青年期 十八歳の晩春 三十三
不意に詩が恋しくなる。
物語の中の敵は、いつだって分かりやすいからだ。
世界の終わりを目論む魔導師はおどろおどろしい高い塔から動かず、王国から財貨を巻き上げる邪竜は洞窟に陣取って離れることはない。
恐ろしき野盗の頭目は常に山の廃城や砦の奥にふんぞり返り、敵国の将軍も陣のど真ん中に構えて位置を教えてくれる。
いやはや、本当に羨ましい位簡単じゃないか。
なんつったって、そこに居ると分かっているなら、カチ込んで首を刎ねれば終わるのだから。
我々冒険者も居場所が分かっている連中にケジメを付けさせることが仕事の基本である。蛮族に襲われて困ってる村とか、新しく見つかった迷宮なんぞがお約束で“片付けるべき敵の居場所”は大抵明示される。
それこそ、囲んで火ぃ放つなんて私達がする側だというのに。
「あー、誰でも良いから分かりやすく喧嘩売ってきてくれ……」
「どうしたんだよお前……穴の掘りすぎで遂に頭変になったか?」
解決も進展もしない事態に嫌気が差して、ついつい物騒なことを口走ってしまった。
さて、早馬が出て二日、我らは絶賛穴掘り継続中である。
予定していた空堀の構築に入ったのだ。
その最中、面白みも無い穴を掘って土を運ぶ作業に疲れ、冒険者ってなんだっけ……? と延々答えのでない思考をこねくり回した結果出てきた言葉がアレだ。
隣で作業していたジークフリートが私にヤベー奴でも見るような目を向けてくる。確かに自分でもどうかと思うけど、そんな通り魔見つけちまったよみたいな顔は戦友に向けるべきではないと思うんだ。
とりあえず誤解を解くべく持久戦への辛さを吐き出してみれば、彼も汗を拭いながら苦そうな顔をした。
「ちっと分からんでもねぇな」
「だろう? そもそも、この手の仕事は冒険者に不向きだ」
「ああ……フツー知らねぇぞ、拠点防衛云々なんざ。テメェがおかしいんだテメェが」
「えぇ……? 詩とかに出てこないかい?」
「ねぇよ」
少し話題に乗ってくれてはいるが、ジークフリートの態度は未だ硬い。
話に聞くと数人の会員と固まって何か話していることも多いようだが、本当にどうしたものか。
鈍感系難聴主人公を気取るつもりはないのではっきり言えば、彼が私に思うところがあることは確かだ。それを内に抑え、仕事に励んでくれている。
理由は幾つか思い当たらないでもない。
剣友会の会員を誤魔化すのに不足は無いが、幼馴染みであるジークフリートをカーヤ嬢で誤魔化すことはできないのだ。
幾ら彼女が魔法使い、彼の専門外の知識を持っているといっても、あんな見るからにおっかない爆薬――彼等にはそう見えたらしい――や薬草医には縁遠かろう動死体の知識があるのはおかしいと思って当然か。
私は個人的な事情で魔法使いであることを秘密にしている。調子に乗りすぎてカーヤ嬢には知られてしまったが、ジークフリートには未だに黙ったままだ。
付き合いも長いが、黙秘している理由を冷静に振り返ると合理的な回答は出てこない。
別に彼を信用していないのではない。魔法使いだと打ち明けても誰彼構わず話すことはなかろうし、ましてそれで私に損をさせるとは思えない。
だが、なんというか、付き合いが長くなってしまってこその言い辛さがあるのだ。
何で何年も黙っていやがった! と問い詰められた時、相手を納得させられる真っ当かつ常識的な回答が頭の中で入荷予定が立たずに居る。
正直に言えば、ここぞという時! に颯爽と魔法を解禁して活躍したかった、というアホかお前と刺されても仕方が無いことを最初は考えて居たのだ。
いや、ほら、だって格好いじゃない。なんかこう、傍目には覚醒したように見えて?
