雪枝、菊松
七
「なんの、お前さま、見なさる通り四方八方に仏子柑がぶら下がっとる山間じゃ。木を切り出せばそのまま谿河へ流しっぱなし……川渡しの駕籠の藤蔓は編むにせよ、船大工は要りはしねえ。――わしらが家は、村里町の祭りの山車人形やあやつり人形もこしらえれば、内職にお玉杓子も作っては売ってたでがす。獅子頭、閻魔様、姉様人形の首、天狗の面、座頭の顔……白粉も塗れば紅も塗る、青絵の具もべったりというものじゃ。
そんなものを干し柿を吊すみたいに軒にぶら下げて売りましたっけ。……御維新以来の水害やら山崩れやらで、城址へ草が生える、濠が埋まる、村も里もなくなりましたところへ、道が変わって旅人も通らねえとなると、まるっきり家業も成り立ちませんので、わしらは木挽きもやれば樵夫もやる、温泉場に普請でもあるときには下手な大工の真似もする。暇な日にはドジョウを掬って暮らしているだが。祖父殿のころは繁盛したもんでの、藩主様の奥御殿のお雛様もこしらえさしたと……。
その祖父殿はの、山伏の姿をした旅の修行者が道祖神のそばに病で倒れていたのを世話して、死に水を取らしゃったことがあって……その修行者に機関の技を教わったいいます。
轆轤首が引窓から飛びだす、見越入道がくわっと目を開く、姉様の顔はにっこり笑うだ。結局は魔法を使う切支丹宗門じゃと言われて、お城のなかで殺されたともいえば、行方知れずになったともいう。
それでも最初のころは、不思議な機関を殿様の御前で見せいと言うて、お城へ召されさったこともあったから、そのとき拵えたのが、五位鷺の船頭じゃよ。
それ、船を浮かべたのは、やっぱりこの濠じゃった」
と言いかけて、水辺を見るでもなく、逆に空を指さした老爺の指は、はるかな峰の一つと重なり、霞の高くなびく天守の棟に並んで見えた。
「これはその三重濠のうち、二の丸の奥にあった濠でがす。お殿様は継上下の侍方や振袖の腰元衆をずらりと連れて出て御見物じゃ。
『町人、この船をどうするな』
『御意にござります。船尾に据えましたその五位鷺が帆の代わりに翼を張り、嘴を舵といたしまして、人手を借りませず水の上を渡りまする』
と申し上げ立て。なれども、ただ差し置いただけでは鷺が翼を開くことはなく、人が一人乗る重量で自ずから漕いで出る。もとはといえば天上界の遊山船になぞらえて丹精こめて造りました細工にござるで、ご配下のなかから天人のような腰元をお一方お乗せくだされば、と望んだげな。
当時、飛ぶ鳥も落とすご寵愛を受けていたお妾が一人乗って出たが、船が焼けだしたのは、ぬしが見さしった通りでがす。――その妾というのが、祖父殿の許婚だったとか、馴染の女だったとか噂もあっただね。
綾錦の着物に火が燃え移ろうとしたそのとき、祖父殿が手を挙げて、
『水に飛びこめば助かる』
と大声を張りあげたが、お妾は慌てもせず、玉の簪を抜くと、船端から水中へ投げこんで、サッと髪の毛をさばいたと思え。そのままお妾は船の胴の間に突っ伏して動かなかった。
裸になって飛びこんだ侍方は、船に寄ってはみたものの、燃え立つ炎で手が出せぬ。やっとの思いで船を引っ切り返した時分には、緋鯉が水に潜るように沈んだげな。
そんなだもの。お前さま、祖父殿が家へ帰されるはずもねえがね。
それどころか家じゅう、無事な者は一人もなかった。が、不思議にわしだけが助かりました。
ご時世が変わってから、祖父殿の工夫が書かれた絵図面は、古葛籠の底で見つけました。暇にあかして造ってみて、まずはわしが乗ってみたが、案の定燃えだした。やれ人殺し、と叫んでもしかたがないが……ハッハッハッ、水に飛びこんで泳いで逃げた。
わしが一から工夫したもんでもなし、困ったことに火が出ぬように手を抜くと、五位鷺が動かぬ。濠の真ん中で燃え出すのを承知でなら、幾度もこしらえて乗せて進ぜる。そこのところを麓のものは承知して、わしのことを鷺の船頭などと呼ぶ。そんな、たわいもない芸当だあ」
としゃがんで、腰に下げた煙草入れを取りだした。
