青年期 十八歳の晩春 二十八
仕事を始めて七日。事は想像よりも円滑に進みつつある。
「よぉし、備えろー! 気をつけろよー!」
「腰落とせぇ! 縄に指巻き込むなー! 簡単に飛ぶぞー!!」
「棟梁! 周囲の安全いけます!」
勇ましく数字を数え上げつつ、荘の職人衆と若い衆が縄を引く。すると、縄が結わえられた横倒しの“櫓”がゆっくりと持ち上がった。
四つ足の櫓は基礎に奥側二本だけがはめ込まれており、縄で引っ張り上げられて立ち上がる姿は中々に勇ましいではないか。見張り台の四方を防護板で確実に覆った櫓は、後四基用意されており、この作業の後に同じく荘の方々で起き上がる予定だ。
櫓は防御壁や逆茂木と同じく、広場で秘密裏に作って一気に荘の各地へ配備される。
全て防備を固めていることを知られ、脆い内に焼いてしまおうと短気を起こされないための施策である。一本完成する度に立てて、こりゃあかんと慌てられては困るからな。
慌てるにしても、どうにもならぬ段階に入ってから慌てて貰わねば。
「ゆっくりな! ゆっくりだぞ!」
「奥の衆! ちょっと力緩めろ! ちょっとだけだぞ! ちょっとだけ!!」
「ええぞ! もそっと! もそっとゆっくり! 基礎の位置外れとらんな!?」
縄張り通りに櫓は起き上がり、浅く掘って礎石を据えた基礎へ柱が突き立つ。採寸通りに収まったことを棟梁――防護壁を作った矮人の父親だ――が確認し、腕を天にカチ上げると職人衆が鬨の声を上げる。
どうやら上手くいったようだ。
「で、どうだね旦那、満足かい?」
「ああ、いい櫓じゃないか。雨風も防げて、矢も浴びにくい」
「ついでに平和んなったら逢い引きにも使えらぁな」
けけけ、と腹を抱えて笑う若い矮人の職工。防御壁を仕上げた跡取り殿は、私の隣で仕事を監督していた。彼等は矮躯故の軽い身のこなしによりとび職や瓦職人としては最適なのだが、軽量化のためか骨格が弱いためどうしても力仕事には向かないのである。
「後四つ、これで一段落ってぇとこかい」
「櫓もおかげで格段に守りやすくなりました。視界も広くなるし、上を取れば矢の威力も増す」
中々に信じがたい事だが、今までモッテンハイムに櫓は二本しか無かった。一つは街道付近の見張り用で、もう一つは広場に立てた警鐘を吊す警告用。如何に平和とはいえ、流石に手薄すぎやしないかと呆れた物だ。
ケーニヒスシュトゥール荘においては出入り口や要所などを含めれば櫓が全部で七本あった。勿論全てに人を常駐させることはできないが、野盗が活発になる春や秋頃には案山子を立たせ篝火を焚いてハッタリを効かせていた。
それこそモッテンハイムの防備を固める前に何度も言った、ハッタリによって諦めさせることによる防備である。
こっちはいざとなれば本気で喧嘩できるんだぞ、と見せておくことが重要なのだ。人間、誰だって被害を被ると分かって戦闘はしたくないからな。
「まー、維持するにゃちっと多いかもしれんが……戒めとして残すように名主にゃ進言すらぁ」
「そうしてください。並の野盗共なら見ただけで諦める防備を備えるのが、結果的に一番安上がりです。人間の命は高価ですから」
まともに動けるようになるだけでも五年、働けるようになるなら少なく見積もっても更に五年。仕事や戦力として一応使えるようになるだけでもついでに五年。一五年の時間と食料がなければ最低限の運用が出来ぬコストは馬鹿にならんのだ。
耳がイテえなぁ、と後頭部を掻く跡取り殿。その左手首で小さな木札が揺れた。
紐で結わえた木札、それは昨晩に私が埋設し終えた“油脂焼夷地雷”の識別札である。私の血が刻印に染み込ませてあり、この札を持っている限りは地雷を踏んでも信管が作動しないようになっている。
中々骨であったよ、木箱に術式を刻むのは言うまでも無いが、名主殿を納得させるのがね。
危ないので本物での実演こそしていないが、不死者でさえ焼き尽くす熱を放つ仕掛け、それを荘の周りに埋設すると言われて「どうぞどうぞ」と快諾する指導者はそう居まい。万一のことを考え、そして終わった後の始末も考えると簡単に首を縦には振れない。
もしも荘民が踏んでしまい、犠牲者が出れば全てご破算だ。今まで整えてきた防備も、信じ込ませてきた安全も吹いて飛ぶ。
そして、専門家が安全策を用意しているといっても、知識がない人間には本当に安全なのか分からないため、尚不安を感じてしまう。
私達魔法使いや、知識を持つ魔導師が構造を見たなら幾つか用意した暴発を防ぐ術式を見て納得しようが、残念ながら一般人からすれば何時爆発するか分からない危険物との違いを証明することにはならない。
