私は彼の理想であり続けなきゃいけないの
忙しすぎて量が書けません、ごめんなさい><
そこは一般には、容易に入ることのできない場所であった。
数畳しかない狭いその部屋には、簡易トイレと小さな机しかない。
光源となるのは高い位置につけられた小さな小窓から差し込む淡い日差しのみで、部屋を薄く照らしている。
ひどく殺風景な部屋。
それもそのはず。
ここは留置場なのだから。
その中央に1人の男がいた。
体を黄緑色の紐で拘束され、さらにその上から何枚もの呪符が張り付けられている。
恐ろしいほどに厳重な魔力的拘束。
しかし、それも当然と言える。
相手はつい先日の『人喰鬼事件』の犯人なのだから。
だがその男、今はただ静かに座しているだけだ。
暴れる様子もない。
ただ、その目だけがギラギラと危険な光を放っている。
そんな部屋に ヒラリヒラリ と一羽の真っ青な蝶が留置所の厚い壁をすり抜け(・・・・・)入ってきた。
それを見た途端、男の口の端がニヤリと上がる。
「……よぉ、待ってたぜ」
そして待ちわびたような声を漏らした。
「あら? 待たせてしまって悪かったわね」
答えたのは女の声。
真っ青な蝶が一瞬の後にその姿を変え、代わりに一人の女がその場に姿を現した。
童顔気味の顔に丸眼鏡を乗せた、どこか幼い印象を与える女。
その目の奥に潜んだ鋭い光と、口元の妖艶な笑みがミスマッチだ。
「気にしねぇよ、いいから早くここから出してくれや。次はちゃんとあの男をぶっ殺してやるからよ」
「……何か勘違いしていないかしら?」
「あぁ?」
縛られたまま怪訝な声を上げる鬼を見下したまま、女は口を開く。
「あなたはもう用済みよ。あの人じゃなくて、あんな女にやられるなんて全く期待外れもいいところ。ホント、鬼なんて使ったのが間違いだったわ」
「……つまりなんだ? 俺を殺しに来たってのか」
「そうね、そうしたいところだけど……それはできないわ」
「なんか理由でもあるのか? 俺を生かしておく理由が」
「ん? あぁ、そういうことでは全然ないわよ。あなたには生かしておく価値も、殺す価値も、利用する価値も全く無いわ。
理由ってのは私の理由。
私はね――美浦チカゲは何かを傷つけたり、殺したりしちゃいけないのよ。
彼は私がそんなことをしないって信じているから、私は彼の理想であり続けなきゃいけないの」
「なんだそりゃ、意味わかんねーな。――まぁともかく、お前の名前は覚えたぜ。殺さないってんなら覚えとけや、ぶっ殺しに行ってやるからよ」
「あら、それはこっちのセリフよ。
――覚えていられたら好きにしなさい」
そういって パチン と女は一つ指を鳴らす。
瞬間。
狭い室内を埋め尽くすほど大量の青い蝶の群れが部屋の至る所から出現した。
それは一直線に男へと殺到する。
「テメェコラ! 殺さねえんじゃねぇのか!?」
青い蝶が作ったカーテンの向こう側から、男の声が飛んでくる。
その声に女は涼やかな笑みとともに言葉を返した。
「えぇ、命はとらないわよ……但し、私に関する記憶は消させてもらうけどね」
「なっ! ぐ、ぐぁぁぁぁ!?」
女の言葉が終わると同時に、鬼の頭の中に青い蝶が続々と侵入してきた。
「や、やめろ。やめろぉぉぉぉ!」
鬼の中に侵入した蝶たちは、鬼の記憶を食い漁る。
里を出て、目の前の女に助けられてからの記憶がどんどん消え失せていく。
「あ、そうだ。あなたのような奴の記憶にあの人が残るのは嫌だから、そこらへんも消させてもらおうかしら。……ちょっと人間への憎しみと深く繋がってるから消すことで人格変化が起こったりするかもだけど、それはそれであの人の理想だろうから別にいいかな」
「ふ、ふざけるな! この俺の憎しみを消す、だと。誰がそんなことをッ……グゥッ!」
「別にあなたの意見なんて訊いてない」
「な、何様のつもりだ……テメーは!?」
「私? 私はそうね……」
「『勇者の信者』とでも言おうかしらね」
「勇者の……!? テメー最初から俺を騙すつもりでッ!」
「思った以上に使えなかったけどね。本当はあの人の本気を引き出して、かっこよく倒されてほしかったんだけど……よりにもよってあの女にッ!」
そこで初めて不快そうな表情を見せる女。
「でも馬鹿なりに操りやすかったわ、そこだけは感謝してるのよ」
「キッサマァァァ!」
「じゃぁね」
ヒラヒラと手を振った女の姿を最後に、鬼の意識は暗転した。
――数時間後――
廃人のようになった鬼が、見回り来た警官によって発見された時には、女の姿はどこにもなかった。
☆★☆
「さてと、次はどうしようかしら」
街角のカフェのオープンテラスでカフェオレを飲みながらぼやく女。
その様子は一人の鬼を壊してきた後とは思えない。
どこにでもいる休日の女性そのものだった。
足を組んでテーブルに頬杖を突き、道行く人々をぼんやりと眺める。
その時。
「……へぇ、面白いのがいるわね」
道を行く人々に何かを見つけたのか、その口が愉快そうにわずかに上がる。
「今回は私が手を出さなくても、師里くんはいろいろとしてくれそうね。今回は静かに眺めてようかな」
そんな風に呟きながら、視界に捉えた存在が人混みに消えるまで追いかける。
「『勇者』の『暗殺者』か……息つく暇もないね師里くん」
その姿が見えなくなるとどこか楽しげな、それでいて期待したような声音を漏らす。
そうして再び、女――森宮高校教師・美浦チカゲ――は道行く人々に視線を戻した。
次回は来週6/8です




