JKとメイドの交渉戦
書いてます。書いてるんです……
陽が沈み、夕飯時を少し過ぎて酔いどれ集団に盛りが付き始めた頃。飲み屋街の喧騒を遠くに聞きながら、涼やかな夜の空気を開け放った窓から感じているところに、報告を終えたアフィリナが帰って来た。
窓辺で夜風に当たっていたライラがノックの音に振り返ると、返事を待たずに静かにドアを開けたアフィリナが立っていた。彼女はチラ、と部屋に備え付けてある片方のベッドの上で横になっているミラに視線を落とすと、そっとドアを閉めて室内に入る。
「アフィリナさん、お疲れ様です。ミラちゃん起こしますか?」
いつの間にか寝入っていたミラを気遣って、一応小声で問い掛けるライラに、アフィリナは黙って首を横に振った。小さく寝息をたてる彼女に優しく毛布を掛け、額に手を翳したかと思うと、柔らかな紫の光が一瞬光った気がした。
「え……」
「大丈夫、軽い睡眠魔法だから。疲れただろうからこのまま寝かせてあげましょう」
そう言ってミラが眠るベッドに腰掛ける。
「貴女も座って」
向かい側のベッドに座るように促され、ライラは素直に従って窓辺の椅子から移動する。足首は少し痛むが大した距離ではないのでそこまで気にならない。
アフィリナがわざわざ眠っているミラに睡眠魔法を掛けたことには疑問を覚えたが、Sランクダンジョンに潜って無傷で生還する実力の彼女にはあらゆる意味で敵う気がしないし、何より彼女から悪意を感じ取れなかったので一先ず置いておくことにした。
ライラがベッドに腰掛けたのを見て、静かにアフィリナは切り出した。
「まず、貴女の帰還と負傷の件は報告したわ。隠し通路の件に関しては明日の朝に確認を取るから、同行して欲しいそうよ」
「わかりました、ありがとうございます」
想定内のことだが足の捻挫が地味に辛い。足手まといにならないようにしなければ。いや、Sランクダンジョンのモンスターに襲われて捻挫で済んだこと自体は奇跡にも等しいのだけど。
「あの、えっと例のゴロツキっぽい奴らの方は?」
「案内所の方でも、近頃のモンスター盗難事件に関与している線が濃厚だということで結論が出たわ。私は明日そちらの回収に同行するから、隠し通路の件は貴女たち2人で行ってちょうだい」
「あ、はい」
どう見ても盗賊って風体だったし、仕方がない。奴らをボコったことについてはお咎めなしになりそうでライラはホッとした。
そして、個人的に物凄く気になっていることについて恐る恐る聞いてみる。
「あの……私たちがあのダンジョンに迷い込んだ時、奥の方ですっごい音とか地鳴りがしてたんですけど……あれは?」
アフィリナが無関係とは思えないのでどうしても聞きたかった。正直、あの地鳴りがなければライラたちはあの場を動いていた可能性が高い。危ない目に遭ったことに変わりはないが、間接的に救われたようなものだ。
「ああ、アレ。奥でうっかりあのダンジョンの主と遭遇してしまってね。倒さずに撤退出来るようやり合ってたのよ」
Sランクダンジョンの主と戦闘。つまりあのダンジョンの核はモンスターなのだ。しかも、地鳴りを引き起こすほどの力の持ち主。体が巨大なのか力が強大なのかはわからないが、どちらにせよそれと加減してやり合っていたというアフィリナは大概チートレベルの実力の持ち主なんじゃないだろうか。
無理。勝てない。勝つ予定もないけど。
ということは、逃げてきた男たちが言っていた「あんなの」とはダンジョンの主か、はたまたアフィリナなのことか。どっちなんだろうか。
「主を黙らせた後に、物陰でこっちを見ていた男が何人かいたからそっちも縛り上げておいたけど」
うん、Sクラスの主を自分は無傷で黙らせたと。ライラは誓った。この人を怒らせてはいけない。
そして聞き捨てならない事柄がもう1つ。ゴロツキ盗賊風体の男はまだいたのか。
「でもそう言えば、あの2人仲間を置いて逃げてきた風なこと言ってたな……」
「いくら隠し通路を使ったとは言え、2人だけじゃSランクダンジョンを歩き回るのは無理があるでしょうしね。あの男たちはどう見ても冒険者とは思えなかったし」
