青年期 十八歳の晩春 三十六
騎兵はとっても恐ろしいが、実は全然怖くない。
なんてことを何処かで読んだか聞いたかした覚えがある。
それは事実だ。
一騎の驃騎兵、閃光によって焼かれた目が復活したのか槍を構えて突きかかってくる姿は見事と言わざるを得ない。槍を脇に挟み、胸甲の固定具に棹を引っ掛けて保持する姿は素描の被写体にすれば良く映えるだろう理想型。
鈍色の槍を目の当たりにし、全速で疾駆する馬の前に立てば普通は萎縮して動けまい。
だが、騎兵が歩卒と一対一で立ち向かう場合の弱点は此処にこそある。
槍の軌跡を読み、ひょいと頭を下げてやれば致死の穂先は颶風と共に背後へ去って行く。
その圧倒的な速度は武器ではあるが、弱点にもなる。
ちょうどこんな具合に狙いを避けられたならば、自身の速度もあって修正が利かないのだ。
すれ違い様、私は渇望の剣を下段より袈裟懸けに斬り上げて驃騎兵の腕を切り飛ばした。響く悲鳴、尾を引いて流れてゆく血の帯、続く音は苦痛に身を捩った騎手が転落する音か。
騎兵はおっかない。その突進力を十全に活かし槍か馬蹄で蹴散らされると頑強な種族でも耐えられない。
俺列を敷いて広く襲いかかれば逃げても誰かの槍と馬蹄に引っかかる。
されど単騎の騎兵であれば、地べたに突っ立っていようが怖くもなんともない。
すれ違い様に攻撃を入れることが出来れば容易い相手だ。威圧感と死を感じさせる速度によって冷静な対処を困難にしてくるが、そこを耐えて脳を冷やしておけば愚直であることに漬け込んで調理できる。
本当なら馬の足を切り飛ばして転倒させるのが一番楽だが――盛大に転げるので、騎手は巻き込まれて死ぬ――人間の都合で駆り出されている馬を殺すのは忍びない。
何よりも、後を考えると聞ける口が大いに超したことはないだろう?
渇望の剣を振るって血糊を払えば、戦の躍動に高められた歓呼が響く。脳の深いところを削る嬌声に正気度が削られる感覚がするが、仕事をして貰っているのだから文句は言うまい。助手席の同乗者が機嫌よさそうに溢す鼻歌へ文句を言うほど狭量な人間ではないつもりだ。
騎兵が散って三方より私を包み殺そうとやって来る。時間差を付け、避けられても決して味方同士がぶつからぬよう気を遣って。
一瞬で連携を決め位置取りまで正確とは。これは練度が高い。
良い兵士だ。こんな辺境で、訳も分からぬ仕事に使われるには惜しいほど錬磨されている。きっと騎士の従士として、騎手として弛まなく自身を練りに練り上げてきただろうに。
全く以て、世は理不尽だ。
今までの縛りがあるのなら、最も近い物を交わした後に脇に吊した東方式弩弓で一撃ぶち込んでやり、次を三騎目が邪魔になる位置を読んで躱して斬り付ける所だが……ちと悠長に過ぎるよな。
「臨め我が兵、剣の闘士」
術式を起動する。私の魔力量は<魔力貯蔵量>の実数値により<優等>にしているのみであり、<瞬間魔力量>も<佳良>止まりであるため豪華な特製や種族特性を持った面々と比べると悲しいくらいに乏しい。
それに私は魔法使いに過ぎない。ならば、多少恥ずかしかろうが大仰だと笑われようが、起動に詠唱を用いることに躊躇いはないとも。
殆ど同時のことだ。
鞍上の騎手達が揃って馬上より叩き落とされた。
自身の腰に佩いた愛剣によって。
やっていることは昔から変わらない。<多重併存思考>によって同時並行する<見えざる手>の多重展開。射程を伸ばし、頼りない筈の膂力をヒト種の平均と遜色せぬ領域に引き上げ、そして<三本目の手>による“触覚”を持つことによる繊細な動作を実現。
