青年期 十八歳の晩春 二十九
かつて私が屍霊術を独覚カテゴリの魔法であるにも拘わらず強力だと判断したのには理由がある。
死者を動けるようにするだけでは、正直に言えば弱すぎる。朽ちる肉体、固まる間接、漂う腐臭は接近を容易に報せてしまう。頑強性も所詮急所を潰されても死なぬ程度であり、骨や筋を潰されれば藻掻くだけの木偶の坊と化す残念さ。
かなり明け透けに物を言えば、死体を集める労に見合う戦力ではない。
これをして強力と判断したのは、極まった屍霊術によって操られる死体は“人間の上位互換”たり得るからだ。
先ほどの例は全て、ただ何も考えず死者を動死体として運用した時の話に過ぎない。
「ああ、クソ、やっぱり適当な素人ではないよなぁ……」
梯子を登る時間すら惜しかったため足がかりとなる部分を蹴って一息に昇った櫓、落日の赤と日没の紺が混じり行く曖昧な紫の中で蠢く軍勢が見える。
全く、光学的に物を見る目が働きづらい時間をキッチリ突いて来るな。慌てて攻めて来たのだろうが、戦術は的確なあたり敵に回すと嫌らしい奴が率いているようだ。
数は五〇と少し。我が方を倍以上で優越する数であり、この時点で既に凄まじい驚異である。
況してやソレが、人と同じ滑らかさで動き、精神的な動揺もとは無縁で苦痛に身を捩りすらしない文字通りの死兵であれば驚異度は尚上がる。
熟達の屍霊術師であれば、動死体の肉体に刻んだ術式は肉体を生者と遜色なくとまでは行かぬものの、かなり滑らかに動かすことが出来る。腐敗から遠ざけられた肉体はぎこちなくとも整然と並んで行軍し、槍を立て盾を並べている。その上、後列には投石紐をぶら下げた間接射撃を可能とする後衛まで備わっていた。
これが悪夢的なのだ。
人間とは頑丈なようでいて脆い。矢が一本刺されば戦力は激減、戦線から脱落し、次の戦闘にも余程当たり所がよくないと参加できない。
だが、術式によって這い回るだけの動死体であったなら?
私はその理不尽さと恐ろしさを魔剣の迷宮で嫌という程味わったとも。
首を落とそうが彼等は知覚を喪わず、頭部に矢を受けようと構わず動き続ける。腹を槍に貫かれて臓腑をはみ出させたとして、その機能を失った生の名残に如何ほどの必要性があるのか。
最低でも両腕と首を断たねば攻撃を止めることはできず、障害として動き回れぬようにするなら更に両足を落とさねばならぬ。
その上、欠けた肉体は“継ぎ接ぐ”ことすら能うのだ。
撃退しようと屍霊術師は動死体を繕って戦力を再構築する。不完全な二つの死体を一つの完全な兵隊にすることもできれば、去り際に敵の死体を持ち帰らせる、ないしは適当に転がっている四肢を持ち帰らせるだけでもなんとかなるのだ。
集団戦で考えるのであれば、これほど恐ろしい敵は早々なかろうて。
帝国においては徳の高い聖職者がいれば簡単に無力化される上――勿論抵抗はしてくるが――早々に火砲や戦術級の魔術、そして諸兵科連合や機動戦術が発達したこともあって“便利だが民意を無視するほど有用でもない”として見捨てられたけれど、こうやって少数同士のぶつかり合いで持ち出されたならば悪夢以外の何物でも無い。
ああ、くそ、墓地利用は基本とか言うけれど、それは違う世界の話だぞ。レギュレーション違反だと思い切り顔をぶん殴ってやりたくなった。
なんか便利な力線とかないだろうか、不死者の再利用を禁じるような奴。いや、既に動いているのには適用できないからどうしようもないか。
さりとて不死者に強い神々に信仰を捧げる神官、荘の豊穣神の聖堂や娼婦達の顔役たる僧を前線に出張らせる訳にも行かぬので厳しい物だ。
