第七十二話「手紙」
ヴェルダン伯爵からの正式な書状が届いたのは、マリエルの手紙から一週間後だった。
グラウン辺境伯ライナス・ヴァルト殿宛てに届いた封書だった。
「読んでくれ」
ライナスがアオイに書状を渡した。
丁寧な文章だった。高位貴族らしい格式のある書き方だが、押しつけがましくない。
——グラウン辺境伯殿、このたびは突然のご連絡をお許しください。ヴェルダン伯爵ロルフと申します。今回、アオイ殿についてご相談申し上げたく、書状をしたためました。
昨年の王都での病の際、息子が重篤な状態に陥りました。治癒魔法師では対処できないと言われたとき、アオイ殿の飲み薬を使っていただきました。その後、二日ほどで息子は回復いたしました。
妻は5年前に亡くなっており、息子が私の跡を継ぎますので、アオイ殿には後妻として穏やかに暮らしていただければと思っています。薬屋のお仕事も続けていただいて構いません。王都に移っていただくことになりますが、不自由なく暮らせるよう尽力します。
ご検討いただければ幸いです。——
アオイは書状を読み終えて、ライナスに返した。
「優しい方ですね」アオイは言った。
「そうだな」ライナスは言った。声が少し低かった。
「誠実な書き方だ」
ライナスは書状を手に取ってまた見た。
「薬屋の仕事を続けていい、不自由なく暮らせるよう尽力する、か…配慮のある方だ」
「そうですね」
「だからこそ断りにくい…が、絶対に断る」
「はい」
「お前はいいか」ライナスはアオイを見た。
「断ることで、ヴェルダン伯爵を傷つけるかもしれない」
「それはライナス様が断ってくださるので、私のせいではないですが…ただ申し訳ないとは思います」
「そうだな。誠実に断る。相手が誠実なら、こちらも誠実に断るべきだ」
「わかりました」
「返事はこちらで書く。お前は何もしなくていい。確認なんだが、本当にいいか。ヴェルダン伯爵は高位貴族で、誠実な方だ。王都での暮らしも不自由はないと言っている」
「いいです。グラウンにいます」
「わかった。任せてくれ」
翌日、ライナスはセドルと一緒に返書を書いた。
アオイは執務室の隅でノートを書いていた。書類整理の続きがあったので、一緒に執務室にいた。
ライナスが返書を書きながら、時々アオイを見た。
「どういう形で断るか考えたが、正直に書くことにした」
「正直に、というのは」セドルは言った。
「アオイはすでに縁談の相手がいる。グラウン辺境伯である私がその相手だ。それだけだ」
「ライナス様が直接そう書かれるんですか」
「そうだ。遠回しに断っても相手に失礼だ。正直に書く方が誠実だ」
「わかりました」セドルは言った。
アオイはノートを書く手を止めた。
「ライナス様」
「なんだ」
「私のことをそのまま書くんですか」
「そうだ。問題があるか」
「ないですが…」アオイは少し考えた。
「ライナス様の立場として、問題はないですか。辺境伯が平民と縁談を進めるということになりますが」
「問題ない。グラウン辺境伯の判断だ。他に口を出す者はいない」
「そうですか」
「そうだ。お前は心配しすぎだ」
「そうですか」
ライナスはセドルを見た。
「書いてくれ」
「はい」セドルは書き始めた。
セドルの少し口元が動いていた。笑いをこらえているようだ。
完成した返書をライナスがアオイに見せた。
——ヴェルダン伯爵殿、このたびはご丁寧な書状をありがとうございます。グラウン辺境伯ライナス・ヴァルトと申します。アオイは当グラウンにて薬屋を営んでおり、グラウンの住民の健康に大きく貢献しております。
このたびのお申し出、大変光栄に存じます。伯爵のご人柄と誠実さは十分に伝わりました。ただ誠に申し訳ありませんが、アオイにはすでに縁談の相手がおります。グラウン辺境伯である私がその相手です。
ご期待に沿えず申し訳ありません。伯爵のご多幸をお祈り申し上げます。——
「はっきり書いていますね」アオイは言った。
「そうだ。遠回しにしても意味がない」
「そうですね。ありがとうございます」アオイは返書をライナスに返した。
「これでヴェルダン伯爵も引かざるを得ない」
「そうですね」
「ただ伯爵には悪いことをした」
アオイは少し考えた。
「一つお願いがあります」
「なんだ」
「ヴェルダン伯爵へ私からも手紙を送りたいです」
「何を書くんだ?」
「薬屋として、今回息子さんが助かった事へ感謝いただいたことと、私への気遣いに対してお礼の手紙を書こうと思います」
ライナスはしばらくアオイを見た。
「そういうところだな」ライナスは言った。
「そういうところとは」
「縁談を断っておいて、お前はそういうことを考える。まあ、お前らしいな」
「そうですか」
「書いたものは、一緒に送る」
「ありがとうございます」
アオイはその夜、ヴェルダン伯爵への手紙を書いた。
——ヴェルダン伯爵様、グラウンの薬屋、アオイと申します。このたびはご縁談のお申し出をいただきながら、お断りすることになり、誠に申し訳ありません。
王都での病の際、私の薬でご子息を助けることができたとのこと、薬屋として本当によかったと思っています。
腐敗魔法の薬がこの先も王都の人々に安心して使用していただけるように、薬の製造と供給に取り組んでまいります。
追伸 お体に気をつけてお過ごしください。——
書き終えて、封筒に入れた。
翌朝、セドルはライナスの返書とアオイの手紙を一緒に送った。
「アオイが書いた手紙を送る前に確認したかったが、もう送ってしまったな」ライナスが言った。
「はい。セドルさんに渡しましたので、もう送っています」
「そうか…」ライナスは少し苦笑した。
「まあいい。どんなことを書いたんだ」
「今後の薬の供給体制への決意です」
「そうか。それはいい手紙だな。ヴェルダン伯爵も、縁談の断りだけでなくそういう手紙が来れば救われると思う」
「そうだといいですが」
二週間後、ヴェルダン伯爵から返事が来た。
ライナス宛てとアオイ宛て、二通に分かれていた。
ライナス宛てには、縁談を取り下げる旨と、ライナスとアオイの幸福を祈る言葉が書いてあった。
アオイ宛てには、こう書いてあった。
——アオイ殿、丁寧なお手紙をありがとうございました。アオイ殿が腐敗魔法の薬を作っていることで、これからも多くの命が救われると思います。どうか続けてください。
追伸 グラウン辺境伯と幸せになってください。遠くから応援しています。——
アオイは手紙を読んで、しばらく黙った。
ライナスに見せた。
「誠実な方だ」ライナスは言った。
「そうですね」
「遠くから応援していると書いてある」
「そうですね。ヴェルダン伯爵、幸せになってほしいですね」
「そうだな。これで縁談の件は片付いた」
「はい」
「よかったか」
「よかったです。ライナス様はよかったですか」
「非常によかった」ライナスは即答した。
ヴェルダン伯爵は優しい方だった。遠くから応援していると書いてくれた。
その方に申し訳ないと思いながらも、グラウンにいることを選んだ。
ライナスがいるから。




