50m走で筋肉痛になる私
「次の体育の授業、50m走だってさ~。まじだるくない?」
「えーまじ?高校生にもなって50m走とかまじありえないんだけど。サボっちゃおっかな」
「ずるーい!あたしもサボりたいなぁ。つーかお腹空いたんですけど~」
ここは都内から少し離れたところにある男女共学の高校。学業でもスポーツでも、特に秀でた生徒が多く集まるような学校ではない。とりあえず高校には行っておかないと、と考える若者たちが選ぶ、まぁつまり並の学校である。
1年4組の4時間目は体育で、50m走をやるらしい。
「50m走か…」
中でも浮かない顔をしているのは、有栖 陽葵。
どうやら走るのは苦手なようだ。
「なぁ、東雲は走るの得意か?」
「いや、僕はあんまり得意じゃないなぁ。とりあえず先生に怒られない程度に走るつもりだよ」
生田 光輝に話しかけられたのは東雲 悠人。
彼も走るのは得意というわけではないらしいが、無難に時間を過ごす術くらいは持っているようだ。
「だよなー。でも、うちのクラスは別に運動得意でしたってやついなそうだし、ちょっと速く走ったりしたら女子に人気でたりしそうじゃね?」
「ははっ。入学してすぐだからね。頑張れば人気アップかもね」
受け答えを聞く限り、無難にやり過ごす術は持っているようだ。
「だよな!ようし、他に速そうなやついないか探してみるか!先行ってるよ!」
「僕も着替えて行くかな」
話しかけられて途中になっていた体操着に着替え、校庭に向かった。
4時間目が始まるチャイムが鳴る頃には、クラスの生徒全員と先生が集まっていた。
「ようし!今日は50m走だ!タイムも計るから、みんな真剣に走るように!」
「まじ?だる」
女子は先生に聞こえないようにグチをこぼしている。
「走る順番は、出席番号順で2人ずつ走ってもらうぞ~。まずは男子から並べ~」
先生の号令で男子たちが並ぶ。
東雲は4番目に走るようだ。
「位置について~!よーい!ドン!」
スターター役の男子の合図でそれぞれ2人ずつ走っていく。
順調に進んでいき、最後の男子まで走り終えた。
東雲は男子20人中13位と、無難な結果となった。
女子からの人気を気にしていた生田は、一度フライングしてしまったせいで2回目のスタートが遅れたが、人気者になりたい一心で走り、男子の中で3位という好成績を残した。
フライングしたことで目立ち、スタートが遅れたのに速く走ったことで、女子の間に゛やるじゃんあいつ゛と思わせることが出来た。
「先生、あの…」
男子が全員走り終え、女子の番となるところで先生に声をかけたのは有栖だった。
「ん?どうした?」
「私、その…」
「どうした。体調でも悪いのか?」
「いえ、私、あまり、その…」
「なんだ。言いにくいことか?」
「私、あまり走るのが得意じゃなくて…」
「なんだそんなことか…。女子はみんなそう言うぞ!はっはっはっ!そんなことを理由にして走らないなんて駄目だからな!みんな嫌だってのは先生もわかってるさ。でも心を鬼にしてだな…」
「それで、その…」
「まだ何かあるのか?怪我をしてるわけでもなさそうだし、体調が悪くないんだったら早く並びなさい!別に走るのが遅くたって先生は笑ったりしないから!」
まだ何かを言いたそうな有栖を制するように並んでいる女子の列に戻した。
「位置について~!よーい!ドン!」
さっきまでスターター役だった男子は交代し、男子の中で順番で交代することにしたようだ。
「女子はやっぱ本気で走るやついないよな~」
「一応本気で走ってんのかもしんないけどな~」
自分の番が終わって何もすることがない男子たちには、女子が走るのを見ているだけの時間だった。
「あ、次有栖さんが走るんだ。さっき先生に何か相談してたみたいだけど、大丈夫なのかな?」
東雲は有栖を気にしているようだ。
「次は私の番だ…」
「位置について~!よーい!ドン!」