ここに聖者殿がいてくださったなら、GMが頭を抱えるほどサックリ事態は解決したであろうに。
無い物ねだりをしても仕方が無いか。
それに、想定していた“最悪”の事態でも無い。
何せ極めに極めた屍霊術は、死によって限界という枷から解き放った肉体に冷徹なまでの効率を発揮させるからな。
殭屍みたいなものだ。あれも優れた道士が作ったならば知恵を持ち、道力すら発揮させるように、秀でた屍霊術が持てる技術を注ぎ込んだ動死体は凄まじい性能を見せつける。厳選した素材を継ぎ接ぎし、恐るべき精度の技術を習得させた死せる肉体は錬磨した人間をあざ笑うほどに高性能であろうよ。
だが、あの軍勢には目に見えた異形や“乱戦前提”と見える特化戦力はなさそうだ。
まぁ、それでも十分過ぎるほどに強力なのだが。
「っとぉ」
いかん、目立ちすぎた。遠方から適当な狙いで矢が浴びせかけられた。捕まる支柱を変えて回避しつつ、きちんと弓手が居ることも確認する。数は一〇と少し……投石兵と合わせ、対策しないと厄介だな。こちとら痛みに弱い生者様である、幾ら鎧と着込みの帷子があっても流れ矢が怖すぎる。
「旦那ぁ! 降りてください! 目立ちすぎた!」
「阿呆! 指揮官が状況をきちんと見ずにいてどうする! この程度の矢で心配されるほど弱いつもりは無いぞ!」
こちら側の弓手が矢筒と弓をひっさげて櫓の梯子を登りながら私を気遣ったが、どうしたものかな。不死者には矢玉は効果が薄いし、歩卒として下げた方が良いか?
いや、それでも矢が刺されば骨や筋を損傷させれば動きを鈍らせることもできるか。私が降りた時、事態が変わった時に教えてくれる第二の目にもなるのだし。
「矢玉は潤沢にある! 遠慮せず射ろ!」
「姐御じゃあるめぇし、こっからじゃ当たりゃしやせんぜ!?」
射点に着く会員から泣き言が飛んでくるが、誰も百歩以上離れた奴に百発百中しろとは言わんよ。敵さんだってこっちがビビるのとまぐれ当たり目的のざっぱ撃ちだ。
しかし、私達は“寄って欲しくない”という見せかけが要るのだよ。
「まぐれ当たりでも祈れ!! 撃つだけで意味がある!」
「俺ぁ信心にゃ自信ねっす! ガキん時にお袋に引っ張って行かれて以降、聖堂なんざ前も通ってねぇっすよ!!」
文句は垂れるが命令には従う配下はいいものだ。むしろ、軽口を叩くのは手前を鼓舞することにも繋がるので存分にやりたまえ。
「だったら今からでも祈れ! 間に合わせの祈りでも、男ぶりが良ければ練武神の寵愛は厚かろうよ!」
「クッソ! 野郎の胸板に迎えられたって嬉かねぇや!!」
雑に飛んでくる矢を避け、鬱陶しいものを剣で払っていると耳元に声ならぬ声が届いた。帝都では使い慣れた、しかし昨今では緊急時にしか使わなくなった<声送り>の術式だ。
魔力に乗って届く囁き声は、前衛に僅かに遅れて追いついてきたカーヤ嬢である。
魔力波長を辿って首を巡らせれば、傍らに護衛の会員――流れ矢を防ぐ大盾持ちだ――を引き攣れ、横列を組みつつある最前線より僅かに離れた所に居た。
いつもの状態ではない。簡素な若草色のローブの上に魔法薬を収納した帯をたすき掛けに装備し、腰にも同様の弾薬盒と似たポーチを鈴なりにした完全武装状態である。
「矢避けの術式を飛ばします!」
魔法薬盒から素焼きの瓶を取りだした彼女は右手に担う杖、その先端にぶら下がる投石紐へ装填する。魔法使いの杖、その機能を損なわぬまま投石杖へ改造した彼女固有の装備である。
魔法を現場で発動させるのが苦手な彼女が開き直って魔法薬を投擲する変則的な魔法使いへ変態を遂げた中、一つの問題が発生した。
彼女の細腕では、液体を収めた握りこぶし大の瓶を投擲するのには限界があるということだ。
