第四十七話 ロスト ☆ ザ ウィング(視点変更有)
少し長めです。お時間のある時にどうぞ
(二ノ宮陸也視点)
十二月に入ると、街はクリスマスムード一色になってにぎやかだ。図書館の帰り、風花ちゃんと二人で街を歩く。
「クリスマスはどうしようか?何をしたい?」
「受験生にはクリスマスなんてないんですよ」
風花ちゃんはしかつめらしい顔で言った。
「じゃあ、オールナイトで勉強しようか」
俺もしかつめらしい顔で提案する。
「それは嫌かも……」
風花ちゃんは小さく笑った。
風花ちゃんはあれからずっと変わり続けている。どんどん大人びて、まるで月に帰る準備でもしているみたいに、どんどんきれいになって、透明度が増していっている気がしていた。俺はどうしたらいいのか、このままでいいのか、分からなくなっている。誰にも相談できず、ふと尚吾に相談してみたくなって、尚吾がとっている授業の教室で尚吾を探した。最近、進路が分かれたせいで同じ講義で出会うことが少なくなっていたからだ。そして俺は目を見張る。もう随分会っていないはずなのに、二人はまるでシンクロでもしているように痩せて、どこかしら同じように儚げな雰囲気を纏っていた。俺は声さえ掛けられずに教室を後にした。
「あ、パンダ!」
考え込んでいる俺の隣で、風花ちゃんが小声で叫んだ。つられて風花ちゃんの視線をたどる。そこには着ぐるみのパンダが看板を持ってポテポテ歩いていた。看板には、
『オモチャのことなら、パンダ堂!なんでもそろうよ!』と書かれている。
「……パンダ、転職したんだ……」
風花ちゃんは呆然としたように呟いてから、クスクス笑った。久しぶりに見る風花ちゃんの眩しいような笑顔だった。俺は複雑な思いで小さくため息をつく。
風花ちゃんの中に居る尚吾は無敵で、強力に風花ちゃんを捉えて離さないように感じられる。最近では、俺はどうやっても尚吾を忘れさせることなんてできないんじゃないかと思い始めていた。でも、それでも風花ちゃんの手を離す気になれない。どんな状態でも傍に置いておきたかった。それは愛というよりも、ほとんど執着に近くなっているかもしれない。
「クリスマスイヴは外で食事をしよう。その後勉強をして……その日は少し遅くなるって家の人には言っておいてよ、俺が家までちゃんと送って行くから心配しないでって」
俺はつないだ手に力を入れなおした。
「食事は嬉しいですけど、その日はもう勉強はいいですよ。イヴなんだし……」
風花ちゃんは少し困ったように言った。
「受験生はクリスマスイヴもないんだろ?」
俺はうむを言わさぬ勢いで言って、風花ちゃんの瞳を覗きこんだ。
「余計なことを言っちゃったみたい」
風花ちゃんは、ふわりとほほ笑んだ。
この前、大学のキャンパスで安藤芹香に会った。安藤は尚吾じゃない男の腕に手を絡めながら、楽しそうに歩いていた。
「なぁ、おまえらもう別れたのか?」
俺は思わず、安藤を呼びとめて問い詰めていた。安藤は目を見開いて、
「ちょっと!変なこと言わないでよ!なんのことを言ってるの?」と声をひそめて言った。
当然相手の男は怪訝そうな顔で俺を睨みつけている。
「尚吾のことだよっ」
俺はムキになって突っかかった。
「ちょ、ちょっと、こっちに来てよ」
安藤は相手の男に少し待つように言ってから、俺を道路わきに引っ張って行った。
「私は尚吾とは付き合ってないわよ、あの時は、尚吾に頼まれたのっ。距離を置きたい子がいるから手伝ってほしいって」
安藤は迷惑そうに早口で説明をした。
「尚吾に頼まれた……」
俺は呆然と呟く。
「手伝ったら、就活で、尚吾のお母さんのコネを紹介してやるって言うから……」
「なんだよそれ」
俺は声を荒げた。
「しーっ、声が大きいわよ。私が言ったって尚吾に言わないでよ?その子に自分が嫌われて、近寄りたくないようにしたいんだって言うのよ。だからよっぽど嫌な子なの?って聞いたら。逆だって、大事だから自分の傍から離しておきたいんだって、尚吾ったらさっぱり分からないのよ。でも、私コネが欲しかったから。私が知ってるのはそれだけよ。もうこれでいいでしょ?」
安藤は相手の男に甘ったるい声で言い訳をしながら足早に遠ざかった。
