第四十六話 SHOGO ☆ イン ニヴルヘイム(一之瀬尚吾視点)
「一之瀬君、君のレポート読んだよ。なかなか良かった。後で僕の研究室に来ないか?」
授業の後、雪村准教授に声を掛けられた。俺は伺うと即答する。
風花を手放した後、俺は風花を忘れるために、すべての時間を授業とバイトに費やした。少しでも時間を持て余してしまうと、未練がましい行動に出てしまうからだ。未練がましい行動とは、いつも風花と待ち合わせていた図書館に行ってしまう、行けば風花を探してしまう……そして風花を見つけてしまう……というようなことだ。風花の顔を見ただけで挫けてしまいそうになる心の弱さへの嫌悪と、隣にいる陸也を見た時の胸の痛みで、俺はその日一日をほぼ棒に振ってしまうということを二度ほど経験していた。それ以来、大学とバイト先以外はなるべく出歩かない暮らしを送っている。
「来月学会でアメリカに行く予定があるんだけどね、その時に、以前僕がお世話になっていた研究所に顔をだそうと思っているんだ。君、そこの研究所に興味があるって言ってただろう?旅費は自己負担になってしまうけど、良かったら一緒に行くかい?」
「いいんですか?」
俺は目を見開く。
「いいもなにも、自己負担だよ?君次第だ」
雪村准教授は面白そうに笑った。まだ後一年先にならないとマスターコースには進めないにも関わらず、バイトを通してすっかり顔なじみになった雪村先生とは既に師弟関係状態にあった。
久しぶりに母親のオフィスに立ち寄る。
「なんだか久しぶりねー、尚吾」
書類から目を上げて母親が小さく笑った。
「お母様は相変わらずお元気そうでなにより」
「無表情で丁寧語使われると気味が悪いわ。何の用なの?」
母は眉間にしわを寄せた。
「金の無心」
「珍しいわね。尚吾がお金を要求してくるなんて。何事?」
母は器用に片眉だけ上げた。
「来月アメリカ行く。雪村准教授と一緒に」
「ふーん、借りるのは良いけど、返済プランはあるの?返済できなければ同居することになるわよー」
母は目を細めた。
「……同居してもいいよ」
俺の返答に、母は小さく溜息をついた。
「……風花ちゃんは?最近会ってないの?」
「風花の面倒は、みるのもうやめた。今は二ノ宮があいつの面倒をみてる。二ノ宮なら受験生みるの慣れてるし、俺よか教えるのうまいだろ」
「……そう」
母親は心なしか哀しげに見えた。なんだかんだ言っても、俺の家族はみんな風花を気に入っていたのだ。でも、俺は何もしてやれない、誰にも……
「尚吾君?尚吾君じゃない?」
母親のオフィスを出てビルの地上階まで出たところで呼びとめられた。
「小春さん?」
風花の母親の小春さんは、うちの母親に資料を届けに来たのだと言う。あの後風花の父親とうちの母親のコラボ企画は順調なようだった。急ぎでなければ、少し話したいと小春さんが言うので、外のコーヒーショップに入った。
「なんだか久しぶりね、尚吾君。少し痩せた?」
「さぁ、どうですかね、最近体重計に乗ってないから……」
俺は肩をすくめる。
「風花も痩せたのよ、今までは太る太るって騒ぎながらでも甘いものを食べてたのに、最近はすっかり甘いもの絶ちしてね」
小春さんは少し寂しそうに笑った。コーヒーが運ばれて、会話が途切れる。小春さんの指の形が風花に似ていると思って俺ははっとした。小春さんの中にさえ風花を探している自分にあきれる。
「この前ね、二ノ宮さんの叔父さんのところへお礼に行ったの。警視庁なんて初めて行ったわ」
コーヒーを啜りながら、小春さんはほほ笑んだ。
「その節は本当に申し訳ありませんでした。俺のせいであんなことになったのに、俺ちっとも風花のことを守ってやれなくて……」
俺は頭を下げる。
「そんなことを言ってもらう為にこの話を持ち出したんじゃないのよ。お礼に伺ったときにね、二ノ宮さんの叔父さんに感心されたの。肝っ玉の据わったお嬢さんに育てましたねって」
小春さんはクスクス笑ってから続けた。
「風花が演じた大立ち回りを聞いて、私もパパも開いた口が塞がらなかったわ。私たちはいつも嘘をついてはいけないって、かなり厳しく教えて育てていて、最近じゃ、少し気まじめ過ぎて融通が利かない子になったって心配していたくらいだったから……」
心当たりがあった俺は内心慌てる。
「風花にね、訊いたの。どうやってあんなことを思いついたのかって、そうしたら、去年のクリスマスイヴのことを全部話してくれたわ。あなたがどんなふうに風花を助けてくれたのか、庇ってくれたのか……全部ね」
俺は項垂れる。やっぱり、俺が原因?