朧気な記憶によると、前世でハンドボール投げの女子平均記録は一二メートルだが一三メートルそこらであり、飛んだとしても二〇メートルほどだという。
これは戦場で運用するには些か……ぶっちゃけ心許なすぎる距離だ。足に自信があれば数秒で埋まる距離だし、効果範囲を考えると誤爆が怖い微妙な間合い。しかも力を入れすぎると手の中で瓶が割れかねないため、全力投擲も難しい。
そんな問題を解決するべく開発した、というより単にでっちあげたのがコレである。
手慣れた手付きで紐を構え、いっそ優美にさえ思える身のこなしで杖を振りかぶった彼女の手から放たれる瓶は、か弱い女性が放ったとは思えぬほどの遠方へ着弾した。
大した物だ。カーヤ嬢持ち前の勤勉さで練習しただけあって、杖や予備の投石紐を使った魔法薬の命中率は悪くない。割れた瓶から飛散した魔法薬は空気に触れるという発動条件を満たし、秘められた術式で世界を上書きしていく。
突如として瓶が割れた場所を起点に激しい風が吹き始めた。進行する動死体の群れに対し、逆風となる矢を払う風が。
間近であれば目を開ける事は疎か呼吸さえ辛くなる強風に煽られ、元々狙いが甘かった矢が散らされていく。<矢避け>と呼ばれ従軍する魔法使いや魔導師が使う基本的な術式の最たる物だ。
味方の矢をより遠くに届かせ、敵の矢を打ち払う。多くの会戦において“ご挨拶”として行われる矢の応酬を助ける業は、どこの戦場でも見られる慣例行事だそうだ。
当然、この術式は我々にとっても有用であるためカーヤ嬢には頑張って覚えていただいた。私が<基礎>で習得して術式骨子を教えたものを彼女なりに魔法薬に仕立てて貰ったのである。
結果はご覧の通り。私が手を動かさずとも良くなったのでありがたい限りである。
追っ付けやってきた他の弓手も櫓に昇り、手が動く限りの射撃を始める。
ただ、陽が沈みつつあり夕日の残照と夜陰の暗さが混じり合う中、視界が光に滲んでいるため効果の程は微妙だが。正直、私もこの状況だと<猫の目>が狂うので、あまり正確には見えていない。
魔術で光を増幅してどうにか、と帝都時代に考えたことがあるが、アグリッピナ氏曰く調節をミスると網膜が焦げると警告されて結局諦めたんだよな。本腰を入れて研究する余力も無かったが、こうなってくるとやはり星明かりで昼間並みに見えるようにする術式を開発しておくべきであったか。
指揮官としても戦うことを考えるなら、視界の確保は重要だからなぁ……。
ちりりと片耳の耳飾りが鳴った。片時も離れること無く耳を飾る桜貝の飾りは、今や絆の象徴ではない。
傷つけることなく<声送り>の術式を刻んだことにより、我が幼馴染みと常時双方向で繋げられる通信機でもある。
「もう直、件の罠に差し掛かりますわよ」
「ありがとう! 直ぐ下に降りる!」
「ええ、お急ぎ遊ばせ。投擲武器が聞きづらいと分かったからか歩調が上がりましてよ」
「わかった。君も巻き込まれないよう下がっててくれ」
心得て、と途絶える通信は他ならぬマルギットからのもの。彼女は戦線より更に前に身を潜めて陣取り、敵の様子を探り続けてくれている。敵が寄せてきたら、より詳細に敵の陣容を確認するために以前より打ち合わせていたのだ。
「気張って打ち続けろ! 流れ矢に気をつけてな!」
「ええ! 旦那こそご武運を!!」
櫓より飛び降り、二重の横列を組んだ配下の前に陣取る。
背が低い者を集めた前列、及び背が高い者を集めた後列は慎重順に並ぶようにしているため、落差は大きいものの然程見栄えは悪くない。借り受けた円盾を装備し、手槍を持って居並ぶ姿は寡兵と言えど実に頼もしい。
