉」
「ストレスをかけて、禿げさせて悪かったな。ロシィ。私がもっと強くなって、また会えたら、その時は仲良くしてくれると嬉しい」
そう言って躊躇いがちに頭を撫でるナディがあまりにも殊勝だったため、とうとうロクセラーナは耐えられなくなった。
(――あああ! もう仕方ないですわね!)
「ロシィ?」
「……うき!」
バラバラと絵本を開き、指で示すページは。
旅装の男が町を出るイラストが描かれた「たび」。
手をつなぐ男女のイラストが描かれた「いっしょ」。
土下座して謝る男の子と、それをにこやかに受け入れる女の子のイラストが描かれた「ゆるす」。
「……『ゼドと旅に出る前に、土下座して謝れ』?」
「うっききききいいいい!!!!!(ちがいますわあああ! 文字を見なさい、文字を!)」
ナディは首を傾げるばかりだったので、仕方ないのでぴょんとナディの頭に飛び乗って、町の外を指さした。
「え? え? え?」
「……ロシィが、お前達の同行を許すそうだ。ロシィが許すなら、俺としても異論はない」
「えええええええええーーーー!?」
(ほんと、うるさいジャガイモ娘ですわねえー……)
ロクセラーナはナディの頭の上で両耳を塞ぎながら、口をへの字に曲げた。
(……まあ、でも勇者としての使命感は本物みたいですし? ゼド様は私の本当の姿を見て美しいと言ってくださいましたし? ジャガイモ娘を愛らしいなんて言ったことは一度もありませんし? まあ、同行くらいは許してさしあげますわ! ゼド様を誘惑したら、爪でその顔をズタズタにしてさしあげますけど!)
ちらりとルシアンに視線をやると、何故か嫌そうな顔をしてはいたが、こちらも異論はないらしい。
「それじゃあ、半刻後に出立するから、荷物をまとめて来い」
「わ、わかった! 今すぐに!」
「う、うきいい!(私は置いて行きなさい! ゼド様、ゼド様―!)」
その日から、やがて世界を救うことになる、三人と一匹の旅が始まった。
名前:ロクセラーナ・ルセリオ ※猿化中
職業:元公爵令嬢 ゼドの相棒
先天スキル:【鑑定】LV.3
後天スキル:【社交】LV.4【礼節】LV.3【裁縫】LV.2【舞踏(社交ダンス限定)】LV.2【調薬】LV.1←NEW
取得魔法:水魔法
性格:恋に生きる乙女
【第一章完】
約一章分ということで、いったんこれにて完結です。
続きは……機会があれば書けるといいな。(なろうジェネレーションギャップにはまって、自信喪失中につき保証はできかねます……)
最後までお付き合いありがとうございました。
【連載版】スパダリ騎士令嬢ナサニエルは拗らせ殿下の婚約破棄を許さないー今日も私の婚約者はバカワイイー
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毎日更新10万字完結目指して連載中なので、良かったらランキングタグからどうぞ。




