43話 襲撃-3
「ノーマ? ――」
静まり返った炊事場。
「何してんだ?」
体力を回復したと思しきラヒィが、首を傾げた。
「隠れるように言ったんだけど……」
食器棚の両扉を開いても、ノーマの姿はどこにもない。
ぎっちりと詰め込まれた食器が動かされた形跡も見受けられない。
気持ちばかり焦る。いつラクトやレフイが現れるかわからない。
人を傷つけた。相応の罰は受けるつもりだ。
でも、ラヒィは何一つ悪くない。それなのに……。
はやくノーマを見つけて……。
「――アタイと一緒にいたらダメだよな」
「ラヒィ?」
「獣人が嫌われていること、わかっていたんだ、常識だしな。でも、あそこまで拒絶されるなんて……。レアンみたいに偏見を持たない人のほうが少数なんだろうさ」
「……」
レフイだけではない。使用人達はラヒィを畏れて蔑んだ。
そのことがわかっているから……自らの出自を隠し、生活している。
底が見えない卑怯者。ノーマやラヒィにだって正体を隠している。
「ラヒィ、僕は……」
「――おっ、ラヒィではないか」
「ノーマ?」
窓枠からノーマが顔をのぞかせた。
「おっ、ノーマ」
「どこにいたんだ?」
語気が強くなってしまった。
「すまぬのだレアン。皿などいくらでも放り投げて、隠れればよかったのだが……吾はレアンと約束したからな、皿洗いを続けると――」
優先順位が滅茶苦茶だ。皿なんて買えばいい。ノーマのほうが何百倍も価値がある。
「どこに隠れていたんだい?」
「そこの木の上なのだ」
ノーマが指さした樹木は、ほどよく選定されていて隠れるには不向きだ。
それにとても登りにくそうだ。足をかけられるような枝は上のほうにしかない。
「嘘はよくないぞ。あれは、木登り名人のアタイでも苦労しそうだ」
「……バレてしまったか。白状をすれば吾は木陰に隠れていたのだ。登ろうとはしたのだが、見事に失敗してしまったのだ」
ニッコリと笑うノーマ。ラヒィが先輩風を吹かせて木登りの仕方を教授し始める。
微笑ましい光景だ。ついつい、流されそうになってしまう。
一時の現実逃避で、あたたかい日常を失ってしまうわけにはいかない。
「――ラヒィ、裏口まで案内するから一人逃げてほしい」
この状況下でとり得るいくつかの選択肢。ノーマを連れてラヒィと一緒に逃げる。
その選択肢がずっと頭の中で首をもたげている。
甘美な選択。でもその代償は……。
きっとパラディソスにはいられなくなる。個人的にはそれでも構わない。
この土地に未練があるわけではない。大事な仲間がそばにいてくれるなら場所なんて関係ないだろう。
でも、ラヒィは一所懸命に働いて、やっとのことで『ラヒィテール』を始めた。その努力の結晶が瞬く間に霧散してしまう。
それにノーマは統治神の『花嫁候補』だ。追われる身になるかもしれない。
そんな苦行を二人には味わってほしくはない。
だから……。
「ラヒィへの誤解は必ず解いてみせる。ノーマ、ラヒィを見送ったら高位騎士と合流しよう」
特大の宝石魔術を放った人物を特定できない。助けてくれたと漠然と感じたけれど、それだってただの思い込みかもしれない。
希望的観測に従って、失敗の轍は踏めない。確実な方法をとるべきだ。
「そうか……わかった」
ラヒィの表情が陰りをみせた。
一刻も早くラヒィを外に逃がそう。
「待つのだレアン。ラヒィがどうして危険を冒してまでここにやってきたのか。それを聞くべきではないのか?」
失念していた。ゴラシから離れたパラディソスの中央部までわざわざ足を運んだ理由。
パラディソスでは獣人は肩身の狭い思いをしている。危険な目にあうことだって想像に難くない。
「――……バニカが、いなくなったんだ」
ラヒィの声が震えている。泣き出しそうな目をしている。
酔っ払いに店を荒らされても、下位騎士に悪態をつかれても泣き言一つもらさないのに……。
「ここでは盗み聞かれる可能性もある。吾の部屋に移動するのだ」
「ノーマの部屋?」
別館の一番奥の部屋――足を踏み入れたことはない。
重厚な黒い光沢を放つ扉。その奥で眠りにつくノーマ。日中の語らいは幻なのではと考えたことが何度もある。
現実を突きつけられるからなのか。住む世界が違うのだと叱責されているような気分にさせられる。
「心配はいらぬのだ。あの場所は吾の領域。誰にも邪魔はさせぬ」
胸を張るノーマ。どうしてかノーマの申し出を断る気分にはなれない。
ラヒィも無言で頷いている。
「善は急げなのだ」
ノーマを先頭に炊事場を後にした。