有栖が自分の番になり、心の準備をしようとしている間に、スターター役の容赦の無い合図で慌ててスタートした。
「はぁはぁ…。やっぱりダメだ。でも、高校生になったら変わるって決めたんだ…」
有栖の足は、周囲の全員の目がそこに集まるほど遅かった。
決して手を抜いて走っているようにも見えないだけに、笑うよりもただ驚きが先行し、先ほどまで愚痴をこぼしていた女子や、女子の走りを見て好きなように思ったことを言っていた男子たちは全員沈黙した。
辺りはさっきまでとはうって代わって静かな空気の中、有栖が走る音と、荒い呼吸だけが聞こえていた。
しかし、心の中では全員ある言葉を大声で叫んでいた。
「おっそ!!!」
「はぁはぁ…。もう少し、あと3m、2m、1m…」
心の中でゴールまでの距離を数え、ようやくゴールに辿り着いた。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
走り終えたあと、有栖はすぐに地面に膝をつき、肩というより全身で息をした。
「よ、よく…頑張ったな!一生懸命走ったな!」
有栖の呼吸の音以外は何も聞こえないような空気の中、先生が口火を切り有栖に労いの声をかけた。
「な、なっ!お前らも有栖はよく走ったって思うよな!」
先生は周囲の生徒に同意を求めた。
「う、うん」
近くにいた女子は同意した。
しかしその顔は口角だけが少々あがっただけの、ひきつったような顔をしていた。
「お疲れー!」
「頑張ったなー!」
「今度おれ走り方教えてやるよ!」
なんと、先生たちからは離れた場所にいた男子からも労いの声が響いた。
気を遣って声をかけた者や、本当に頑張ったという気持ちを含んで声をかけた者など、想いはそれぞれだったが。
それでも、本人を想ってかけられた声は、疲れきっている有栖の耳に届いた。
「よ、よかった…。走りきれた…。せ、先生、あっちで休んでもいいですか…?」
「あ、あぁ。誰か、肩貸してやれ!」
「はーい!はーい!おれ、肩貸します!」
どうやら男子の中には゛女の子を助けたい願望゛が芽生えた者もいるらしい。
…いや、この年頃の男子からすれば、女子に触れる機会を求めている者の方が多いのかもしれない。
「んなでかい声で言うなよ!」
積極的に手をあげる男子がいたおかげで、ようやく重くなっていた空間に笑い声がうまれた。
「男子はダメだ!」女子で誰か手伝ってくれる人はいないか!?」
「じゃあ、私が連れていきます」
「おぉ葉月か。頼んだぞ」
「はい」
葉月 帆凪はスラッとしていて、ほどよく筋肉にしまりがある、陸上競技をやっていましたというような体型をしている。
「あ、ありがとう」
有栖は軽くお礼を言い、肩を貸してもらって校庭の隅へ連れていってもらった。
体育の授業が終わったあと、有栖はボーッとした様子でお昼ご飯を食べ、午後の授業もなんとかこなし、ふらついた足取りながらもなんとか一人で家に帰った。
放課後までの間、クラスでは有栖の足の遅さや、心配する声など、様々な話をしていた。
次の日の朝、HRの時間になるまでの間も、思い出したかのように昨日の有栖の走りについて話をする者もいたが、そこに有栖の姿は無かった。
怪我をしていたのではないかとか、昔から喘息がひどくて無理して走ったんじゃないかなど、それぞれ想像を膨らませていた。
今のところ、間違いなくこのクラスの話題の中心となっている。
ガラガラガラ
担任の先生が入ってきて、クラスの生徒全員が自分の机に戻り、日直の号令で挨拶をした。
「きりーつ。礼。おはよーございまーす」
「おはよーございまーす」
「ちゃくせーき」
ガタガタと音を立てて椅子に座る。
「えー、有栖さんですが、筋肉痛がひどいため2、3日お休みするそうです」
「えーーーーー!!!」
担任の先生の伝言に、クラス全員が声を揃えて驚いた。
どうやら彼女は50mを走っただけで、全身筋肉痛で動けなくなってしまったようだ。




