外話 星水ミハルの考察
たぶん世界は、思っているより単純で。考えるより多くの非日常に溢れている。
その中で、七銅焔斗は生贄に選ばれた……。
享年10歳。その悲劇は、秘匿されていて私の立場――権限では詳細を知ることはできない。
上司は「それは違うわ。あの人はちっぽけな人の顕示欲にくべられただけ」そう言った。
屍の山の上でも、彼女は通常運転だ。
極彩色のオーラを纏い、放たれた刺客――魔獣の遺骸の上で足を組みなおした。
「ミハ~ル~ン。どうして、ダーリンのことを知りたがるの?」
音もなく目の前に、着地した上司がニッコリとほほ笑んだ。
この世のものとは思えぬほど整った造形をしている。
まるで……世界中の理想を集めて具現化したような……。
上司が、掛けているメガネに手を伸ばした。
「やめて下さい」
「どうして?」
「私の命はアナタのものです。ですが、私はもっとアナタの役に立ちたい」
嘘はついていない。残酷な運命を強いられる少女。手を差し伸べたいと考えるの不自然ではないだろう
従事することを強制されてはいない。逃げ出したりしても、咎められることはないだろう。
彼女にとって、私の生き死になんて些末な問題に過ぎないのだから。
「そっかー。残念、ミハルンの素顔みたかったのになあ」
嘘か真か、彼女は心底残念そうに口を尖らせた。
「視る価値なんてありません」
蓄積する疲労や心理的ストレスのせいで目付きはより鋭く、くっきりと隈まで浮かんでいる。
肌つやだって悪い。
「そんなことないと思うけど。私は好きだけどなぁ。掲げた願望のために手段を選ばないところとか」
「…………」
彼女はどこまで知っているのだろう。隠しおおせるとは思ってはいなかったが……。
「先に謝っておくねぇ。助力はできない。でも応援はしてあげる」
「……咎めないのですか。私はアナタの――」
彼女が人差し指をそっと私の唇にあてた。
「ダーリンは、ラノベの主人公と同じ。助けを乞われれば無下にはできない。とくにミハルンみたいな美女に迫られればイチコロよ」
どうやら人の枠に収まり切らない彼女にも、『恋は盲目』とのルールは適用されるようだ。
私の知る限り人外の彼は、そのような特殊性質を持ち合わせていないはずだ。
「なら、ダーリン様にお願いしてみることにします」
「やっぱり、ちょっと待って! ダーリンに一応確認してもいいかしら。もしかして、ヤンデレ属仕事デキル系がドストライクの可能性も――」
外見通り、十代半ばの少女のようにあたふたする彼女。
もっと自信を持ってもよいと常日頃から思っている。
極小の自由裁量権をやりくりして、彼との逢瀬? を演出する彼女。
彼も否定を口にはするが、まんざらでもない様子。そもそも彼が本気をだせば、彼女の恋心など強引にへし折ることができるだろう。
「フローゼ様は正妻なのですからもっと堂々としていれば良いのですよ」
彼女と私の間では、第一ヒロインのことを「正妻」と呼称している。
「そっか、そうだよねぇ。ミハルンは第七十五夫人だから、好敵手ていうよりは、仲間だよねっ」
「さすがに、怒りますよ。何度も申し上げておりますが、ダーリン様は私のタイプではありません」
「ご、ごめん。えっと、でも、どうして? どうしてダーリンの魅力がわからないの? ――」
彼の魅力を語りだす彼女。この恋バナがあとどれくらい続くのだろうか。
彼の魅力とは、即ち力だ。
数年前まで、引切り無しに彼の前に美女が押し寄せていた。
多種多様な組織、神話体系が彼を籠絡させようと精鋭を派遣していた。
小国の姫 吸血鬼、人造人間、果てには美の女神までが投入された。
公務に追われる主に代わり、派遣された私までその集団にカウントされていた。
あの時間は正直、悪夢だった。今にして思えばよく死者がでなかったものどと思う。
終止符を打ったのは、犬正義なる非公認の世界維持機構が出した声明だ。
曰く、「彼の力は後天的なもので、その子にはその特性は受け継がれない。」
蜘蛛の子を散らすように、ハーレムは瞬く間に解体された。
中には彼の人格に惹かれて未だに交流のある者もあるそうだけれど……。
「――でも一番好きなところはねっ。優しいところかな」
そう彼女は、締めくくった。
彼の優しさには嫌悪を覚える。どこまでも卑屈で、「自分のことが世界で一番嫌いだと」嘯くくせに。
誰にでも手を差し伸べようとする。そうしなければ、自分には居場所がないとでも言うかのように。
その優しは暴力だ。有無も言わせず救おうと蠢く概念。
『ご苦労さまでした。えっと……そっかフローゼの御付きの、もし困ったことがあれば――』
最後のやり取り。名前すら憶えられてはいなかった。その時、ほんのわずか、心にチクリと痛みが走ったことを覚えている。
「そろそろ次の公務に参りましょうか」
「そうだねーっ。少し喋りすぎちゃった。少し時間を巻き戻すねっ」
神域の中では、時間さえ超越できる。
一日か、二日か。恋バナを聞かされ続けても私にさほどの疲労感はない。
特別な瞑想法。他にも小賢しスキルを身に着けた。
あの時、野望を抱えてから数年、ずいぶんと遠くにきてしまったものだと嘆息してしまう。
この道の先に、あの温かい日々は存在するのだろうか。
その疑念を押し殺し、今日も今日とて私は世界の管理者に従事する。