「嘘をつくのは悪いことだわ。でもね、必要な時もあるって、どんな風に教えたらいいのか私たちには分からなかった。あなたが教えてくれたのね」
「すみません、余計なことを教えてしまって……」
俺は深々と頭を下げた。
「感謝してるのよ。あなたはさっき風花を守れなかったって言ったけど、守るってことは、前面に立って盾のように庇うことだけじゃないと私は思うのよ。あなたが風花に掛けてくれた言葉、守ってくれた行動、それらの記憶があの子自身を守る盾になってる……私はそう思ったの」
小春さんは確信に満ちた瞳で俺を見つめた。
「俺はそんな大それた意図をもって風花に接していませんよ?」
買いかぶり過ぎだ。俺は小さく溜息をつく。
「そうでしょうね。でもね、それを聞いた時に私は初めてそのことに気づくことができたの。たぶん、あなた以外にもきっといるんだと思うわ。あの子に関わった人が、何気なく掛けてくれた言葉の一つ一つ、とってくれた行動の一つ一つが、あの子を育ててくれてるんだなって気づいて、ありがたかったのよ」
「俺に関しては買いかぶり過ぎですよ。俺は単なる嘘つきで、意気地なしで……」
「でも誠実だわ」小春さんは俺の言葉を遮って続けた。
「あなたは、嘘をつく優しさも、真実を告げる勇気も持ってる。だからこそ、風花はあなたを守ろうと必死になったんだろうし、未だにあなたを忘れられないんだと思うのよ」
「……」
俺は苦笑しながら首を横に振る。風花にはもう俺なんて必要ないはずだ。俺が……そう仕向けた。
「ああ、誤解しないでね。私はあなたたちの人間関係に口をはさむつもりは全くないのよ。二ノ宮さんも風花に良くしてくれてるし、あの子は本当に良い人たちに恵まれていると思うわ。あなたにはあなたの進む道があるし、風花には風花の生き方があるってことは分かってるの。ただね、あなたにありがとうを伝えたかっただけなの。それだけ……」
そう言って小春さんは、ふわりとほほ笑んだ。
「しょーご!」
街の雑踏の中で、名前を呼ばれて振り向いた。
「ちゃんと手をつないでなきゃだめでしょ?、迷子になっちゃったらどうするの?」
若い母親が小さい男の子に手を差し出した。男の子は不満そうな顔をしながらも、その手につかまる。
「まいごになったら、ママがみつけてくれるんでしょ?」
男の子は舌ったらずな口調で文句を言いながら口をとがらす。
「しょーごはママが探し出すまでに辛くて泣いちゃうかもよ?」
母親は悪戯っぽく微笑んだ。
「なかないよっ、ボク、おとこのこだもんっ」
男の子は得意そうに宣言する。つないだ手を大きく振りながら、その親子は楽しげに、立ち止まる俺を追い越して行った。
つないだ手を無理やり離したのは俺だ。何もかもが色彩を失った街で、俺は一人立ち止まったまま動けなくなっていた。
読んでくださってありがとうございます 招夏