こんな巫山戯た理由で隠してた結果気まずくて言えませんでしたなんて、今更どの面を下げて言えばいいのだ。それこそ重大な理由でもでっち上げなきゃ刃傷沙汰不可避であるぞ。
仮にジークフリートが高位奇跡の請願を許される僧だったことを隠していたと置き換えてみればよく分かる。
テメェ、それがあれば楽に運んだ仕事がどれだけ! と胸ぐらくらい掴んでしまうかもしれない。それくらいにはアレな所業であることを理解しているとも。
勿論、師から公にするなと言われたことを守っているだけだが、あれは“おおっぴらに使うな”であって誰にも秘密にしておけという訳ではない。だとしたらマルギットやカーヤ嬢に知られている時点でアウトである。
幸いにも私が魔法を使わなかったことで被害を被ったことはなく――そも、使わねば誰か大怪我する事態になっても秘匿するほど無情ではない――仕事を失敗してしまったこともないので決定的に信頼を破壊することにはならない……と思いたいが、大喧嘩くらいは避けられないか。
今になって前世で先輩から言われ、後輩に教え継いで来た「やらかしたら直ぐに言おうな。寝かせるほど早く腐って不味くなるから」との言葉が身に染みる。
彼との友誼を大事に思うなら、どうすればいいのだろうか。
「……おい、見えたか?」
「またかい?」
益体も無いことを考えつつ憤りをスコップにぶつけていると、ジークフリートが声を上げる。反応して見やれば、森の方にちらと人影が見えたような気がした。
「一人……かな?」
「タッパはそこそこ、ヒト種か?」
「流石にここからでは分からないよ」
昨日からだが、ちょろちょろと森の周りを彷徨いている人影が櫓や斥候から報告されている。勿論、またあの悪ガキが悪さしてないだろうなと荘民の人数を確認して貰ったが、裸釣りと襲撃が効いたのか流石に全員残っているとのことだ。
剣友会や隊商も念の為に確認を入れたが例外はなく、そもそも我々であれば最低でも常に二人一組で動かすため孤影で見つかるのはおかしい。
となると、また増援かと思って私が数人連れて森にカチ込んでみたが、姿は見えず何時間も彷徨う訳にもいかないため諦めて引き返し、また人影が見えて出かけていき……を半日続けて「単なる嫌がらせじゃねーか!」とようやっと気付いた次第である。
出しそびれた残党か、はたまた遠方からえっちらおっちら歩いてきたかは知らないが、本当に人が嫌がることをさせたら光る物を見せてくる敵だな。
これで私達は中々動けなくなった。
そもそもの敵の目的が分かっていない中、更に「まだ狙ってるからな」という素振りを見せられてはどうしようもない。
かといって今後を考えれば短気を起こして森を焼くなんてことは、古巣であれば平然と手を染めたが口にすることすらできず、さりとて荘を手薄にしたくないので大人数を率いて家捜しにも出かけられない。
あちらを立てればこちらが立たずの天啓だ。
ああ、せめて都合があって置いてきた剣友会の面子が勢揃いであれば、一〇人ほど編成して徹底的に潜ることもできたのだが。
やはり防衛戦は難しい。頭数があって、全員がノウハウを分かっている傭兵や正規軍にしか出来ぬことだ。
早くマルギット達が帰ってきてくれればいいのだが。
巡察吏を一隊、いやさ軍を連れて戻ってきてはくれないものか。
さすれば後は国家の暴力でさらっと解決するのに。
「どうする? 何なら俺がでるが。五人連れて行くぞ」
「……いや、いいよ。どうせ挑発だ。作業を邪魔させたかったり、休ませたくないのさ。無駄に動けば工期が伸びるし、みんなも休めなくて夜が辛くなる」
