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第四十八話 パンダ☆ナイト アゲイン(視点変更有)

(一之瀬尚吾視点)


 外は雪が降っているらしい。天気予報が、明日はホワイトクリスマスになりそうだと言っていた。去年の今頃はパンダになっていたんだっけ。懐かしく思い出していると、突然電話がけたたましく鳴った。

『尚吾?何してるの?』

 少し酔っているのか陽気な母親の声がした。背後の賑やかさが受話器を通してさえも聞こえてくる。

「俺はとっても忙しくしてる。パーティーには出ないからな。必要があれば駅までなら運転手はやってやるけど……」

 俺は「とっても」を強調した。暇そうなそぶりを少しでもすれば命が危ない。

 母は同じフロアの多目的室で社員を集めてクリスマスパーティーを開いているのだ。イヴなんだから集まらないだろうと思うのだが、それなりの人が集まっているようだ。強制はしてないと本人は言うのだが、どうだか。俺はため息をつく。

『尚吾が大好きなミートボールもあるのよ?』

 母はさもビッグニュースだと言わんばかりの声で言った。

「別に大好きじゃないし……」

 母の後ろから、『尚吾君愛してるわよ~』と年配のおばちゃんの声がした。どっと笑い声が上がるのも聞こえる。俺は震えあがった。パワフルな社員が集まっているらしい。多目的室は魔窟と化しているようだ。君子危うきに近寄らず、そんな格言が脳裏をかすめる。

『分かったわ。じゃあ後で運転手をお願いするかもしれないけど、お腹がすいたら料理だけでも取りに来なさいよ』

 母は苦笑気味に言った。

「わかった」

 俺はどっと疲れて受話器を置いた。母は母なりに気を使ってくれているのだろう。だから、あまり文句も言えないのだが……俺は苦笑する。

 今日はバイトを入れる気にもならず、部屋で一人くつろいでいた。さすがに二カ月も経つと慣れてきて、街にいても、図書館に行っても風花を探すことはなくなってきた。記憶が少しずつ薄らいで、同時に苦痛も少しずつ和らいでいった。

 静かな宵、コーヒーでも淹れようとキッチンに立ったところで、再び電話がけたたましく鳴った。俺はむっとして受話器をとる。もう、ほっといてくれよ、心の中で悪態をつく。

「今度は何の用だよ?」

 俺は確認もせずに不機嫌な声で問いかけた。

『尚吾……』

 てっきり母だと思っていた俺は、声の主に気づいて瞠目する。

『忙しい時に悪いな』

陸也だった。

「いや、特に忙しいわけじゃないけど……どうした?」

『……』

 受話器の向こうで、陸也の迷っているような気配が伝わってくる。

「どうしたんだよ」

 俺は気楽に話せるようにと、少し笑って声を和らげた。

『……風花ちゃんが、街で行きそうな所ってどこかな?』

「え?」

 俺は息をのむ。

『お金がなくて、上着も着てなくて、それでも居れそうなところ……』

 俺は絶句する。陸也は続けた。

『俺が悪かったんだ。俺が風花ちゃんを……追い詰めた。俺の部屋に荷物もコートも置きっぱなしで部屋を飛び出したんだ。探したんだけど、見つからなくて……外を見たか?雪が降ってるんだ。俺、どうしたらいいか分からなくなって……』

