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10.リアム・クレスウェルが無欲をやめた理由

 リアムが無欲なのは、確かに家族のためでもあった。

 だがそれ以上に、自分の心を守るためでもあったのだ。


 だって。


 ――でないと、この心の中に潜む闇があっという間に広がって、自分がなくなってしまう気がするのです。


 そしてそれは、悪い想像というだけではなく、「絶対に巣食われる」という妙な確信があった。だから今まで、節制を続けてきたのだ。


 けれど。

 グレイスに対しては、なぜだか欲を捨てられなかった。


 今まであれだけ節度をわきまえてきたのに、そんなことすら忘れて気がついたら彼女を目で追うようになっていたのだ。

 それからも彼女が参加する夜会にはすべて参加し、結果何とか繋ぎ止めることが出来た。ほぼほぼ脅しのようなものだったが、それがなくてもきっと、リアムはグレイスを諦めきれなかっただろう。


 だからか。リアムのことを案じるセオドアに、リアムは即座に言ったのだ。


「違います。グレイスは、それだけで選んだのではありません。彼女が良いと思ったのです。……いえ、彼女でなければだめだと、思ったのです」


 珍しく感情的な言葉を紡いだリアムに、セオドアが目を見開く。


「リアム……」

「……申し訳ありません、兄上。つい感情的になりました」

「い、いや、いいんだ。お前がそこまで言うのなら、政治的理由だけで決めたというわけではないのだろう。……いや、むしろ良かったというべきか。きっとそのターナー嬢というのは、お前の運命の相手だろうからな」

「……運命の相手、ですか」


 俗っぽい言い方だったが、しかし妙にしっくりくる言葉でもあった。

 思わず首を傾げていると、セオドアが笑いながら言う。


「わたしたち皇族は無意識のうちに、我々が持つ血の影響を受けない人間を、伴侶に選ぶ。しかし極稀に、まったく影響を受けず、それ故に相性が最もいい伴侶が見つかることがあるそうだ」

「初耳でした」

「それはお前が、こういった話を意図的に避けてきたからだろう。というより、そういった伴侶を見つける気すらなかった、というか」

「仰る通りです、兄上」

「リアム、お前という男は……」


 再度小言を言いそうに口をもごつかせたが、しかしここで何か言うのもと考えたのか。セオドアはそこで口を閉ざした。

 そんなセオドアの葛藤に思わず笑みを浮かべてから、リアムは心中で思う。


 ――兄上。そもそもそんなつもりがなかったのは、わたしが生まれてはならない皇族だったからですよ。


 皇族は皆、善良でありながら帝国民思いだ。そうあるように、ブランシェット帝国で信仰されている夫婦神の血を継いでいる。

 しかしその中で、他者を愛せず、あまつさえ壊したいという欲求を抱えて生まれた自分は、この帝国で最も重い罪を背負った罪人だと思っていた。


 罪は、償わなければならない。


 だからリアムはずっと、自分を殺して欲を消し、他者への献身を続けてきた。

 それは自己犠牲であり、同時に自己防衛でもあったのだ。でないと、リアムは自分ではいられなくなってしまう。


 なのに。グレイスと一緒にいると不思議と、そういった恐怖を感じずにいられた。

 自分の罪がようやく清算できたと。生きていてもいいと、そう思えたのだ。


 同時に、これだけのことをし続けてきたのだから、それくらい望んでもいいのでは? という欲が滲んだのも事実だ。


 それを胸の奥にしまったリアムは、セオドアに笑いかける。


「できる限り早く、婚約発表をしたいと考えています」

「それはいいな」

「はい。ですが……伯父上のことを片付けた後のほうがよいと思い、時期を見計らっています」

「……伯父上か。確かにあの方は、わたしにとっても悩みの種だな……身内のことに悩むより、今は巷で流行っていると言われている正体不明の依存性の高い薬の件に集中したいんだが」


 リアムは苦笑する。それは、彼自身にとっても同じだったからだ。

 現在『これさえ飲めば神様に会える!』という名目で売られている薬が流行っている。初めのうちは庶民だけの間で広まっていたのだが、一部の貴族の間でも売られているということで、リアムの耳に届いたのだ。