伸ばされた無数の“手”は騎手の佩剣を掴み上げ、柄頭を顎に叩き着けるように抜き放っていた。
一人はそのまま背後に倒れて馬が制御を喪い明後日の方向へ駆けていき、もう一人は体が傾いで倒れたが、運が悪いこと右足の鐙だけが外れ気絶したまま宙づりで馬に振り回されている。最後の一人は比較的綺麗に落っこちたらしく、呻いており意識があるらしい。
本当に惜しい。正面から斬り結んだなら、かなりの手練れであっただろうに。
それがまぁ、斯様な初見殺しで訳も分からぬまま簡単に始末される。実に理不尽で不条理でないことかね。
こんな所に来て、私に喧嘩を売らねば光が当たる所で戦えたろうに。死しても死を秘さねばならぬような場所ではない所で。
「刃を担う者、皆揃いて陣を成せ」
しかも、理不尽はまだこんなものでは済まないと来たからなぁ。
「ぎっ!? あぁぁぁ!?」
馬から下りて這いつくばっていた“送り狼”を喰らった男から刃が抜け落ちる。奪い取った三本の剣、そして彼自身の剣も独りでに抜かれ、閃光と轟音の術式によって無力化された三人からも二本拝借した。
都合六本の見えざる手に握られた剣が目の前で乱舞する。脳内で一本ずつ数字を振った剣達が慣らし運転の如く虚空を激しく切り刻んだ。
奇数の剣が上を向けば偶数は下を向き、左右でも同様に踊る。次いで二本一組となり柄同士を互い違いに組み合わせてくるりと回した。最後に六本の剣が眼前に集って円を描き、激しく回転した後に柄を起点に前へ倒れ円錐を成す。
「集いて列し、敵前に在りて臆することなし」
この派手な剣の演舞にも意味がある。魔法とは世界にそれらしく見せることで、ねじ曲げた現象の“正当さ”を補強させるのだ。こちらでは廃れた派手な詠唱、煌びやかな術式陣、あまりに大仰な触媒の乱舞は全て燃費軽減のため。
魔道士達はそれを虚飾と怯懦と取り、自身の性能を上げることによって解決したが……私は野卑な冒険者。彼等の考える優雅さとやらに付き合ってやる必要はない。
何より、この光景は恐ろしいだろう? 見る者に恐怖を刻みつければ、それだけ動きを鈍らせ戦意を挫く妨害にも繋がるのだ。
が、“剣の六本程度”で終わってしまえば成長したとはいえまい?
剣の陣が出来上がるのを待ち、今度は“擲たれた槍”の数々が浮かび上がった。
子供だった私が<見えざる手>を六本までで止めていたのは、六本までなら習得がお安いからだ。今は<光輝の器>による収入で存分に贅沢が出来るので……その数は十二本にまで増えている。
気分は小遣いを貯めて一つずつ買っていたカードパックや食玩を成人してからカートンで買っていく大人。見よ、これが人徳の力だ。
増やした腕が蠢動し、浮かび上がった槍は倒された騎兵の総数七人分。
一本多いが、これには絡繰りがある。
見えざる手は力場の手だが、きちんと五指を兼ね備えた人の手だ。
何故、魔法によって作り出された手がそんな形をしているかだが、単純に手の形をしていた方が操作の想像がし易いこと。そして多くの器具が親指一本と他の指が二から四本ある構造の手を前提として作られている為である。
無駄なように見えて合理的な理由でヒトの手を模した術式は、言うまでも無いが五指を有しヒトと同じ動きができる。
それを<巨人の掌>にて拡充してやれば、子供が指の間に箸を挟んで遊ぶように一本の手で最大四本の槍を操れるのだ。
握った拳にて持ち上げられる槍は複雑な動作はできないが、槍衾というだけで十分な脅威だ。単に突き出すだけで敵の足は止まり、武器を打ち払う。
