第15話 足があるって素晴らしい
巨大クスノキの林に入ると、樹々が、ことりの襟首を掴んで、ぽいっぽいっと放り投げていった。
掴まれる度に、喉の奥から「グエッ」という濁音が漏れた。
右から左へ、左から右へ…ラグビーボールのようにパスが回って、猛スピードで進んで行った。
ここでも、むやみに目が回って、ことりは、猛烈に泣きたくなった。
(これ、絶対、死ぬ。今夜が僕の命日だよ………)
彼らのパス回しには個性が出ていた。
低木から低木へ投げた方が、体への負担を減らせる。
そう判断してパスを回す巨木もあれば………より早く進めるようにと、より高い大木へパスを回す樹もあった。
慎重なクスノキは、落ちる心配がないように、枝が大振りの大樹へパスを回した。
また、自分が受け取るよりも先へ回した方がいいと独断する大木もいて、ことりは落下しかけた。
(ああ、終わった………)
何度目を瞑って、胸中で御経を唱えたか分からない。
地面すれすれで枝と枝に掬い上げられたが、ことりは、これが自分の最期で、きっと心臓が破裂して胃は飛び出るのだと覚悟した。
そんなことが五回あったので、生き延びられた後も、生きた心地がしなかった。
「オッケー投げるねー。超特急―」
「次、行くぞー。スピード全開、かっ飛ばせー」
ざわめきは、森の出口まで絶えることがなかった。
ざわざわ、ざわざわ樹々が揺れ動き、森は大波のように揺れ動いて、ことりを飲み込み吐き出した。
今や森は風の海。大風にのまれて、ことりは、もみくちゃにされた。
ビューンビューンと森が騒音を立て続けた。
ことりは、鼓膜が破れるのではないかと心配した。
森の動物たちにとっても同じことで、こんな時刻に迷惑な話だと、猿も鹿も熊も、キツネもウサギも森中の動物たちが、ぶうぶう文句を言いながら、眠い目を擦って慌ただしく隠れ家に飛び込んだ。
命の危機に直面した時は、おばば様が使っていた『森の隠れ家』に逃げ込むようにと赤目守りから言われていた。
隠れ家の中では、どの動物も仲良く愚痴を交わし合っていた。
「まったく、そちらさんも、どえらい目に遭いましたな」
お爺さん猿が目を細めると、若い狐も眉を吊り上げた。
「全くです、なんて傍迷惑な話でしょうか。夜ふかしは美容の大敵ですのに」
「うちの子が、むずかってすみません」
母さんウサギが頭をさげると、牡鹿が気遣った。
「何、奥さん、ちっとも気になりませんよ。坊やも気の毒にねえ」
「そうですとも。可愛いもんです、この騒音と震動に比べりゃあ」
父さん熊も同情して言った。
「恐竜だって逃げ出すよ」
子だぬきの声には、「まったくだ!」皆が賛同した。
柊の林でも、ことりは酷い目にあった。
柊の葉は、まるで剃刀だった。
ことりの顔を枝が掠めると、ピシュッ・ビシュッと音を立てて、尖った青葉が頬を切り付けて行った。
樹々に悪気はなく、枝たちにも悪気はなかった。
一生懸命、ことりを受け止めてくれた結果である。
しかし、枝の先が当たると葉の時と同じことになって、切り傷はどんどん増えて、血は疎らに飛んで行った。
松林に入っても似たようなことが起こって、両目の近くを槍のような松の葉が通り過ぎていくこともあった。
ことりは動くことも出来ずに、ぐったりして一連の流れを全身で受け止めていた。
(………ながい人生、なるようにしかならない時も、多々あるんだね………)
そう悟った夜だった。
心なしか、丸い月は、ことりに焦点を合わせて移動しているようにも見えた。
気の毒そうにことりを見下ろして、励ますかのように森の隅隅まで照らしている、そんな夜だった。
(地面を走れる喜びを初めて知ったよ。足があるって、なんて素晴らしいんだろう………)
グラグラする頭の中で、ことりは、そんなことを考えた。
杉と檜が、長々と続く林道へも飛ばされたが、くしゃみと鼻水が止まらなかった。
(僕、花粉症だったの?初めて知ったよ………子りす見つかったのかな…………)
しかし、まともな「くしゃみ」をする事も出来なかったので、
「アブシュッ、バブシュッ」と、喉の奥で濁音が鳴った。
大量に吸い込む空気が、鼻の奥から喉元に落とされて、喉を圧迫する。
途中、呼吸が、二、三度止まりかけたが、無事に息を吹き返した。
鼻水は、鼻の奥からダラダラと流れ出て、それが風でビュンビュン飛ばされ、見るも痛ましい姿であった。
息苦しさが脳にまで伝わって、ことりは苦しんだ。
朦朧とする頭を、死ぬほど回転させて思った。
(明日、瀬奈に…地図を描いて貰おう…それがいい………)
ことりは、白樺の林が一番楽だと感じた。
白樺の樹々は、立ち居振る舞いが上品に見えた。
言葉遣いも丁寧で、ことりを励ましながら気遣いながら出来るだけ優しく飛ばしてくれたからだ。
「頑張ってね。それでは、行きまーす。大急ぎですよー」
「応援しているわ。さあ、行きますよー。大急ぎでお願いねー」
ことりは、最後まで気力で耐え抜いた。
生きて出口に辿り着けた時は、喜びを噛みしめた。
ふらふら、ゆらゆら揺れながらも、立ち上がって両足で地面を踏むと、涙が一滴頬を伝った。
最後に受け止めてくれた大木は、そっと、ことりを下ろして微笑んだ。
「流石は、輝龍の息子だね。気も失わず喚きもせず、大したもんだ」
ことりは御礼を言いたかったが、口を開けたら泣いてしまいそうで、言葉に出せなかった。何とか頭だけは下げれた。
「帰りはどうする?いつでも呼んどくれ」
この親切な申し出には、頷けなかった。




