天使降臨そして異世界へ
最初は多少ヘビーです。
冷たい風がびゅんびゅんと吹く中で、僕はただ一人で何もない空間を見下ろしていた。
光などない。ただ真っ暗な世界で。
―――ぎゅっと拳を握り締めた。
汗ばんだ手がベトベトとして気持ち悪い。
だがこうなることは仕方のないことだった。
走馬灯のように自身の思い出がふつふつと浮かび上がってくる。
どれもいいことではない。
ただ苦しいだけだった。
僕の生きてきた人生に快楽を覚えたときなんてあっただろうか。
ただ虚しくただ辛く。救われなどしない現実。
怖かった、永遠にこうなる気がして。
頭に浮かぶのは自分のクラス全員の顔。
そのクラスは悪趣味で下劣であり、皆束となって僕をいじめた。
そう僕はいわゆる「いじめ」というものに付き合ってきた。
小中高と続きいじめられてきた。
いじめに理由なんてない。
小学校の時にいじめられ、いじめた人が中学校にもいて。
そして思い切り賢い高校に行ったとしても当然、一人ぐらいはいるわけで。
それの繰り返しだ。
なんて面白みのない味気ない人生だ。
同じことの繰り返す人生なんて誰が好くのであろうか。
ただエンドレスに続くいじめに僕は耐えてきた。
一生懸命生きた。頑張った。極力泣かないように耐えた。
でももう限界だった。
――だから僕は今学校の屋上にいる。
この醜くて辛い世界にお別れするために。
高い柵を乗り越えるとそこは死の世界に限りなく近い世界が広がっていた。
数メートル進めば死に至るという距離。
心臓がバクバクと高鳴る。
少しづつ少しづつ一歩一歩を踏み出し、死の世界へと近づいていく。
誰か僕が死んだことを嘆いてくれる人がいるだろうか。
いや、いないであろう、僕なんてこの世にいたとしても意味のない存在。
消えたとしても誰も気がつかないし、世界だって変わらない。
特にその事実が悲しいという感情は湧かなかった。
その事実は自分の中で当たり前とカテゴライズされていたから。
「これで、全部終わりだ」
もう嘆き悲しむことは飽きたし疲れた。そして永続的に辛いのは耐えられない。
ならば一瞬の痛みで全てから逃げ出すことができる死ぬということはとても魅力的なプランであり、こ れしかないと思った。
僕はにやりと口を歪ませた。
きっといびつな笑みであろう。でも仕方ない、嬉しくてたまらないのだから。
これで僕は初めて幸せになれる。
最後の一歩を踏み出す。これで間違いなく落ちる。
さようなら、憎らしくて美しい世界。
そして僕は―――屋上から飛び降りた。
地面が凄い勢いで近づいていく。
何も考えられない。ただこれなら死ねそうだという安心感。
後悔はしない。むしろ救われるのだ。
あと少しで!!
「スカイ・テレパス!」
突然誰かの声が響き渡った。驚いたことにその発せられた言葉と共に自分の身体の落下速度がどんどん 遅くなっていく。
そして徐々に速度は落ちていき、最終的に空中でピタリと止まった。
地面に足がついていない。つまり、僕は浮いているようだ。
いや、なにこれ?
あまりの事態に頭がついていかない。
思わず声が聞こえた方の上空を見た。
そして見た途端に僕は絶句した。
そこには、僕と同じように浮いている天使がいた。
いや、正確に説明するならば白い翼の生えた少女だ。
ただ顔立ちは天使と言っても過言ではないくらいに綺麗で、長いさらさらのブラウンの髪が風でなびい ていた。
目元はパッチリしていて強めの印象を与える翡翠色の瞳が僕を捉えていた。
と、説明したのはいいが僕の頭はまだ混乱したままだった。
「後少しでも遅かったら死んでたわね」
少女が独り言のようにつぶやいてから指をパチンと鳴らした。
すると、僕の身体がゆっくりと落下し地面に着地した。
と同時に少女も僕の目の前に降りてくる。
こうして見ると、彼女の身長は僕と同じくらいだ。
きっと同年代なのだろうな、となんとまあ適当に考えていると
「で、あんたなんでこんな馬鹿げたことしたわけ?」
唐突に彼女は切り出した。
僕は「ええと」と考えながら口にする。
「・・・・・・もうこの世界に僕は必要ないと思ったから死のうって思ったんだ」
「なんで?」
「なんでってそんなこと言われても・・・・・・」
「死ぬのに理由なんて要らないって言うの?」
「そ、そんなことは・・・・・・」
急に責め立てられても僕にそんな耐性があるわけがなく黙り込んでしまう。
彼女は呆れた表情で僕を見た。
「あんたよくそんなので死のうと思ったね」
「うう・・・・・・確かに自殺はやり過ぎだったかも・・・・・・」
冷静に考えればそういう結論に至る。
だが今生きているということはまた明日からいじめられたりするということだ。
そのことを考えた途端にやっぱり死んでおけば良かったと思った。
死ねば苦しむのは一瞬である。それに比べれば・・・・・・
「でもやっぱり死んだらよかった。もう苦しむのは嫌だし」
