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青年期 十八歳の晩春 四十二

 ジークフリートは煮えたぎる感情とは裏腹に、今までに無く冷静でいる自分に驚いていた。


 三年にも渡る冒険者生活の中で様々な修羅場を潜ってきた。


 初めての真っ当な“殺し合い”からして金の髪の馬に同乗し、短弓や長槍に追いかけ回されながら騎射にて敵を追い払うという煤黒の冒険者にやらせていいものではなかった。


 それに続く仕事も彼の感性においては“クソ”の固まりである。


 二回目となる同道は、あろうことか悪逆の騎士ヨーナス・バルトリンデンとの殺し合いで後方に単騎駆けをさせられるし、以降も試錬神におちょくられているとしか思えないほど野盗や強盗、馬泥棒との縁が尽きない。


 英雄詩に憧れて付け始めた手記にはもう、十回を超えた先からは野盗からの襲撃に関して細かく言及することを止めていた。単に場所、時間、何人に襲われて分配品として何を受け取ったかを書くだけに留める程度に乱戦を経験している。


 当人としては薄い酒で脳を痺れさせて忘れたくなる経験、あふれ出る乱戦の山が嫌と言うほど活きていることが冷えた頭の中で酷く滑稽に思えた。


 斬りかかった敵の腕が増え、六本もの尋常の数倍の長さで以て襲いかかってきても対応が出来た。全ては好む好まざるにかかわらず放り込まれて来た乱戦で得た経験である。


 何より、この数時間で動死体の無茶苦茶さは嫌というほど味合わされてきた。首を飛ばそうが動脈を切ろうが死なない手合いが、腕の三本や四本を追加で生やしてきた所で今更であろう。


 むしろ、もっと理不尽な目にも遭ってきたのだ。


 野盗に加わった魔法使い、それが一本の宿り木から大量のツタを伸ばして絞殺しようとしてきた時の物量に比べれば可愛いくらいだった。腕を増やした訳でも無いのに五~六本の剣に襲われているように錯覚する金の髪との立会と比べれば尚容易い。


 本体は動くことなく伸びた四本の腕と折りたたまれていた長大な主腕が鞭の如くしなって襲い来る。その合間をジークフリートは掻い潜りつつ、鎧で弾ける攻撃は受け流し、致命となる防護していない箇所を狙う刺突のみを躱していく。


 動きは洗練されているのに単調というのが、彼の経験を気味悪がらせた。


 自律する術式によって編まれた動死体は即興の動きに弱い。膨大な状況を予測して組み立てた術式とて、結局は机上にて編んだ想定の域を超えることはできない。


 達人の動きを模倣しようが、達人の思考を以て振るわぬなら、それは素人の動きと何ら違いが無いのだ。


 洗練された無駄な動きの余分を狙ってジークフリートは刃を振るい、脆そうな接合部を切り飛ばす。どれほど素早く致命的な刃であろうが、起点となる体が一箇所に留まっていれば今の彼に動きを読むことは容易かった。


 何人もの野盗に囲まれ、不規則に突き込まれる槍や矢玉に神経を削りつつ戦うのと比すれば、銀雪の狼酒房の中庭にて新人を扱いているのと変わらない。どれだけ素早かろうが、最終的に“当たらない位置”へ体を置けば無いのと一緒なのだから。


 少しずつ腕を切り落として短くしてやれば、最期には攻撃手段を喪って窮した本体が突撃をかけてくる。捨て身の体当たりをひょいと避けた後に手近な木へ蹴り飛ばしてやり、無防備な背中へ剣を突き立てて縫い付ける。


 魔法使いが作る不気味な標本の如き様になった動死体を見ても、激情は留まる所を知らぬ。無力化するために斬り捨てた手から短刀を剥がして奪い取ると、彼は他の会員が格闘している動死体へ躍りかかって次々と解体していった。