 陸也の声がかすかに震えていた。

「風花はいつ部屋を飛びだしたんだ?」

 俺は動揺を隠して、冷静な声が出るように受話器を握りなおした。

「三、四十分前」

「風花の家には連絡したのか?帰ってるって可能性もあるだろ?」

 Suicaなどを持っていれば、財布がなくても自宅まで帰ることは可能だ。

「いや、してない。俺、風花ちゃんの自宅の電話番号を知らなくて……ケータイもここに置いて行ってるんだ。番号を教えてくれるなら、俺電話してみるよ」

 すっかり消沈した様子の陸也が言った。

「……一緒にいるはずのお前が電話したら心配するだろ?俺が電話してみるよ」

『すままない』

 陸也は消え入るような声で呟いた。


 俺はすぐに風花の家に電話を入れた。

『風花は今出かけているのよ。少し遅くなるって言ってたわ』

 小春さんが出て、少し言いづらそうにそう言った。

「そうですか。じゃあ、風花が戻ってきたらすぐに俺のケータイに連絡をするように伝えてもらえませんか?」

 少し急いでいるように、でも焦っている様子は隠して、俺は頼んだ。

『急ぎなら連絡してみれば?風花はケータイを持っているわよ?』

「いえ、わざわざ呼び出すほどのことではないんで……」

 もし小春さんが気を使って風花のケータイに連絡してしまえば、いらない心配をさせる可能性があった。もう少し事を荒立てないでいたかった俺は、努めて明るく言う。小春さんは伝えると約束してくれた。


「家には帰ってなかった」

 俺はすぐに陸也に連絡を取る。

「風花が帰ったら、俺のケータイに連絡するようにしてもらったから」

『すまない。俺、今からもう一度捜しに行って来るよ』

「陸也、おまえはそこで待ってろよ。荷物があるんだったら、そこへ戻る可能性は高いだろ?俺が心当たりを回ってみるから」

『……悪いな、尚吾』

 陸也はすっかり落ち込んでいる様子だった。風花め、何やってるんだ。

 俺は靴を履きながら風花の行きそうなところを目まぐるしく考えていた。イヴの夜、この街で、お金なしで、寒さをしのげて……助けを求められるところ……。そこまで何度も考えて、思いつくのがたった一つであることに苦笑する。まさかだろ。

 マンションのエントランスを出て、ふわり、ふわり、と雪片が舞う漆黒の夜空を見上げた。空気は冷えきっていて、夜気が氷水のように体に纏わりつく。こんな寒い夜空の下で、コートもなしに風花がどこかで凍えているのかもしれないと思うと、じんわりと胸が痛くなる。何があったのかは知らないけれど、またどこかで無防備に泣いているかもしれない、誰か悪い奴に声を掛けられているかも……そう思うと気が急いてきて、俺は白い息を吐きながら、雪の中に踏み出した。



(佐竹風花視点)


 雪が静かに降る街で、私は一人途方に暮れていた。財布はなく、ケータイはなく、コートさえない。戻らなきゃならない。それは分かるのだけど、どうしたらいいのか、戻って何と言えばいいのか……さっぱり分からなかった。

 泣きそうになって、ぐっとこらえる。こんな所で泣いてはいけないんだ。私は柔らかに明かりが灯ったデパートの化粧室を借りることにした。冷えきった頬にデパートの空気が暖かい。化粧室の個室にこもって、声を殺して泣いた。

 今から陸也さんの元に戻って謝れば、きっと陸也さんは許してくれるのだろう。優しい人だから。だけど、それでは先で、もっともっと陸也さんを傷つけることになる。私では駄目なのだ。私は陸也さんを傷つけることしかできない。陸也さんをこの霧の世界から連れ出すことができない。私が陸也さんにしてあげられることは、もう一つしかなかった。

 デパートを出て、とぼとぼと歩く。去年、一人ぼっちで立ち尽くして泣きじゃくっていた場所を通り過ぎる。たった一年前のことなのに、あの時は本当に子供だったと思う。幼馴染に映画をすっぽかされたくらいで、どうしてあんなに泣いていたんだろう。そして苦笑する。あれからたった一年しか経っていないのに、今の私はもっともっと色々なものを失ってしまっていた。去年よりももっとずっと窮地に陥っている……でも、泣かないよ。こんなところで泣いちゃいけないんだよね?パンダ。こんな時は、うちに帰って寝るんだよね?パンダ……でも、去年よりも状況が悪いんだよ。どうしたらいい?応用問題は苦手なのだ、なのに答えを教えてくれるパンダはいない。私は途方に暮れたまま、とぼとぼとあてもなく歩き続けた。