どんな手段を持ってSランクダンジョンに挑んだかは知らないが、数だけは最低限揃えたのだろう。ライラたちと違って、男たちはあの場所が危険とわかっていながら踏み込んだのだろうから。
「とは言え、貴女たちも迂闊よ。地図にもない怪しげな通路に報告もしないで踏み入るなんて」
「すみません……」
その点に関してはぐぅの音も出ない。まさかFランクダンジョンから伸びている通路から距離の離れたSランクダンジョンに飛ばされるとは思ってもいなかったが、もっと慎重になるべきだったことは間違いない。下手をすればライラもミラも今頃はあの地下墓地の仲間入りをしていたのだ。
「助けて頂いて、本当にありがとうございます」
足を揃えて膝に手を添え、ライラは深く頭を下げる。
それを見たアフィリナは、小さく息を吐いて「次は無いわよ」と手厳しく一言返すだけに留めた。
明朝の打ち合わせも含め、一通りの報告を終えた時、アフィリナは鋭い瞳を真っ直ぐライラに向けた。
「ここからは個人的な質問になるのだけど」
「はい?」
改まった彼女の態度に、ライラは小首を傾げる。彼女には色々と助けて貰ったが、今朝方出会ったばかりで個人的な質問をされる心当たりが全くない。
きょとんとするライラに、アフィリナの言葉が鋭いナイフのように突き付けられた。
「彼女は第一王女ね?」
呼吸が止まった。
そして己の失態を悟った。
アフィリナはミラのベッドに腰掛けている。そしてミラはアフィリナによって施された睡眠魔法で目覚める気配が一切ない。
室内は狭く、自分もベッドに腰掛けている上相手の間合いの内側にいる。そして何より、戦闘方面において実力も経験も彼女の方が遥かに上回っている。
先程は勝つ気もないと思ったライラだが、事と次第によっては撤回しなくてはならないかも知れなくなった。死にたくはないが、ミラを置いて逃げる気も更々ない。
互いの力量判断、逃走経路の吟味、戦闘に至った場合のこの先の展開予想。それらを次々と脳内で即座に巡らせるライラの様子を見て、アフィリナは答えと受け取った。
「そう警戒しなくても良いわ。言ったでしょう、個人的な質問だと」
「その"個人的"の範囲がどこまでかによって、私の選択も変わります」
アフィリナから目線を逸らさず、慎重にライラは言葉を選ぶ。が、逸らせない、と言った方が正しいのかも知れない。彼女から目を離したが最後、悪足掻きすら出来ずに制圧される未来が脳裏に過る。
頑ななライラの態度を見て、アフィリナはふっと力を緩めて瞳を伏せた。
「…………そうね。こうしましょう。私の秘密をひとつ、貴女に話すわ。それと引き換えに、私の質問にもしっかり答えてくれる?」
「こっちにとって大きなメリットがあるような秘密だったら、答えても良いですけど」
「少なくとも、私にとってはあまり言いふらすような内容ではないわね。恐らく貴女と彼女が抱えている秘密とも、釣り合いが取れると思うけれど」
どうする。
はっきりと言って、アフィリナからはこちらを害するような雰囲気は感じない。個人的な質問と前置きをした辺り、背後に組織や黒幕なんかも居なさそうではあるが、どうしてそこまでミラの正体を知りたがるのか。好奇心や興味本位にしてはやたら食い下がるし、冗談で片付けられる段階はとうに過ぎている。
はっきり言ってこちらの態度でもう確信を持たれている気がするけれど、それでもライラは慎重に口を開いた。
「もしそうだったとして、それで貴女に何の得があるんですか?」
これであなたには関係ない、などと言われれば交渉は決裂だ。向こうから一方的に突き付けられた交渉ではあるが。
けれどアフィリナは視線を逸らすこともせず、ただ真剣な表情で答えた。
「私の為。私のこれからの生き方の為よ。貴女たちを害することはしないと、誓いを立ててもいいわ」
きっぱりと言い切るその言葉に、やはり嘘は見られない。
ライラは腹を括ることにした。
「……わかりました。じゃあ、先にアフィリナさんの秘密っていうのを教えてください」
ライラの返答に、アフィリナは束の間目を伏せて、それからまた覚悟を決めたように真っ直ぐ視線を向ける。
「私のかつての名は、フィリア・メイフィース。メイフィース伯爵家の一人娘だったわ」