 リアムも調べているが、売り手はかなり巧妙に隠しているらしく、全容は掴めない。ただかなり依存性が高く、精神的に問題が起きている人間も増えているようだった。


 そしてそういった人間たちは皆一様にこう口にし続ける――『母神様にお会いできた』と。


 神が関係するのであれば、それは皇族の評判に影響を及ぼす可能性が高い。

 また、神が関係することで悪評が広がるのはまずい。

 ということもあり、宮廷としては今、この件を注視しているのだった。


 それなのにまさか身内の件でここまで煩わされるとは。


 リアムは、今は亡き美しくも優しく、強かな母に思いを馳せながら、口を開いた。


「母上が生きていれば、きっと仰ったでしょうね。早々に、縁を切っておけばよかったと」

「だろうな。だがしかし、母上がお亡くなりになるのを見計らっていたのだろう。それまでは大人しくしていたから」

「そうでしたね」


 リアムとグレイスの結婚を絶対に邪魔してくる人間は、表面上では伯父ただ一人だった。


 それは、皇族が親類には甘いことが原因だ。

 同時に周囲の貴族たちもそれを知っているため、伯父を頂点に立たせてリアムに取り入り、彼を傀儡にしてこの国を牛耳ろうとしている。

 なので表面上はリアムの邪魔はしないが、伯父がいる限りは裏で様々な工作をしてくる貴族たちは少なからずいるだろう。


 そういうこともあり、リアムはその伯父さえなんとかすれば、周りはもう何も言えないことを知っていた。


 それが分かっていてなぜこうも手が出せないのかというと、未だに「皇帝を害する」という決定的な言葉をリアムに告げていないからだ。

 それさえあれば反逆罪で捕まえられるのだが、後ろに黒幕ブレーンがいるのか。リアムの周りをうろつき、暇さえあれば結婚相手を見繕ってくるだけだ。そのたびに丁重にお断りしているが、いい加減鬱陶しいのも事実だった。


 ただ、リアムがグレイスと結婚しようとしていることが分かれば、絶対に妨害してくるだろう。


 臣下に下ったとはいえ、リアムは皇族であり、公爵だ。それ相応の手順を踏まなければ、結婚できない。


 まず、婚約発表。それを経て正式な婚約者になり、一年かけて結婚の準備。その後、結婚式を挙げる。これが通例だ。特例はあるが、リアムはセオドアのためにも目立つ行ないは避けたいので、通例通りに事を運ぶことを望んでいる。


 しかし伯父をどうにかしなければ、婚約発表すらできないだろう。

 何より、婚約発表を強行すれば、グレイスの身に危険が及ぶ可能性が高くなる。絶対に守ると約束した以上、それだけは避けたい。


 なのでリアムがこれからするべきことは、婚約発表の準備。そして伯父をどのようにして抑え込むか、だった。


 いっそ、何か起こしてくれたらとも思うが、何かいい情報はあっただろうか、と頭を悩ませていると、セオドアが笑う。

 リアムは首を傾げた。


「どうかされましたか、兄上」

「いや、きっと色々な策を考えているんだろうな、と思っただけさ。そして、伯父上を含めた、貴族たちの見る目のなさがおかしくてな。お前が皇帝になれば、操るどころか自分たちが操られて、破滅していくだけなんだがな」

「……無能のように見えているのであれば、わたしの望んだとおりですから」


 リアムはそう言い、薄く笑みを浮かべた。


 ――思えば、周囲から甘く見られるのは、わたしのこの態度も理由の一つなのかもしれませんね。


 リアムは、事なかれ主義だ。できる限り波風を立てないように、相手の反応や態度を、相手の性格や仕草、表情などから判断して会話を重ね、自分が望む形を引き出す。それを最も得意としている。


 それもあり、ぱっと見はあまり恐ろしく見えないのだ。むしろ意図してやっているのだが、それに気づいているのはきっと、兄であるセオドアくらいだろう。


 家族のため。

 また、下手に怒りをあらわにして、自身が闇に呑まれるのを防ぐため。


 そういう意図で続けてきたことだったが、グレイスとの結婚に踏み切るのであればいい加減、吹っ切ったほうが良いかもしれない。

 そう思うのだが、グレイスが近くにいない状態でそうなれば、心があっという間に闇に呑まれる気がした。


 かと言って、グレイスにそんなものを見せたくないという気持ちも強い。彼女は気が強そうな見た目をしているが、どちらかというと家族思いで心優しく、歳相応に憶病な少女だ。

 また、契約という形で縛っているだけのグレイスに、そこまでの負担は強いれない。


 リアムはふう、と息を吐き出した。


「伯父上のことよりも、グレイスをどうやって落とすかのほうが、わたしにとっては大事なのですが……」

「落とすって、お前……」

「彼女はあくまで契約上の関係で、わたしのことを絶対に好きにはならないと言っているのです。ですから、わたしのほうからアプローチしなければならないのですよ、兄上」

「……色々と言いたいことはあるが、一応双方合意の元、結婚を、ということなんだな?」

「はい」

「ならわたしは何も言わないが、婚約発表前には一度、ターナー嬢に会わせてくれよ。わたしは、リアムを全面的に応援するから」


 リアムを信用してくれている発言に、つきりと胸が痛む。合意して結婚を、という形にはなったが、半ば脅しのような状態ではあるからだ。


 ――もし兄上が、わたしのこんな汚らわしい側面を見たら、どう思うのでしょうか。


 きっと、幻滅するだろうな、と思う。

 しかしそれでも、リアムはセオドアへの献身を続けるだろうな、とも。


 だってリアムは、その生き方しか知らないのだから。


 そんな気持ちを胸にしまいながら、リアムは一つ頷いた。


「必ず、連れてきます」


 そして、自身の屋敷にいるグレイスに思いを馳せたのだった。

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