その上、この手は私の“視界の届く限り”伸び続け、実像を持たぬ力場のため“手”そのものを破壊することも不可能だ。
また、不可視の剣士は一人の剣士を押し包むにあたり、邪魔になる味方の体が存在しない。一本の剣が敵の武器を抑えれば、本来は邪魔で斬りかかれない部分から襲いかかることができる。
これを理不尽と呼ばずなんと言おうか。
ダメ押しに私の東方式弩弓、そして騎兵が持っていた短弓も余った手に握らせる。
さて、剣士が六人、槍衾が一つ、そして弓手が二人。
「前に押し進みて我が敵を討て」
これにて術式は完成。
出来映えは複数回行動、射程視界選択、所により装甲点無視とリアクション不可と言ったところかな? ちょっと控えめだが、燃費を抑えているからこんなものだろうよ。
さぁ、コンボが出来たなら名前が要る。毎度毎度全部のスキルを読み上げていたら、そのお経めいた詠唱は長くミドルで二時間使う嵌めになるからな。
公的には初のお披露目となる術式の名を以前に考えてみたが、これといって捻っても格好良い名前も出てこなかった。何より別に叫ぶ事はないのだし、自分だけで分かれば良い。
故に“騎士団”と捻ること無く名を付けた。剣友会と本質的に同じ読みであるが、これこそが相応しいと今なら思う。
ではご存分に堪能めされよ…………。
【Tips】三重帝国魔導院にて廃れた詠唱も地下では使う者も少なくない。
事態の目まぐるしいまでの移ろいに翻弄されつつ、騎兵の指揮官は沸騰した頭で最適解を探していた。
最早撤退すら視野に入れるべき損害が出ているが、彼には此処で退く意味が分かっていた。証拠となる物は一つとして、また一人として残していく訳にはいかないのだ。
既に騎兵の優位は喪われている。前情報に無かった、あんな“デタラメ”な現象が引き越されるなど。地に擲たれた剣の群れが起き上がり、こちらに向かってくるなど寄越された情報には欠片もなかった。
まして、あの“金の髪”が魔法使いだなんて誰も言っていなかったではないか。上司も情報屋も、念の為に聞いておいた下らない吟遊詩でさえ。
さりとて、聞いていないと天に叫んだ所で目の前の剣と槍衾が消える訳でも無し、彼は配下に集結と下馬を命じた。こうなっては槍先を並べた騎兵突撃は封じられたようなものだ。剣と槍衾が壁となり、槍の穂先を届かせる前に鞍上から大半が叩き落とされる。
ならば、下馬して剣にて切り開くほか無かろう。
重装甲の甲冑は重いが、これを着て走り回り、時には馬に飛び乗ることさえ出来る騎士にとっては歩卒の鎧と変わらない。矢を弾き、剣も槍の穂先も通さぬ板金の鎧は下馬して乱戦に入ることすら想定しての重装甲なのだから。
残ったのは僅か八名と半分になったが、士気は折れていなかった。
確かにこの戦場を彼等が好んで選んだ訳ではなくとも、必要であると判断して全力を賭し、また死の危険すら受け入れて名誉もへったくれもない任務を受け入れた。
大義、それがなくては誰が受け入れようか、薄汚い血の流れる名主がいようとも無辜の民が暮らす荘を襲う仕事など。
下馬した重装騎兵達は鞍に結びつけてあった剣を抜き、馬を放してやった。戦闘に巻き込まれては帰る足がなくなってしまうから。
「横列!」
長大な両手剣、よもや抜くことはあるまいと思っていた下馬戦闘の備えを手に騎士達は遮二無二に突っ込む準備をする。
壮大な茶番だ。下らない任で訪れた下らない地で望外の強敵にまみえて配下の半数以上を喪い、最後には得体の分からぬ魔法に捨て身の突貫を試みるなど。
「かかれぇ!!」
