青年期 十八歳の晩春 四十一
一糸乱れず、とはとても言えぬ騎馬の列で森を駆ける。
さりとてマシな方だ。林業目的で整備された森のため地面は比較的平坦であり、栄養を行き渡らせるため密度も高くないため何とか走れている。本業の騎兵でない割には上等と言った所か。
私を先頭に後を追う五騎の騎兵が間隔を開けて作る縦列は、各員が腰に括り付けたカンテラや掲げる松明の明かりを頼りに位置取りを決めている。先導する私が夜闇を全く気にしていないことに各々違和感を覚えてはいるだろうが、出立の時に全て終わったら話すと約束すると全員が言いたいことを呑み込んで従ってくれた。
つくづく人の縁に恵まれたものだ。出来の悪い洋画であれば、うるせえ今此処で全部話せとダダを捏ねて時間を浪費させる阿呆がでてくる所だからな。
「ロロット、場所は」
「えっとねぇ、あっちぃ、ちょっとうごいてる~」
視界確保のため兜を脱いだため、髪に埋もれてご満悦のロロットに適宜場所を確認しつつ進む。敵さんは終い仕度を始めたか。だが私達はお前に用があるんだ、店じまいはもうちょっと待って貰うぞ。
幸いにも、森の中に動死体がまだ伏せてあり行く手を遮られるということはなかった。予備戦力を置くなどせず、一息に始末してしまう戦略の王道を取ってくれたことが此処で効いてくる。
戦力の集中投入は威力も大きく無駄も少ないが、敗れた時の立て直しが極めて困難なのだ。大軍であれば誤魔化しも利くが、小勢――百人を超える敵をこういうのもなんだが――であれば話は違う。
供回りくらいは付けていたやもしれんが、それでひっくり返せる戦力ではないぞ。
「見られているわねぇ」
「はぁ!?」
耳元で囁くウルスラの報告に思わず驚きの声を上げる。まさかこの期に及んで足止めの敵を配置しているとでもいうのか?
「獣を弄くって目にしているみたいよ」
「ああ、くそ、そういうことか」
屍霊術流の使い魔といった所か。生きた生物を使い魔にするのは何代も魔力に慣らして交配した品種が必要になるが、死体を弄くって機能を追加するだけならばずっと簡単なのだ。
一番難しい他人の魔力への抵抗を無くすという部分を省略できる上、簡単に数を調達できて性能も悪くないのだから、本当に外聞が悪い以外は高性能で腹が立つな。
「まぁ、もう盲いてしまったようですけど」
「助かる」
くすくす笑うおっかない妖精。言わないでも仕事をしてくれた彼女の力は絶大であり、他人の魔力で動く人形にさえ干渉してみせる。妙な動きをした小鳥が墜落していくのが見えたので、恐らく急に視界を失った事に慌てて落っことしてしまったか。
いやはや、怖や怖や。妖精は気まぐれ一つで人知をひょいと跨ぎ、壮絶な業を振るってくるから恐ろしい。好意的に付き合ってくれる分には実に頼りがいがあるのだが。
「……見えた! 戦闘準備!!」
ロロットの指示に従って走ること暫し、木々の向こう側に人の背が見えた。外套を被って輪郭をボケさせているが、森の中で二本脚の陰影は恐ろしく目立つ。
「障害物を利用されると拙い! 馬蹄による蹂躙は諦めろ! 補足したら直前で下馬する!」
<声送り>の術式にて各員の耳に指示を届かせれば、慣れていないのか背後からは困惑の気配が湧いてくる。馬が集団で駆ける騒音にかき消されぬように使ったが、初見となる彼等は相当に驚かされてしまったか。
びっくりして落馬する者が出なくてよかった。たしかに思念伝達系の術式は、私もアグリッピナ氏に仕えて暫くは気持ち悪くて仕方なかったからな。
遠間に見えた敵影は五つ。大きさは全て人類の範疇に入るが、さてどうなるか。
