第二話 セイント☆TENDON
途中視点変更有
(風花視点)
私は、マックンのブレンドコーヒーに砂糖とミルクをたっぷり入れて一口啜ると、溜息をついた。
「あ~あ、私、何やってるんだろ?」
パンダに待ってろと言われたけど、名前さえ訊くのを忘れていた。しかも、あんなあやしい店のコマーシャルをしていたパンダだ。声は若い男の人のようだったけど……パンダの中身を想像して、私は身を竦めた。
目つきが鋭く頬に傷のある、いかにもその筋の関係者ですという男が、私の編んだマフラーをしてマックンの入口でキョロキョロしている……そんな光景が頭の中に広がる。まずいよね、やっぱ、これって……まずいんじゃないかなぁ……。帰っちゃおうかな……
でも、そんなことしたら、この街歩けなくなっちゃうかもしれない。だって、私はパンダの中身を知らないのに、あっちは私の顔をばっちり知ってるんだし……ショッピングできなくなっちゃうよ~。ど~しよ~。
逡巡すること三十分、私は逃げることにした。しばらくこの街でのショッピングは諦めよう。パンダだって、いつまでもこの街で暮らしているとは限らない。それに私だっていつまでも高校生ではないのだ。しかも女性は変るものだ。こんな付け焼刃の化粧ではなく大人の洗練された化粧をするか、逆にスッピンでいれば今だって誤魔化せる筈だ。
そう自分に言い聞かせながら、飲み干したコーヒーのカップをグシャっと握りつぶして立ちあがった。ダストボックスのプラ入れに蓋を入れ、燃やせるごみ入れにカップを放り込んだとき、マックンの店員が愛想のよい声で挨拶をした。
「いらっしゃいませー、マックンへようこそ!」
そこには、茶髪をクシャクシャに乱した背の高い外国人が立っていた。同じ茶髪でも、日本人と外国人では、纏っている雰囲気が違う。パンダは日本人だったと私は確信していた。
なぁんだ、外国人か……びっくりした。私は胸を撫で下ろすと、出口へ向かった。
「待たせたな」
しかし、その外国人は、私を見下ろすとそう言った。横を通り過ぎようとしていた私は凍りつく。『だるまさんがころんだ』の鬼が勢いよく振り向いた瞬間のように静止する。
カクカクと視線を上にずらすと、その外国人はグラデーションになった緑色のマフラーを首に巻いていた。深蒸し茶のような深い緑から新緑の緑へ、若草色へ、そして萌黄色へと微妙に移り変わるその色のマフラーを、私は編んだ記憶があった。
「……もしかして……パンダ?」
「俺はパンダではない。人間だ。失礼な」
その俺様的なしゃべり方と、そのしゃべり方には不釣り合いなほど耳触りの良い声にも覚えがあった。 固まる私には目もくれず、パンダはマックンの店員にアイスコーヒーを注文すると、さっさと窓際の長テーブルの席についた。
「あー、喉が渇いた」
パンダはマフラーをほどくと、アイスコーヒーを一気飲みした。真冬にも関わらず、少し汗ばんだ額に茶色い髪が張り付いている。パンダになっていたせいかもしれない。
パンダは、ふと、突っ立っている私を見上げると怪訝そうな顔で、
「どうした?ぼけっとしてないで座れよ」
と言った。
「……」
私は言葉もないままパンダの隣にストンと腰をおろす。
「で?何を食べたい?」
「パンダ……って……どこの国から来たの?」
私の問いかけに、パンダは思いっきり顔を顰めた。パンダは浅黒い肌でオリーブ色の瞳を持ち、彫りの深い顔立ちをしていて……平たくいえば、多国籍な顔をしていた。
「パンダは中国から来たんだ。そんなこと小学生だって知ってるぞ。いい加減、人のことをパンダと呼ぶのはやめろ。俺は、一之瀬尚吾だ」
「イチノセ……ショーゴ……」
「フルネームで呼び捨てかよ」
尚吾は眉間に皺を寄せた。
「で?どこの国の人?」
「俺は日本人だ。人を見かけだけで判断すんな!……大体、街を歩いただけで、俺に英語で道を訊くんじゃねーよ!どいつもこいつも見かけで判断しやがって。俺は自慢じゃないが、第一外語で不可をもらったばかりなんだぜ。ああ、思い出しただけでムカムカする」
イライラしたパンダの怒声に、マックンの客と店員の視線が集まる。
ああ、大変、パンダがキレた。私はひとり身を縮めた。
モノトーンで統一した小洒落た店内は、間接照明を使っていて少し暗めだったが雰囲気が良かった。やはりモノトーンの制服を着た店員が、私の前に天丼を静かに置いていった。
「天丼なんかで良かったのか?」
尚吾は怪訝そうな顔で言った。
「うん。だってお腹ペコペコだもん」