(一之瀬尚吾視点)


 通りまで出て、右に行くか左に行くか迷った。風花が行くとしたら、やはり駅方向だろうと思い、左に曲がる。駆けだそうとして、俺はふと立ち止まった。

「いえ、乗らないんです。ごめんなさい」

 背後から、か細い声が聞こえた。バスが発車する音がして、俺を追い越して通り過ぎて行った。俺はゆっくりと振り返る。屋根つきのバスストップの下に風花がいた。黒っぽいセーターを着ていたので、さっきは気づかなかったらしい。風花は最後に見た時よりも痩せてほっそりして見えた。寒そうに手を擦り合わせて、項垂れた首筋が細くはかなげに見える。風花を見つけた安堵感よりも、一瞬でも風花の姿を捉え損ねた自分に腹が立っていることに首を傾げながら、その小さな背中を見つめた。

「どこに行くつもりなんだ?」

 俺の声に風花は驚いたように顔を上げた。

「……尚吾」

 風花は聞こえないくらいの小さな声で俺の名前を呼んだ。遠い星からの通信みたいだ。

「こんな所で何してんだよ」

 俺は胸がいっぱいになって、だけど仏頂面で、風花に問いかけた。

「き、奇遇だねぇ、こんな所で」

 風花はこわばった笑みを浮かべた。

「何が奇遇なんだよ、こんな雪の日に上着も着ないで、こんな所で何してるんだよ」

 俺は風花の頬に手を伸ばした。びっくりするくらい冷えきっていて、俺はドキリとする。

「尚吾だって上着着てないじゃん」

 慌てて飛び出したのだ。確かに外套を着ていなかった。動揺していたことに気づいて動揺する。俺は苦笑して、着ていたセーターを脱いで風花に被せた。綿のカッターシャツに寒風が突き刺さる。セーターを引っ張って、ぱふんと風花の頭を出すと、少し戸惑い気味の瞳が俺を見上げた。

「陸也が心配してる。来いよ」

 俺は風花の手を掴んだが、すぐに振り払われた。

「だめ、私、陸也さんに会えないよ。ひどいことをしちゃったの」

 風花が俯くと水滴がぽたぽたと落ちた。泣いているらしい。

「とにかく来いって、冷えきってるじゃないか」

 俺はうむを言わさず手を取ると、マンションへ戻った。


 風花をリビングのソファに座らせると、とりあえず陸也に連絡をとった。

「陸也、風花を見つけた。今ここにいるんだ」

『そうか……良かった。どこにいた?』

 俺は状況を簡単に説明する。

『ありがとう。今からそっちに行くよ』

 陸也が心底ほっとした様子で言った。今すぐに風花を引き取りに来そうな勢いの陸也に俺は焦った。

「陸也、もう少し待ってくれないか?少し落ち着かせたいんだ。風花、ひどく落ち込んでて……おまえにひどいことをしたからもう会えないって……泣いてるんだ。何があったかなんて聞くつもりはないけど、もう少し時間をやってくれないか?」

 俺は躊躇いながらも、懇願口調で言った。

『……ひどいことをしたのは……俺の方なんだ』

「……」

『尚吾、今夜、風花ちゃんのことを頼めるかな?』

「……陸也?」

 俺はたじろぐ。

『今から荷物だけを届けに行くよ。俺は風花ちゃんに何も言わないし、何も聞かない。会いたくないならそれで構わない。もしお前が引き受けてくれるならだけど……』

「……分かった」

 俺は不安と安堵がないまぜになった不安定な気持ちのまま受話器を置いた。

「風花、陸也は荷物を届けてくれるって。陸也はおまえに悪いことをしたって言ってた。何があったのかは知らないけど、少し冷静になれよ。今夜は俺が家まで送ってやるから」

 風花は縋りつくような目で俺を見上げたが、何も言わないまま頷いた。


読んでくださってありがとうございます 招夏

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