ぼそっとそんなことを言うと彼女は「あ、そう」と口にすると僕の目の前に長い銀の剣を向けた。
「じゃあ死ぬ?」
あっさりとそう言うと彼女は僕を切り裂いた。
僕の胸元から赤い液体がぶわっとはじけ飛ぶ。
一瞬何が起きたかわからなかった。だが理解する前に強烈な痛みが僕を蝕んだ。
「うっ、ぐっ」
思わずうめき声を上げてその場にうずくまる。
痛い痛い。ひたすらに痛い。こんな痛さ今まで味わったことがない。
「どう? 痛い? 死ぬってこういうことよ。いや、これ以上ね。手加減はしてあげたんだから」
「な、なんでこんなこと・・・・・・」
視界が赤く染まりながらも必死に言葉を紡ぐ。
胸元を手で抑えると、手が血で赤く染まる。
「あんたが死ぬことを甘く見ているからよ。これだからアマチャンは」
「わ、悪かったって・・・・・・ごめん、死んだほうが良かったなんて言って」
「あっそう、それは良かった。でももう助からないわよ」
あまりに冷酷なその言葉に耳を疑う。
「そ、そんな」
「あら面白い顔するのね。あんたが始めにしようとしてたことを叶えてあげたんじゃない。むしろ感謝し なさいよ」
鬼畜だと思った。なんだよ、生かしといてからまた殺すってなんだよ。
こんなのひどい、ひどすぎる。
こんなひどいバッドエンドがあってたまるものか。
「で、なに? そんな目で見ても私は何もしないわよ。ただあんたの死に様をゆっくり観察するだけよ」
「ふ、ふざけるなよ・・・・・・じゃあどうして僕を助けたんだよ!」
「うん? さあ? 気まぐれかな」
怒りで頭が熱くなる。そして大量出血のためか頭がくらくらする。
でもそんな中でも僕の頭の中にたった一つの感情が沸き起こっていた。
死にたくない。
人が死ぬときには必ず感じる感情と言っても過言ではないかもしれない。
ただその感情が僕の身体を支配していた。
体中から湯気が出るように熱く、血が沸騰しているかのように煮えたぎっている。
まるで僕が僕じゃないみたいだった。
僕はどうにかなってしまったようだ。
その途端に痛みを感じなくなった。身体と心が分離されたような不思議な感覚だった。
と涼しい顔をしていた彼女が僕を見て初めて驚きの表情を顔に出した。
「た、立ち上がった?」
そう彼女の言う通り僕は立ち上がっていた。
先程までは痛みでうずくまっていた僕が、である。
自分でも驚くが不思議と当たり前のように感じた。
なぜだろうか、僕はもっと強かった気がする。
「俺にこれほどの傷を負わせるとはいい度胸だな」
僕、いや俺?は横にあった木の枝を引きちぎって手に取った。
その途端に木の枝が燃え上がり、炎をまとった剣となった。
俺はすぐさまその剣で周囲を薙ぎ払った。
と、同時に周囲がぶわっと燃え上がる。
「くっ」
少女はバックステップでそれをかわすと俺はすかさず彼女の背後に回り込み剣先を容赦なく叩き込む。
が、その気配に気づいたのか振り返ってから長剣でそれを弾いた。
凄まじい勘と反射神経だ。きっといくつもの戦闘をくぐり抜けてきたに違いない。
その力量は賞賛に値する。
と、彼女の顔を見ると興奮したように目を輝かせていた。
「いいね! やっぱりあんたは私の予想した以上の逸材だわ!」
俺は表情を歪ませた。どうやらこれは彼女の望む展開だったらしい。
「何の話だ」
「まあ、その話は後々に。とりあえずこの勝負にケリつけましょう」
楽しそうに爛々と瞳を輝かせながら言う彼女に俺は狂気を感じた、と同時に力が抜けた。
一息ついてから俺は彼女の目の前に炎の剣を向けながら諭すように声を上げた。
「どうあがいても俺の勝ちだ。もう勝利は見えてる、俺は無駄な勝負はしない主義でね。ここは降参して くれないか」
そもそも勝負なんかしたことあったっけと自身の言葉に矛盾を感じながらも俺は口に出した。
「そう、つまらないわね」
彼女は残念そうにしてから剣をしまった。と同時に僕の身体にあった力がどっと抜けた。
するりと手から炎の剣が地面に落ちて、跡形もなく消え去った。
ここで元に戻ったと自身で理解するが結局のところ意味が分からなかった。
先程までが嘘かのように身体は冷たく冷えきっていた。
そしてとてつもない疲労を感じた。
「急に斬りつけてごめんなさいね、でもあんたの力が知りたかったから仕方なかったの」
「どういうことなの?」
彼女はただ笑っていた。どう見ても謝っているような態度ではなかった。
正直腹が立ったのだが無理やり抑えた。
「見たでしょ、あんたの力。あれはまさしく『伝説』通りの強さだわ」
「伝説?」
意味がわからない。僕はただ呆然と立ち尽くす。
「あんなでたらめな力があれば」
「ええ?」
「ああ、ごめんなさい意味わからないわよね。と、説明する前にひとつ提案があるんだけど」
彼女は実にそっけなく僕に驚愕の言葉を突きつけた。
「伊上尚也クン、勇者として私たちの世界を救って」
---その言葉で僕の運命が変わった。
***
僕は彼女の言った言葉を吟味した。
勇者?