青年は目を閉じて、聞き惚れていた。
八
「ところがだよ、聞かっせえまし」
と、すぱすぱと煙草を吹かす。天守を包む鬱蒼たる木立の陰が、間近の煙と遠霞に透けだしてくるかのよう。
「だんだん人里が遠のいて、お天守が寂しくなると、怪しい恐ろしい出来事も増えてきて、さっきお前さまが疑いなさったように、あの船も魔物が漕いで火がつくと噂が立つ。
わしの拵えものだと知ってはいても不気味がって、魔の人が仕掛けておく囮かなにかのように間違えての、谿河に流す筏の端に鴉が留まっても気にするだよ。
だれも来て乗らぬので、久しい間雨ざらしになっておった。船頭も船も退屈をしていたところじゃ。またこれが張り合いになって、わしも玩具が拵えられます。
旦那、お前さまもさぞびっくりなさったろうが、いましがた船といっしょに白い裸体の人が焼けるのを見たときは、やれ五十年、百年目には、世の中に同じことがまた起こるのかと、わしのほうこそ魂消ましたぞ。それでのうてさえ御時節のありがたさで、切支丹と間違えられぬだけでも見っけものじゃ。あれが生身の女でのうて、わしも首をチョン斬られずに済んだでがす。……
が、お前さまはまた、いったいどうなさった訳でがんすかね」
と、ちょこなんと膝を開いて座った真ん中あたりに顎を据え、煙管をくわえて青年をじっと見つめた。
その老爺の前に六尺ばかりの草地を隔てて、青年はばったりと膝をついて、手を下げた。……この姿を天守から見れば、這いつくばる虫のように見えたであろう。
「失礼しました。ご老人、あなたは大先生です。どうかご高名をお名乗りください。私は香村雪枝といって、出すぎましたことですが、同じく木を刻んで、ものの形を拵えます家業の者です」
と言うと、ハッと平伏した。
「これは……」
そう言われて老爺は、それまで草地についていた両手を上げたり下げたり、尻のあたりをもじもじさせながら、
「旦那、はて、お前さま、なにを言わっしゃる。いったいどうしたことやら。……気を静めてくだっせえよ」
「いいえ。どうぞ、失礼ながらお名乗りください。ご覧の通り私はどうにかしている。……夢なんだか現なんだか、自分のことだか他人のことだか、まるでわからないといったふうなのです。……さっきからお話くださったことも、そちらではただアハハアハハと笑っていらっしゃるのがいろいろなことばになって、私の耳に聞こえただけかもしれません。が、そうであってもお聞かせください。あなたのお名前がこの耳に入りさえすれば、勝手ながら私なりに満足いたします。私は香村雪枝っていうんです。先生、本名も靱負といって、昔の侍のような字を書くんですが、それをそのまま雪の枝と書いて号にしている若輩者です」
「ええ、ええ、困ったな、これは。名を言えというなら言うだけれども。改まって言うとなると恥ずかしくて言えぬ」
と、頭を撫でざまに、するりと鉢巻を抜いて取り、
「へい、爺にはちょっと似合わねえ、八つぐれえな小児みたいな名だ。村の衆も笑うでがすが、菊松って言うでがすよ」
「菊松先生、あなたは凡人ではいらっしゃらない」
「勘弁してくだっせえ。うんともすんとも返事ができねえだ。……わしが先生などと呼ばれたのは、へその緒を切って以来はじめてだでね」
「なんともご謙遜で。申し上げようもありません。大先生、あなたでなくって、どうしてあの五位鷺が刻めますか、あの船が動かせますか。そして、その秘密を人に知られないために、天の火で焼くとみせて、船をお秘しなさるんでしょう」
「のう、お前さま。わしは祖父殿の真似をしてるだけだ。で、わしが自由にはなんねえだ。先生だ、師匠だと間違えてわしを呼ぶなら、祖父殿をそう呼ばっせい」
「同じことです。大名の子孫が華族なら、名家の御子孫も先生です。とりわけ私にはそう申さなければならない理由があります。
私が今のこの仕事をするようになりましたのは、あなたか、あるいはそのおじいさまの御薫陶に預かったからだと言ってよろしい」