 全て尋常の剣士であれば、数手と持たず主神の膝元へ招かれるような強大な異形揃いである。脚部が枝分かれし人の領域を超えた足運びにて翻弄する個体や、何を思ったか肉体に武器を内蔵し瞬く間に弩弓を連射する異形の極みにある個体に対し、手傷を負いながらも抗している冒険者達は個々人に詩を贈られてなんら恥じぬ戦働きである。


 だがジークフリートには、どうしようもなくもどかしく思えた。敵が損耗を厭わぬからか、味方の動きが常よりも精細を欠いている。疲労こそあるが、やはり一番は相手だけが死なぬ相打ちの一撃を過度に恐れてのことであろう。


 「たらたらした剣を振ってんじゃねぇ!!」


 怒りで赤熱した情動が肉体に限界を超えた動きを取らせる。同時に冷めて悲観的な思考が熱された肉体へ最適な動きを強いた。相反する二つの上体が渾然一体となって混沌とした秩序を作り、今までに無い性能を発揮させる。


 三体の動死体、全ての機能を潰しきっても熱が失せることはなかった。


 「ディ、ディーの兄貴、無茶し過ぎて……」


 「うるせぇ、怪我したなら引っ込んでろ。剣寄越せ」


 最後の一体に押されて殺されかけていた会員を強引に座らせ、ジークフリートは死血と脂で斬れなくなった短刀の代わりに剣を奪い取る。感情の制御が出来ているようで出来ていない高揚感が未だに叫ぶのだ。


 「で、ですが兄ぃ、腕が……」


 「だから黙れ、こんな連射だけ狙った細ぇ矢がなんだ馬鹿野郎」


  戦え、殺せと。両腕の前腕部が肉と骨で出来た弩弓となった動死体より受けた矢も、脳裏にてけたたましく吠えたくる殺意の前では小さな針が刺さったように思えた。貫通力と携行性を重視した矢を疎ましく思った彼は、あろうことか傷口の根元で矢をへし折ると、貫通したそれを逆側から引っ張って抜き去ったではないか。


 「筋も動脈もやられてねぇ、矢ぁ一本くらいでぎゃあぎゃあ喚くな、童貞じゃあるまいし。黙って剣寄越せ」


 冷たい血が流れる部分では、かなり無理のあることをしているしやっている自覚があったが、不思議と痛みを覚えぬ肉体にジークフリートは心地よさも感じていた。


 意識の下に統御された激発、これを任意で起こさせるようになれば。


 「殺す」


 由来の分からぬ思考の束を打ち切り、一層の激しさで荒れ狂う“肉塊”に目をやる。


 戦いの最中、凄まじい熱波に襲われたが――先日に見た地雷と似た感覚であった――振り返れば人の形を保っていた動死体が姿を変えていたのだ。


 ジークフリートからして名状し難き形態のそれは、最早動死体と呼ぶことも憚られる有様となっていた。


 焼けただれた肉が盛り上がって破裂と再生を繰り返し、傷口からは沸騰した体液が溢れて下生えを焦がす。筋繊維の束が波打ち触腕となってあちらこちらから飛び出し、群れを作って無秩序に蠢く様は海産物を知る者であれば磯巾着を想起したであろう。


 脈打ちながら暴れる触手は空気を白く焦がす体液を纏っており、科学に見識の無いジークフリートであっても触れるのは得策ではないと理解できた。


 「醜い化け物が」


 吐き捨てて彼は一歩を踏み出した。危険だと分かっていても、気化した体液が鼻を擽ると酷い痛みを与えてきても戦意は欠片として喪われることはない。


 ただ冷静さを保った思考が無闇に斬りかかっても得はしないと弾き出した予想に従い、彼は剣を逆手に持ち替えて勢いよく投擲した。


 槍投げの要領で投げつけた剣は緩い弧を描いて飛び、自重と元々の鋭さによって深々と肉腫の怪物へ埋没する。破裂と再生を繰り返す膿を湛えた水膨れがはじけ飛び、えぐれた肉が大地に散って焼け付きながらも未練がましく這いずり回る。


