ヘンダーソンスケール EX ver0.01
ヘンダーソンスケール EX(計測不能)
通称、酒に酔った変人の悪ふざけ。まさかの続く。
いやですね、そのね、ファンアートまで頂いてしまったり、感想やTwitterで沢山エーリカ嬢の戦いっぷりとかが気になると言われてしまってデスね。
意を示すべく牙を剥け。朗らかに殺意を込めて。
髀肉をつり上げ、犬歯を晒す肉食獣の所作。
それ即ち、人類にとって快を示すものなれば。
尼僧は僧衣の腰、裏側に腰帯を通して固定した物入れより愛用の得物を取りだした。
傾きかけた陽を受けて物騒な光を反射するそれは、鈍色に輝く拳鍔である。
四指を収める穴が空いた鍛鉄の固まりは、最も根源的な人類の暴力、拳をより硬くするのみを望んで生み出された器具。見るからに凄まじき鉄量を誇る鋼の固まりが、一本のみ通された人差し指を起点として両手で回る。
右に一つ、左に一つ。分かち難く一対として生み出された暴力の兄弟は、主の手の中で自身の暴威をひけらかすように翻る。二度三度と回された拳鍔に、タイミングを見計らって四指が全て通される。
そして、尼僧は拳を胸の前にて渾身の力を込めて打ち合わせる。“陽の昇る所に誉れあれかし”と“落日の安息が訪れんことを”なる陽導神の信徒が好んで口ずさむ聖句が刻まれた打面を。
外見の無骨さに反し、響く音は聖堂の鐘が如し清廉さ。空気を揺るがし遙か遠方の山々にまで届く威声は、この尼僧の力を受け止められるのは我々だけだと示すかのよう。
「さぁ、来い。陽が暮れようぞ」
背は高くとも単なるヒト種、ましてや簡素な僧衣を纏っただけの尼僧の挑発。あまりにも力強いそれに暴虐で鳴らした男達が二の足を踏んだ。
統率は取れているが小汚い装備の数々を見れば、人は取るに足らぬ野盗の群れと見るであろう。
しかし、奴儕は十把一絡げの愚か者共とは訳が違う。総勢五〇を超える大野盗、常であれば存在の噂さえ流れた途端に討伐軍が編成される帝国への脅威。
斯様な不義の大軍を支える異常の根源が、孤影にて不適に笑う尼僧への不快感で吠えた。
大霊峰に座する巨人達、その落とし子たる、されど比べるべくもない矮躯の半巨人。いつかの再起を誓って病の届かぬ霊峰に君臨する彼等からは、出来損ないの下仕えと呼ばれるものの上背は鐘楼を超える域に達する。
そんな“はぐれ”の半巨人が彼等の頭目であった。
たまたま訪れる冒険者や傭兵は全て殺すか配下に収められるだけの暴威。これだけの巨躯が暴れれば荘など一刻と持たず更地となり、街でさえ半日もあれば瓦礫と土埃が舞うだけの廃墟と化すだろう。
この巨人の余りある暴力が人々の口を噤ませ、全てを諦めさせてきた。
誰もが思うだろう。見せしめとして踏み潰された荘を見れば、気まぐれな慈悲に縋って沈黙を選んだ方が賢いと。
されど、一人だけ異を唱えて立ちはだかる者が居る。
慈悲を垂れる権利など貴様にはなく、むしろ希うべき立場にあるのだと。
不遜極まる尼僧に苛立ち、同時にたった一人の女に腰を引かせた配下にも半巨人は腹を立たせた。
臆病な愚か者を一人引っ掴み、悲鳴を上げるのを無視して上体と下肢を握り……実に呆気なく泣き別れにさせた。
それから亡骸を片方を配下の目の前に叩き着け、こうなりたくなくば戦えと檄を飛ばす。縄張りとして沈黙と上納を強いている小さな荘の反逆、それもたった一人の尼僧が何するものぞ。
農民の手垢にまみれた大判銅貨が高々数枚、その喜捨を受け取っただけで反抗してくる偉ぶった神の信徒とやらが酷く癇にさわるのだ。
のみならず、銅貨を掌で弄びつつ、陽導神に慈悲を請い頭を丸めるのならば経の一つも上げてやらんでもないと宣われた日にはもう。
