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青年期 十八歳の晩春 三〇

 剣友会に所属していれば、自分の目を疑うような光景と直面することは間々ある。


 頭目たる金の髪が自身に倍する巨躯の男を軽く下して見せたり、つい先ほど誰もいなかった筈の場所から蜘蛛人の狩人が現れてみるなどは日常茶飯事。


 最早、技術によって小兵が大男を下すことは彼等にとって物語の中の出来事ではなくなってきたし、自身の身によって似たことが出来るようになった者も多い。


 また、蜘蛛人の神出鬼没さにも慣れてみれば――中には恐る恐るネタばらしを希望した斥候もいる――摩訶不思議なご都合主義ではなく、きちんと技術によるものだと分かってきていた。


 同様に微笑ましいカップルである幸運にして不運のジークフリートと若草の慈愛も修羅場において信じがたいほどの戦果を上げることがあるが、今日のそれは一際凄まじかった。


 舞い上がる爆炎、吹き荒ぶ熱波、壊れた玩具もかくやに散華する重武装した人間。


 それは正に信じがたい光景の一つである。


 炎の恐ろしさは文明に触れていれば誰もが知る所である。幼き日に馬鹿をやって火傷を負った者も多かろう。中には火事を目撃した者も居れば、戦列にて戦術級魔術の暴威を目の当たりにした者も居る。


 されど、短時間で水気の多いはずの人体が、こうも酷く“溶け落ちる”ことがあるのだろうか。


 誰かが思った。こんなものが戦場で当たり前に流通するようになったら、戦争のやり方が変わってしまうのではと。


 いや、何より恐ろしいのは、それを見て満面の笑みを浮かべる金の髪であった。


 この男は戦いを楽しんでいる。殺しや戦闘に伴う危機に愉悦を覚えるのではない。純粋に闘争に身を投じ、己の性能を発揮することに悦びを覚えている。


 この仕儀もアレが考える最大効率にして、最も楽しい方法であったに違いない。


 「さぁ、残飯掃除と行こうじゃないか」


 残敵掃討に際し“残飯掃除”と形容するのが無理からぬ惨状であった。


 ふらふらとおぼつかぬ足取りで寄ってくる敵は、最早統制も何もなく、焼けた肉体は真面な反応を示さない。


 淡々と槍を突き刺して滅多刺しにする、文字通りの残飯処理であった。


 しかし、彼等は更なる驚愕を得ることとなる。


 最初、炎を纏いながらフラフラ進む者を哀れに思った。死にきれず、助けを求めているのだろうと。


 哀れみは直ぐに困惑に変わった。普通、人はああも体を焼かれて歩き続けられるものなのだろうか? ましてや、形だけの有様なれど武器を向けてくるものだろうかと。


 金の髪から命じられて、漸く彼等は元の種族が何だったか分からない程に爛れたモノに対応できた。攻撃して止めねば、燃えたまま抱きついてくると察して。


 焼かれ、刺され、解体されて尚も敵だった物が動き続ける恐怖は形容に難い。


 幾つもの修羅場を超え、刃を交わしてきた熟練の域に近づきつつある冒険者達が恐怖に溺れかけた。


 動死体(ゾンビ)。幼子を怖がらせる話に現れる怪物。それが敵手だったのだろうと魔法使いであるカーヤから指摘され、彼等は自身が相対していた敵の恐ろしさに心胆を凍らせた。


 四肢を捥がねば無力化できぬ兵など悪夢以外の何者でも無い。


 果たして今、こうやって不可思議な魔法で散らされていなければ、どれだけの死人が出たであろうか。


 僅かな残敵を狩り終えると、金の髪が未だ燃え続ける亡骸の向こうを眺めながら増援は無いかと呟いた。そのまま警戒しろとの指示に従って武装を解かずに居たが、待てど暮らせど敵が再び森の中より現れることはなかった。