 熱で蕩けた肉体は悍ましい外見通りの柔らかさで、挿入された異物は十分に傷を与えられているようだった。


 「殺す、殺してやる、剣が届かねぇなら何したって殺してやる」


 攻撃に反応して伸びてきた触手をかがんで避けつつ呪詛を吐き出し、その辺に転がっていた剣を手に取る。動死体が持っていた武器であるが、使えるのであればなんだっていい。


 これは憧れた剣によって大悪を討つ英雄の姿とはほど遠い。己が憧れ、肖った竜殺しの英傑ジークフリートとは似ても似つかぬ荒っぽい所業だ。


 英雄達は正道を以て大悪を誅する。


 剣によって両断し、槍によって急所を貫き、精妙巧緻たる矢の一撃で脳を潰す“すがすがしい”勝ち方をするものだ。


 あらゆる手段、なりふりを選ばぬ暴力、最早効率すら投げ捨てて殺意を形にするだけの闘争は英雄の形には収まらない。


 それでも良かった。仲間を殺し、散々な目に遭わせてくれた敵を葬れるのであれば、外聞などどうでもいい。己の手によって直接殺すことが能わぬ様相になっていようと些事である。


 どうせ、これが終わったら一発ぶん殴ると決めた気障野郎が何とかすると確信めいた予感があった。


 ならばいい、この憎々しい連中を滅ぼせるのであれば、全ては問題ではなくなる。


 「ぼーっと突っ立ってんな阿呆共! 手近にあるモンを何でも良いからブン投げろ!」


 何時か必ず自分の手で全ての障害を排除できるようになってみせる。誓いを込めた大きな石は肉腫が新たに作り出した膿の固まりを潰した…………。












【Tips】かつて国家の勃興に従って呑み込まれた部族の中には、沸騰した怒りを制御し慮外の力を引き出す狂戦士という強力無比な戦士を要する者達がいた。












 大体の邪悪は火によって滅することができる。


 とはいったが……ちょっとコレは予想外である。


 斬っても斬っても中々死なぬので焼夷テルミット術式をぶつけてみた所、悲鳴を上げてのたうち回ったかと思えば神話生物もかくやの凄惨な見た目に変化してしまった。


 表皮は焼けただれて肉色や焦げた黒、果ては油膜のような虹色が混ざる気色の悪い色彩をぶちまけた水膨れが埋め尽くし、奇妙に膨らんだ肉が膨張と収縮を繰り返しており膨れ上がった肉体の形が安定しない。


 時折、肉体を再構築する“材料”を求めてか、肉の合間より不規則に触手の束が飛び出して虚空をかき回し、同時に強度が足りなかったのか千切れて地面を這いずる姿は、生命への過剰な期待と冒涜を感じさせ凝視していると正気を削られそうになる。


 内側から沸騰する肉腫は、恐らく大きな損傷を癒やそうとして体内に“粘つく炎”を巻き込んでしまったのだろう。


 この数年の研鑽において、私の触媒精製の腕は慣れもあり幾らか肉眼において観測不可能な精緻極まる領域に指を掛けた。


 ナノ単位で材料を混淆することで更なる激発性を得るスーパー・テルミットを限定的に――一日ぶっ倒れる魔力消費で――精製することができたのだ。


 元々激しかった炎は更に勢いを強め、短時間で更なる高効率を発揮し敵を焼く。予定もあって一発しか作れない切り札が悪い方に働いた。


 何と言ってもテルミット反応は水を掛けようが空気を遮断しようが、一度反応が始まると燃料が尽きるまで止まらない制御の難しさが鬼門だからな。兵器として焼き殺すことだけに使っているから気にならぬが、敵の状態を悪化させるようなことに繋がるとは。


 不死者への回答として用意した高温での焼却、過去の例を見ても有効だった手段が効いているんだが事態が悪化したんだか分からん方向に転ぶなんて予想できるか。


 無茶苦茶に放たれる触手を切り払い、見えざる手を伸ばして拾い上げた石でぶん殴ってみるも水膨れが潰れるだけで痛手が与えられたとは思えない。ジークフリート達が武器を投げつけているものの、それも致命打どころかダメージに及んでいるかすら謎だ。