大事だから離しておきたい……その言葉が何度も頭の中でリフレインする。
『羽化したばかりの蝉』、以前尚吾が言った言葉が脳裏に突然浮かんだ。
隣にいる風花ちゃんは、今まさに羽化したばかりの蝉みたいだった。柔らかく、儚く、捕まえて手のひらに乗せても、そのまま握りつぶそうとしても、空中に飛び立つことができない、羽化したばかりの蝉。
そして俺は、そんな風花ちゃんが俺から逃げられないように、その羽を千切ってしまいたい衝動と闘ってる。
(佐竹風花視点)
もうすぐクリスマスイヴがくる。尚吾と初めて出会った日だ。
最近、陸也さんとの関係が変性してきていると思う。陸也さんが少しずつ不安定になっていく。全部私のせいだ。それは分かっていた。
少し前にこんなことがあった。
「陸也さん、やっぱり少し時間をもらえませんか?私、駄目なんです。陸也さんに会ってると、どうしても一之瀬さんのことを思い出してしまうし、そんなの陸也さんに悪いし……少し一人になって、しょ……一之瀬さんのことを忘れたいんです……けど……」
陸也さんの部屋で抱きしめられながら、私はずっと考えていたことを口にした。陸也さんが嫌いになったわけじゃない。だけど尚吾とのことを自分の中で終わらせられないかぎり、次に進めないのではないかと私は思い始めていた。陸也さんは、あまりにも尚吾との関わりが強かったし、私は一つのことが終わらないうちに次のことを始められるような器用な性格ではなかった。陸也さんといると、まだ尚吾とつながっているんじゃないか、そんな錯覚にとらわれて、心のどこか片隅で……期待してしまうのだ。私はずっと苦しんでいた。
「俺といるのが嫌になった?」
私の言葉に陸也さんが哀しそうな顔で言った。
「そうじゃないんですよ」
私は懸命に訂正する。どう説明したら分かってもらえるだろうか?
「尚吾のことを忘れられないならそれでもいいって、俺言ったよね?」
陸也さんは少しイライラしたように言った。
「でも、それじゃ……」
陸也さんに失礼だし、私自身が不誠実だ。でも、その言葉は唇を塞がれて音声にならなかった。心に麻酔をされるように口づけを受ける。図書館で勉強した帰り、陸也さんの部屋へ行く。それが慣例になっていた。
「風花、じっとしてて、逃げようなんてしないでくれよ。そうしたら俺、風花に何するか分かんない」
陸也さんはそう言って、セーターの中に手を滑り込ませた。素肌に直接陸也さんの指先が触れる。
「陸也さんっ」
私は思いっきり動揺する。
「じっとしてろっ」
陸也さんの鋭い一言に、金縛りにあったように動けなくなる。ぷつっと音がして、胸に開放感が走り、私はごくりと唾を飲み込んだ。心臓がドキドキして、何も考えられなくなる。
「風花、俺から逃げようなんて考えないでくれ。そんなことしたら俺、どんなことをしても風花が俺から離れられないようにするから」
いつになく切羽詰まった様子の陸也さんに、私は固まった。
「陸……也……さん」
素肌を陸也さんの指が滑るたびに、体中がしびれて目の前がくらくらする。混乱して熱いものがこみ上げてきた。
「……風花……泣かないでくれよ……」
いつのまにか涙がこぼれていた。陸也さんは少し困ったように言ってから、ブラのホックを元に戻した。
「ごめん、泣かすつもりはなかったんだ。風花が嫌がることはしないから……泣かないで」
涙の理由は、嫌だったわけでも怖かったわけでも……実は、なかった。ただただ、混乱していただけだ。混乱して、その状況から逃げる為の涙だった。私はずるい人間だ。いつもいつも陸也さんときちんと向き合うことができない。
首筋にたくさん刻みつけられた紅い花びら。まるで陸也さんの名前を記されているみたいだ。私は自宅の浴室で、鏡を見て途方に暮れる。陸也さんから口づけを受けるたびに、私の中で何かが一つずつはがれ落ちて行くのを感じていた。
はらり、はらり……それは付箋紙のようで、空を飛ぶ為の羽のようで、私自信のようで、私は少しずつ自分が自分でなくなっていくような錯覚にとらわれていた。これが全部はがれ落ちてしまったら、私はどうなるんだろう。尚吾を忘れられるんだろうか?こんな風に次へ進んでもいいの?