剣を抱え、どこまでも下らないが退けぬ戦に命を投げ出す。号令に答え、目を覆いたくなるほどの痛打を受けたにも関わらずくじけぬ配下も猿叫を上げて進み出す。
敵までの距離はあまりに長い。しかも、あざ笑うかの如く担い手の居ない槍が彼等の行方を遮った。
「おお! 切り払え! 潜り込むのだ!」
「ぐぁ!?」
「うっ……なにクソぉ!!」
突き出される槍の穂先を切り落とし潜り込む騎士達。しかしながら軽装であった驃騎兵の一人が刺突に倒れ、槍を切り払った重騎兵の一人が鎧の隙間に短弓と弩弓を受けて倒れ伏す。
穂先を落とされても騎兵槍の槍衾は遠慮無く鎧を殴りつけてくる。更に柄を握って短く切り飛ばし、前に進む頃には全員がかなりの消耗を強いられていた。
歩卒が持つ長槍ではなく、騎兵の突進に耐えられる頑丈な鉄芯を包んだ騎兵槍は斬ることが難しく、長剣の刃が鈍った者も少なくない。それでも槍の林をくぐり抜ければ、今度は同数となった剣の群れが立ちはだかる。
「くっ……! 止めろ! “動きは単調”だ! 叩き落としてへし折ってやれ!」
上段より叩き着けられる剣は、槍と同じく単調で人が操るものと比べれば実に容易い挙動を見せる。これならば簡単に捌いて“金の髪”に取り付ける。
見かけ倒しかと髀肉が無意識に持ち上がった瞬間、騎士の背を薄いが酷く重い殺気が駆け抜け、本能で手が動いた。
剣を傾け、突き込まれる刺突をいなしつつ体を右に開く。抜けて行った刃は、受け止めていなければ板金鎧の数少ない弱点である脇の下を確実に撫で斬っていたことだろう。
初撃が嘘のような……いや、嘘なのだ、あの精細を欠いた棒きれを振り回す素人剣術に見せかけた一撃は。
今や騎士の長年に渡る鍛錬にて磨かれた感覚は、引き戻された剣の柄に“不可視の剣士”が立っている幻覚さえ引き起こす。軽妙な構えで剣を構える姿は、遙か前方にて剣を肩に抱え騎士達を睥睨する金の髪のそれ。
あり得ぬ、この剣一本一本に奴の技量があるのか!
そう戦慄した時には遅かった。
響く悲鳴の多重奏、鎧に掛かる血飛沫は配下が流す敗北の証。
瞬く間に二人倒された。一人は手甲の隙間を打たれて右手が落ち、もう一人は膝裏を掬い上げるように撫で切りにされて転倒する。あれでは筋を断たれており、最早立つことすらできまい。
「ぐっ……行ってください!」
にもかかわらず、彼は次の同胞に斬りかからんとする剣の刃を掴んで引き留めた。乱暴に暴れる剣に掌が裂かれて血が滲み、肉に深い亀裂が走り指の骨が削られる。
「魔法なら、アレを潰しさえすれば!」
「行ってください! お願いします!」
「盾になれ! 剣を止めろ! 必ず斬って下さる!!」
右手を断たれた者は左手で懐剣を抜き、他の者も必死に剣を食い止めて道を開く。
細い細い、ほんの一瞬の隙間に騎士は身を潜り込ませた。背の装甲を掠めた剣が火花を散らし、斬撃を受けた配下の血を踏みしめて。
「覚悟ぉ!!」
名乗りを上げられぬ不明を恥じつつ、彼は愛剣を抱えて猛進する。
「見事なり! 受けて立つ! 来い!!」
不適に笑い、抱えていた剣を悠然と構える金の髪を斬るために。両者の闘志に堪えたのか、魔法により<不壊>の概念を付与された魔法の両手剣が月光に煌めき、夜陰より尚暗い魔剣が法悦の絶叫を上げた…………。
【Tips】下馬戦闘。騎兵突撃が優位と言えなくなった場合、騎兵は下馬して戦闘することも想定した兵装を身に付けている。特に重厚な甲冑を身に纏った騎兵は、馬を下りて尚も無視できぬ強力な戦力だ。
装甲点無視もお好きなら、きっと射程:視界選択も気に入られますよ。
どうせならリアクション不可も如何です?