 吸血種たる仮面の奇人も燃えている間は再生できなかったのか、体表全てを魔法によって吹き飛ばして強引に鎮火する無茶をする他なかった程に効果的であり、今回相手してきた動死体も数千度の熱で炙って溶かせば無力化できた。


 だが、異形と化す程の爆発力で再生し、強引に耐えてくるとは予想外である。あまりの事態にご立腹なのか、さっきから渇望の剣が静かになってしまったくらいだ。


 「チッ……厄介な」


 さて、貴重な貴重な切り札を切ったが殺しきれない。放っておいて落ち着くのを待ったとして、テルミット反応が終わった所で普通に再生を始めそうなので持久戦に期待はできないか。


 出し惜しみしたつもりはないのだが、どうにも悩ましいな。


 この再生能力、そして斬った感覚と“強酸の血”なる酸素の運搬を放棄した液体兵器を搭載していることからして、肉体を弄った術者ではなく動死体であることは確定していた。


 何やら人間くさいことを宣って、死すら嘆く器用さを見せてくれたものの普通の人間ならここまで弄くった肉体には納まっていられない。


 脳が、精神が保たないのだ。


 帝都時代に魔導院の禁書庫からアグリッピナ氏が借りてきてくれた本にそんな記述があった。過去の落日派の大家曰く、他の種族への自然な転化――吸血種や幽霊への変貌だ――以外で強引に肉体を作り替えた所、外見が似た種であろうと肉体的構造及びそれに基づく知覚の差異に魂は耐えられなかった。


 つまるところ、アレは高度に自動化した幽霊にて管制する動死体か、遠隔にて操作される動死体という公算が高い。


 出来れば“持っている”ことすら知られたくない奥の手を既に一枚切ってしまっている中、殺しきっても情報を持ち帰ることができる相手に更なる情報を渡したくない。


 しかし、このまま持久戦に持ち込まれれば此方が圧倒的に不利であり、仲間もそろそろ限界であろう。


 騎兵として付いてきてくれた配下は言うまでもなく、回復薬の過剰服用までして戦っているジークフリートも限界が近いはずだ。どういう理屈か傷つきながらも全く疲弊した様子を見せず戦っているとはいえ、それに甘えてダラダラやっていれば取り返しの付かない状況になることも考えられる。


 「ああっ、畜生、命には代えられないよなぁ」


 既に私は取りこぼしている。ならば、ならばせめてこれ以上は落としてはならない。


 ケツまくった所で高性能な動死体を野放しにすることは好ましくないし、コレが一体不意打ちで突撃してくるだけで荘が半壊するような怪物である時点で捨て置く選択肢は絶対に無い。


 それにだ、殺すと口にした以上、吐いた唾を飲んでたまるか。


 正気を削る外見に怯みこそすれ、私の殺意は未だ胸の奥でじくじくと疼いているのだから。


 秘策中の秘策、<光輝の器>の神通力を知り浮かれた直後に産まれた“失敗作”にして現状にて最大の火力を解禁するか。


 「最大火力をぶちかます! 間合いを広く取れ!!」


 腰の物入れより<見えざる手>で触媒を取り出す。


 金属で作った五角柱の楔は細かな術式を刻んだ術式補助の祭具。沸騰と再生に苦悶する敵を囲むように五本の楔で縁を描き、魔力を流す。幸いにも敵はジークフリート達の攻撃で集中を欠き、自分の周りで何の準備が進んでいるか認識できずにいるようだ。


 仲間の存在というのは本当に有り難いな。この手の準備が要る大魔法の発動は、一人でやるには骨なのだ。


 魔力を受けた楔が発光し、縁の内側に術式陣が構築された。励起した術式陣が唸りを上げ、藁筒で吸い上げられたかの如く肉体から大量の魔力が捻出される。本来は高度な魔法の杖でも欲しい術式を簡易さを追い求めた“月の指輪”にて行使しようとする弊害もある。