 そして、気落ちした様子の相方から報告を受けた頭目は、解散と夜間警戒に移れと命ずる。


 振り返ればあまりに恐ろしい光景であったが、良いことが一つある。


 少なくとも、あの背筋が泡立つような手管を振るって見せるのは味方であるのだ。


 以後、元々敬意は払っていたものの、剣友会一同は若草の慈愛に対して挨拶の時は最敬礼を贈るようになった…………。












【Tips】動死体とは寝床で聞かされる物語の怪物であり、一度もまみえること無く生涯を終える者の方が圧倒的多数である。














 即席なれど良い火力であった。もう少し触媒を増やし、術式を弄れば危害半径を伸ばして効率的に敵を炙れるだろうか。


 いや、やはり誤爆が怖いし、これくらいにしておくべきだな。火力は十分なのだし。


 勝ったという実感に乏しく、これでいいのか? と言いたげに死体の処理を終えた会員達に号令を出す。


 (かちどき)を上げるのは大事な作法なのだ。自分達に勝利を認識させると共に、守られている側に安堵をもたらすための。


 「かぁちどきぃ!!」


 「ばっ、万歳(ハイル!)! 万歳(ハイル)! 万歳(ハイル)!」


 ライン三重帝国での勝ち鬨はシンプルな万歳の三唱。一声毎に槍を突き上げて足を踏み鳴らし、士気を高める。日没の空へ朗々と響き渡る我らの戦吠え(バトルクライ)は、避難を進めていた荘民へ勝利を伝え安堵を喚起するであろう。


 さてと、増援の気配はないか。


 暫し警戒して森を睨め付けてみたものの、(おかわり)が湧き出してくることはなかった。


 一応警戒はしていたのだ。少数の部隊を当てて様子を見て、必要そうなら追加を出してくるなり、迂回するための別働隊を出してくることもあるのではと。


 ただ、敵は期待通りに用兵の基礎を守ってくれた。逐次投入は愚策、という大前提に従って動ける戦力を一塊にして叩き着けてくれたのである。


 能力の高い個を群に纏め上げて一揉みに済ませる最適解を取り、我々を侮ってはくれなかったようだ。


 実際に最適解だからな。膨大なHPを持つ個体を固めて叩き着け、相手の損耗が自身の損耗を上回ることを確信した上で押し続ける攻撃は単なるゴリ押しではない。押せば押すほど効率を増す飽和攻撃というものだ。


 さて、全うに殺し合っていたらどれだけ被害が出たことか。四肢を落として無力化するまでに反撃を受ければ、こちらの兵員は死なずとも手傷を受けて落後し、殲滅力が落ちて結果押し込まれる形となっただろう。


 いやはや、東部戦線のドイツ兵みたいな目に遭わなくてほんと良かった。


 各員に警戒を命じつつ、じぃっと森を睨め付ける。後備えが居ないことは時機を逸して尚も増援が来ないことから既に確定しているが、期待していることがあったのだ。


 待つこと一刻ほど。期待に焦れつつも指揮官の焦りは配下の士気を下げるため気を引き締めて立っていると、マルギットが帰ってきた。


 「ごめんなさい、何も見つかりませんでしたわ」


 迂遠さを一切廃した、残念な報告と共に。


 伏せて様子を見ていた彼女には、一つ頼み事をしていたのだ。


 動死体の戦列に対処した後、森に入って“使役者”の存在を探してくれと。


 誰にも命ぜられることなく動けるほど、屍霊術によって操られる量産型の動死体は便利なものではない。ある程度術式に刻んだ反射を行わせることは出来るが、人間の兵士のように個々で判断して動けるほどの能力は無い。


 であれば、軍団を指揮するに及び二つの方策がある。


 一つは使役者自身が直接命令を下すこと。


 二つは知性を持つ統率者個体を用意し、指揮を委任することである。


 私は前者を期待した。直接指揮を執るために屍霊術師が森に潜んでいることを。


 そうであれば事態は簡単だったからだ。マルギットに位置を特定して貰い、後は少数精鋭で突っ込んで斬首してしまえば全ての厄介事にケリが付く。後は動かぬ証拠として術師を代官の所へ引っ立てれば、荘の危難は大凡取り除かれたであろう。


 しかし、期待は外れてしまったか。マルギットが居ないと判断したなら、それは居ないか“普通であれば発見不能”の状態にあるのだ。私は専門家の判断を無視するほど愚かな指揮官ではありたくない。