腰を浮かせて同時に<見えざる手>を起動する。先の騎兵隊との対峙で全力稼働させたこともあり魔力を消耗しているが、まだまだ戦う余力はある。
そして、ジークフリートを初めに後続が減速する中、私は敢えて加速し敵を掠める軌道で馬を進ませる。
接近に気付いた敵は逃げるのを諦めたのか振り返り、陣形らしきものを作ろうとしているが、遅きに過ぎるな。私達が馬を奪って追いかけているのが分かっていたなら、逃走など諦めて一当てして追い返すか時間を稼ぐことを選ぶべきだったのだ。前もって簡易にでも攻撃し難い地形に籠もるなどしていれば、我々を困らせることができただろうに。
身を起こし、鐙から足を外して一息に飛び上がる。端から見れば不自然極まる跳躍、中国映画めいた無茶な動きは<見えざる手>によって体を持ち上げて行うものだ。
元々日本に暮らしていた私は勿体ないお化けの一人でもあるから、のんびり下馬している時間、それと折角馬が与えてくれた加速度を捨てるのが勿体なかったのである。
魔法まで使って飛び上がり、普段なら隙を晒すだけなので絶対にしない大上段へ渇望の剣を振り上げる。目標は狼狽し、動きが鈍い敵の一人。
殺意を込めて振るわれる事に大きな喜びを覚える剣が一際大きく戦慄き、鐘の音や硝子の割れる音など神経に触る音をごちゃごちゃに混ぜ合わせたような絶唱が木霊する。
ああ、そうだ、私は殺す気で剣を振るう。
これまでも結果的に大勢を死に追いやってきた。捕まえた盗賊が出先で吊されていたり、首を晒されていたり、見世物にされたりしている光景を幾度となく見てきた。それでも今までは“生きている方が金になる”から加減して剣を振ってきた。
それでも心の何処かで気にしていたのだろう。できることなら殺したくはないと。最期を誰かの手に委ねる一時的な逃避に過ぎなくとも、その方が楽だから逃げていた節を否定することはできない。
殺さず指だけ飛ばして無効化していく所は格好良さへの憧れもあったが、結局はそこが大きかったのだ。
だが、もういい、お前達が生きている事に私は我慢がならないのだ。それに利ける口も金になりそうな首も十分以上に確保した。
故に死ね、故に殺す。
私達を殺しに来たんだ、その覚悟くらいはしているのだろうな?
大跳躍からの軽い手応え……しかし、振り抜いた渇望の剣は薄皮一枚にて地面に食い込まず止まっていた。
「え……? あ……?」
目の前に落ちてくるのは足掻きとして盾にもなるまいに掲げられた右手。僅かに遅れて大量の血が飛び散り、右の肩口より地面へ垂直に線分された体が二つに裂ける。
現状を認められぬと言わんばかりに姿勢を保とうと藻掻く膝を無視し、私は倒れきる前に剣を斬り上げて首を跳ばした。
両断するなど剣士としては派手さばかりが目立つ恥ずべき斬り方とも言えるが、屍霊術は時に手前の体さえも効率のために弄くるという。貯水施設で戦った仮面の奇人のような種族柄死ににくい例もあるから、二度と起き上がれぬように破壊せねばなるまい。
そう、念には念を入れて。
意識の隅っことも言える<多重併存思考>の一つに術式を練らせ、焼夷テルミット術式にて吹き飛ぶ首と残った胴体にも火を放つ。一連の動作を流れるように止めずに行ったので、余人には私が着地すると同時に敵が斬り殺されて突如炎上したように見えただろう。主動作で斬り付け、副動作で首を刎ねて敵を燃やした形になると言えば伝わり安いか。
立ち上がる頃には高熱で炙られた肉体が炭化して崩れ、焼け焦げた首は落下の衝撃で微塵に砕けた。これで如何に肉体改造を施していようと復活はできまい。この世に炎で浄化できぬものなど無いのだ。