ここで訓示の一つでも打つべきところだが、少し待つか。
普段であれば激励をする私が黙って迫る敵を見ていることに違和感を抱いたであろう剣友会員達であるが、ちょっとタイミングというものがあるのだよ。
間接射撃でこちらを弱らせられないと悟った敵軍の歩調は早まっている。動きながらだというのに器用に陣形を整え、小規模な鋒矢陣形を組んで前衛を蹴散らす気満々ではないか。
盾を構え槍を突き出し、後背に近接武器を抜いた後衛を後備として置いた五〇にも昇る軍勢の圧力は、こうやって相対すると十分に距離を取っていても肝が縮み上がる迫力だ。機動力こそ劣るものの、盾と槍を同時に装備した重装備の歩兵が全力で突っ込んでくる突破力はなかなかの物なのだ。
今では騎兵の充足や蓄積された戦訓によって会戦においては陳腐化したそれも、場所を選べば古代と変わらぬ威力を発揮する。
ま、足を止められなければの話だが。
「三……二……一……はい、どかん」
あたりをつけての秒読みの後、陽が沈みかけていた世界が鮮烈な朱に染まった。
調子よく突っ込んできていた敵が、何の前触れも無く地面より湧き上がった熱波に呑まれたのだ。余波が我々の髪を僅かに靡かせ、頬を火照らせる熱が破壊の凄絶さを教えてくれる。
よしよし、油脂焼夷術式の破壊力は期待通りだ。
危害半径内の敵が一千度以上の熱に炙られて、筋肉の反射で無秩序な踊りを舞う。肉と筋が縮れて術式にない反応を示し、高熱に蕩けた武具が地面に滴る。煮える血が体を流るる坑道人であろうと耐えられない温度を前にしては、如何に死者の軍団とて抗う術はないのだ。
そして、死者の軍勢の欠点が露骨に出る。
人間は臆病な生き物であり、前列が無惨に倒れれば足を止めてしまうものだ。結果としてそれで矢の集中射撃を浴びてハリネズミに仕立てられることもあれば、前に敷かれた地雷を踏まずに済むこともある。
恐怖を知らぬ軍勢は焼けて倒れた同胞の残骸を踏み散らして前進し、再び地雷を踏んで燃え上がる。
進撃路を読んで埋設した地雷が気持ちいい位に踏まれていき、進む度に陣形が溶けていく。直撃せずとも飛び散った炎が燃え移った亡骸は燃え上がり、他の死体へ延焼して痛んでいく。
人間はかなり水気が強いので燃え移った死体の燃焼は遅いが、それでも衣服を巻き込んで成長する熱に炙られた肉は次第に引き攣って機能を喪失する。
こうなれば勝ったようなものだ。
これ見よがしに敷いた横列。遠距離戦を嫌っていると見せかける魔法。全て地雷原に誘い込むための罠だったのだ。
「うむうむ、仕掛けは上々、見事なもんだ」
「だ……旦那……?」
震える声を掛けられて、首を巡らせて背後を見れば、荘を守る気概に満ちていた筈の会員達から血の気が失せていた。それぞれの種族での“怯え”を示していたため、気を解すために満面の笑みを作る。
「我らが若草の慈愛に感謝だな? さぁ、残飯掃除と行こうじゃないか」
いやはや、思い通りに事が運ぶと気持ちいい。カチッと型にはまって敵が手も足も出せずに死んでいく防衛戦ほどスカッと爽やかなこともそうないぞ。殺してやる気をみなぎらせて送り込まれた尖兵が無様に解け落ちる様を、使役者はどんな情けない面で眺めているのだろうな?
結局、五体満足で我々に襲いかかった動死体は居なかった…………。
【Tips】人体を構築するタンパク質は高熱を受けると凝固し、骨も熱により脆くなるため無理に動かした場合は崩れてしまう。
防衛戦で地雷は実際エグい。やられたらGMとして後出しじゃんけん以外で楽に突破するには、航空戦力くらいしか思いつかないという。地雷があると知っていたら散兵で寄せるんですが。