 産まれた光が象るのは正円とその内側に内包する五芒の星(ペンタグラム)。一筆にて描き、各辺を重ね合わせぬ意匠は、ある者は魔術的印象の五芒星とも思うだろうし、陰陽道の晴明九字と見る者もあれば旧神を退ける古き印(エルダーサイン)ととらえる者もいよう。


 その実、その全部の良い所取りだ。五芒星の星は退魔、ひいては敵の放逐であり、一筆書きの星は閉じた空間を意味し、古き印の中央に立つ存在を燃える柱とも見立てている。


 我ながら心の中学二年生を大暴走させた意匠であるが、きちんと理屈だっているのだから良いだろうと構築当時は誰にするでもない言い訳をしたものだ。


 術式陣の構築を終えるだけで魔力が枯渇しつつある事が分かった。複雑な術式に脳髄が煮え、触覚や痛点がない筈の脳味噌が戦慄いて頭蓋骨の内側を引っ掻いているような感覚に襲われる。


 魔導師が奢侈であるとして嫌う術式陣まで使ってこの燃費、幾らテンションが振り切れていたからといって、あの頃の私をちょっとぶん殴る必要があると思わせられる。


 「閉じよ円環、輝け標、知らぬ道を照らすため」


 術式詠唱にて開いた唇にぬるりとした感覚。魔力枯渇第二の症状として鼻血が出たな。


 まぁ耳から出ていないなら許容範囲だ。二日か三日ほど二日酔いを更に酷くした頭痛に悩まされるが、死にはしないから安い安い。


 空間が軋みを上げ、術式陣にて立ち上げられた<隔離結界>が極めて高い硬度にて内側と外側の世界を隔て、一時的に物理法則をねじ曲げる。物理法則を塗り替える魔法は方向性さえ示してやれば燃費が良いが、きちんと対象範囲を隔ててやらねば大惨事を引き起こし術者諸共に空間を焼くため、この膨大な魔力消費の殆どは空間を隔てる結界を形作るものである。


 「軋む旅路を折りたたみ、時の叫びを見放して、彼の身を包め星の則」


 本来は<空間遷移>の術式を完成させるための物に随分と不格好な仕事をさせるものだ。アグリッピナ氏が見たならば、きっとあまりの無様さに腹を抱えて笑った後、ねぇ何を思ってこんなの作ったの? と数時間はネチネチ煽られることだろう。


 更に言うと、ここまでやって人間を移動させることには使えていないことで更に笑われるはずだ。


 いや、だって、まぁ……多分、今の状況だと成功率六割切るし。わぁい、生き物の遷移に手が届くぞ! と喜んで伸ばした所、実験で十匹飛ばした鼠が半分くらいしか返って来なかったら……ねぇ?


 成功率六割ってことは、私が使うと実質零みたいなもんだし“失敗作”以外の何者でもないんだよ。


 かといって大量の熟練度を使って伸ばした<空間遷移>の術式を無駄にしたくなかったので、遷移に他の人間を巻き込まないための結界――アグリッピナ氏は薄皮一枚の結界を張って無駄なく遷移していたようだ――と合わせて攻撃術式に転換した。


 「旅路の末に待つは熱、道行き絶えて輝けば、臥所に転びて空を見よ」


 結界の内側にて塗り替えられた物理法則は大気中の粒子組成に干渉し、一時的に正電気と負電気を中性状態へ強制的に作り替える。エネルギーを加えることなく電気的中性へと移された分子は、原子を超えてイオンや電子に分解され空間そのものが沸騰する。


 「旅路の始まりは旅路の終わり、縺れよ結び目、開け口」


 その現象をして我々はプラズマと呼ぶ。煮炊きの炎をはじめとし、蛍光灯の発光から金属の溶接や食刻にまで幅広く使われる現象であるが、我々が崇め見上げる天の輝き、太陽の熱でもある。


 一時的に物理法則が歪んだ空間は陽光の近似値と化して煮え立ち、結界の内側にて敵を退ける為に閉じた領域、そして目の中央として立つ燃え立つ柱の概念付与がなければ大地を広く焦がす熱が一点に集中する。