 まして、彼女の腕前を信頼できないなら、私に信頼できるものはこの世に存在しないことになるからな。


 「期待に添えず、口惜しいばかりですわ」


 「そう言わないでくれ。君の腕前は誰より信頼しているつもりだから」


 「屍霊術師の痕跡は見つかりませんでしたけど……お土産が一つだけ」


 手製らしき地図をお土産として受け取り、読み取る限り幾つかの印が付けてあった。墓標を模した上面が弧を描く四角い図表がポツポツと。


 死体を埋めてあった所か。


 「ありがとう、最高のお土産だ」


 「恐悦至極に存じますわ」


 点在する墓標の印は全部で十五。一つにつき三から四体の動死体を伏せさせていたならば、広範に散っていることからして殆ど全部つぎ込ませたと見てよかろう。


 全てを解決する敵の首は得られなんだとして、これはこれで値千金である…………。












【Tips】魔法は原則として“知覚の及ぶ範囲”を到達の限界とする。それを拡充するのであれば、自身の感覚を飛ばす遠視などの魔法を用いるか、遠方でも存在を確認できる標となる物(マーキング)を置く、または自身と結びついた別の魔法使いを用意する必要がある。












 緊張冷めやらぬ夜半、荘は警戒を解かぬまま痺れるような微睡みの中にあった。


 万一に備えて防備を敷いた状態の広場にて、危難に気が昂ぶったまま眠れと言われても中々に難しい物があろう。


 警戒の中でも深く眠れるのが良い兵士の資質と言われるほど、気がかりがある状態で眠るのは難しいことなのだ。


 月が高く昇ろうと多くの荘民が不安で寝付けぬ中、指揮所として貸し出された集会場にて二人の冒険者が今の危難とは別の原因で緊迫した空気を纏っていた。


 頬から顎に跨がる面傷が目立つ冒険者、ジークフリートは無表情によって不機嫌を覆い隠そうと試みていたが、それ自体が不機嫌の表明となっていることに気付けずにいた。


 隣に座って精神を和らげる薬草で煎じた薬湯を飲むカーヤとしては、味が分からないほどに居心地の悪さを感じている。


 これは彼女が好む、可愛らしく焼き餅を妬いている時の不機嫌さではない。


 ジークフリートは分かってしまっていたのだ。エーリヒとカーヤが秘密にしていたことを。


 彼は詩の中で盛り立て役(コメディリリーフ)として扱われることが多いものの、実際には決して頭の回転が悪い訳でも愚鈍でも無い。むしろ、単独であっても十分に指揮が執れるだけの能力を持った冒険者だ。


 その感覚が先ほどの光景を上手に咀嚼して正しい味を脳に伝えてしまう。


 こんなもの(火の出る魔法)、最初から全て分かっていなければ用意できる筈もなかろうよと。


 動死体の厄介さをジークフリートは正確に認識していた。


 どちらかと言えば粗雑で大雑把な印象を受ける彼であるが、その実剣術と槍術はどちらにおいても技巧派であり――訓練相手からして宜なるかな――一撃で命を絶つことを得手としている。


 親指と人差し指だけ狙って切り飛ばす狂人ほどの領域にはないが、常日頃から剣友会にて囁かれる「人間なんて小指の先ほど刃を潜り込ませれば死ぬのだ」という原則を彼は守っている。


 斬り付ければ何処ででもいいのでは無い。


 だが、喉笛に、手首に、大腿部にそれだけ斬り込んで正確に重要な血管や筋を傷付ければ“人類”であれば必ず殺せる。ヒト種であろうと鼠鬼であろうと、そして恐るべき巨鬼であれど例外は無い。吸血種などの不死者でさえ一瞬は死んでいるのだ。


 だが、それを無視して這い回る動死体のなんと不条理なことであろう。


 力に任せた剣を振らぬ剣友会には極めて相性が悪い。


 相手の特性を知らず、正面からぶつかっていたら大勢死人が出たであろう。


 そうはならなかった、といえばそこまでなれど、断じてじゃあ良かったねで済ませられることではない。むしろ、結果的に死人は出ませんでしたよね? で片付けたくなかったのは誰かという話である。