同じく鬱陶しく感じているジークフリートがやる気のようだが、ここは止めておこう。敵としては、空堀を作られると鬱陶しいから、ああやって姿を晒す危険を冒してまで邪魔しようとしているのだ。
ならばこちらは粛々と相手が嫌がることを続け、いざ痺れを切らして突っ込んできたら全力でおもてなししてやればいい。
「クソが。せめて森がもうちょい近ければよ」
「防風林にもなるが林業に使うんだ、そんな近くに荘は置かないよ。危なっかしくて仕方ない」
「……ほんと、ムカつく位色々知ってるよなお前」
「そうかい?」
渋面と共に言われ、少し知識を見せびらかせすぎたかと思った。
まぁ、何故こうなっているか、というのは普通に生活していたら気にならないよな。井戸から水が出るにしても堀り方なんて専門家しか知らなかったり、荘の近く、風が強く吹く側に人口の森や林を置く理由も何となく暮らしていては分からないし、この時代では気になっても中々調べられないものだ。
細かく色々な理由を教えてくれる映画や漫画、そして気になったら直ぐに答えを教えてくれるピカピカ光る板きれを持っていた私の情報優位は普段気にしていないが、時に大変な火力を発揮するのだと改めて認識する。
そして、それが時に不審を抱かせることにも繋がると。
そりゃあねぇ、英雄詩や軍記詩じゃあ戦いを謡っても陣形の意味や戦術なんざ解説しないものな。
創作に触れることは勉強にも成る。私の場合、それが役に立つ所に来てしまっただけに過ぎないが。
ただ、その偶然が奇妙に映ることもあるのだろう。
「ジークフリート、私はね」
「ああ、わぁってるわぁってる、貴種の下仕えだったんだろ、わぁったから黙って掘れ。お前が命令したんだろ」
素気なく聞きたくないと言われてしまえば、これ以上の弁解も能わない。
私は内心で溜息を一つ吐き、スコップへと手を伸ばした…………。
【Tips】専門知識と単純なことであっても、専門家達が自身の価値を損なわせぬ為に口を噤んでいる。
春も終わりを迎えようとしている中、とある荘には農繁期の賑わいとは異なる空気が満ちていた。
「これはまた……」
護衛の馬に相乗りしていた蜘蛛人は、酸鼻たる光景に不快感を隠すことも無く顔をしかめた。
「姐さん……」
「ええ、警戒はいいわ」
終わった後だものと呟き、マルギットは護衛として選ばれたヨルゴスの後席より降りた。彼の重さにカストルは些か疲れているようではあったが、二mもの巨躯と合金の骨格を含んだ肉体は板金の前進鎧を着た騎士にも等しいため無理は無かろう。
だが、疲れに見合う視覚的威圧効果があるとして選ばれた護衛を彼の愛馬は良く運んで見せた。年老いつつも早馬に遅れず巨躯を運んだカストルは正しく名馬の誉れに相応しい。
されども、この勲功ある馬に沢山の水と飼い葉を与えてやれるかは難しい所であった。
立ちこめるのは農夫が高らかに響かせる労作歌ではなく嘆きの声。
鼻腔を擽るは起こされた畑の爽やかな土の香りではなく焦げる木材と腐敗を始めた血の臭い。
通りにあるは走り回る子供達ではなく、葬送も間に合わず並べられた亡骸達。
冒険者であれば見慣れてしまうこともある筈の、しかし幸いにして剣友会が直面したことのない地獄がそこにあった。
「一体……一体何事だ!?」
護衛の間を抜け、一頭の悍馬に跨がった若人が悲鳴混じりの疑問を吐き出す。
名主より早馬を預けられて伝令として立った彼は、他ならぬ名主の娘婿。長女を娶り次代の荘にて舵取りを期待される青年が伝令に選出された理由は、さして難しくも複雑でも無い。