激しい違和感が体全体を貫いた。非現実な言葉に圧倒される。
「勇者って・・・・・・ホントに?」
僕が訊ねると、彼女は驚くくらい無表情で「ええ」と頷いた。
「おそらくあんたが言っている勇者という意味で捉えてもらっても構わない」
彼女の白い翼は風になびいていた。まずこの翼が非現実だ。本物か?
僕は試しに翼を引っ張ろうとした、がその前にパチン、と頬を張られた。
「何すんのよ!」
「ご、ごめん。その翼は本物なのかなあ、って思ったもんだから」
「本物よ! これで空を飛んでいたのがあんたには見えなかったわけなの? ねえ?」
凄い剣幕で怒られた。どうやら翼に触れることはタブーらしかった。
確かに彼女は翼を動かしながら宙に浮いていた。きっと本物なのだろう。
「ってそんなくだらない話をしに来たんじゃないのよ私は」
急に彼女は呟いてから僕の肩を掴んだ。
「ねえお願いだから私達の世界を救ってよ。今最大のピンチなの!」
「そう言われても・・・・・・、僕にはなんの力も」
「嘘でしょ。さっき見せてくれたじゃない、あんたのチカラ」
彼女は誘惑するように甘い口調で話し続ける。その事実を僕は気づきながらも無視していた。
流れるままというべきであろうか、僕はその流れに逆らわず徐々にその道へと流されていく。
「でもあの時はよくわからなくて・・・・・・あんなの初めてだし」
そう口では言うものの心のどこかで高揚していた。
無力だと思っていた自分に何らかの伝説の力が宿っていた、なんて展開は王道とは言え心踊らされるも のだ。
僕の瞳は今一番輝いているのかもしれない。
ここ一番で最高だ。
彼女は僕の望む通りに事を話し始める。
「初めてではないはずだよ、だってあんたの前世は伝説の勇者様なんだからね」
「本当に?」
確認のため尋ねてみる。
彼女は「本当よ」と僕を安心させる声色でそう告げた。
前世が伝説の勇者。
それも悪くないと僕には思えた。
なんと救われる言葉なんだろうか。
これだけで僕の生きがいは保証された。
でも心のどこかでそれを否定しようとする自分がいた。
弱い自分のこころだ。いじめられっ子である僕が勇者であるはずがないとこころのどこかで否定する誰 かがいた。
それは紛れもなく自分だ、わかっているのに気づけない。
その真実に苛立った僕は。
そんな心を一瞬で捨て去った。
彼女は僕に手を差し伸べて告げた。
「私の世界に来て。そして私の世界を救って」
臆病な僕だったらそれを断ることであろう。しかし僕はたった今そのこころを捨てた。
となれば答えはたった一つしかなかった。
「僕でいいなら構わないよ」
どうせこの世界に未練はないのだ。他の世界で第2の人生を歩むのも悪くはないだろう。
この世界にいたとしても僕は何の影響も及ぼすことはない、だが勇者として異世界で活躍するとどうなるか。
きっと死んだとしても僕の名前は永遠に継がれることとなるだろう、勇気あるものとして。
それはとても魅力的なプランに思えた。
どうせ僕は死ぬつもりだったのだ、と僕は思い返す。
となれば要らない。こんなに醜い世界は要らない。必要ない。
サヨナラ、ミニクイセカイ。
僕は次の世界に行く。
彼女は僕の言葉に天使のような微笑みを見せた。(というか本物の天使か)
「ありがとう、助かるわ本当に。私達はあんたを必要としてるの」
これが必要とされることか、なんとも言えず気持ちのいい感覚だ。
その事実だけで僕は十分に満足した。
乾ききった心が一気に潤った。
「私の名前はリンナ。存じの通り天使族よ、よろしくね」
その言葉と共に彼女は僕の唇と彼女の唇を重ねた。
僕は「ファーストキスだったのになあ」とどうでもいいことを考えながら、意識が強制的にシャットダ
ウンした。