クリスマスイヴは約束通り、外で夕食を食べた。
「何を食べたい?」
陸也さんが訊く。
「うーん、特にこれと言っては……あ、天丼以外がいいかな?」
私の言葉に陸也さんは吹きだした。
「クリスマスイヴに天丼はないだろ?」
私もつられて笑う。
「そうですよね、天丼はないですよねぇ」
食事の後、陸也さんの部屋へ行った。本気で勉強をするつもりらしい陸也さんに、私は苦笑する。
「冗談だと思ってましたよ。今から勉強なんて……」
「俺はいつだって本気だよ。風花ちゃんが第一希望の大学に入れたら、帝都大学からも近いから、いつでも会いに行けるし……」
「この前の模試では七十パーセントの当選率でしたよ」
私は軽く項垂れる。
「合格率だろ?」
陸也さんが苦笑する。
少しずつ積み上がって行く陸也さんとの時間が、徐々に私を別の色に染め上げていく。こうやって人は様々なことを乗り越えて行くのかもしれない。乗り越えて行かなきゃならないんだろうと思い始めていた。
「ね、風花ちゃん、数学の参考書をプレゼントしたいんだけど、受け取ってもらえるかな?」
陸也さんが意味ありげな瞳で私を覗きこんだ。
「……参考書ならもういいですよ。もうすぐ受験だし、今さら新しいものを使ってもあまり意味がないと思いますよ?」
私は首を傾げる。
「そうだね。君にとっては意味がないのかもしれない。これは俺にとって意味があるものだから……」
そう言いながら陸也さんが取り出した参考書を一目見て、私は固まってしまった。
「……これ……」
「これを使ってほしいんだ。そしてそのバッグの中にあるものと交換してくれる?」
私は絶望的な気持ちになる。陸也さんは知ってたんだ、この参考書と全く同じものがいつも私のトートバッグの中にあることを……
無言のまま参考書を差し出す陸也さんから、私は、その真新しい参考書を受け取った。震えているのは寒かったからじゃない、怖かったからだ。強いて例えるなら、命綱なしで谷底に降りろと言われた時の気持ちに似ていたかもしれない。私がこの付箋紙たちをどれほど頼みにしていたのかに気づかされる。私は途方に暮れたまま、トートバッグから古い参考書を取り出した。付箋紙がたくさんついた参考書だ。たくさんの、たくさんの言葉が書き込まれた付箋紙たち。私はその参考書を陸也さんに渡すことができない、抱え込んだまま涙がこぼれた。
「やっぱりまだ駄目?今度は俺が付箋紙に書き込むよ。それでも駄目?俺じゃ駄目なのかな?」
「陸也さん……あっ……」
陸也さんは私が抱えこんだ参考書を抜き取って、付箋紙を一枚ずつはがしていった。次第にぼやけていく視界の中で、はがされた付箋紙が千切られた羽のように地面に舞い落ちていった。
「……やだ、いやだっ、やめてっ、やめて、陸也さんっ」
私は泣きながら陸也さんの腕にしがみついた。
「どうして?どうしてだよっ、どうして俺じゃ駄目なんだよっ」
参考書を投げ捨てた陸也さんに、私は押し倒された。床に押さえつけられたまま何度も口づけを落とされる。
「やだっ、やめて、やめて、陸也さんっ、やめてぇ」
陸也さんは首筋にも口づけを落として行く。首筋を強く吸われてキリッと痛みが走る、セーターの中に入り込んだ陸也さんの手が素肌の上で蠢く。力ずくで押さえつけられて、私はパニックに陥ってしまった。
「いやっ、やぁっ、尚吾!尚吾っ、助けてっ、尚吾っ」
陸也さんから力がふっと抜けた。私はするりと陸也さんの下から抜け出す。呆然とした様子の陸也さんを見て、私はとんでもないことを口走ってしまったことにやっと気がついた。
「ご、ごめんなさい。私……」
やっぱり私には無理だったのだ。私には尚吾を忘れることなんてできなかった。それなのに私は陸也さんを巻き込んで、最低な形で傷つけてしまった。そして更に最低なことに、私はその場から逃げだしてしまったのだった。
(二ノ宮陸也視点)
俺が言わせた……俺が風花ちゃんに尚吾を呼ばせてしまった。俺は一人部屋の中で、頭を抱え込んだ。どうすればよかった?忘れさせるなんて言っておきながら、俺は風花ちゃんの記憶の中の尚吾に追いつくことさえできない。俺はしばらく頭を抱え込んだ後、風花ちゃんが何一つ持たずに部屋を飛び出したことにようやく気がついた。バッグもコートさえ置きっぱなしだ。俺は慌てて部屋の外に駆けだした。底冷えのする外気の中、ふわふわと白い雪が舞い降りていて、辺りは薄化粧を施したようになっていた。風花ちゃんはどこにも見当たらない。慌ててケータイに連絡をとる。ところが風花ちゃんのケータイは、俺の部屋に置かれたトートバッグの中でむなしく鳴った。俺はトートバッグの中を確認する。ケータイも財布も、何もかもがそのままに残されていた。その中に、クリスマス用にラッピングされた封筒があることに俺はふと気づいた。封筒には俺宛ての名前が書かれてある。中を見ると映画のチケットが二枚入っていた。俺が前に見たいと言っていた映画のチケットだ。手書きの小さなメッセージカードが一緒に入っている。
『メリークリスマス、陸也さん。これからもよろしくお願いします。陸也さんと思い出をたくさん作っていけますように 風花』と書かれていた。
俺は片手で顔を覆う。風花ちゃんが築こうとしてくれていた未来を台無しにしたのは俺だ。風花ちゃんの中の尚吾に嫉妬して、尚吾を無理やり追い出そうとして、風花ちゃんの気持ちを踏みにじったのは俺の方だった。
読んでくださってありがとうございます 招夏