ここまでやって怒りが萎えぬのか、半巨人は残された上体を尼僧へ投擲する。横に振りかぶり放られる肉の塊は轟音を立てて虚空を直進し、まっしぐらへ女へ向かう。配下をけしかけるまでも無く、当たれば木っ端となり“どちらがどちら”であったかさえ分からなくなるであろう暴威。
しかれども、不躾な汚物が尼僧の肌を汚すことは無かった。
あまりに自然に、ただ一歩前に出て羽虫を払うが如く右手を振る女。すると、直撃する筈であった亡骸が“すり抜けた”ように背後へ流れ、盛大に土塊を巻き上げながら散華する。
男達は目を剥いて、思わず武器を取り落としかけた。
世界が間違いを犯したとしか思えぬ所業。例え直視しようと真っ当に受け止められるであろうか。
だが、尼僧にとっては何のこともなかった。“水平射”される“火砲”でさえ受け流す手の甲が、あんな不格好で“とろくさい”肉の塊を弾けぬ道理があるものかと。
「汚い花火だが、開戦の号砲としては十分。では、いざ参ろうか」
剣呑に、しかし聖母と見まごう穏やかな笑みを湛えて尼僧は踏み出した。
強烈な踏み込みは大地を深く抉り、瞬きの間に数十歩の間合いを詰めさせる。さぞ驚いたことであろう、何があったかも分からぬまま阿呆の如く突き出した長槍の内に入り込まれた野盗は。
「ふっ……」
踏み込みに合わせて小さな呼気と共に突き出された左の拳は、芯で以て野盗の胸を打ち抜いた。鋼板の胸当てが薄紙と同じ頼りなさで陥没し、その下の着込み諸共に胸骨を巻き込んで砕け散る。
無論、鋼よりも脆い肉体など寸間の抵抗すら許されず、浸透した衝撃にて心の臓を含めて上体の臓器全てが無惨に攪拌されて糞と肉の塊に姿を変える。
あまりの素早さ、あまりの威力に野盗は己の死を認識する暇もなく、自身の命を神の裁定へ委ねることとなった。
何とも驚くべき事に、これほどの破壊をもたらしながらも野盗の死体は“一歩もよろめくこと無く”膝から崩れ落ちた。
武に精通する物が見たならば、この恐ろしさが分かっただろう。
尼僧が振るう拳は、一切の無駄なく全ての破壊を肉体の裡にのみ留める精度にある証左に他ならないのだから。
一人が死んで、野盗共は漸く尼僧が間合いに居ることに気が付いた。
前列が混戦には長すぎる槍を放棄して剣を抜くまでの数秒で、更に六人の悪漢が自身の犯してきた罪によって貯まったツケを支払うこととなる。首が傾ぎ、骨が砕け、臓腑がパイの種のような有様になって果てて尚、弱者を貪った罪の償いとはなるまいが。
「祈れや祈れ、慈悲を請う権利は如何なる罪人とて残されている。さぁさ、声高に奏でよ妙なる聖句を。能わぬならば、天に届かせ最期の声を」
右の拳を眼前の男の胸に叩き込んで終わりを運び、同時に左手で振るわれる剣の腹を打ち払って無惨に砕き、返しの拳を腹に打ち込んで悪徳に終止符を打つ。
瞬きの間に等しい戦い。否、神罰の代行が吹き荒れて、暴虐によって腹を満たしていた悪漢共は全て地に伏した。
逃げることなど許されぬ。得物を捨てて踵を返そうが無慈悲な神の信徒は一言漏らす間もなく間合いを詰めて拳を振るう。
「……歯ごたえの無いことだ。私を組み伏して華を散らせる益荒男はこの世に居らぬものかね」
一撃必倒。牽制や様子見などと言った怯懦は不要と言わんばかりの剛拳が理非を上回る理非を以て悪徳を雪いだ。
その様を見て、生まれ持った巨躯による暴力で只の一度も恐怖など抱いたことのない半巨人が戦慄いた。驕り高ぶった自我は認めはすまいが、その本能が悟るのだ。
このヒトの形をしたナニカに殺されると。
「さて、残るは一人か。心変わりはないか? 私は告解を受ける権利も与えられている。今なら聞いてやらんこともないが……」