ああ、八つ当たりだろうと言われても否定はせんよ。
火力過剰気味に殺さないと気が済まないほど腹が立ってるのだ。
普段なら前口上の一つも上げるか、何か問いかけるなりするところだが、それすらもう惜しい。
いいや、奴らとは問答すらしたくなかった。
「貴様ぁ! よくも!!」
一つの人影が爆発的な速度で疾駆し殴りかかってくる。たった一度地面を蹴っただけとは思えぬ移動距離と速度は凄まじく、数十歩の間合いが瞬きの間に縮められる。早さだけでいえば私が足下にも及ばぬ領域か。
しかし、動きが些か粗末に過ぎる。殴りかかる腕の軌道が丸見えで、刃を置くように振ってやれる位に単純……。
「つっ!?」
凄まじい堅さに人外の切れ味を誇る渇望の剣が止まった!? 腕の半ばにまで斬り込んだ所で、今までに感じたことの無い抵抗に腕が軋みを上げる。
何より鼻を突く刺激臭、これはいかんと剣を手放して横に避ければ、転げる私の上を轟音を立てて太い足が突き抜けていく。
数度地面を転がって間合いを空ければ、革が焦げる嫌な臭いがした。ちらと見下ろせば、奴の体液を浴びた胸甲が焼けただれているではないか。
強酸の体液だな。どれだけ肉体を弄ればこうなるのだ。
いや……戦闘用に改造を重ねた動死体なのやもしれない。護衛用として強い札を手元に伏せておきたかったのか。
「おぉ……おおお……おおあぁぁ……」
身を屈めて追撃に備えるも、敵は何故か私に背を向けて追撃してこなかった。深く斬り込んだままの渇望の剣を抜こうともせずしゃがみ込み何かを……いや、炭化した人であった名残をかき集めている。
なんだ? 死を……嘆いている?
その有様に無意識に怒りが沸騰し、隙だらけの背中に攻撃魔法をぶち込んでやることが出来なかった。何を今更、何を勝手な。貴様、今まで何をしようとしてきたか忘れたとは言うまいな。
灰を握りしめて慟哭した奴は、何を思ったのか灰の固まりを口に放り込んだではないか。そして振り返り溢れる殺気を抑えようともせずに戦闘態勢に立ち返る。
思索も怒りも後にしよう。手を差し出して呼び戻せば、腕に突き立っていた筈の渇望の剣が何の予兆も無く手の中に帰ってきた。飛んでくるまでの時間も、受け取る動作も入らないので本当に便利だな。
回避に際して迷い無く武器を手放せるというのは本当に強い。何より、今振るっていたのがコレでよかった。送り狼で斬り込んでいたなら、今頃本気でベソをかいていたかもしれない。
「どうした、堅くて食えないか?」
間髪入れず殴りかかってくる敵を避けつつ問えば、詫びるように甘い思念が染み込んできた。この剣は生きているだけあって、その時の気分で切れ味にブレが出るからな。ちょっと余裕過ぎて気を抜いていたと見える。
しかし、直ぐに甘い悲鳴は夜気を割る絶叫へと切り替わった。今までは振るわれる喜びに有頂天であったが、ようよう本気で殺すため身を入れてくれるようだ。
気合いの発露と共に姿が煙るように変わる。馬上で振りやすい半曲剣から取り回しに優れた両手剣へ。大ぶりな攻撃が多い敵には、取り回しに優れる得物の方が向いている。
下段より顎を割るすくい上げの一撃、返しに左手で突き込まれる振り下ろしの中段、流れるように繰り出される足払いを回避し伸びきった膝の裏を撫で切りにする。
僅かに柄と刀身を伸ばさせて送り狼より一回り大きくなった渇望の剣は、膝裏の関節から黒い装束を易々と切り払って肉を裂き、強酸の血液の中を泳ぎ切って軟骨を両断。勢いを保ったまま膝の皿を裏側より割段し中空へ抜ける。