結果的に軽く音を立てる程度に調節した試作品で実験して見せた上、埋設した横に赤い布を括った杭を刺すことを提案して漸う許可が得られたが、実に難敵であった。
実際、ここまでやっても荘民からの反応は良くなかったからな。木札をぶら下げるのは面倒くさいし、もし忘れて踏んだらと思ったら怖すぎると。
櫓が明日には立って、更に安全になるという高揚感でダメ押ししなければ住民意見によりやっぱり反対という事態にもなりかねなかった。
理解は出来るので憤りはしないがね。そりゃ私だって家の周りに対人地雷設置するけど、スマホにアプリ入れときゃ爆発しないから安心してね、とか言われて安穏に生活できる自信は無いとも。うっかり忘れて出たり、バッテリー切れてたら死ぬかもしれないとか気が気じゃないわ。
とはいえ、まだ残っていた緊張感と危機感のおかげで辛うじて事はなった。危ないので私が直々に設置すると誤魔化し、夜間に<見えざる手>を駆使して埋設した地雷、その数二十五個。まだ少ないが、カーヤ嬢が仕上げ次第順次追加していく予定であり、壁が途切れる進撃予想路へ重点的に撒いておいた。
顔色を悪くしながらもカーヤ嬢が頑張ってくれているため、今夜には更に一〇個は追加できる。明後日には七つ、明明後日には五つと予定数が出来上がればかなりの殲滅力を見せてくれるだろう。
櫓も相まって防備は固まりつつあるので、これから敵の動きが無ければ空堀も欲張ってみるか……。
などと考えて居ると、荘の北方で警鐘が鳴らされた。
三回鐘を鳴らし、間を開けて更に鳴らし続ける三点鐘。警戒を促す合図だ。
「総員警戒態勢! 自警団、男衆は荘民を非難させよ! 並行して籠城準備! 急げ!!」
一も二もなく声を張り上げ指示を飛ばしながら駆けだした。
私は冒険者として剣友会を率いると決めた時、<光輝の器>によって満たされた熟練度を彼等に還元すると共に、彼等の安全を守るために使うと決めていた。
指揮官として小勢を率いるための<歩卒指揮>を<熟達>にまで伸ばしているし、声を遠方に響かせると共に士気を高める高級特性<指揮者の声音>も大奮発して取得した。
時に戦場に響き渡らせる大声のみで味方を鼓舞する指揮官というのは居るものだ。我が麗しの故郷、ケーニヒスシュトゥール荘の自警団長ランベルト氏が正にそれで、低く何処までも届く胴間声は「彼がいれば負けることはない」と不思議な安心をもたらしてくれた。
きっと、似たような特性を経験によって身に付けていたのだろう。我が身を以てその有用性を知っているからこそ、下手なスキルが<妙手>で取得できそうな高級特性であっても特に迷うことはなかったね。
実際、私の威厳に乏しい声でも遠くに届き、混乱していても従わねばと無意識に聞く者に思わせる声は現場で実に有用だった。勿論、以前より持っている<染み入る声音>などのコンボ前提の特性群が絡み合ってより高く効果を発揮しているのだろうが、思い切った買い物がなければこうも順調には行かなかったであろう。
警鐘を聞いた剣友会員は最低限の見張りを各所に残して北へ走り、夜に備えて寝ていた者も集会場から押っ取り刀で駆けだしてくる。
対応はよし、十分に戦える速度だ。しかし、こんな陽も高い内から仕掛けてくるとは予想だにせなんだな。折角今日で櫓が建って、より効率的に迎撃する態勢が整ったというのに。
気を見て敏というべきか、はたまた慌てただけと見るべきか。こちらとしては、暗い中不死者と殴り合わなくて済んで有り難くもあるが。
不死者は五感に頼らず行動する。魂の匂いを嗅ぐとかいう、非感覚的知覚を持つため夜襲を仕掛けられると夜目が利かぬ種族には中々どうしてしんどいのである。
ふと現場が近づいてくると唐突に警鐘が止んだ。
はて、何事か。もしかして警戒についていた会員が矢玉を浴びて倒れたかと能う限りの速度で駆け寄ってみれば……なんともまぁ、間抜けな光景が展開されていた。
荘の北側、境界となる壁の付近。粛々と畑仕事が終わりつつあるライ麦畑には私の相方、マルギットと警戒の指揮を執っていたジークフリートが居た。
その前では五人の子供達が正座を強いられており、一人はジークフリートによって首根っこを掴んでぶら下げられているではないか。
あっ……と一瞬で全てを察した。
「よぉ、エーリヒ、悪ぃな、走らせて」
「ああ……で、その悪ガキ共が?」
北側で遊ぶなって口酸っぱくして言ってるってのによぉ、そう言って空いた左手で頭をかき乱すジークフリート。大して正座させられている子供の内、半分は泣きそうになっていて、もう半分は心底不服ですとでも言いたげに口を尖らせていた。