怯えをかき消さんと彼は生涯でも最大となる怒声を張り上げ、自身の得物、かつてはどこざの建物の基礎であった野太い鉄柱を振り上げた。軍勢であろうが真横に薙げば、血の煙となって消え失せる全ての自信の要石。今万力を込めて叩き着けるそれは、便利な奴隷共を殺した女を打ち払うであろうと確信する。
「……軽い」
だが、生まれ持っただけの暴力、何の背景も持たぬ力は尼僧の前にあまりに儚すぎた。
あり得ぬ事態が二度起こったと思えば、三度繰り広げられる。
大地を踏み割り天に高々と突き上げた拳、それが尼僧を何十人と集めても重さが釣り合わぬであろう鉄柱を微塵に破壊したのである。
浸透した威力は鋼を砕き、また半巨人の手にも余さず伝わって両の五指をてんでばらばらの方向へねじ曲げる。指の肉を割って骨が顔を出し、汚れた血が夕日より尚赤く空を彩る。
痛みに悶えながら、あり得ぬと半巨人は思った。
五分の一ほどの矮躯が、質量にすれば何十分の一にも満たぬちっぽけな肉体が現実を騙くらかした。
虚構もかくやの大偉業。常であればあってはならぬ。ヒト種など、鍛えに鍛えど牛を持ち上げることもできないはずで、その早さは鳥に遠く届かなければならない。建物の重量を支える柱など、脆弱極まる骨格では須臾の合間でさえ耐えられぬ筈。
いや、耐えられてはいけないのだ。
「おや、自分から跪くとは分かっているな」
まして、耐え抜いて破壊した上、間髪入れず己の上背の何倍もの高さに舞い上がるなど。
「それは慈悲を請う姿勢だ」
跳躍の姿勢より音も無く半巨人の頭に舞い降りた尼僧は、その動作の延長として“祈るように組んだ両拳”を叩き着けた。
「まぁ、我らが厳父が容赦するとは思わんがね」
轟音。不思議とその場に留まる――通常であれば反作用で吹き飛ぶはずだが――尼僧の足下へ半巨人が潰れていく。歪な楕円を描いていた楕円の禿頭は崩れて歪み、熟れすぎて地に落ちた瓜とそっくりだ。
違うのは地面を汚すのが腐れた果汁と果肉ではなく、慮外の衝撃によって煮崩れた桃色の脳髄ということ。
しかし、大差は無かろう。人を虐げ、奪い、戯れに殺してきた愚物の脳髄など時機を逸した果実とどれほどの違いがあるというのか。
軽やかに自身が誅した半巨人の傍らに降り立ち、周りが静になったことを認めると尼僧は胸で揺れていた日輪の聖印を手に取り、厳かに唇を落とした。
悪因悪果、天網恢々、天に唾を吐いた者は唾と同様に地に墜ちる。全ては天にまします神々の代わりに神罰を運ぶ人型の理不尽によって。
正規の軍であっても大打撃を避けられぬ世紀の大野盗群は、ここに人知れず全滅した。功績を誇る事なき尼僧の口からこの武勇が語られることもなく、忌まわしく悲痛なる出来事を忘れたい人々も早々に頭から消さんと思い出すことを止めるだろう。
誰に語られることも無く、悪党はただ因果にあるべく潰えた。
「よきかなよきかな、死すれば後は骸、きちんと葬ってやろうではないか」
尼僧は砕けた男めいた口調で言って、腰の物入れへ拳鍔を仕舞うと代わりに使い込まれたフラスクを取りだした。鈴の入れ物にはキツい蒸留酒が収められており、無遠慮に撒かれたそれは斜陽の光を受けて口惜しげに煌めいた。
僅かに残った酒を干し、官能的に艶めく唇を拭って尼僧は呟く。
それにしても、近頃は面白みが無くて困ると。
このままでは行き遅れるでは無いか。一日の仕事を終えようとする陽導神に苦情を述べ、尼僧は静かに歩き出した…………。
【Tips】現世において神が直接神罰を下すことが希になって久しいが、その信徒達が教区を巡って自発的に行動することは絶えぬ。
今日もまたこともなし、と宣うには人の努力こそが必要だと知るがために。
自分で言った「私を組み伏せられるような男でなければ股を開く気にはなれんね」との大言が響いて絶賛行き遅れ中の権僧正殿。
そろそろ悪ふざけもいい加減にしてきちんと続き書きます。