危難を伝えるのであれば、下っ端ではなく相応の立場がある人間が行くべきだからだ。代官に直談判し、指示を仰ぐのであればそれなりの礼節が必要となることは当然、現地である程度の判断ができる人間が行かねば意味がない。
決裁権を持たぬ人間が行った所で、それは遅いだけで伝書鳩の下位互換に過ぎぬ。陳情の本気度合いを示すため、ひいては迅速な判断を仰ぐために彼は選ばれた。
そんな彼は元々代官に仕える徴税吏の一人であったこともあり、マルギットをして有能だと判断できる頭の持ち主であった。
情報収集したいといえば、一時馬を休ませることも考えて近場の荘を巡れる旅程をあっという間に立て、馬が疲弊しづらく、同時に敵の接近を容易に察知できる平地を道に選んでみせる。
素晴らしい知識を持つ彼を褒めれば、徴税吏であれば土地勘は必須ですよと謙遜が返ってきたものだ。地形を覚え、この立地であれば税が妥当であるかを判断するのも自分達の仕事の内だとして。
そんな彼は顔色を酷く悪くしていた。荘の危難において、名主と共に先頭に立って荘民の避難を指示した彼であっても、流石に一方的な暴虐に晒された荘への耐性はなかったようである。
「おお、貴殿はモッテンハイムの……」
火を放たれた家から燻る残り香を纏わり付かせながらやってきたのは、年老いてしょぼくれた老人であった。
いや、煤で汚れ疲労と諦観によって落ちくぼんだ顔は、かつては精力的に張りがあったに違いない。焦げて痛んでしまった上等な服と、老人にしては割腹の良い体が悪い意味で憔悴を引き立てるのだ。
ヒト種としては背の高い伝令と並んで初めて、印象ほど老人の背が低くないことが分かる。大きかった背が何倍にも縮んで見えるほど、老人は疲弊していた。
「隠居殿! 何があられた!? こは何事なりや!?」
「ワシらにも良く分かり申さぬ……いきなりヤクザ者共が現れて……」
この荘にもたらされた悲劇で分かる限りの事を纏めれば、不可解な襲撃としかいえなかった。
夜半に賊が襲いかかり、家に火を放ち数家族と押っ取り刀でやってきた自警団の半数が殺された。その中には隠居殿、老人の後継である名主も含まれており、その息子夫婦も炎に巻かれて亡くなった。
これだけであれば野盗の急ぎ働きに過ぎず、こういっては悪いが“有り触れた悲劇”に過ぎないが、余りに定石から外れているのだ。
野盗共は女を浚うことも無ければ、蔵を打ち破って食料や財貨を漁ることもなかったという。
ただ殺すことをだけを目的とするかの如く、家の出入り口から火を放ち、外に出てきた者達を優先的に殺し、日が昇る前に去って行ったそうだ。
あり得ない話である。料理を作るだけ作って手を付けずに家を出るような所業、常識で考えるとあまりにも不合理だ。
では、何が目的であったのかと想像を巡らせるにしても中々に難しい。
殺人という行為、襲撃という無体は原則として何を得る為に行われるのだから。
マルギットは頭が良いが、軍略や戦術に関して深い知識は無い。十数人の小集団が取るような行動であればまだしも、荘に手酷い打撃を与えて“敢えて放っておく”ような、より高次の戦略をうかがわせる事態ともなれば門外漢故に想像が及ばぬ。
演繹的に見た想像の一つ二つすることはできるが、やはり何が正解かまでは分からない。
蜘蛛人の斥候は、相方が作った声を遠くに届ける魔道具の範囲が未だ狭いことに歯がゆさを覚えつつ、先を急がねばと水だけ頂戴して先を急ごうと提案した…………。
【Tips】代書人、徴税吏、祐筆など代官に近い人間が荘の後継、ないしはその補佐として婿入りすることは多い。職業柄読み書き計算に達者なことは勿論、代官や荘内における政治に必要な知識を持っていることが多いからだ。