特に気に食わぬと言いたげなのは、彼に吊り下げられている年長と思しき少年だ。如何にも気が強そうで跳ねっ返りのガキ大将といった風情の彼は、言い付けを破って荘の北側で遊んだのだろう。
いや、近くに置かれている籠などを見るに森へ踏み入ろうとしていた形跡まである。
私はこれでいて今世では勿論、前世でも物わかりの良い子供だったので理解が及ばないが、大人からするなと言われたことを返ってやりたくなる子供は多いらしい。事実、我が長兄はそっちの気があったし――両親からガチで叱られて大人しくなったが――時にもっと無謀な事に手を染めて大怪我を負う者も年に何人か居た。
あのおっかないことこの上ないマルギットのご母堂が、威圧感たっぷりの笑みで狼が出るから立ち入るなと警告したにも拘わらず、林に出かけて帰ってこなくなった馬鹿さえいたのだ。それを考えれば、森は危ないと言った所で行ってみようとする阿呆を止めるには足りぬか。
大方、大人達が危ないと言う所に行くことで度胸でも示してみようとしたのだろう。周りはビビりの落胤を押されたくなかった意志薄弱な者か、或いは心配してついていった考え無しか。
まぁ、どうあれ荘を出る前に鳴子を鳴らしてバレてしまったのだからいいとも。理由は御白洲で存分に語ると良かろう。
とりえあえず、足に自信がある者を走らせて誤報だったと知らさねば…………。
【Tips】子供とは元来無鉄砲な生き物であり、死にたがっているとすら思える無鉄砲を止めることは親でも難しい。
子供の暴走は、大体私の想像通りであったそうだ。
度胸を示すため。それと、暫く誰も入っていないため木イチゴが取り放題だと思って子供達は森に行こうと試みていたらしい。
あわよくば、森で活躍して英雄になってやろうと考えて。
心の底から申し訳なさそうに荘を代表して我々に頭を下げる名主殿は――なんと詫びの証として酒まで用意してくれた――理由を語っている間終始恥ずかしそうにしていた。
無理もなかろう。彼等からしては、率いるべき荘を掌握仕切れていなかったが故に起こった不祥事なのだから。
とはいえ、こちらも弁えた物。むしろ剣友会は成人しても憧れを忘れなかった“男の子”の集団である。何人かは昔日のやらかしを思い出してか、渋い笑みを作っていたものだ。
幸いにも誰も怪我をした訳でもないので、剣友会としては許す側が使うべき決まり文句としてこう言っておいた。
子供のすることですからと。
加害者側から言われたらナメとんのかワレと柄が悪くなりそうな文言であるが、許す側としてはこれ程便利な言い回しも無い。向こうの大人側でキッチリとシメておいてくれればそれでいいとも。
実際、子供達はしこたま叱られた上、櫓の下に下半身丸出しで縛り付けられていたのでしばらくは反省して大人しくすることだろう。
裸縛りか……痛めつけるでもなく、しかし罰としては重いが後々「子供の頃にやらかしたこと」として忘れられる良い塩梅の沙汰だな。
何はともあれ、荘の者が有事になれば動けると確認することも出来たし一件落着としようではないか。
酒を受け取り今度呑もうと全員で楽しみにしつつ夕餉の支度に入った頃、再び警鐘が鳴らされた。
最初の数秒は警戒を促す三点打であったそれは、直ぐに乱打へと移り変わる。
ああ、くそ、警戒は鳴子が鳴るなどの異常が起こった時の対応であったが、乱打は正しく火急の事態を報せるものだ。
受け取っていた椀を放り投げ、机に預けていた送り狼を手に寸暇を惜しんでドアを蹴り開いて表に出る。鎧の胸甲だけは纏っているが、他を着込んでいる余裕は無い。
荘民達は昼のこともあって些か動きが鈍く見えるが、それでは困るので渾身の声を轟かせる。
「敵襲! 敵襲! 防御態勢! 急げぇ!!」
ああ、まったく、狼少年のなんと迷惑なことか。
あの童話であれば食われたのは少年一人で済んだが、こちとらそれでは済まぬのだ。
まったく、勘弁して貰いたいものだ。敵さんも運がいいな…………。
【Tips】地方によって警鐘の鳴らし方は変わるが、帝国西方においては一回だけ間を開けて鳴らす鐘は注意、或いは集合。三点鐘は警戒、乱打は敵襲、あるいは火災を報せるものである。
番外編にうつつを抜かしてしまったので更新です。
さて、いよいよ始まりますね。
荘を守るための攻防戦、序盤の冒険者として皆様も経験したことは多いでしょう。
定番のイベントですから余裕余裕とダイスを転がした者です。
そういう奴から死ぬ。
冗談はさておき、ヘンダーソン氏の福音を書籍版 オーバーラップ通販で1巻2巻共に初回特典がまだついているそうなので、3巻を機に紙を買ってみようと思われたら如何でしょうか。
是非ともよろしくお願いします。