 「回路の終わりは今ここに! 来たりて去れよ不帰の旅人!」


 灼熱の地獄がコンマ数秒の間吹き荒れ、大凡この世に形を結んで存在する全ての物を焼き払う。同時、結界が軋む寸前に位相がズレた空間への口が開き、無秩序に放逐されれば諸共に滅びをもたらす熱を何処でも何処でもない場所へ逃した。


 制御できているようで出来ていない高熱、ほんの僅かにしか耐えられない結界、生き物を逃すには不完全に過ぎる空間遷移。全てをごたまぜにした、正しく“失敗作”の集合体が魔力を失って解けると、そこには蕩けた楔しか残っていなかった。


 過去に渇望の剣を空間遷移にて吹き飛ばしたが帰ってこられた反省より、熱で念入りに焼いた後に余熱の処理をかねて放逐する術式は正しく敵を消し飛ばした。


 剣で滅しきれぬ人外を完全に滅ぼす業……と呼ぶには不格好すぎる、本当の意味で秘密にしておきたかった秘密兵器第二弾が成功してよかった。


 ただ、遠隔操作しているに過ぎない術者相手には二度と使えないが。結界を解された瞬間ご破算になる大火力は本当の意味の初見殺しであり、某星座の戦士相手でなくとも二回目は無い。必要ではあるが、やはり痛い出費であった。


 これで本当にからっけつである。これでもう一回クライマックスとか言われたらGMを逆さに吊して帰ってやる。反省が見られないようなら、よく回した上で更に数日放置してやろう。


 「ぐ……」


 敵を滅ぼした安堵のためか、急に世界が回った。頭痛に頭を抑えれば、耳のあたりが嫌な感覚に濡れている。


 あー、これ駄目なやつ、死な安と思ってブッパしたが、思ったより魔力残量が足りていなかったか。


 鐘の中に入れられて盛大に鳴らされている感覚のせいで声が聞こえないが、何事か叫びながら駆け寄ってくるジークフリートに内心で詫びておく。


 後始末、よろしくお願いいたします…………。












【Tips】異相空間を通行するためには空間を開く精度のみならず、生き物を生きたまま通す技術が必要となる。

一段落。そしてクライマックス後に気絶するのがお約束になりつつあるエーリヒ。

書籍版1巻クライマックス、魔剣の迷宮クライマックス、お家騒動片クライマックス、そして今回。


失敗作成立過程

1.よっしゃ、熟練度メッチャ溜まったから空間遷移の生体移動に指かかったで!

2.理論構築完了! クッソ燃費悪いけど人間一人が日に一回は自由に移動できるとか色んなセッションぶっ壊せるやん! 勝ち確や風呂入ってこよ!

3.流石に実験せずは危ないわな! 鼠を右の机から左の机に飛ばして様子見しよ!

4.帰って来ぃへんねんけど……?

5.あかんやん! 10匹とかいう少ない試行回数でも6割とか自分でつこたら実質0やろ!

6.ここから更に伸ばしたら熟練度が、熟練度が足りん……。

7.勿体ないし無理くり使うか……。


プラズマ術式は制御を全部うっちゃった“魔術”なので、勿体ないお化けが許容する程度の出費で済んだ模様。

尚、異相空間に熱やら何やらを放散しなければ普通に自爆する欠陥品。

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― 新着の感想 ―
[一言] >藁筒で吸い上げられたかの如く 「ストロー」と読ませたいのだろうけど、他に用例が見つからない。せめてルビを。 (藁筒自体、用例が少ない。ビール瓶の梱包材として使った記述が1件だけ見つかった。…
[良い点] まともに運用できない必殺技というのはかなりロマンですよね!
[気になる点] ここまで引っ張った割に 敵がHP高いだけの動死体で しかもエーリヒが倒れるなんて。 前は吸血鬼相手だったでしょ。 敵の格が足りないっていうか。 エーリヒが全力でないと ジークと和解しに…
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