さっきまでは、悲しかったり怖かったり不安だったりで、あまり空腹を感じなかったのだが、気が抜けた途端、猛烈にお腹が減っていることに気がついた。がっつり食べられる物じゃないとお腹が文句を言いそうだったのだ。でも、こんなおしゃれな天丼のお店なんて初めてだ。品よく、しかしボリュームたっぷりに盛られた天丼に、私はニンマリする。
「いただきま~す」
* * *
(尚吾視点)
目の前で天丼をがっついている女を眺めながら、俺は苦笑していた。
「泣いたカラスがもう笑った……」
子供の頃、弟をからかって歌ったのを思い出す。
佐竹風花、それが彼女の名前だ。年は聞いていないが、化粧をしていることだし、こんな時間に一人で街にいることだし、恐らく大学生だろう。一年か?それなら、自分よりも一つ年下なだけだ。それにしては少し子供っぽいような気がする。
「ねぇ、パ……じゃなかった、一之瀬さんは何でふられたの?」
天丼の獅子唐をパクリと口に放り込みながら、風花はクリクリの瞳で俺を見つめた。ショートボブの髪が、顎のラインでゆらゆら揺れる。間接照明のせいか、天使の輪を冠した艶やかな髪が、少し金色がかって見えた。
「尚吾でいい。名字で呼ぶやつはあまりいないから、言われてもピンとこない。ふられた理由は簡単だ。イヴの夜に予定があるって言ったら、別れたいって言われたんだ」
「ふ~ん。パンダなんかになってないで、デートしてれば良かったのに……」
「余計な御世話だ。お前こそ何でふられた?」
俺は程よくタレがからんだ海老天を頬張った。
「残念でした~。私はふられたんじゃないもんね」
俺は、海老天をかなり無理して急いで飲みこんでから問いかける。
「じゃあ、何で泣いてたんだよ。ケータイ握りしめて、プレゼントの包み抱えて……」
「……だって、つき合ってないもん。ふられようがないでしょ?」
風花は小さく肩をすくめた。
「……」
それであの号泣?こいつ本当にふられた時は、どんだけ落ち込むつもりなんだ?俺はあっけにとられる。
「約束してたの。お互いにイヴに何も用事が入らなければ一緒に映画見ようって……でも、ドタキャンされちゃって……それで……」
風花は言葉を途切れさせた。視線が沈没し、箸は空中で静止し、自己憐憫が浮上しているらしかった。
「要するに、俺が風邪で、お前は肺炎だってことだな」
俺の言葉に、風花は怪訝そうに顔を上げた。
「なにそれ」
「お前の方が重症ってことだ」
俺は少し意地悪な気分になっていた。
「このマフラーは返した方がいいんじゃないか?そいつへの怨念が籠ってたりして……」
コートの上に重ねて置いてあった手編みのマフラーを指でつまむと、風花に恐ろしげに問いかける。
「ごめん、そんなもの渡しちゃって……でも怨念なんてこめてないから……いらなかったら捨てて?」
どんどん沈没していく彼女を不憫に思いながらも、俺は自分を止められなかった。ドタキャンしてもなお、想い続けられているらしいそいつが……俺は妬ましかったのかもしれない。
「そんなに好きなら、告白すればいいだろ?本命がいるんなら、二番目でもいいですーとか言ってさ」
「……パンダは二番目でもいいの?」
風花は視線だけを上げて、俺を睨みつけた。
「パンダじゃねー、しょーごだ!」
しばらく二人して黙々と天丼を食べていたが、風花が突然何かを思いついたように声をあげた。
「わかった!尚吾は本気じゃなかったから風邪くらいで済んでるんだよ。そのことに彼女さんも気づいて嫌になっちゃったんだよ。絶対そうだ」
「……俺は本気だったとも。じゃなきゃプレゼント買う為にイヴまでバイトなんてしないさ!」
「……え?」
俺が言った言葉に、風花は一瞬ポカンとした様子だったが、次にウルウルした瞳になり……何を考えているんだかと、俺が眉を顰めて首を傾げていると、風花が突然身を乗り出して言った。
「パ……じゃなかった、尚吾、それは絶対彼女さんに話すべきだよ。話してないんでしょ?」
「プレゼント買うために働いてますなんて、ふつー言わないだろ?」
風花は突然立ち上がった。俺は怪訝な面持ちで風花を見上げる。
「買いに行こう!」
「は?」
俺はあっけにとられて風花を見上げた。
「プレゼントだよ。買うつもりだったんでしょ?デパートなら後三十分くらい開いてるって」
俺の返事も待たずに、風花はダッフルコートを羽織った。
「おい、ちょっと待てよ。ここは俺がおごるって言っただろ?」
伝票を鷲づかみにして、さっさとレジへ向かおうとしている風花を俺は慌てて追いかけた。