 故にジークフリートは不機嫌であった。


 あの胡散臭い金髪の面に一発ぶち込んでやろうかと拳を固める位に。


 少し考えを巡らせれば分からないでもない。戦う前に士気を落としたくなかっただとか、勝てることを分からせてから教えた方が良かったとかの“道理”は分かる。


 しかし、人間とは完全に道理で生きる物ではないのだ。


 大抵の会員は、あの金髪に憧れているため流石は旦那だと感心していることだろうとも。されど、少なからぬ数が脅威を秘密にされていたことに引っかかりを覚えていよう。


 彼の事を不本意ながらよく知ってしまっているジークフリートから言わせると、余りに脇が甘いと言わざるを得なかった。


 アレは人間に憧れすぎている気があるからな、と呆れつつ大きな溜息を吐いた。


 誰も彼もが理屈を理解し、義に依って立っているのではない。それは訓練し、生死を共にした同胞であっても例外はないというのに。


 すっかり冷め切った自分の薬湯を一口で干し、投げるように杯を放り出して立ち上がる。向かう先は敷きっぱなしにされた寝袋で、荒くれ者の冒険者が代わる代わる入っていったせいで男臭くて堪らない。


 それでも眠れるだけ有り難いものだ。


 「寝る」


 「あ、あのね、ディー君……」


 「お前も寝ろ」


 普段のジークフリートと呼べという軽口も出さず、冒険者は相方である魔女に背を向けて背嚢に潜り込んだ。


 この幼馴染みが複雑な、それこそ手前では心の奥底まで理解することが出来ぬ相手だと彼は分かっていた。いつからか……荘の有力な魔女医の娘として会った時か、友人になった時か、はたまた冒険に付いてくるなんて無茶を言い出した時か。


 どうあれジークフリートにはカーヤという女がよく分からなかった。同じ臥所に入り、幾度となくねだられるままに白い肌に指を這わせ、唇を寄せたことのない場所が無くなった今でも。


 愛しているのかと聞かれれば、まだ若い彼に愛という感情はよく分からない。それでも誰よりも、自分より大事かと言われれば迷い無く首を縦に振れる位には思っている。


 いつぞやの酒の席で誰が話し出したとも分からぬ思考実験。


 母親と恋人、二人が病に冒され治せる薬は一つだけ。そうなれば誰に使うか。


 一瞬の逡巡も無くジークフリートはカーヤに薬を渡す。母親の立場を誰に移してもそうだ。


 仮にそれが自分であったとしても。彼女が泣いて、自分に飲めと願ったとしても。


 そんな相手から命に関わることを秘密にされたとあっては、とても愉快な心地にはなるまい。


 また、剣友会内のことも、金の髪のことも気がかりだった。


 別に疑っちゃいない。あの気障な金髪は一穴主義が行きすぎて相方を疲れさせ過ぎるような相手だし、カーヤがたまにみせる挑発だってそこまで悪趣味なものではない。


 それでもだ。それでも、自分に知らされぬ秘密を二人が共有していることがどうしても気にくわなかった。


 寝袋の近くで何か言いたそうにしている幼馴染みを無視し、彼は瞑目した。まだ何時間かしたら警戒に立たねばならぬのだ。


 薬湯のおかげで眠りは迅速に訪れたが、心地好い夢を見ることは無かった…………。












【Tips】合理のみで全てが通るのであれば、人に振るうための武器が産まれることはなかったであろう。

発売からそろそろ一ヶ月になろうとしておりますが、未だKindleのオーバーラップランキングで3巻が2位についておりありがたい限りです。それに評価も百を超えて本当にありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
[一言] 若草に地雷
[一言] これはリーダーとしてエーリヒに配慮が足りなかったと思うかな、正しいければ全て上手くいく訳じゃないし。 と言うか戦友とまで言っておきながらこれは普通にどうかと思う。
[良い点] ディー君可愛い! [気になる点] これで終わりだとお話が半端だけど、ここから逆転の手は難しくね? 続きはどうなるのか、わたし、気になります。
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