が、刎ねた筈の足の断面から肉腫が伸び、絡み合って即座に再生を遂げる。おいおい、待て待てちょっとおかしくないか再生力。移動不可のデバフを行動消費しないで打ち消してくるんじゃないよ。
一瞬、こんな化け物揃いかと不安になって戦場を<遠見>で見回してみたが、幸いなことに概ね優位に事は運んでいた。
何太刀も受け止めて平気で動く動死体に会員達は苦労させられているようだが、しかし確実に解体が進んでおり撃破は時間の問題と見える。
次に厄介そうな、外套の背中を突き破って“腕を六本に増やした敵”にもジークフリートはひけを取らず戦っている。今もそれぞれの手に短刀を握った腕の一本を拾いものの剣で見事に切り落としていた。
良きかな良きかな、規格外は一つだけか。
ならば、これをキッチリ潰していかねばなるまいて。
「けぇあぁぁぁぁ!!」
怪鳥を想起される背筋が粟立ちそうな声音の叫びと共に繰り出される拳と蹴りを避けつつ、隙を見て斬り付けて行き様子を探る。拳を中央から割る傷は一瞬で癒合し、同様に左手首から先を叩き切っても膝と同じように再生してしまった。
腹に切っ先を潜り込ませて深く横に切り開こうと腹圧で腸が零れることもなく、むしろ大量の血液が噴射して外套の表面を焼かれた。
かなり高性能だな、ここまで対物攻撃を無効化した上で反射的に反撃もしてくるとか剣士への対抗駒としてもやり過ぎではなかろうか。もし振り回しているのが渇望の剣でなければ、私は得物を何本喪っているか分かったものじゃないぞ。
とはいえ、こうも堅く、武器を破壊する体液持ちであれば<騎士団>は使えない。動きを止めることはできても費用対効果が悪すぎる。
では、やはり最初の敵の後を追って貰う他なかろうよ。
脇を締めた拳の雨、隙の少ない攻撃の間合いを塗って片手で下段より切り上げの一撃を放つ。袈裟ではなく地面から垂直に放った斬撃は腹をなぞって顎を二つに割り、鼻から抜けて目深に被ったフードを切り払う。
「げっ……」
露わになった顔を見て、私は思わず呻き声を上げた。
まともな見目をしてはいるまいと思っていたが、想像より斜め上にカッ飛んだエグい顔が視界に飛び込んできた。
基本はヒト種だったと思われるのだが、まず目立つのは六つの目だ。元の眼球の位置をずらし、三つの色味が異なる目が三角形に配されており、瞳は好き勝手に動き回って落ち着きがない。
鼻はそもそも存在せず、菱形に避けた異形の口と繋がって大きな穴と化している。口と呼ぶのが憚られる洞の中にはちぐはぐな長さの牙が密集して蠢き、咥えた得物を削ぐというより挽くための構造を見せつけていた。
そり上げられた頭部には何らかの制御術式の補助なのか、細かな彫金が施された金属鋲が突き刺さっており不気味な頭部をより一層気色悪く飾り立てているではないか。
人間そのものを侮辱しているとしか思えぬ造詣、戦の最中であっても総毛立つ見た目は制作者の趣味か、それとも敵に威圧感を与えることを期待して敢えて狙って作られたものか。どちらにせよ碌なものではない。
「これは……ちょっと話の筋が違ってきてないか?」
間合いを取って冷や汗を垂れ流しつつ、私は屍霊術に手を出さないでいて本当に良かったと感じ入った。
強いにしても、あまりにも英雄的には遠すぎる…………。
【Tips】優れた屍霊術師は死体を継ぎ接ぎして強力な動死体を製造し、切り札として使役することがある。製造にも整備にも手間が掛かるが、それをして運用するに値する強力さを誇る。
GMのエネミー描写に熱が入りすぎてPLにリアルSANチェックが入る事ありますあります。
永い後日談のネクロニカで気合いを入れすぎて後輩が一人ガチで中座してしまった思い出。




